第41話

面白き者がやって来た。

何時もの様に師匠が一手指南したのだが、その攻めに師匠ですら少し翻弄されていた様に見えた。

師匠がそのことでこの挑戦者に何か言おうとすると、その者はそれを途中でさえぎり、どうするかと思えば「う・・・やられた!!」とか言って倒れよった。

やられた?何に?師匠と数度打ち合っただけだ・・・お互いにかすりすらしていないのだが?

どうやらどうしても弟子入りしたかっただけの様だ。

わざと負ける者など初めて目にした。

師匠に一手指南を願う者は向上心の強き者か、名を馳せている師匠を倒して成り上がろうとする野心の塊のような者のどちらかだ。

どちらの者もあのように負ける者はいない。

儂の知っている中では初めての事であろう。

五分に戦ったのに弟子入りを志願するとか・・・普通は負けてから己の未熟さを知り負けた相手に弟子入りするものだと思うのだが・・・

この者は丸目蔵人佐長恵と言うらしいが、儂はあんなに愉快な奴を見たことがない。

師匠が「是非とも弟子にして頂きたい」と1度目に言われた時は何とも微妙な顔をされたが、2回目には何やら考えた後に満更では無いと言う顔をされておった。

長年の付き合いだからこそ分かるが、初見の丸目と言う入門希望者には分からなかったようで、じっと師匠を見詰めて色よい返事をもらうまでは梃子でも動かない構えのようだ。

師匠はため息を吐き、「では今日より入門を許そう」と言われた。

丸目と言う者は大喜びして「ばんざーい!ばんざーい!!ばんざーい!!!」と叫んでおる。

喜びの掛け声なのはなんとのう解るがけったいな掛け声じゃ。

色々な意味で面白そうな人物であることは頭の悪い儂でも理解出来た。


豊五郎ぶんごろう、何か凄いのが入門して来たな・・・」

「凄い?・・・宗治むねはるさんよ、面白いの間違いじゃないか?」

「お、お前らしい意見だな・・・」


宗治さんは顔を引きつらせている。

まぁ少しは解らんではない。

年の頃は儂とそう変わらんのに師匠と五分で撃ち合えるとは・・・確かに凄い。

儂や宗治さんでは師匠にはてんで適わんと言うにあの者は遣り合えるだけの確かな実力を持っておる。

噂に聞く天狗の弟子。

あの足捌あしさばきは師匠の物とそっくりだ。

そして、初手の太刀は袈裟に斬った後にまるで跳ね上がる様な軌道で師匠へと襲い掛かってきおった。

師匠も驚いておったが何とか対処された。

二撃目は師匠を訪ねてきた際に塚原の爺様が一度見せてくれた秘剣の技に似ておる様に見えたが・・・

同じ弟子として一緒に研鑽を積むのが楽しみである。


豊五郎ぶんごろう疋田ひきた景兼かげとも、上泉四天王の一人で、上泉信綱の甥っ子に当ると言われております。新陰疋田流しんかげひきたりゅうの創始者です。当時(1563年)、畿内一と言われていた柳生宗厳むねよし石舟斎せきしゅうさい)と信綱の代わりに立合い3回戦い全勝したと言う話が逸話として残っておりますが、尾張柳生家に残る資料では信綱か神後が立合ったと言う資料が残っているらしいですが、はてさて何方でしょうね?)


万歳三唱ばんざいさんしょうは歴史が意外と新しく、明治に天皇陛下に対して行ったのが発祥と言われております。戦国時代ではまさに謎の掛け声です。)


★~~~~~~★


顔が引きつる。

豊五郎と大して変わらぬ年であの技前・・・

信綱様と真面に遣り合える者は早々居ない。

儂が知る中では塚原つかはら土佐守とさのかみ卜伝ぼくでん殿位ではないだろうか?

初手の太刀も素晴らしかったが二の太刀が間違いなく卜伝殿の鹿島神道流かしましんとうりゅうの秘奥義の一つである一之太刀いちのたちであった。

噂では天狗の弟子と聞くが、天狗の剣術と言うのはあのように凄まじい物であるのだろうか?

儂がもし信綱様からお相手するように言われた場合は・・・間違いなく初手で不覚を取っていたであろう。

「では今日より入門を許そう」と信綱様が丸目殿の入門を許可されたので今日からは同門となる。

豊五郎に話しかけるとこ奴らしい答えが戻って来た。


豊五郎ぶんごろう、何か凄いのが入門して来たな・・・」

「凄い?・・・宗治むねはるさんよ、面白いの間違いじゃないか?」

「お、お前らしい意見だな・・・」


豊五郎は独り言のように「儂も立合いをお願いするか」と言うておる。

こ奴は相手の強さどうこうより強き者と闘う事で自分が磨かれることを楽しんでおる。

若いこ奴が羨ましいく思うが、儂は儂でまだまだ伸びしろあることを信じ研鑽を積む腹積りだ。

箕輪の城が落ち、長野家は滅び、滅びた家の家臣の儂は剣の師である信綱様に付き従う所存だ。

信綱様は今後はどのようにされるか・・・


宗治むねはる神後じんご伊豆守いずのかみ宗治、上泉四天王の一人で、四天王最古参と言われていますが、四天王の中では一番資料が少ない人物となります。信綱と別れた後は神陰流を名乗ったようです。箕輪城主の長野氏の元家臣で、落城と共に信綱と共に諸国を回ったことや、柳生宗厳むねよし石舟斎せきしゅうさい)が信綱に立合いを望んだ際に最初の相手をしたのがこの神後だったと言う説もあります。また、足利義輝に実際に剣の手解きしたのは彼だとも言われています。また、豊臣秀次ひでつぐに剣を教えたとも言われております。物語のこの時点で、可成りの年配だったとも言われていますが、晩年の最後の方は特によく分かっていない人物です。)


★~~~~~~★


主人公の丸目蔵人佐の弟子入りは史実では上泉信綱が上洛(京都に行く)後となりますのでここで主人公の無知で歴史が少しだけ変わりました。

本当に歴史が動いた訳です。

今までも可成り動かしてるだろうって批判はスルーします!!

さて、史実の本来はこの度の京への道中では丸目居ません。

そして、その道中で信綱は色々な剣豪・武将たちと会うのでここは是非そこに主人公を絡めたくて、この時点の弟子入りとしました。

本当はこの時期は会っていない剣豪・武将たちと主人公がどう邂逅し歴史が変わっていくか。

これより主人公一行が京都に行きますが、続きで主人公たちの珍道中をお楽しみください。

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