第二章⑧ 秋田高校の仲間たち
高校野球秋田県大会三日目。その日も暑いさなか八橋球場でアルバイト。
球場の中は、ブラスバンドの演奏が鳴り響く。
外に出れば出たで、せみの鳴き声が大音量で四方を取り囲みどこまでも追いかけてくる。
昨日の夜、和也さんと二人でラーメンを食べにいったことは、歩にも高木くんにも言わなかった。
話したい気持ちがないわけではなかったし、二人がへんに話を捻じ曲げてうわさを作り上げるようなことが断じてないことはわかっている。
でもわたしは話さなかった。
睡眠は足りてなかったが、意外と頭はすっきりしていた。
こういうときは、日差しに参ってくらくらっと倒れてしまう危険があるので注意が必要だが、昨日の楽しい時間のことを思い出すと(一番最後の、和也さんの腕の感触を思い出してさえ)、わたしはなんだか元気が出てきて、恐らく端から見れば多少の不気味さを覚えずにはいられなかったであろう微笑を浮かべながら、球場の内外を駆け回り続けた。
でもそれは、大切なことを先延ばしにしているに過ぎないのかも知れなかった。
高木くんと一塁側スタンド上段の通路ですれ違った。
「歩は化粧っ気ないとこがいいと思っていたけど、あれはあれでかわいいじゃん」
ちょうど反対側の三塁スタンドに歩の姿を小さくみつけることができた。
彼女はペットボトルが数本入った重そうな袋を抱えて早歩きで移動していた。
鮮やかなピンクのTシャツを着ているので目立っている。
「本人に言ってやればいいのに」
「言ったらあいつ調子に乗るだろ。それになんか恥ずい」
「そんなだからもてないのよ」
「ひで、もてるぞ俺、決めるところは決める男だからな。ここぞっていうときに言うから効果的なんであって、あんまり簡単に誉めると、なんだか安っぽくなっちゃうだろ」
「あっそ。じゃあ面と向かっては言わないだけで、きっとわたしのいないところでは今日のみどりはかわいいとか言ってるわけね」
「あ、それは言ってないかも」
「なんなのだお前は」
毎日化粧をしていればバランスはおのずと分かってくる。今日の彼女はたしかに綺麗だった。
わたしは、彼女が今日はとくに万全の仕上がりで球場にやってくる必要があったはずだと睨んでいた。
なぜなら今日の第二試合で、彼女のなつかしの母校、秋田高校が登場する。
歩の格好はピンクのTシャツに黒い野球帽、使いこんだ帽子には『A』のイニシャル。
秋田高校の『A』だ。
わたしは自分の見解を高木くんに話してみた。
「多分ね、高校のとき一緒だった人たちに会うもんだから、気合入れているんだと思うよ」
野球部だった子達が秋田市に帰省していれば、たぎる血潮を抑えきれず球場に足を運ぶものも多いことだろう。
高校を卒業してからまだ四ヶ月しか経っていないが、仲間たちはそれぞれの場所で新しい生活を始めている。
歩は彼らに、わたしもがんばってるよ、というところを、一歩成長したぜ、という姿をきっと見せたいのだろう。
その気持ちはわたしにも良くわかる。
高木くんの眼差しに寂しげな影が浮かんだ。
「俺は、昔の友達に今の自分を見られたくないな」
「高木くん、わたしもういくね」
わたしは何も聞こえなかったかのように、話をばっさりとそこで断ち、彼を置き去りにして歩き出した。
一人で球場のスタンドを歩き回りながら、彼の言葉はしばらくわたしの胸の内でぐるぐると廻り続けた。
高木くんは本命の大学に落ちて、滑り止めだった秋大にいやいや通っている人間だ。
彼の心情については理解できる部分と、いやでもそこはそれではいかんだろう、という部分があり、なにか言うべきだったか考え続けた。
秋田高校は文武ともに我が県を代表する名門校だ。
野球部は先述した通り、昨年春の甲子園に出場している。
さらに遡れば、大正時代に行われた第一回の全国大会(当時は中等学校野球)で準優勝を果たしている。
そんな人気校が登場するとあって、客の入りは上々だった。
第一試合が終わり、秋田高校の選手たちが入場してきてキャッチボールを始めた。
白地のユニフォームに、黒い帽子とアンダーシャツ。
昨今は学生スポーツのユニフォームも派手なものが増えてきた。
そのなかで、このシンプルさを極限まで追求したようなデザイン。
これこそ秋田高校が天下に名を成す伝統校であるという証なのである。
選手たちはきびきびとグラウンドを走り回り、シートノックの準備に入る。
見惚れるほど整然としている。
わたしは歩の所作の端々にたまに感じることがある、ぴんと張り詰めた冷たい刃のように研ぎ澄まされたものを、ネットの向こうの選手たちに見出していた。
それは、この場でいきなり格好をつけようとしても出来るわけがなく、普段の練習から規律と効率を追求し続けていればこそできる振る舞いなのだ。
わたしの脳裏に球児たちとともにちょこまかとグラウンドを駆ける、真っ黒に日焼けしていたころの歩の姿が浮かんだ。
現実の歩を三塁側内野スタンド最上段の通路に見出したわたしは、彼女に試合前の意気込みでもたずねてみようかと近づいたが、横に男の子がいて二人が語り合っていることに気づき、おっとこれはいかん、と足を止めた。
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