第六章③ クリスマスイブ


 十二月二十四日がやってきた。


 この日の近辺はテレビを見ていると、世の中には幸せな人が全体の九割五分くらい占めているような錯覚を覚えるので、なるべくみないようにする。


 だって、そんなわけがないのだ。


「いいたいことは分かるんだけどね。いまさら高木くん相手におめかししようって気にはなれなかったのよ」

「言ってくれるじゃないか」


 わたしは険悪な空気を楽しんでいた。集合場所に選んだコンビニの店内には高木くんが一番乗り。次がわたしだった。


 彼の格好はいつもの黒いニット帽に、青いダウンジャケット。その下にはあまり派手でないネックレス。そして黒いシャツと、白いジーンズ。


 普段着よりワンランク上げた、意気込みが感じられる装いである。


 対してわたしは、三日前に学校に行ったときとほぼ同じ格好。白いコートに、クリーム色のセーター、濃紺色のジーンズ。


 こげ茶色のバックが僅かによそいきだが、足元のブーツは華美さよりも日陰に残る氷に足を滑らさないよう、実用性を重視したものだった。


 確かにもう少しがんばってもよかったかもしれない。由里ちゃんの心情を思うと、あまり浮かれるのもどうかと自制の心があったのも確かで、しかしこの程度の装いでは彼女にいざというときの大人の女の実力を示すには至らないだろう。


 しかしまあ、ない袖は振れないというやつだ。


 歩だってあれだけ『そういうのじゃない』を連呼していたからには、マーくんに誤解させてしまいかねないデートのような格好で着飾ってきたりしないだろう。


 ほどなく由里ちゃんが来た。高木くんの彼女をみた第一声は「でかいですね」だった。わーお。


 由里ちゃんは無表情に高木くんを見下ろしながら、「小さいですね」と返した。


 わたしは見つめあう二人をよそに、本棚に少年ジャンプを求めてさまよった。


 彼女の格好は、黒い薄手のハイネックセーターにジーンズ、それからスニーカーというシンプルなもの。


 女の子っぽくするつもりは特にない様子。潔し。その上にグレーのコートをはおっている。


 それから歩がやってきた。その姿を見るなりわたしと高木くんはぶふうっと噴き出した。


 びしっという音が聞こえてきそうなほど、気合の入った化粧。まっ白なセーターに赤いスカート。その下には網タイツ。黒いブーツにはかわいいもふもふがついている。きらきらしたネックレスも腕飾りも、わたしが初めて見るものばかり。


 二人で後ろを向いて、高木くんがささやく。


「ちょっと奥様見ました?」

「着飾ってる、着飾ってるよあの子。意識しまくりじゃないの」


 由里ちゃんは何がおかしいのか分からないでいる。


 歩は照れくさそうだ。

「ボーリングいくのに、スカートはちょっと動きづらいかなとは思ったんだけどね」


 それから三分ほどしてマーくんが現れた。

 高木くんが再び「でかいですね」と顔を上に向けながらいった。


 歩の思われ人は由里ちゃんよりも大きい。黒いコートにチェック柄のマフラーを巻いた、髪の短い男の子。高木くんは自分より大きい人間をみると、自動的に敬語になってしまうのだろうか。


「遅いよマーくん。年少者たるもの一番最初にやってくるくらいでないと」

「部活じゃあるまいし、別にいいじゃん。歩先生」


 彼は一同に対してごくわずかに無言で頭を下げた。それから更に深い海のような無言。わたしは会釈を返して、興味深く彼を眺めた。


「受験勉強大変なのによく来てくれたね」

「あ、平気です」


「マーくんでいいのよね」

 返事なし。切り立った雪山の断崖のような無言。会話終了。


 コンビニを出てボーリング場へと向かった。全員自転車だ。


 前行くマーくんと歩と、高木くん。マーくんは高木くんに対しては、わりと普通に受け答えしているようだ。


 後ろからその様子を伺いながら、わたしと由里ちゃんが並んで自転車を漕ぐ。


「なんだか面倒くさい子ね」

「ああ、でも基本的にわたしの中学の同級生もあんなんばっかですよ」


 歩が急に自転車を停めた。どうした?


「みなのもの、これを見よ」


 わたしは、歩が自慢げに掲げる赤いそれを目を凝らして見た。


 トランシーバーのようでいて、もっと小ぶりでデザインの洗練された、二十一世紀を予感させる素敵なそれ。


「わたくしPHSを買ってしまいました」

 羨望のどよめきが起こり、歩は満足そうだ。知り合いの中では初めての購入者だ。


「番号を教えてあげよう」

「お金持ちですねえ」


 由里ちゃんが、肩にかけた白い大き目のバッグからブルーのアドレス帳を取り出しながら言った。


「バイトしたからね。わたし自宅通学だし」

 

 ボーリング場では2ゲームやることにした。


 中学生二人はなかなか上手かった。


 ストライクをとって、各々とハイタッチする姿もさまになっている。わたしが中学生のときより大分垢抜けて感じるなあ。さすが秋田市。素敵よ、秋田市。


「わたしどうしても許せないものがあるんです」


 ゲーム中、由里ちゃんが缶ジュースを飲みながらいった。彼女は楽しそうだ。良かった。


「何?」

「わたしが根っからの体育会系だからなんでしょうけど、ボーリングのときに、女の子で、両手でボールを持ってよちよち歩きでゴロンととろい球投げる子っているじゃないですか。あれが許せない」


「俺もかな」

 マーくんがはじめてちゃんと笑った。お、かわいいぞ。


 豪快なフォームでガーターに叩き込んで帰ってきた歩が、話に割り込む。


「話があうじゃないの。あんたたちちゃんと自己紹介した?」


「まだかも。あ、わたし伊野波由里です」

「土谷誠です」

 うんうんと満足げに笑って頷く歩。はて?


「長友、マーくんは野球やってんのよ」

「じゃあ、秋高いったら、歩の後輩じゃない」


「秋高いけるかなんてわかんないっすよ。それに高校で野球を続けるかどうかも決めてないし。伊野波さんみたいにたいした選手じゃないんです」


「たいした事ないからどうだっていうのよ。あんたがやりたいのならやればいいじゃない」


 歩の語調が少し強くなった。多分、二人の間でちょくちょく出る話題なのだ。


「歩先生は甲子園に行ったから、結果を出せたから強気になれるんだよ。俺はレギュラー取れるとは思えないし、先生たちの伝統を引き継いでいける自信がないから、迷うんじゃないか」


「後輩の足かせになるなら、伝統なんて捨ててしまえばいいんだ」


 歩のまっすぐな眼差し。


「わたしはねマーくん。後輩たちがまた甲子園に行けたら、そしてその中にあなたがいたら、そりゃ嬉しくてしょうがないよ。けど駄目だったとしても、弱くなっちゃったとしても、わたしの心は離れたりしない。ずっと応援し続ける。いつかわたしの知っている人たちが誰もいなくなっても、応援し続ける。わたしの八月と三月は、秋高の応援で甲子園に行くためのスケジュールを一生空けておくって決めたんだ」


 言ってから、歩はしまったという顔をして話を変えた。


「由里ちゃん付き合っている人とかいないの? へえ、いないんだ。マーくんどうよ、ねらい目なんじゃないのお?」


 ボーリングが終わって次はカラオケに向う。通り道のモスバーガーで、お茶をすることにした。


 女性陣はコーヒー。男性陣はウーロン茶+フライドポテト。


「由里ちゃん、いいよねえ」

 歩が由里ちゃんの隣にすわって、にこにこしながら話しかける。


「へ、何がですか?」


「すらっとしててかっこいいじゃない。わたし小さいからあこがれるのよ。ね、高木くん」

「そこで俺に同意を求めないでよ」


「でもさあ、ほら見てよ。由里ちゃんとマーくん並べてみるとさあ、ちょうどいいと思わない? ちょっと二人とも立ってみてよ」


「歩先生」

 マーくんの冷えた声。


「マーくん?」

「どういうつもりなのさ、さっきから」


「どうもしないよ。何か気にさわっちゃったかな」

 言いつつも、歩の顔はわずかにこわばっている。


「俺のこと、伊野波さんとくっつけたいの? それが歩先生の答えってこと?」

 マーくんは帰りますといって机の上に千円札を置き、コートを片手で掻っ攫うように取ると、早足で店を出てしまった。


「あの、えと」

「あー気にしないで由里ちゃん。あなたは何もしてないわよ」


 状況が分からず素直に困っている由里ちゃんにわたしはいった。


 それから隣の歩先生をちらりと伺った。


 彼女はわたしが見たことのないくらい、動揺していた。

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