第四章④ 注文の多い居酒屋 

 たとえ由里ちゃんに全く面識のない人間に対してでも、あんまり彼女の話をあちこちで広めることはわたしの本意ではない。


 でもこういった進路についてのゴタゴタとどろどろについて、一人経験豊富そうな人材に心当たりがあったわたしは、反応が読めるような気もしたが一応話してみることにした。


「どう思う、高木くん」


「そりゃあお前、本人のしたいようにさせるべきだろう。親は結局のところ本当の意味では子供の人生に責任を負うつもりなんてないんだし、つーかそれが当たり前だし。とにかくぶんなぐってでも意思を通すべきだ」


「誰が誰を殴るのよ」

 あまりに予想通りの感情論。


「君に期待したわたしが浅はかだった。もうこの話は忘れてくれていいよ」

「なんだ、その言い草」


「ほれ、いったよ歩―」

 この会話をしながら、わたしと高木くんとそれから歩は、輪になってバレーボールのパス回しをして遊んでいる最中だった。


 こんな天気のいい日に体育館の横の道ばたで、放課後のごくわずかな空いた時間を使ってやることがこれかと、高木くんは口ではぶつぶつ文句を言っていたが、それなりに楽しそうにボールを追い掛け回していた。


 今日もこれからバイトである。それも久々に三人まとめて同じ仕事先。


「きついバイトでさ。なかなか続く根性があるやつって、少ないんだよね。先週も二人まとめてやめちゃった。短期間でいいから早急に補充が必要なんだ。誰でもいいから連れてこいって店長に頼まれた」


 高木くんのいうきついバイトとは、居酒屋だった。皿洗いに、料理を運んだり片付けたり。あとは簡単な飲み物を作ったりもするらしい。


 時間は夕方六時から夜中の十二時まで。晩御飯つき。


 わたしと歩は二週間限定の約束で手伝いに行くことになったのだ。


「そんなにきついの」

 歩がアンダーハンドでボールを弾きながら尋ねた。


「日によるけど、週末に大勢の宴会がはいったりすると、ま、一言で言えば戦争だよね」

「戦争」


 店の場所は、川反という繁華街からほんの少しはなれた場所にあった。

「向かいに映画館があるんだけど分かるかな」

「多分だいたいわかる」


「あっ」

 高木くんが両手でついたボールは、歩の頭のうえを大きく越えていった。そしてぼちゃんと道路わきの小川に落っこちた。


「ああ、ボールが流れていく!」

「高木くんのアホー!」

 歩とわたしの悲痛な叫び。


「あそこから降りられる。追いかけるぞ!」

 あたたかい秋晴れの日差しの中、妙齢の男女が三人して必死の形相で駆けた。


「早く!」

「押すなばか、落ちるだろ」


「手につかまれ、高木くん」

「みどりお前落とす気だろ。信用できない」


 なんて平和な日。


 それから三人で自転車を漕いで、居酒屋へと向った。(ボールは・・・・・・駄目だった・・・・・・)


 一度駅前に出て、千秋公園のお堀の横を通り、旭川の手前を左に曲がる。そして山王通りを横目に見ながら進む。


「このへんから駅方向を見やると、案外都会に見えることが最近分った」

「んー、よく分からない」


 先頭を行く高木くんの言葉に、歩は首をかしげた。


 最後尾を走るわたしは彼の言い分を理解することができた。彼は彼なりに、最近はこの町の良いところを見出そうとする努力をしているようで、『都会に見える角度』というものの研究も、その一つなのだ。


 そんな研究の余地などなくここは素晴らしい町だと思うのだけど。


 彼のバイト熱は高まる一方だった。


 夏の月山で、高木くんはわたしにはっきりと宣言した。


 シビックタイプRとかいう名前の真っ白い車を彼は買うつもりだ。


 わたしはその助手席に乗せてもらえるらしい。まあ、何と言うか、言われて多少は嬉しかった。わたしはあのときの彼の真面目な表情を思い出す。


 高木くん。


 埼玉からこの町にやってきて、縁あって行動を共にするようになった、一つ年下の男の子。


 君の悔しさは理解できていると思うよ。


 わたしだって、病気のせいで最初の受験が駄目だった時は悔しかった。


 今はこうしてこの学校に通うことが出来ているけども、同級生たちはみんな先輩になってしまった。


 各々が別な人間関係を結び、本当の意味ではわたしとはもう心が離れてしまった。


 種類の違う人間として区分されたのだ。


 ちゃんと勉強していたのに、わたしになんの落ち度があったというのだろう。


 そして、君がどうしてそんなにもかの白き車に執着するのかも、多分わかる。

 

 成し遂げたいんだよね、何かを。


 めためたに自分を追い込んで、痛めつけて、あげくに何かをつかみとって、これからの人生を生きていく為の勇気を手にしたいんだよね。


 その成し遂げたいものの中に、わたしを車の助手席に乗せて走りたいって思いがささやかにでも含まれているというのならば、嬉しいよ。光栄だよ。わたし楽しみにしているからね。


 その居酒屋は、通りに面した階段を降りた地下一階にあった。


 青森に本店があるらしい、大規模ではないけど一応チェーン店。


 円卓のテーブル席が二つ。メインの座敷席は和室と、フローリングのテーブル席が、あわせて150人分くらいのお店。


 わたしたち三人はおそろいの黒い仕事着を着て、腰には黒いエプロンを巻いた。わたしは髪の毛を青いゴムを使って後ろで簡単に縛った。


 それから二週間、あわせて六回その店で働いた。


 その間のことを何から語ればよいだろう。


 まず一つには、痩せた。


 その二週間で、わたしは1.5kgほど痩せた。歩も同様だった。居酒屋での接客業というのは動きっぱなしの仕事だ。有酸素運動というやつなのだ。


 ラーメン・ライダーズの活動をする日々の中でわたしの心に生まれた副産物として、接客業への興味があった。


 巡ってきたお店の中で、わたしに一番鮮やかな印象を与えたのは喜多方の名店はせ川の店員たちであった。


 厨房の奥から運ばれてきた湯気の立つラーメンを機敏に客先へと運ぶ姿。お客の注文を張りのある声ですばやく伝える。お客が帰る際にも大きな声で彼らを送り、てきぱきと食器を回収していく。


 そっか、あれをわたしも体験できるんだ。


 初めて仕事着に身を包んだとき、彼らの額に浮かんでいた汗を思い出して、わたしは武者震いのようなものをひと揺らぎ起こした。そういえばはせ川の制服も黒一色だった。


 お客が来ると、人数を確認してどの席に通すか判断する。座敷にあげる場合は、下駄箱を案内して靴を受け取る。


 そして飲み物の注文をまず受けて、それを出す時に第一陣の食べ物の注文を受ける。


 調理は店員の人たちが行う。店内には、ひっきりなしに店長の「お願いしまあす!」という甲高い大声が響き、わたしたちは出来上がった料理をお盆に載せて運ぶ。


 ドリンクはアルバイトが作る。厨房の中に炭酸水の出る機械があって、営業時は機械の前にカクテル、チューハイ類の原液を並べて待ち受ける。


 注文がくると大きな専用の冷凍庫のなかでかちんかちんに冷えているジョッキをとりだして、下段の製氷機からスコップで氷を入れる。


 飲み物の濃さは、作るものの技量と判断によるものが大きい。


 お客に好みの濃さを言われる時もあるし、原液が残り少なくなってくると薄めに作ったりする。


 ジンライムに使うライム液などは、ほんの一滴たらせば薄い緑色がついて、それっぽく見えるのだ。でもあんまり薄すぎればお客から怒鳴り声が飛んでくる。


 厨房とテーブル間をせわしなく往復しながら、空いた食器の片付けも随時行う。


 宴会料理の片付けは、お客が帰ってから一片にやるのでは洗い場がパンクしてしまうので、ちびりちびり拾ってくる。


 洗い場は手の空いたものがスキをみて入るのが基本だ。


 大きな湯槽は二つに区切られていて、片方には洗剤の入った泡立っているお湯。もう片方は濯ぎ用で、お湯を出しっぱなしにしたお風呂のような状態になっている。


 絶えず湯が循環しているところに泡のついた食器類を浸して、時間を置いてから取り出して水気をとる。たまったジョッキは両手で持って、再び冷凍庫に並べる。


 簡単にいうとこんなサイクルで仕事は進む。


 理想はすぐに現実にとってかわった。


 己の愚鈍さを八橋球場の夏の日差しとともに忘れたわけではなかったが、もう少し出来るものだと思っていた。


 一ヶ月ほど前からこのバイトを始めていた高木くんの動きは軽く、威勢のいいきびきびとした働きっぷりは何ともかっこよかった。


 歩も秋高仕込みの運動量とその質の高さで、すぐに店員たちの信頼を受けるようになった。


 店で働く人たちは、わたしがこれまでの人生であまり接点のなかったような性質の人たちで、恐らくそれがわたしの動きを鈍らせる要因の一つでもあった。


 豚によく似た面相の店長さんは、店の誰からも嫌われていた。


 手が空いてくると、彼は事務所のほうへ引っ込んでしまうのだが、今の今までにこやかに店長に愛想を振りまき、軽口を叩いていたみんなは、とたんに彼の悪口を言い出すのだ。


 調理は店長のほかに二人の男性店員が受け持っていた。


 一人は小柄で長い髪を後ろで結んだ四十歳くらいの人。


 もう一人は太った二十代中ごろの人で、髪形は穏やかなリーゼントだった。わたしは知らないけど、だれか相撲取りに良く似た人がいるらしかった。


 彼らが焼き物、揚げ物を担当して、それから奥の厨房ではおばちゃんがふたり、鍋料理などを受け持っていた。


 アルバイトはわたしたち三人のほかにも更に三人いて、この中から平日は大体二人、忙しい週末は可能な限り総動員を駆けて戦争に対応していた。


 よく見ればみんなだってミスはしているのだ。でもわたし以外はそれをさりげなくごまかしていて、被害を最小限にとどめていた。わたしだけが、早々にあの新入りはやばいと目をつけられたこともあり、いちいちミスが表ざたになってしまった。


 お客からの注文は、電卓状の機器に入力すると調理場のほうに伝票として発行される仕組みになっていたが、わたしはそれをよく間違えた。


 厨房のおばちゃんが叫ぶ。

「瓶ビール百本って、打ったの誰!」

「あ、わたしです。ごめんなさい」

 0を一つ余計に叩いてしまった。わたしの馬鹿。


 長い髪をしばった男性店員に、倉庫から調味料を取ってくるように言われてわたしは倉庫に向った。そして数分後、怒鳴られた。


「おい、いつまでかかってんだよ」

「ないんです、みりんが」


「じゃあ、これはなんだよ」

「みりんです」


 棚の目立つ場所に普通においてあったのだが、わたしはその前を何回もうろうろ横切ったのに気が付かなかった。店員は舌打ちをして、みりんを自分で持っていってしまった。わたしの馬鹿。


 片付けられてきたジョッキやコップを洗う手つきもおぼつかなく、二個ほど落として割った。ガチャーンという音が店内に響く瞬間と、おばちゃんが無言でほうきとちりとりでそれを片付けるときのあの気まずさったらない。わたしの馬鹿。


 わたしは宴会の片づけをしているとき、お客の残したチーズフライを一本ぱくりとかじりながら、危うく泣きそうになってしまった。(注:わたしの名誉の為に断っておくが、残り物を漁っているからといってわたしが意地汚いのではない。他の人たちも、忙しくて夕食の時間がなかなか取れないときはこうして栄養補給をしているのだ)


 この間に由里ちゃんのマンションにも通っていたのだが、疲れきったわたしは彼女にも心配される始末だった。こっちの問題も今だ解決を見ていないというのに。


「大丈夫、みどり先生」

「うん、今月だけで終わりだから、なんとか」


 夕食を空いている部屋で交代にとるとき、相撲取りに似ているらしいほうの男性店員と二人での食事になったときがある。


 店長の目を盗んでこっそりビールを飲みながら仕事をしていたらしい彼は、少し座った目でわたしに子供の頃の思いで話を語って聞かせた。


 これが何というかショッキングだった。


 彼は中学校しか出ていなかった。昔は相当に荒れていたらしく、親とのいさかいは命のやり取りになりかねないところまでいったらしい。


 色んな悪いことにも手を出したことがあって、本物の拳銃をその筋の人に見せてもらったこともあるそうだ。


 彼は彼なりにわたしと打ち解けようとしてそんな話をしてくれたようなのだが、全くの逆効果だった。


 わたしは相槌をうちながら、どんどん精神的に腰が引けてしまっていたし、だいたい彼自身、話しながら昔のつらい思い出を思い出してしまったのか、最後には目に涙を浮かべながら語っていた。


 なんだろうこの状況。


 今は割と温和に見える顔立ちの人なのだが、一度物凄くガラの悪いお客さん三人がやってきたときのこと。


 わたしは内心やだなあ、関わりたくないなあ、と思っていたものだったが、その三人は調理場に立つその店員の顔に気付くととたんに殊勝な顔になった。そして言った。


「おひさしぶりっす。何やってんすか?」


 彼は悠然と答えたものだった。

「鳥を焼いている」


 わたしはその様子を見て、ああ、彼の話は全て本当なのだなと悟った。

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