第46話

ある日、師匠の所に金丸かなまる平八郎へいはちろうと言う武将?が訪ねて来た。

何故かと言うと訪ねて来た彼がこれまた若い、年の頃は15前の元服前後の年齢である。

聞けば彼の親父殿が最近、逆恨みから殺害されて急遽きゅうきょ家を継ぎ、今は主君の晴信君の奥近習としても務めているそうだ。

中でもこの子、平八郎君は晴信君の今の一押しの近習でチョメチョメする仲であるようだ。

何故そう思うかと言えば、噂でこの平八郎君は晴信君お気に入りと聞いているからだ。

この時代は衆道しゅうどうはスタンダード。

一番お気に入りの近習という事はそういう事だ。

衆道って何よ?とか言う物知らぬ者はこのうんちくバリバリの物語を嬉々として読む猛者の読者の諸君の中には勿論いないだろうが、あえて説明しておこう!!

男色、つまりはオホモダチということだ!!

気持ち悪いとか言うなよ!先に言ったがこの時代のスタンダードだし、令和の世ではLGBTとか五月蠅いだろ?まぁそういう事だ。

触るな危険!!取扱注意の案件という事だ!!

話を戻そう、その人物が兵法の話を求めて師匠の下にやって来た。

俺たちはおもてなしの白湯だしたらその場を退散だ!!

しかし、彼のお連れの家来見習の大蔵おおくら藤十郎とうじゅうろうと言う同じく年の頃は15前位のこの者が暇そうだから話してみれば面白い。

元猿楽師の息子で、気が付けば武士になっていたと言う異色の経歴。

武田家臣で元猿楽師と言えば大久保おおくぼ・・・何とかさんが有名だったな~


「そう言えば猿楽師なら大久保って性の人居るよね?」

「大久保?・・・残念ながら某は知りませんぬ」

「そうか~・・・まぁいいや~将来出世する人物らしいよ~」

「その大久保殿がですか?」


何か考え込んでいるけど変に怪しまれた?

彼は下っ端らしいし、まぁいいか~


「金山とかに詳しく活躍中だろうな~とか思って」

「金山ですか?猿楽師が?」

「そう、元猿楽師でも金山の事とか色々知ってたら重宝されるよね~」

「そう・・・ですね・・・」

「大蔵殿もせっかく武士になったんだから戦とかで活躍したいだろうけど、それ以外にも出世の方法はあるってことだよ」

「それが金山の事など・・・ですか?」

「そうだね~皆と同じことをしてても目立たないってことかな~」

「左様ですな・・・」


大蔵どんが考え込んで御座る。

まぁ大久保・・・何とかさんはまだ居ないのか~どんな人か会ってみたかったんだけどね~

確か武田滅亡後に徳川家行って「徳川の金の生る木」とか言われるんだよね~

側女を80人連れていたとか聞くリアルハーレムを作った人物だし興味あったんだけどね~残念残念。

この時期はまだ武田に仕官していないのかもしれないな。



この日の出会いで何を思ったのか彼は金山の事やその他の武士にとっては雑事のようなことに興味を持つようになった。

後々彼は金丸平八郎、後の土屋つちや昌続まさつぐの与力となる。

元服と共に土屋長安ながやすと名を変えた。

金山の管理や税務に従事するようになるが、それはまた別の話。


★~~~~~~★


前話で言っておりました人物の関係者を無理くり引っ張り出すの難しそうなので違う人物引っ張り出しました。

仕方ないのでストーリー関係なしに語ります!!言い切りました!!潔いでしょ?・・・え?わわわわわ~苦情は受け付けませんが何か?

必要ない方飛ばして下の方の関係ある部分だけお読みください・・・読んでくれないのか・・・ショボーン・・・


うんちく語りたかったのは保科ほしな正之まさゆき!!

知ってますか?

会津あいず藩初代藩主で、徳川秀忠ひでただ(徳川二代将軍)のガチの隠し子です。

江戸初期の三名君の一人です。

残り2人は徳川光圀みつくに、池田光政みつまさです。

徳川光圀はあのTVで有名な越後のちりめん問屋さんです!!

あのドラマの決め台詞である「ひかよろ~このお方をど何方とこころえる~・・・さきの副将軍~」てありますが、本当に個人としてとまで実際に呼ばれたのは保科正之です。

水戸光圀は光圀がと言うより徳川御三家の水戸家自体が参勤交代しない江戸常駐だったので水戸家=副将軍的な感じだったようです。

保科正之の凄いのは色々ありますが、今の東京の町割りなどを作ったのはこの方の功績とまで言われております。

玉川上水を開削を策定した人物の1人です。

他にも、殉死の禁止(主君の後追い自殺は武士の誉れと考えられていましたのでいい人材も代替わり時に一斉に殉死してました。そうすると一気に藩政崩壊して大変だったようです)、大名証人制度の廃止(証人とは要は人質です)、末期養子の禁緩和(末期養子の禁と言うのは大名が跡取りを予め幕府に申し立てて登録しそれ以外は認めないと言う物で、徳川幕府初期では登録して無かったり、両者運悪く死んだ場合はお家御取り潰しでした。それを緩和したので御取り潰しが相当数減った模様)、等々の事に関与したと言われております。

明暦めいれきの大火の際は上野に広小路ひろこうじと呼ばれる火除けの幅の広い街路を作ったり、浅草と芝に新堀を掘り、両国橋を架けたり、神田川の拡張工事等々を行い江戸の防災対策を企画することに大きく携わり、今の東京の原型を作ったと言われています。

三代将軍家光(異母兄)の代で幕政に関与し、家光の遺言で四代将軍家綱いえつなの補佐役をしております。

この人物を語る上で必ず出てくるのは日本で最初に年金制度を確立した人物と言われます。

90歳以上の老人には身分を問わず1日当たり五合の玄米を与えたそうです。

またそう社倉制しゃそうせいを採用し日本初めて社倉を行ったそうです。

この制度は平時に米を備蓄して飢饉や災害ににはこの倉から米を配ったそうです。

後、困窮者に貸し出しなどなど・・・

今でいう計画的備蓄を日本で初めて国家として計画運用した人物かもしれません。

先に挙げた三名君の1人、池田光政は正之をリスペクトしていて、光正の政策にも影響を及ぼしたと言われております。

そして、最後に保科正之が十五箇条の家訓を残しております。

内容を簡単に言うと、「会津藩は徳川家に大恩があるから他藩が如何いう行動をしようと関係ない、徳川家の為を考えて忠義を尽くせ」て内容です。

これは戊辰戦争の時まで守られたそうで、会津藩士は最後の一人まで勇敢に新政府軍と闘ったそうです。

作者は学生時代に直木賞作家の中村彰彦あきひこ先生の『名君の碑 保科正之の生涯』と言う著作を読み感銘を受けたので少し語りたくて無理くり登場させたかったんですけどね~

こんだけ語ったので今回は満足としておきます。


さて、本編に全く関係ない話はここまでとして、出て来た人物、土屋昌続は武田二十四将の一人で、弟も同じくTAKEDAトエンティーフォーガーディアンズの一人です。

何となく英語にしてみました・・・書いて思いましたが、どこぞのアイドルグループみたいですね~すみません・・・調子乗りました!

土屋昌続の弟は「片手千人斬り」と呼ばれる土屋昌恒まさつねです。

武田信玄は近習の中でも特に土屋昌続がお気に入りで寵愛され、奥近習六人衆の中で唯一歌会などで信玄の横に座ることが許された人物だったようです。

奥近習六人衆は土屋昌続、三枝昌貞、曽根昌世、甘利昌忠、長坂昌国、武藤喜兵衛の6人を差してそう呼ばれ、信玄の寵愛の印である「まさ」の字を与えられたそうです。

武藤喜兵衛は後の真田幸ですから1人だけ仲間外れと言う訳ではありません。


次回はいよいよあの歴史的イベントが!!

そして、主人公がまた!!


★~~~~~~★


『第9回カクヨムWeb小説コンテスト』の条件満たしていたので取り合えず応募!!

賑やかしの応募ですが、折角ここで小説書いてるんだしお祭り参加!!

作者の別作品(一応メイン)の『幼馴染NTRた彼は元召喚勇者です(仮)』も応募したので2作品ぶち込みました!!

作風違い過ぎて同じ作者だと思えない作品ですが、同じ作者です!!

向こうは縛りまくった作品でこっち?え?縛りとか無いぞ~

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