第四章⑤ それぞれのいろいろ

 わたしはお酒が弱くても飲み会の雰囲気は結構好きだったが、店員の立場で客観的に酔っ払う人々を眺めていると、何が楽しいのだと思ってしまう。


 知っている顔がお客としてやってくることももちろんあった。


 ある日訪れたのはコンちゃんだった。


 彼女にはわたしたちがこの店でバイトをしていることを言ってなかった。


 だからなのかも知れないが。店の入り口に現れた彼女は駆け寄ったわたしの顔を見て、意外な表情をした。


 コンちゃんは赤いセーターの上に白いコートを着ていて、その色のコントラストが、目を引いた。普段より少し濃い口紅をつけていて、普段より少し大人びて見えた。


 彼女の後ろからグレーのスーツに黒いワイシャツを着た男性が現れた。隙のない着こなしのその男性が最初誰だか分からなかったのだが、よく見れば知っている顔だ。


 クマさん。


「いらっしゃいませ。・・・・・・あれ」

 わたしは戸惑った。


「あーコンちゃんとクマさんだあ。いらっしゃい」

 横から歩が屈託なくそういって、二人を座敷に案内した。


「下駄箱ここね」

「ありがとう、歩」

「へえ、手馴れてるじゃねえか、あゆ」


「へっへー、格好いいでしょ」


 注文をとりにいった時に彼らと少し話した。


「クマさんに見えませんでしたよ」

 クマさんは、髭もちゃんと剃ってあって、髪の毛もいつものように乱れてはいなかった。全般的にびしっとしている。


 びしっとすれば、意外と整った顔立ちをしていることにわたしは驚いた。なんだかコロンのいいにおいまでする。


「こんな固っ苦しい格好、嫌いなんだけどよう。学会に呼ばれてたから仕方ねんだよ」

 しゃべると、いつもの下劣なクマさんだ。


「いつもこうなら素敵なのにね」

 コンちゃんがしっとりと微笑んだ。


 わたしは飲み物の注文をとって戻った。


 サンダルを履きながら、近くで高木くんが下駄箱に肘を付いてコンちゃんたちを眺めているのに気付いた。


「クマさん、一仕事終わって飲みたかったからコンちゃんを誘ったんだって」

「ふうん」


 座敷の二人は話が弾んでいるようでコンちゃんはよく笑っていたが、四十分ほどいただけで店を出た。コンちゃんは結構酔っていた。


 ドアの向こうに消えていく二人の背中を見ながら、わたしは店に入ってきたときのコンちゃんの表情を思い出していた。


 それは、曇った、といって良いものだった。凍った、といっても差し支えのないものだった。


 四苦八苦しながらも約束の期間は過ぎた。


 新しく、長く続けるつもりのあるバイトが二人入ってきた。


 十二月になると、忘年会シーズンで、とんでもない忙しさになるそうだ。断じて係わり合いにはなりたくないものだ。果たして彼らは持つのだろうか。


 店の人たちはよく集まってお酒を飲んでいたが、わたしと歩の最終日に、仕事が終わったあと店の大きなお座敷で簡単な送別会を開いてくれた。


 店長はその日来ていたお得意さんと、別なところへ飲みに出かけてしまっていていなかった。


 相撲取り似の店員が、料理を作ってくれた。わたしはこの人の料理を賄いでよくご馳走になっていたが、見かけや経歴に似合わずとても美味しかった。あったかい味だった。


 特に好きだったのが、貝や、海老のたっぷり入った、とろけるようなシーフードオムレツ。


 このときもわたしがにこにこしながら、「おいしい、おいしい」と連発しながら食べる様子を、彼は何だか真顔で眺めながら「うめえか?」と言ってタバコをふかしていた。


 彼は照れていたのだと思う。あの三人組がこの顔を見たらまた、何やってんすか? と目を丸くして尋ねることだろう。


 別にいいではないか。本当の姿がどちらかなんて考察することに意味はないとわたしは思う。すさんだ目で大悪の限りを尽くしたのも彼なら、小娘にオムレツを作って、ささやかな満足に浸るのもまた彼なのだ。


 酒宴が進むにつれ、各々の恋愛状況について聞かれて難儀した。


 店の人たちは恋人がいる状況が当たり前の人種だった。その中に放り込まれて、「どうして彼氏作らないの」とか言われても困るのだ。


 ねえ、高木くん、歩。君らもそうだよね。


「俺、夏にやったバイトで知り合った子とは何回か会ったけど、つまんなかったな」

「え、何それ聞いてない」


「みどりに俺が報告する義務は別にないじゃん」

「うわ、なんだか腹が立つ。高木くんのくせに。ねえ、歩。生意気だよね、高木くんのくせに」


「わたし、実は長友に言ってないことがあるの」

「ちょ、あんたまで? 一体なによお」


「先日、好きだって言われました」

 その場の全員がなんだとぉと叫ぶ。わたしも叫んだ。


「誰に?」

 高木くんは面白がって聞いた。あれ、彼は歩がこんなことを言い出したら、動揺するような気がしていたのだが違うのか。


「わたし家庭教師やってるじゃない?」

「え? え?」


 わたしと高木くんは、ずざざと後ずさった。


「お父さん、じゃないよね」

「違う」


「・・・・・・マーくん?」

 歩は顔を真っ赤にして頷いた。


 おばちゃんの一人が尋ねた。

「なに生徒? その子いくつよ」


「まだ誕生日来てないから、十四」

「犯罪だ!」


 高木くんが歩のシャツの胸倉をつかんで、それはいかん、それはいかんと何度も言った。


 店の人たちは、ひとしきり大騒ぎをしたが、しばらくするとああ面白かったといわんばかりに、さっと他の話題へと移っていった。というよりも、酒量がかさんでまともな会話が成り立たなくなってきた。


 歩と高木くんは部屋の隅っこのほうで、お互い正座で向かい合って、マーくんの件の今後の対応について協議を重ねていた。


 バイトの男の子が、ろれつの回らない口調でわたしに聞いてきた。


「付き合っているやつがいないのはわかったけどさあ、好きな男の一人や二人はいるんでしょ」


 簡単に言ってくれる。その男の子には彼女が三人いるらしい。秋田大の教育学部に一人、医学部キャンパスにある看護学科に一人、それから聖霊女子大に一人。死ねばいいと思う。


 わたしはもう一度高木くんたちのほうを見た。まだ熱心に話し込んでいる。高木くんは、本気で歩のことを心配してくれているようだ。


「お前の気持ちはどうなんだよ、歩」

「わかんないよ。わたしにいいところを見せたいみたいで、勉強をがんばるようになってくれてね。かわいいとは思うけどさあ」


 青春だなあ。高木くんの真面目な顔が可笑しかったのと、彼に親身になって話を聞いてもらっている歩がちょっぴりうらやましくて、わたしはくすっと笑った。それから膝で這いながら「まーぜーてー」と言ってそっちに近寄っていった。


 三人彼女がいる男の子が「あー、逃げんなよう。答えろよう」としつこいのでわたしは途中で振り返った。


「うるさいな。そりゃまあいるわよ。好きな人の一人や二人」


 十月の終わり。こうしてわたしと歩の居酒屋での臨時バイトは終わった。高木くんは引き続きここで働く。


 最後、店を出て道路の端で皆に見送られる時、どうも歩のほうが惜しまれているようで若干寂しかった。彼女の方が実際役に立っていたし、明るくて店の人たちに気に入られていた。


 わたしが向いてなさそうなのは初めからそんな気がしていたけど、でも自分なりにがんばったんだけどな。結果が全てといわれればそれまでだけど。


 もうここに来ることはないのかもしれないが、せめて少しでもわたしのことを覚えていてほしくて、私は店のみんな一人づつに小さな手紙とそれからタバコを一個買って、ピンクの紙袋に包んで渡した。


 手紙にはお世話になった感謝の言葉をつづった。その最後は、『またいつか機会があったら、お手伝いをさせてください』と書いて締めた。みんなそれなりに喜んでくれているようだった。


 歩は「やあ、気が利くなあ、長友は」と感心してくれた。


 そんなことない。ずるいだけだよわたしは。こういうことをするなら歩と二人でやればいいのに、少しくらい得点を稼ぎたくて一人で出し抜いただけなんだから。


 それだけだったのだ。手紙に書いたことは単なる薄っぺらい社交辞令だったのだ。


 ああ、それなのに。まさかあんなことになるなんて。

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