第三章⑥ 大きな噴水がそれを聞いていた

 昼食は町外れにあるはせ川という店。ここが何十件ものラーメン屋を抱える喜多方の中で、我がサークルの認定する一番美味しい店だ。


「こんどは巨犬だあ」


 みどりがまたうれしそうにそういって、店の入り口にたたずんでいた大きなゴールデンレトリバーのもとへ駆け寄った。


 はせ川は民家にくっついた作りになっていて、店の部分と住居の部分で五台ほど停められる駐車場を取り囲むような形だった。


 今日は怠惰な大学生以外は平日だったが、それでも店の前には多少の行列ができていて、しばらく待った。


 はせ川のラーメンはうまかった。透き通った魚だしのスープに太麺という喜多方の基本スタイル。柔らかいチャーシューが三切れ。


 特にスープがもう。


 隠し味になにを使っているとか理屈ではなく、店主があれこれ吟味して練りに練ったあげくに、よしこれは美味いと確信をもって送り出していることがよく分かる。


 昨日の味皇とはなにもかも真逆の存在。


 食べ終わったものから順に店の外に出た。


 待っている間、みどりと和さんが犬と遊んでいた。


 俺は少しはなれたところでこげ茶色の長いすに腰掛けて、二人のことを見ていた。


「ね、和さん。美味しい店には、動物がつきものなのかな」

「味皇にもグッピーいたけどな」


「魚じゃ駄目なのよきっと。この子名前なんていうんだろ」

「んーと、確か重太郎」


 和さんがそういうと、脇で車の整理をしていた赤い帽子のおじさんがふらっと二人に歩み寄り、「違う。吉宗だ」とささやいた。


「誰よ重太郎って」


 みどりが大きな口を開けて笑いながら和さんの肩を叩いた。その手は少しのあいだ、和さんの肩に置かれたままだった。


 吉宗こと大きなゴールデンレトリバーはいじられ慣れているふうで、和さんに羽交い絞めにされようとも、そこをさらにみどりに腹をしゃもしゃもとまさぐられようとも一向に動じることはなかった。


 全員の食事が終わると、車で市街地に戻り、市役所のそばにある大きな土産やをのぞいて買いものをした。


 そこで「これは、駄目だ」と、みどりが呻くようにいった。


 彼女はキーホルダー売り場のそのうち一つの前で立ち止まり、身をかがめて動かなくなった。


「駄目なの?」

「駄目すぎる」


 気にいったのかと思って俺が近づいたら話は逆で、あまりになっていないがために、みどりはつい足を止めてしまったのだ。


 歩は近くにさっき見つけた公園で遊んでくるといって、買い物をぱっぱと済ますと数人と連れ立って小走りで先に行ってしまった。


 みどりの視線の先で申し訳なさそうにぶらさがるそれは、確かになってなかった。


 ラーメンの名所喜多方のキャラクターのつもりらしいそれは、一言で言えばナルトの化物だ。


 白地に赤い渦巻きのナルトから手足が生えているのだが、いかんせん目が死んでいる。


 誰でも思いついていかにも無難に作れそうな素材なのに、どうしてこんなにもかわいくないのか。


 それに塗装もなんだかちゃちい。肌色に塗られた手足の根元の五分の一ほどは、ナルトの白色に侵食されていた。


 おそらく地元の青年会か何かで企画した商品なのだろうが、隣にならぶ、全国各地にご当地キーホルダーシリーズを展開させている『あの白猫』と比べると、クオリティの差は歴然だった。


 これではラーメンのレベルの高さに対して、足を引っ張ってしまっているような気がする。あんまり余計なことをしないほうがいいと思う。


 たくさんある中からわざわざこんなものに目を留めて、いつまでも動かないところがみどりらしい。


 彼女は気の済むまでナルトのキーホルダーに失望してから、俺を置き去りにしてお菓子売り場へと移っていった。


 夜は、昨晩とはまた別の居酒屋で閉店まで飲み会。


 クマさんと和さんは、座敷の隅っこで熱心に話しこんでいた。


 みどりがそこに近づこうとしたらクマさんと目が合った。彼女は小さく舌打ちをして、二人の横を素通りして去っていった。


「ありゃあ、俺に惚れてるな」

 クマさんが座った目でみどりの去り行く背中を見つめ、確信に満ちた口調でのたまった。


「クマさん、それよりも話の続きを聞かせてよ」

「おう、その学会の席で聞いた話だとよう」


「和也に変なことを吹き込まないでね」

 放って置かれてつまらなそうなコンちゃんが、クマさんに苦言を呈した。


「コンちゃん、俺と飲もうよ」

「おう、優斗くん、飲もうぜえ」

 コンちゃんは俺の空いたコップにビンビールを注いでくれた。


 酔いで紅く染まった彼女の顔。その打ち解けた笑みは、俺を幸せな気分へと導いてくれた。


 翌日は午前中に喜多方を立って、帰路に付いた。


 クマさんも同行して秋田に戻る。


 ラーメン・ライダーズの一団は、途中までは来た道を引き返すかたちで北上したが、山形市を過ぎた先で西に進路を変えた。


 道路の標識をみると、酒田、鶴岡という山形県の日本海沿いの都市を目指す方向だ。


 寒河江を過ぎると山道だった。


 どんどん標高が高くなり、ついには雲の中を走っている状態になった。真っ白な景色のその向こうに大きな山が時折見えて、どんどんこちらに迫ってくる。


 霊峰月山だ。


 ダムによって造られた大きな湖のそばにある道の駅で休憩した。


 ここでは、ラ・フランスやぶどうのジュース、それから山菜など、山形のお土産が買えた。


 俺は学科の連中のごく何人かや、バイト先に配るおみやげはすでに買ってしまっていたし、ここで買い足したらどこに旅行にいったのかよく分からなくなってしまいそうだったので、ひと眺めしただけでなにも買わなかった。


 お土産屋を出ると、駐車場に何名かが集まっているのでそっちに行ってみた。


 湖の方を見ている彼らが何を待っているのかはすぐ分かった。水面から大きな音とともに一条の水しぶきがまきあがる。


「おー、すげー」


 巨大な噴水は高さをどんどん増していく。なにかいやなことでもあったのかと尋ねたくなるくらい、噴水は美しい水弧を描き続けた。


 ラーメン・ライダーズの面々は全員がそれを見に集まってきた。


「日本一の高さなんだって」

 コンちゃんが俺の横で言った。


「これを見るためにルートを変えたんですね」

「その通り」


 俺たちはしばらくぼうっと噴水を眺めていた。だいぶ距離が離れているのだが、風向きの関係で水のしぶきがわずかながら顔にかかるのを感じた。


 やがて、車のほうへ一人二人と移っていく。


 柄にもなく考え事をしていた俺はみんなの移ろいに気付かず、ふと見渡した時には俺とみどりだけが噴水を前にして佇んでいた。


 みどりも置いていかれたことに気付いていないのか、風になびく長い髪の毛を右手で押さえながら噴水を見つめ続けている。


「みどり」

 俺の呼びかけで、夢から覚めたようにはっとした彼女はゆっくりと俺を見た。


「ん? あれ、いないじゃんみんな。わたしらも行こっか」

「バイトして新車を買うって俺いったじゃん。何買うか教えてやるよ」


「うん?」

 噴水は徐々に収まりつつあって、光の加減でほんの一瞬だけ虹が浮かんだ。


「ホンダのシビックタイプR。って言ってもみどりは知らないだろうな。シビックは元々が小さくてすばしっこくて、レースでは優秀な戦績をあげてきた車なんだけど、今度それをガッチガチにチューニングした車を市販することになったんだ。足回りが硬くて、エンジンもいじってあって、通常品より出力が15馬力上がってる。軽量化のためにパワーウィンドウもオーディオも取っ払われるって噂だ。すごいでしょ?」


「すごそうなことはなんとなく伝わった」

「買うから、絶対に。みどりを助手席に乗せてやるからな。どこかに行こうよ。真っ白で格好いいんだぜ。チャンピオンシップホワイトって言うんだ」


 自分でも恥ずかしくなるくらい熱っぽく宣言してしまった俺をひとしきり観察して、みどりは、しょうがないやつだ、というふうに笑った。


「わかった。きっと乗せてよね、助手席。さて、みんな待ってるよ。もう行こうよ」

「そうだな。あ、あとこれ」


 俺はみどりをもう一度引き止めて、ポケットのなかに入っていたものを彼女に手渡した。


 喜多方で見つけた、ナルトのキーホルダー。


「高木くん?」

「あんまりみどりが気に入らなかったようだったから、つい買っちゃった。あげるよ」


 みどりはとりあえず受け取ったものの、眉間にしわを寄せてナルトのキーホルダーをしげしげと見つめた。


「ほかのにしてくれれば多少は喜んだのに。気に入らないようだから買うって理屈はおかしいんじゃない? ま、もらうけどさ。ありがとう」


 向こうで部長が俺たちを呼ぶ声がそのとき聞こえた。小走りで二人して戻った。


 クマさんが言った。

「おい、コン! 俺は寝るからよ。車、代わりに運転してくれよ」

「しょうがないなあ」


 コンちゃんは渋々フォルクスワーゲンのキーをクマさんの手から受け取った。


「クマさんのフォルクスワーゲンって、マニュアル車だよ。コンちゃん運転できるの?」


 俺に言われたくはないだろうが。


「うん平気。あの車、前にも運転したことがあるし」

「え、そうなんだ」

 それからヘルメットを俺に渡して、彼女は肩をすぼめて笑った。


 さて出発。和さんがバイクのアクセルをひと際かん高く唸らせた。


「乗れよ高木。ここからの下り道が面白いんだ」

「行きますか和さん」


 和さんのバイクの後ろに俺が嬉々として座って振り返ると、そこにはみどりがいて、怨念に満ちた目で俺を見ていた。


 彼女の右の掌は、中のナルトのキーホルダーが砕けるんじゃないかというくらい、強く握られていた。

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