第一章② 湯沢までドライブ

 『ラーメン・ライダーズ』というのが、わたしたち三人が入ったサークルの名前だ。


 活動内容は、各地の美味しいラーメン屋を目指してドライブ旅行をすること。


 その行動範囲は秋田県を飛び出すこともしばしばあるという。


 わたしがこのサークルに入ることにした理由は、ただのコンパ目的の旅行サークルよりは、ひとひねりがあって良さそうだと思ったからだった。


 ラーメン自体はそれほど好きでもない。けど、サークル勧誘の時に、食べ歩きドライブの写真を見ているうちに、それからタレントが書くような、『○○さん江 ラーメン美味しかったです』という色紙を自分たちで勝手に書いて、店の人がしゃれの分かる人だと店内に飾ってくれたり、そうでなければ素っ気なく断られたりする様子を聞いているうちに、なんだか面白そうではないかと思ったのだ。


 中学高校のときは、さほど身長にめぐまれているわけでもないのにバスケ部に所属して、わたしは部活一色の生活を送っていた。


 きれいなシュートフォームも、一日五百本のシュート練習をする根性も備わってはいなかったわたしは、そこそこの成果しか得られなかったが、それでもちゃんと大事な計六年間の時間を自分なりに輝かせることができた、と思う。


 高校三年最後の試合、残り三秒、わたしはスリーポイントシュートを放った。


 十一点負けている状況だったので、入ったところで意味はなかった。


 わたしの最後のシュートはリングに当たり高く跳ね返った。


 でもわたしはその一本を投げやりになることなく、心から入れと念じてしっかりと打つことができた。


 同じ日に男子部も敗退したのだが、相手はあの全国一の強豪能代工業で、こてんぱんにされる今まで一緒にやってきた男子部員たちを、わたしは思いっきり大声で応援し続けることができた。


 わたしはそれで気が済んだのだ。なので大学ではまるでちがう世界に首を突っ込んでみたかった。


 旅行当日。わたしは集合時間の十五分前に大学に到着した。


 正門ではなく横の細路地に面した門から入る。


 その門の向かいあたりには定食屋や喫茶店が数件並んでいて、歩と二人で開拓している最中だった。


 でも学食のほうが、何を食べるにしても価格がはるかに安いので、八割はそちらを利用している。


 茶色いレンガ模様の教育学部棟を横目に、人気のないキャンパスの中わたしは自転車をゆっくりこいだ。


 五階建ての教育学部棟には、一般教養の授業ばかりの一年生はほとんど入る機会がない。


 前方を見ると高木くんが気にしている通り、確かにキャンパスの向こう側の果ての門が丸見えになっていて、その間から大学野球場の金網が見えた。


 街路樹の若葉が風をうけて淡くゆれる。


 まるでこの学校の精だかなにかが、のっそりとわたしのほうを振り返って、ああ、またあんたか。おはよう、最近良く見るね、と語りかけているみたいだった。


 わたしは、おはよう、いい天気ですねと学校の精に向かって返事をする。


 わたしね、こじんまりしたあなたのことが段々好きになってきてるのよ。


 居心地いいよ、ここ。友達はそうではないみたいなんだけど、わたしの感覚がおかしいんでしょうかね?


 いろんな人がいるさ、とその何かは答えて、またのっそりとした動きで向こうをむいてしまった。


 教育学部と鉱山学部の棟はキャンパスを二分する形で配置されていて、ほぼ中央にでんと構える図書館の向かいには、学生用の駐車場がある。そこが今日の集合場所だった。


 ドライブには十五名が参加と聞いていたが、既にその半分ほどは来ていた。


 歩と高木くんが並んでしゃがんでいるのを見つけて近づいていく。


 歩はクリーム色の薄手のトレーナーにジーンズ生地のつなぎ、高木くんはいつもの黒いニット帽にGジャン。わたしは水色のカーディガンに下は白いスカートを履いていた。


 先輩たちがわたしに声をかける。わたしは笑顔でそれに応えてから高木くんの横にしゃがんで、全員が集まるまで少し雑談をしていた。


「俺がバイトの帰りに大学の横を通るとさ、夜中でも電気のついている部屋がちょこちょこあるんだよね」


 高木くんは、鉱山学部の一号棟のあたりを見上げながら呟いた。


 研究で残っている教授や大学院生なのだろう。理系が大変だということは各方面から聞いている。


「ところが聞いたうわさだと、別な意味で大変なことになっている場合もあるらしい」

「ん? 高木くんどういうこと」


「はーい、高木くんがこれから卑猥な話を始めまーす」


 歩が手をあげて宣言したのを聞いて、鈍いわたしも思い至った。『ホテル代わり』というやつだ。


教育学部の棟でも、夜中そういう現場に出くわしてしまった人がかつていたらしい。


 高木くんの卑猥な話は面白く、先輩に声を掛けられるまで時間なのでまわりが出発の準備を始めたことに気がつかないほど、わたしは聞き入っていた。


 その先輩はわたしに「俺が昔飼ってた猫みたいな顔して聞いてたよ」といった。


「え、それは誉められてるのですか、けなされてるのですか」


「いいんだ、いいんだ。懐かしさをありがとう」


だから、どっちよ。わたしは、少しむくれる。


 小松先輩は、青い中型のバイクに跨りながら笑った。


 彼は今回参加のメンバーの中では唯一のバイク班、教育学部数学科の二年生だ。


 黒いツーリング用ジャケットに紺色のパンツ。膝のところには防護用のパットが入っている。


 背の高い彼にはその格好がよく似合っていた。茶色い髪の毛先が少しカールしている。軽い天然パーマなのだと思うが程よくおしゃれに決まっていた。


「部長、休憩は大曲のあそこっすね」

「おう、こけんなよ」


 小松さんはフルフェイスのヘルメットをかぶった。


 メガネを掛けた細身の部長さんの白い車に、わたしたち一年生三人と、もうひとり今野さんという二年生の女性が乗り込んだ。


「それでは、毎年恒例湯沢遠征、出発!」

 助手席の今野さんが明るく言って車は動き出した。


 一足早い夏の風鈴の音を思わせるような、軽やかで可愛らしい声だった。


 一台のバイクと三台の自動車は国道一三号に乗って湯沢市を目指した。


 道路は始め混んでいたが、秋田市内を抜けると空いてきた。


 小松さんのバイクはちらちらわたしたちの車を確認しながらも、自分のペースで進み徐々に先へと離れて行き、やがて姿が見えなくなった。


 天気はとても良くて、わたしも歩もこの春で一番の薄手の装いでやってきて正解だった。高木くんは少し暑かったようで、途中でGジャンを脱いで、黒いTシャツになっていた。


「コンちゃん、和と一緒でもいいのに」

「せっかくだから、一年生と話したかったんです。ね、一年生。今日はあなたたちの歓迎会も兼ねているの。ラーメンおごりだよ」


 部長と今野さんは、後部座席のわたしたちにどんどん話しかけてきた。


 彼らは、新しい仲間である自分たちを楽しませようとしてくれて、その振る舞いは一年生とは比べるべくもないほど大人に感じられた。


 大学生活を一年間送ると、こうも違いが出るものなのだろうか。


 横を見ると高木くんの顔がにやけている。無理もない。わたしが見ても今野さんは素敵な女性だった。


 彼女の髪はわたしよりも少し長く、少し茶色に染めていて品の良いウェーブがかかっていて、そしてわたしの髪よりはるかにはるかに美しい色艶があった。


 高木くんは部長さんに車のことをいろいろ聞いていた。回転数がどうした、サスペンションがどうしたと盛り上がっていたがわたしはちんぷんかんぷんだった。


 一時間ほど走ったところで、大曲市の大きな駐車場があるコンビニにて休憩を取った。


 小松さんはだいぶ前に到着していて、ガードレールに腰掛けて缶コーヒーを飲んでいる。


 今野さんは小走りで彼の横に駆け寄り、なびく髪の毛に手をやりながら微笑んで言葉をかけた。


 彼女のまとう白いブラウスと水色の長いスカートも風にそよいだ。


 その背中から白い羽根が舞い落ちないことが、わたしにはむしろ不思議だった。


「なあ、あれはやっぱりそういうことなのだろうか」

「そうねえ、だと思うわよ」


 高木くんとわたしは、並んで遠くから先輩たち二人の様子を見つめていた。


 小松さんは缶コーヒーを一口今野さんにあげて、それから缶を受け取るとやさしく笑った。

実にいい笑顔だ。


 わたしは溜息をついて高木くんの横顔を確認して、彼の心中を察してからもう一度溜息をついた。


 休憩が終わり、再び国道をわたしたちの一団はひた走る。


 高木くんはいささかトーンダウンしていたが、わたしも色んな話をして歩についても新しい情報を得ることができた。


 彼女は高校のとき、野球部のマネージャーをしていた。


「なぬ」


 部長がそれを聞いて、少し驚いた。


「歩ちゃん、秋高(秋田高校)だよね?」

「はい」


「秋高、去年春の選抜に出たよね?」

「出ました」


「じゃ、歩ちゃんも甲子園に行ったの?」

「はい、行きましたよ」


 後ろを振り返って、目を丸くする今野さん。かわいい。


「えっ、それって凄くない」

「わたしは別に。でもわたしのチームメートは凄かったですよ」


 歩は胸を張って答えた。


「一歩遅かったんですよね。去年の夏の大会からやっと、女子マネージャーが甲子園のベンチに入ることが認められたじゃないですか。春はまだだめだったんです。夏はうち、予選で負けちゃいましたから」


 凄い話になってる。わたしと高木くんは、横でささやかにどよめいた。


「大学ではマネージャーやらなくていいの?」

「もう十分よ」


 わたしの問いにそう答えてから、歩はしばらく窓の外を見つめていた。


 懐かしい思い出が胸をよぎっていたのだろうか。でもそのわりに、その表情にはほんの少しだけ憂いが感じられた。


 それは白いキャンパスに一滴だけ落ちた黒インクのようにも見えたし、百年に一度だけ咲くきれいな花を見届けてしまったあとの寂しさのようにも見えた。

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