第一章③ 高木くんの失言
行く手はどんどん山道めいてきて、景色が背の高い緑に包まれる。細かいカーブや、高低が多くなってきた。
「車酔いは平気な方?」
部長さんが聞いてきた。後部座席の一年生は、三人とも特に苦手ではないと答える。
「ま、別に飛ばさないけどね」
「あやつは違うようですけど」
今野さんがサイドミラーで後方を確認した。わたしも振り返って見てみると、小松さんのバイクがいた。
カーブを曲がるついでのように、わたしたちの乗る車をすいっと追い抜いていく。それから、右肩をゆっくりまわした。
「なんですか?」
「ふふ。みどりちゃんあれねえ、『小僧共、俺の走りを見てろ』って意味よ。せっかくだから見てあげて」
「はあ」
三つ、四つと連続するカーブを前に、小松さんは急加速した。小気味よく、踊るように、スピードを増しながらすりぬける小松さん。
「おお、カッコよい」
「すげ」
歩と高木くんが歓声を上げた。
「調子に乗ってるなあ」
今野さんが、肩をすくめて笑う。
バイクのエンジン音がさらに高くなった。松の林がそれに合わせるように揺れる。
小松さんがカーブに合わせて体を傾けるというよりも、彼に合わせて先行く道が創られていくかのように見えた。
木々も、風も、彼が全てを率いているかのようだった。
その姿が見えなくなっても、わたしはしばらく何も言葉を発せず、道の先を見つめていた。
「あれ、来てない」
横手市を過ぎたあたりのコンビニでもう一度休憩となったのだが、はるか先を走っていたはずの小松さんの姿がなかった。
店内にもいないし、あたりにバイクが止まっているようでもない。
「和也、まただよう」
今野さんが眉をしかめて天を仰いだ。でもそれからくすっと笑った。
秋田市からお越しの小松和也さん。お連れの方がお待ちですよ。
「また、なんですか?」
「そうなのよ、みどりちゃん。多分ね、どっかで寄り道。先に行っちゃってはいないはずだから、悪いけど少しだけ待たせて」
「はあ」
今野さんが言うとおり、それから三分もすると小松さんは軽快なエンジン音とともに現れた。部員たちのブーイングにも彼は動じない。
「やー、すんません。みんな早えんだもん。ついていけなかったっすよ」
「やかましいわ」
またブーイングと、笑い声が起こる。
「じゃ、次は目的地の一文字に集合な。和、今度は遅れんなよ。代金全もちにさせんぞ」
「分かりましたよ」
小松さんのやさしそうな笑顔。
「なんか、いいね小松さん」
「ね」
歩のささやきにわたしは同意する。
彼がいったい何をやっていて遅れたのか話してみたかったが、ほどなく出発したので声をかけそびれてしまった。
十一時半ころ目的地のラーメン屋『一文字』に到着した。
「こんにちは」
部長を先頭に、店内へどやどやとなだれ込む。この店はラーメン・ライダーズで毎年来ているので、白髪を短く刈り込んだ店長さんとは顔なじみだ。
一見怖そうなご主人は小さく笑った。
それは常連客へのお愛想というよりは、こわもての中に隠しておいた嬉しさが思わずはみ出してしまったような笑顔だった。
小料理屋を思わせるような、明るい色の木柱と白い壁を障子戸が区切るすっきりした作り。
うちのサークルの色紙が、何枚かの芸能人のものに混ざって壁の高いところに飾られている。
去年の写真もとなりにあって、少し幼い小松さんと今野さんが並んで写る姿もそこにあった。
部長さんが語る。
「ここのうりはスープなんだよね何と言っても。基本はこってり系なんだけど、そんなどぎつくなくて、バランスがいいんだ。麺の質に必要十分なコクって言えばいいのかな。うちのサークルは創設以来、その年最初の遠征は必ずこの店に来ることになっててさ。やっぱりその価値はあるとおもうよ。十年以上誰も文句いわないで『まずはここでしょ』って通い続けて、恐らくはこれから十年二十年、湯沢の地に一文字がある限り、後輩たちもここに来ることになると思う。それって凄いよね」
わたしはそれほどのラーメン好きではない。とは言ってもこうして遠路はるばるやってきて目一杯お腹のすいた状態で、部長さんのエキサイティングな説明を聞かされると、否応なしに期待は高まる。
人数が多いので、全員分いっぺんには出てこない。
まず最初の三杯が、わたしたちのテーブルに運ばれてきた。
黒いどんぶりに、一枚乗っかった紅白のなるとと白い太麺が映える。
スープには程よい量の背油が浮かんでいて、チャーシューは大ぶりでやわらかそうなものが一枚。いい匂いがする。
今回の主賓扱いである一年生から、優先的に食べさせてもらう。
特に乾杯の挨拶のようなものはしない。
これはラーメン・ライダーズの掟というか、仁義というか、暗黙の約束ごとなのだった。
店内には他のお客もたくさんいる。騒いでそのひとたちやお店に迷惑が掛かるようなことがあってはならない。
わたしたちは特別ではないのだ。
「やっとひとつ、秋田にきて良かったと思えることがあった」
高木くんが、ラーメンをすすりながら幸せそうに言った。
ああ、余計なことを。
ラーメンは美味しい。部長の言葉にはひとつの誇張もなかった。確かに二十年後の後輩たちにも食べさせてあげたくなるような味だった。
でもわたしはそれよりも、高木くんの言葉をまわりの先輩たちや、更に言えば店のひとがどう感じたかの方が気になってしまった。
ちなみに今回の遠征参加メンバー十五人のうち、生粋の秋田県民は十二人いる。
誰も何も反応しない。
「慣れるといいところなんだけど、まあ最初はな」
富山から鉱山学部に来ている先輩のひとりが、沈黙を破って言ってくれた。
「そうっすかねえ」
高木くんはそのあとしばらく秋田県にセブンイレブンがないことを愚痴っていた。
「ブリトーって知ってますかあ?」などと言う大きな声をいたたまれない気持ちで聞きながら、隣に座る歩と、とってつけたように「美味しいねえ」などと声を掛け合っていた。
このときはそれで済んだ。でも高木くんの言葉を、サークルの人たち全員が、世間をよく分かっていない年少者のものとして受け流してくれたわけではなかった。
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