第三章③ 世界は地獄を見た

 米沢と喜多方の間には長い峠道が横たわっている。


 その道を全開で攻める和さん。


 何かに追われているかのように爆走する。


 いや、実際俺たちは逃げていた。さっきのあの記憶からすぐにでも遠ざかりたかった。


「和さん!」

「なんだあー!」


「俺にも運転さしてください!」

「ふざけんなあー! おめーは学習能力ねーのか!」


 二人とも情緒不安定。


 峠に響き渡る爆音をBGMに、俺の味皇ラーメンに対する疑問を箇条書きにしてみる。


・なぜラーメンにレタスを入れようと思ったのか。


・あの麺はのびているわけでもないのに、なぜあんなに不快な食感なのか。


・スープにはなにかきわどい薬物でも入っているのか。飲むごとに生気を奪われていくのはどうしてだ? なんであんな、どういっていいかわからないけれど、とにかくあんななのか。


・味皇ラーメンと、普通の醤油ラーメンとの違いが、乗っている海苔の枚数と、味玉が一個乗っていることだけのようだが、それはいい。(先述のレタスは写真で確認したところ全種にかならず入っている)しかしあの味玉、どうやったらあんなに硬く作れる? 煮込む時間? 保存方法? 硬くするために研究を重ねたようにしか見えない。味が染みているわけでもなし。


・俺の知っているチャーシューは漢字だと『焼豚』と表記するはずであるが、さっき俺が食べたあれは何の肉なのか。そしてどうしてあんなにくせのある後味がするのか。


・一口確認していれば、客に出していいブツかどうか子供でもわかるはずである。なぜ味見をしないのか。


・もう一度聞く。なぜ味見をしないのか。



 山頂付近で、景色のいい休憩にはもってこいの場所を見つけたので、そこで缶コーヒー片手にしばらく休んだ。


 二人でガードレールに崩れ落ちるように座った。


「和さん。食事って楽しいもののはずですよねえ」

「うん。メシが美味いから人は生きていけるんだ」


「でも俺つらかった。味皇ラーメンつらかった」

「高木、俺たちよく完食したよな。ああ口直しに牛タンラーメンが食いたい」


「上海の? みどりが絶賛してたなあ。俺はまだ食ったことないけど」

「ふうん」


 和さんは空の向こうを見つめる。


 風が愚かもの二人をねぎらうようにほほを撫でた。車はときたま思い出したように通るだけである。


「和さん、ありがとう」

「おー気持ち悪いぞ。どうした」


「ほんと感謝してんすよ、俺」

「うん、まあいいって。半分は面白がってやったことだし」


「でも自信がないです」

「何がよ?」


「せっかく和さんにサークルでの居心地よくしてもらっても、俺が自分の手でまたすぐぶち壊しちまうんじゃないかって」

「うむ。どうしたもんかなあ。そういや高木はさ、夏休み実家に帰らなかったの? 埼玉だろ」


「問題はそこなんですよ」

 俺は缶コーヒーを飲み干した。空き缶を雄大な山の景色に向って投げつけてやりたい衝動に襲われたがじっと我慢した。


「帰ったらね。絶対に高校のときの仲間から集まろうぜって連絡が来るんです」

「だろうな」


「みんな楽しくやってんすよ、東京の大学で。こんなところにいるのは俺だけなんだ」


「こんなところ」

 和さんは表情のない声で復唱した。


「すんません」

「いいよ、続けろ。許可する」


「五月の連休は実家に帰りました。そのときも高校のときの連れと何人かで集まって、学校の自慢話聞かされてうんざりしたんです。俺は秋田のことを極力話さなかったし、向こうも別に興味がないから聞いてこなかった。いやなもんでしたよ。東京で学校が近い連中が、今度合コンやろうとか言って俺そっちのけで盛り上がっちゃって。高校のときちょっと好きだった女の子もそのとき来てたんですけどね。なんか、くだらない奴とうれしそうに連絡先の交換なんかしてんの。最悪ですよ。あときつかったのがこっちに帰るとき。駅で友達数人とたまたま一緒になったんですけど、俺だけ乗る電車の方向がみんなと逆なんですよ。向こうのホームから、こっちで一人ぽつんと立っている俺が丸見えになっちゃって。置かれた状態は嫌ってほど分かっているのに、なんでこんな追い討ちをかけるような形ではっきり見せ付けられなければならないんだって、俺、情けない話ですけど、ホームで少し泣きました」


 和さんは缶コーヒーをちびちび飲みながら、山の向こうを眺めている。そして不意に口を開いた。


「あれ鹿じゃね?」

「え!」


 思わず和さんの視線の方向を見てしまった。

「わり、違った」

「驚かさないで下さいよ。留年しちゃうじゃないですか」


「あの言い伝えって鉱山学部限定らしいから、俺は平気」

「いっそ鹿、見ちゃったほうがいいのかな」


「留年したいのかよ」

「それがもう鹿の呪いで決まっちゃったんなら、覚悟が決まるかもなって思うんです。つまり一年棒に振っても受験しなおす覚悟が。このままじゃ俺、クラス会とか、2年後の成人式とか、胸はって出席できないですよ」


「そういや高木は知ってんのかな」

「え、何がですか?」


「みどりのこと」

「みどり? あいつがどうかしたんですか」


「いやお前の話でちょっと思い出したんだけど」

「はい?」


「あいつは成人式、1年後だよ」

 

 味皇ラーメンで脳にダメージを受けていた俺は、和さんのその言葉の意味を理解するまでに、しばらく時間を要した。

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