第一章⑤ 悲しい音
コンちゃん(言ってやった。ふっ)と入れ替わりに助手席にきた女性の先輩は、わたしと歩にも話しかけてくれはしたが、それよりも本当のところ部長さんに関心があるようだった。
彼が休日に何をして過ごしているのかなどを、熱心に聞き込みしている。
「各々の思惑が渦舞いとるなあ」
歩がつぶやいた。
途中のコンビニで休憩をとった際に、一年生三人はみんなの前で簡単にあいさつをした。
小松さんも今度はちゃんといた。学校には戻らずに帰る車があるとのことで、今回の遠征はここで解散となるのだ。
「え、いいんすか」
高木くんと、先輩方数人が話している。
「おう、車好きなんだろ? 運転させてやるよ」
「ありがとうございます。やあ、嬉しいなあ」
「高木くん大丈夫なの?」
わたしは尋ねた。聞いていた話だと、彼は先月免許をとったばかりのはずだった。
「大丈夫、大丈夫」
自信満々な高木くんの様子を見てわたしの不安は更に募ったが、それ以上は何も言わなかった。
わたしと歩の乗る部長さんの車は、コンビニの駐車場から道路の車の流れにひょいっと合流した。
うまい。
高木くんが運転する結構大きいサイズの黒いクーペは一番最後に出たのだが、合流のタイミングが計れないで、ひと手間かかっているようだった。
そして夕方四時前に車は大学に帰りついた。
コンちゃんたちが乗った車は、途中解散。
小松さんは大学まで来たのだが、いつのまにか帰ってしまっていた。
わたしは帰り際の挨拶をしそこなったことが、ちょっとだけ残念だった。
彼は少しでも目を離すと姿を消してしまうのが常なのだそうだが、後日『あの日は残っているべきだった』と言っていた。
わたしたちは残りの一台を待ち続けた。
しかし高木くんが運転する車だけは、いつまで待っても現れなかったのだ。
以下は後から聞いた、高木くんが運転していた黒いクーペの車中での話。
「おい、高木。今車線変更できただろう」
「あ、すいません」
「あーあ、何信号止まってんだよ。今のタイミングは行けただろうがよ。みんな先に行っちまったじゃん」
「すいません」
車内はギスギスした状態となっていた。
先輩たちにまくしたてられて、高木くんの額には汗が浮かび目線もそわそわと落ち着かなかった。
運転してもいいといわれたときの幸せは、山の向こうに吹き飛んでしまっていた。
でもそれは、わたしが危惧していた通りの状況だった。
免許取立てで、他人の車をすいすい操れるほうがおかしいのだ。
罵られながらも、高木くんはどうにか運転を続けていた。
同乗している先輩たちは、みんな秋田生まれ。つまりこれは、先刻高木くんが口にした、秋田を馬鹿にした発言に対する仕返しなのだった。
同じ年代で同じ集団に属していても、そのなかには大人と大人気ない人が混ざって存在するものなのだ。
どっちもどっちだ。
自分の生まれ故郷を悪く言われて頭にくるのは分かる。でもだからと言って、そんなことをしてもしょうがないではないか。
車中の四人のうち、一番追い詰められていたのはもちろん高木くんだったが、次に動揺していたのはこの黒いクーペの持ち主だったろう。
ある程度高木くんをいたぶって目的を果たしたら、あとはさっさと運転をかわるつもりだったが、想像以上の不安定な運転ぶりに彼は気が気ではなかった。
だから、行く手にやっとコンビニを見つけたときは心底ほっとした。
「高木あそこに入れ。もう運転代わろう」
高木くんもほっとした。車を愛する彼にとっては苦い思い出ができてしまったが、とにかく今日のところはなんとか切り抜けたのだ。
彼はほっとした。ほっとしすぎた。それがいけなかった。
飛行機は、離陸と着陸の瞬間が一番危険を伴うという。
車の運転の場合はそんなふうなことを聞かないけれど、それでも高木くんはシンプルに、目の前の空いている駐車スペースにただ頭から突っ込んでしまえばそれでよかったのだ。
なのに彼はわざわざハンドルを切り替えしてバックで停めようとした。
そして、一度聞いたものは忘れることができないという、『どん!』という鈍く悲しい衝突音が響いた。
黒いクーペが大学に戻ってきたときには、すっかり日が沈んで暗くなっていた。
わたしの前を車が横切ってその後ろ姿を見せた時、事態を悟っていっそう目の前が暗くなった。
車のお尻の部分の右側が、べっこりと大きくへこんでいた。
白い塗装がついていることも伺える。
みんなからもれるうめき声。
「やっちゃったか」
その車に乗っていた面々と部長さんは、それからしばらく日の暮れた駐車場で話していて、わたしと歩は端っこでうつむきながらことの経緯を聞いていた。
ぶつけてしまった相手の方はコンビニの近所に住む中年の女性で、たちの悪い人ではなかったがそれなりに文句は言われたようだ。
連絡先を交換して、後日修理費の請求がくることになっている。
話が終わると、先輩方は各々の方向に帰っていった。
誰も表立って高木くんを非難はしなかったが、楽しい一日の最後にけちがついてしまって足取りは重かった。
そして駐車場には一年生の三人だけが残った。わたしたちだってここを立ち去る以外に選択肢はないのだけど。
口を開いたのは歩だった。
「麺はやっぱり、腹持ちは良くないよね。ちと早いけど、そろそろお腹すいてきたんじゃない?」
「どうかな。あんまり食べたい気分ではないかも」
高木くんが気だるげに答えた。
「お店に入れば変わるって。ね、長友、行こ」
「うん、行こう」
わたしたちは大学の側にある定食屋に入った。わたしと歩はハンバーグ定食、高木くんは豚の生姜焼き定食を注文した。
それからビールを飲んだ。この三人で飲むのは初めてだった。
高校のときから少しは飲んだことがあったけど、ビールの何が美味しいのか、わたしはいまだに分からずにいた。
しかし伝え聞くように、それで多少なりとも気分が晴れるというなら、たぶん三人ともすがってみたかったのだ。
ジョッキだと全部飲めなそうだったので、ビンで注文した。
すぐ顔が赤くなる、飲酒ビギナーのわたしと高木くん。
歩が意外なことに平気な顔をしている。彼女は段々と元気になってきた。
「サークルやめんなよ。高木くん」
「遠藤、声でかくね?」
「そんなことないわよ」
いや、ある。
「でも気まずいよ。正直」
「大事なのはこれからよ。ちょっとずつ信頼を取り戻していけばいいのよ」
「でもなあ」
歩がいくら励ましても、彼はでもを繰り返すばかりだった。わたしはなんでか言葉が出てこなくて、ハンバーグを細かく刻んで黙々と食べていた。
「車ぶつけちゃうまえからさ。なんかあのサークルのなかで自分が異物なんじゃないか、ここにいるのはふさわしくないんじゃないかって感じが消えなかったんだよね。ま、どうしてなのかは大体わかっているけど」
「わかってるんだ」
わたしはそこでようやく口を挟んだ。口調が自分の意図したものよりもだいぶきつめになってしまって、わたしは戸惑った。
「そのつもりだけど」
高木くんは少しむっとして答えた。
「どうだか」
「長友、まあまあまあ」
歩が慌ててとりなす。
まだ言いたいことはあったのだが言葉は続かなかった。
たいした量でもないビールのせいでわたしは頭の働きが鈍くなっていて、感情のコントロールがこんがらがり出しているのが自覚できても、だからといってどうすればいいのかが分からない。
古茶けた壁に貼ってある手書きのメニューを意味もなくわたしは見上げていた。
焼き魚定食。さばorほっけ。なんとも興味深い。
わたしはふわふわと首をかしげる。ごはんと味噌汁に焼いた魚がついてくるということがとても斬新で素晴らしい事のように、酔っ払ったわたしには感じられた。
横では高木くんがなにか言っていた。わたしに話しかけているのかも知れないが、音は聞こえていても、その内容がゆるんだ脳みそまでは届かず、まわりのほかのお客の賑やかな話し声と混ざり合ってしまった。
歩が言う。
「でもね高木くん。誰もあなたに『そんなにいやなら秋田に来なければよかったのに』とは言わなかったでしょ。それがどうしてかは考えてみるべきだと思うよ」
彼女の言葉は、夢うつつだったわたしの耳に響いた。
よき友を得た。わたしは真剣な眼差しで高木くんに話し続ける歩の横顔をぼんやりと眺めて、そう思った。
それから、あったかい心持ちに包まれながら眠りに落ちた。
小松さんのバイクの音が、遠いどこかで聞こえたような気がした。
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