第三章② 和さんと罰ゲーム

まったく状況がわかっていない俺をよそに、和さんはあるラーメン屋の名前を告げた。


 すると皆の空気が変わった。一拍の沈黙のあと、どっと笑い声があがる。


 みどりと歩は、俺と同じで意味がわからず左右を見渡して不思議そうだ。


「なるほど、そうきたか」


「ラーメン・ライダーズの人間が、あの店を実際に訪れるのは何年ぶりになるのかな」


「伝説の罰ゲームをまさか目の当たりに出来るとは」


「聞け高木」

 和さんの様子は実に楽しそうで、ああこれはやばいことが始まるのだなと俺は直感した。


「いま言った店は、日本一まずいラーメン屋だ。本当にまずい。テレビの企画で日本一を標榜している東京の店があったが、食べ比べたとあるOBに話を聞いたところ、軍配は明らかにこちらに上がるという。高木、これはみそぎだ。俺と一緒にそこに行こう」


 喝采が挙がった。


「え、いや、行ってもいいですけど、そんなにひどいの? なんか大げさじゃないですか?」


「それを自分たちで確かめに行くんだ」


 俺は和さんの妙な気迫とみんなの期待に押されて、その罰ゲームとやらを承諾してしまった。


 ラーメン・ライダーズの面々はいまのやりとりがいい景気づけになったらしく、みんな笑って車に乗り込む。


 バイク班の和也さんにみどりが駆け寄りたずねた。


「和さんと高木くんの二人だけでいくの? 日本一まずいラーメン屋、わたしも興味があるんだけど」


 歩が「実はわたしも」と続き、和さんはぷっと吹き出した。となりのバイク班の先輩が「なんて勇敢な」と呟いた。


「みんなで行く? それもありか」

まわりの面々がざわめく。


「面白いよおまえら」

 和さんが言った。

「でもさ、みどり駄目なんだよ。まず第一にその店は小さくて、この人数は入りきらない。それから、そこも以前テレビでまずいラーメン屋として紹介されたことがあって、店主はそのことで心に傷を負っている。普通は大勢のお客がきたら喜ぶのが当たり前だろうが、彼はそんなとき、冷やかしにきたのかと怒り出してしまうらしいんだ」


「ああ、それは本物だ」

 みどりは感嘆の溜息。


 やがて車は動き出し、我々は旅立った。


 しかし、どうなんだろうその店主。そんなだったらラーメン屋なんてやめりゃいいのに。


 目的地の福島県喜多方市を目指して、ラーメン・ライダーズは国道一三号を南下する。


 和さんのバイクにはコンちゃんが同乗している。


 俺が乗った車の前方を軽やかに疾走する二人。コンちゃんのポニーテールが、風に踊っていた。


 湯沢を過ぎたのは十時前。


 それから山形県へと入り新庄市を通過。


 昼食をとる予定の山形市には一時ころにたどり着いた。

 本隊が食事をするのは、味噌ラーメンの美味しい店。


 俺と和さんだけがここで別れる。


 和さんがヘルメットをぽいっと俺に投げ渡した。


 山形市からさらに南の米沢市へは約一時間かかる。


 日本一まずいラーメン屋は米沢の手前にあるのだ。


「乗れ高木」

 

 コンちゃんがさっきまでかぶっていたヘルメットを手にして感慨に浸る俺に向って、歩が口に手を当ててくっくっくと笑う。


「どんなだろうねえ、楽しみだね高木くん」


 みどりは、和さんの後ろに座って腰に手を回す俺を何故かじとっとした目で見ていた。


「なにか暖かい声援とかないの?」


「真人間になって帰ってこい」

 あんまり暖かくねー。


 和さんがアクセルをブオオオンと強く吹かすと、音と振動がすきっ腹に響いた。


 そして急発進。

「うお」

「落ちるなよ」


 後ろに乗っていたのがコンちゃんのときとはうって変わって、和さんは容赦なくかっとばす。ふりまわす。


 米沢までは一時間。俺は確かにそう聞いていたのだが、間違った情報だったらしい。不思議なことにたったの三十分で目的の店についた。


 バイクを降りて、荒いドライブで多少ふらついている俺をよそに和さんは店に近づいていく。


「ここがそうか」


 五階建てのマンションの一階部分を間借りして、その店は存在していた。隣にはコンビ二も併設されている。


 店の名は『味皇』


「和さん、俺聞いたことがある。店名に『味』の字が入っている飲食店はかなりの確率で地雷だって」


 先を行く和さんが扉をガラガラと開ける。


「いらっ・しゃいませーっ!」


「うわ」

「ぎゃー」


 いままで色んな店に入ったが、どこでも聞いたことがないような大音量のいらっしゃいませが二人を出迎えた。


 声の主は恰幅のいいおばちゃん。四十半ばの年齢と思われる。


「お二人・様ですかー!」

 

 第二波もうるさい。なんだか聞いていて違和感がある。


 一番奥のテーブル席に案内されたが、その際のおばちゃんの身振り手振りがやたら大きい。


 お客は俺たちのほかには二人。


 カウンターの向こうに店主であろう白い調理帽をかぶった男性の姿が見えた。


 彼は疲れていた。


 フライパンを手に炒め物をしているのだが、背中は曲がりうなだれながらゆらゆらと菜ばしを動かしている。


 目の焦点が定まってないくて、炒め物に必要な威勢のよさがまるで感じられない。フライパンには彼の涙が幾筋も零れ落ちているのではないだろうか。


「味皇ラーメン二つ・ですね!」


 メニューに『お勧めナンバーワン!』とでっかく書かれていたので、俺も和さんもそれにした。


 おばちゃんは店主の親父にもう一度、注文を大声で叫ぶ。親父の顔が悲しく歪んだ。


「テレビで紹介されたって、俺いったじゃん」

「はい」


 水の入ったコップを両手でもって、俺と和さんは店員二人に注意を払いながらひそひそと話す。


「その番組さ、駄目な店を一流の料理人が厳しく指導して立て直すってのが主旨だったんだ。で、まず初めにガツンと言われたのが、あのおばちゃんの挨拶がなっていないってことだった。当時の彼女は声が小さく滑舌が悪かった。店の第一印象はあんたにかかっているんだぞって罵倒された」


「特訓してああなったんだ」


「店の前の道端で一日中声出しをさせられて、喉は枯れ目に涙を浮かべながらおばちゃんはそれでも声を出すことをやめなかった」

「その時点で店の評判落ちるでしょう? 怖い」


「高木、あれってどう思う? 確かに音量は上がったんだろうけど、どうもアクセントが人工的で不自然だ」

「機械が喋ってるみたいですよね。あとおばちゃんの大声が明らかに店主の親父のストレスになってる」


 店の壁には色紙が一枚貼ってあった。


 和さんの言うテレビ番組でこの店を指導した、有名ラーメン屋の店主のものだった。


 太い大きな荒々しい文字で『意地』と書かれて、店の前でその人と味皇の二人が固く握手している写真が添えてある。日付は二年前のものだった。


「親父、痩せましたね」

「おばちゃんは太ったな」


「和さん、そういや色紙って持ってきました?」

「いやあ、やめたほうがいいべ」


「写真、二年前ですね」

「うちのサークルでは八年くらい前からこの店の存在は認識してたそうだ。テレビに出てから来るのは俺たちが初めてだ」


「じゃあ、美味くなっている可能性もあるんですね」


 和さんが俺の希望的観測に答えるその前に、おばちゃんのお盆に載せられ、味皇ラーメンがその姿を現した。


 とんでもなかった。


 俺は食を進めながら、作り手に対して問い詰めたい疑問が次から次へと沸いてきた。


 これが日本の国民食ラーメンの巨大なピラミッドの一番下で輝く一品。


 和さんも黙々と箸を動かす。そこに会話はなかった。


 三十分後、和さんと俺は再びバイクに跨り疾走していた。

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