源遊会の始まり 8.757

ハナの扱いには注意

「おう、麗しき乙女よ私と付き合ってはくれないか」

「……何?この人」


 冷たい目付きでキドを睥睨するソバカスの女性が一人。


「すまないな。コイツはそういう奴なんだ。どうするかは……自ら決めてくれ」と自分は真顔で進言し、罰である雑用のひとつ『花の水やり』に来ていた。


 彼女の名前は蒼井志保あおいしほ。個人ではシフォと呼んでいるのちの『魅音座』の副社長兼キドの妻になるのだが、そこは追々触れて行くとして、この時の彼女は学校雑用を請け負う生徒の一人だ。


 蒼井という名で察しができると思うが、理事である蒼井穹あおいそらの身内で、細かく言うとソラさんの従妹に当たる人物だ。ぱっと見て、コネで入った都合の良い人間に思えるが、その背景は決して良いものではない。


 自分がこの大学に入学した理由にも通ずるから話すが、先代の蒼井理事であった蒼井小五郎あおいこごろうが病気により亡くなり、誰が大学の責務を担うか揉め事になったそうだ。経営が上手くいっているなら争ってでも就く者はいたかもしれないが、世間で言う『Fランク大学』と言われる学校であることと並びに、通常は多くの学費をいるところを、私立という自由の優位性を活かし、『貧しい者にも教育を』の信念に基づき経営をしていたものから大して財源がなく、譲られても負の遺産になるだけだったから気持ち良く引き継ぐ者はいなかった。


 いくら信念は良くとも利益を回せなかったら経営としてはアウトだから、蒼井家としては大学を更地にして土地を売り払い、解体費用を回収する予定だったそう。しかし、ソラさんが思い出のある大学を手放すのをイヤがり、「なら、私がその財産を継ぐ」という事になり、異例の二十代の理事が誕生。


 その後、親戚の志保や協力してくれる生徒を雑用や食堂に投入して、少しでも経営費を削減し、火の車ではあるものの何とか三年存続させてきた。事になってるが、実態は小五郎が作っていた人脈のおかげで経営が成り立っている部分が多く、若い頃から付き合いがあった五代目との縁があり、身内の入学を建前に通常の倍の学費を払って支援。その犠牲者の一人が自分というわけだ。


「何がおかしい?素敵な女性を見つけたらナンパする。それができなくてどうする」

「そうかい」


 適当にあしらって、自分は雑用の詳細に耳を傾ける。


 素敵な女性と言われたことに照れていたのか、三秒ほど言動を止めていたが、ゴホンと咳払いをしてから「とりあえず、このジョウロで水をやってくれない」と中の揺らぎが見える緑のジョウロを渡され、自分は同じ頑固者の癖して意外にも分別を付けられる人なんだなと感心させられた。


「えー水やりなんかホースでビッシャーやれば良いじゃん」と雑用を舐めた発言をして、自分と管理者である女性をムッとさせた。


「お前、雑用を舐めていないか」

「ホースで花に水を上げると花弁が散るからダメよ。せっかく綺麗に咲いたのに坊主にしちゃ可哀想じゃない」


 そう責められたキドは「そんなものなのか?」とアゴに手を当て、的を得ていない様子。


 志保はより何かを言おうとしたようたが、自分は手を挙げて制止し、「悪いが、数輪ほど犠牲にするが良いか?」と管理者に問うた。反論したい顔色を見せたが、軽くため息をついたあと苦服ではあるが「あまり散らさないでよ」と許可をもらい、ジョウロを置いてホースを受け取る。


 三メートルほど離れたひとつの鉢植えに向けて、ストレートと拡散の間のダイヤルに設定したノズルの水を噴射し、当たった鉢植えの花は踊り狂うかのように暴れ回り、簡単に花を散らした。


「これで判っただろ。雑にことをやっていたらどんな綺麗な花でもすぐに雑草に変わる。他でもそうだ。皿洗い一つでもヒビとか小さい汚れがついてるだけで店に来なくなる。雑用ってもんは簡単に見えて繊細な作業だ。あまり下に見るなよ」と実践を交えて説明した。


 学びというものは知識だけでは得られない。多くのものはその行動を悪人がやる快楽行為の一端だと思い罵り敬遠をするが、そのせいでその者と同じミスをする。他者の失敗を見る機会があれば、嘲るよりもこのあとの我が身と自覚し代わりになってくれたとその者に、感謝すべきところ。


 本来は自らの失敗から学べるのが良いのだが、ただでさえ手が汚れているんだこのくらいはサービスして良いだろう――――そう思っていた。


「ふう~でもそれって、調節しなかったから起きた悲劇じゃん。そんなこと言ってたら雨なんかで――――」

「貸せ!」

「はい?」

「ジュハ!!」


 キドが文句を言い切る前に志保はホースを奪い、ノズルをストレートに変更して文句垂れ蔵の顔面に向けて噴射。当人は奇声を上げて、水を止めた後に鼻をズルズルケホケホと咽る。


「これで判ったでしょ。どれだけの勢いを花が受けたか少しは学習しなさい!あと!もしあたしを落としたければ、あたしの言うことを理解しなさい!」


「飛んだ、水が差されたな」と内心キドを憐れんだ。が、その想いはすぐに搔き消された。


 当人は「あ…はは、ブハハハ!上等だ!てめえらをも巻き込んで、水やりを完遂してやる!覚悟しやがれ!!」と変なスイッチが入り、近くのホースに手を掛け、蛇口を捻り放水を開始。自分はその放水を避けることができたが、レーザー光線のように下から上えと水の位置が上がり、最後に志保の顔面に直撃。


 びしょびしょになった志保は、あの変態と同様にどっかのスイッチが入ってしまったのであろう。蛇口のバルブを全開、ホースの筋をパンパンにして「ケンカを売ったのは貴様だからな!」とブチギレ放水。


 お互いガンマーのごとく水を撃ち合いとなり、大人の水鉄砲大会に発展。男が濡れ姿を見ても面白くないが、ワイシャツを着て参加している志保は下着が丸見えで、女性の羞恥心はどこ行ったと、改めて怒らせた女の凶暴性に恐れをなした。


「お前らいい加減に!」


「「あん!」」と二人とも血走った眼をしながら自分に殺気ある視線を向けてきて、


「師匠、全然濡れてないじゃないか」

「そうね。こっちはビショビショなのに不平等よ!」

「待て待て待て、お前らが勝手に始めた事だろうが」

「「知るか!」」


 二人からの水圧カッターを避けて、濡れを回避。その行動が気に入らないのか協力して、当てようと不規則に放水。


「ハマったな師匠!」

「チェックメイト!」


 勝ちを確信した二人は容赦なく発射し、自分は一か八か前進して水の軌道の下を通り、何とか回避。舌打ちくらいしてくるかと思ったが、目の前の二人は青ざめた顔をして制止。そんなに回避されたことが、悔しかったのか?それとも、濡れすぎて身体が冷えたのかと一瞬は考えた。


 が、「何をしているのかしら?」と、昨日も聞いたその怒りの声に瞬時に振り返り、自分は「あっ」と二人の事情を察した。


「志保ちゃん、清史郎君。いま時間が空いてるかしら?」

「いや、その、えっとこれは……」

「フッ、無駄な抵抗はやめた方が身のためだと思うぜ、その方がまだ水に流してもらえるかもだぜ」

「ううぅう」


 そう、放った水は避けた拍子に、様子を見に来ていた理事の顔面に当たったらしく、それが原因で理事はご立腹のようだ。


「遊学くん、あとはお願いします」

「あ、はい、丁寧にやらせてもらいます」


 二人は引きずられ、その後どうなったかは知らないが、学園中に謝罪の声が響き渡っていたことは、青春の一ページとして刻まれている。

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