天才たらしの天才

『アレ』というのは、この学校の長が持つ特別な力、家督戦争でも触れた当主の力と同じ類のもので、当時の世間的には威圧感、覇気、殺気などと形容されていた。現在となっては『良心の手』と呼ばれる『他人の成長』や『使用者が善意』の心により発動し、見えない拳が飛んでいって精神を殴るシンプルな御業。特徴として、肉体に損傷がないままに制圧することができるから体罰に当たらないため、教育の現場では重宝されたはずだ。


 その御業が通用しない人間以外なら……。


 この時、自分は渡された書類を頼りにとあるマンションの五階に上がり、その者が住んでいる扉の前に来ていた。ここに来る前に、他の留年または退学候補になる奴等の家に行き、その者の情報を集めてきた。多くは語らなかったが、共通して『彼女が動かない限り行動を起こさない』と主君に忠誠を誓う郎党のような人間がほとんど。なんだかオズの魔法使いの魔女に肝心なものを奪われた……預けているという表現が適切か、少なくとも大量退学者を出さないためにも扉の向こうにいる人間の攻略が必要になるのは確かなものだった。


 果たして犬っコロだけで魔女を引きずり出すことができるかどうか。このときの自分には少し緊張していた。でも、この張りつめた感覚があの発想を引き連れてきたんだから、案外悪くない。


「――――ごめんください」


 インターフォンを押し、二回ノック。まずこれで小手調べといこう。ノックの意味合いを知らない人向けに説明するが、世界共通の礼儀として二回ノックはトイレノックまたは空室確認、三回は親しい人または入室確認、四回は偉い人、礼儀を尽くさなければいけない相手の部屋に入る時のノックである。つまり、ことがわかる人間からすれば、何かケチが入るし、知らなくとも出てくるときの表情で人間性が分かる。


 鎌をかけて待ってみるも出てくる気配はない。部屋に誰かがいることは傍についているメーターの回る速度と微かに聞こえる足音で確認できる。


 そこでもう一度、インターフォンを押し、今度は三回ノックしてみて、同様に呼びかけてみるも変わらない。


「最後の手段だ」と今度はノックを四回に変えたとこ、足音が大きくなり、


「あからさまな鎌をかけてくんな。青二才が!」


 自分を当てる気で扉を開けてきた女性は眉間に皺を作り髪はボサボサ灰色のダボッとしたトレーナーを着た姿という無職の典型服装をしていた。先の未来、自分も同じ服装をするから良さは分かる。


「どうも、ソラさん――蒼井理事の代理できました、銀堂遊学だ。話がしたい」

「……生徒?それとも理事の彼氏か?」

「意外とロマンチストなんだな。裏切って悪いが、ただの生徒だ」

「それでぇ、理事をソラさん呼びするただの生徒さんが何の用で来たのかしら?」


 粘り気のある笑みを見せて動向を窺う女性は隠利小鞠こもりこまり。書類だけで語ると幼少期に両親を亡くし、親戚をたらい回され、遠い親戚に引き取られ『隠利』姓を名乗ることに。蒼井大学に入った理由は『大学を卒業した証拠が欲しい』という、一般的には笑い沙汰、分かる者には聡明な判断と言える内容。


 とはいえ、四年目の留年生。大学関係の法律として、四年を超えて留年をする事は原則として許されていない。仮に学校が五年以上を認めても、学校側としては超過留年している生徒を受け入れているということで看板に泥が付くばかり。もう一度、入学してくればそれで良いと思うが、それは相手次第なところ。


 この時の隠利小鞠を見るに、その気は無さそうだった。


「単刀直入にいえば、大学に通って欲しい。できれば、卒業という形で出て行って欲しい、そんなところだ」

「でしょうね」

「『はい』と言って、通ってくれれば俺の用は無くなるんだが……無理だろうな」

「わかり切った話を」

「その理由って、授業がクソ詰まらんからか?」

「よく分かってるようで」


 どう攻略しようか。通常の女性ならベラベラと勝手に余計な口を叩くところなんだが、この女性の場合、話を広げる気は毛頭なさそうだ。なら、怒らせてみるまで。


「だよな、難しすぎて頭が沸騰するくらいにな」

「そうそう、難しすぎて教えるのも下手過ぎて大変。生徒を舐めた態度が気に食わない。誰でも教育の権利があるから底辺にも分かりやすく。本当、頭お花畑だよね」

「……随分と上機嫌に話すな。俺に少しトキめいたか?」

「ご冗談を」

「…………」


 やっぱ見透かされているか。玄関の扉は全開だが、心の扉は閉じた大型の貝のごとく頑強。緩んだと思って手を突っ込むものなら、挟まれて身動きが取れなくなるのは必須と見える。疑似餌であの変態の真似事をしたが、この女、それを気付いて現地に引いた。この時点で常人じゃないことが分かった。


「もう用が無いなら、帰ってくれる。無職だけど暇じゃな――――」

「お前もしかして、天才か?」

「――――!何でそう思った?」


 現実の扉も閉めかけた間髪、咄嗟……自然に出てきた言葉は女性の気を引いた。扉の隙間から期待の眼差しを向けられたから、これは訂正が必要だなと感じ自分が思う『天才』について話すことにした。


「期待させて悪いが、俺の思う『天才』は『人に理解されない人間』のことだ。憶測でいうが、『世間に認められた人間』を指す言葉じゃない」

「何か?お主なら、その理解されない人間の気持ちが分かると?」

「解かるわけわけないだろ、他人なんだし。それに仮に世間に認められた人間であっても、あれは世間に聖人の服を着せられた狂人だ。まともじゃない」

「説得力だけはあるな。銀の名を持つ人間だけのことはあるな」

「茶化さないでくれ。天才と気付いて貰えなくてたらい回しにされた女が」

「――――!」


 眼前の扉がガバッと開き、重い風圧を受ける。これが出てこない方がおかしい。地雷を踏みぬいたと思ったら、それは己の地雷だったからだ。


「なぜそんなことが分かる!」


 本人の書類を突き出し、「ここに書かれている内容と実際に会って判断した」


「個人情報の管――ネタは上がっているみたいね」

「まったくだ」


 ネタを端折ってもらい話を続ける。 


「とはいえ、紙切れの内容なんか、はなっから信じちゃいない。けど、こうやって喋っていてわかった。お前は前者後者の『天才』であっても嬉しくなっちゃう軽い女。それで何人かの仲間を得た。それで多くのものを諦めてきた。そうじゃないのか?」


 開けた扉をゆっくり引き、隙間から「だったら何なワケ?理解者になってくれるの?それとも、あんたが王子様になってくれるの?」と、またロマンチックな期待を寄せてきたから、自分は「違う」とすぐに突き放し、希望と期待を無くした上で、最後の手札を切る。


「ただ興味があってな、天才と変態を混ぜたらどんな化学反応を起こすか?個人的に見てみたい。酷い理由だろ。でも、お前にとっては魅力的ではないか」

「…………」


 大型の貝は口を開けたまま反応はない。あの日の自分のように。そこで、ひとつあの変態の真似事をすることにした。


「残念タイムアップだ」

「え?」

「そんじゃ、帰るわ」

「ちょっと待って!まだ結論が」


 玄関の扉を開けて、マンションの廊下にまで出てきた中身は逃げる希望に手を伸ばすものの身体が付いて行かない様子で、固まっていた。何故、そんなことが分かったのか、それはひとつの言い忘れを思い出し振り返り確認したからだ。


「ひとつ言い忘れていた。もし万が一にも学校に来る機会があるなら、俺の教室に来てくれ。そこに多分、俺をさっきのように騙した変態がいるから」と伝えたあとは、振り返りもせず、手の甲で手を振ってその場を去った。


 のちに皆からココ呼ばれるその女性は何を思っていたかは、他人だから分からない。しかし、好意的には移っていたことは確かだ。


 だって次ぎ会う時には自分の教室の中にいて、変態が吊り下げられていてその彼女と白衣の女にピニャータにされていたからだ。


「助けてくれ兄弟!」

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