迷える迷宮のデブウサギ
しばらく廊下を渡りその道中も目星を付けていた場所を覗いて、親父がいるかを確認しながら着実に目的地へと近づいていた。
道が開けて中庭エリアに入ってきた。中庭といっても正門の大庭と比べて四分の一の規模ではある庭で、囲われた廊下は他のエリアに行く連絡通路となっている。中央に大きな苔生した岩石があり、その周りにも成人男性がしゃがんだら隠れられるくらいの庭石が設置されていて、下には相変わらずの白玉砂利が敷いてある。
いっけん風情のあるデタラメに石を配置した和風庭園に見えるが、それは一種の偽装工作で、乱闘騒ぎとかが起きたときには大いに役割を果たす。
運良く自分が当主に成った時には活用されなかったが、この配置のおかげで銃撃戦や物を投げて応戦するときには都合の良くバリケードとなってくれて役に立つ。苔もその状況下では弾の跳ね返りを少なくする緩衝材としても機能を果たすし、庭石が傷付いてもその隙間に苔が入り込み見た目としても修復してくれて、傷もまた庭園の一部となる。そして、家の各所で敷き詰められている玉砂利は、相手がどこにいるかを判断する手段になったり、音で侵入者を脅して進行の抑止力にするなどの機能を果たしている。
その話を聞いて幼少の頃は、晴彦の兄貴や東雲の子孫とよく襲撃者ごっこをしたもので、その庭の機能が眉唾物ではないことはその経験上、身に沁みて分かっている。
そんな中庭の岩の陰から人の姿が見え、その丸っこいシルエットを確認した瞬間に「おーい!宇崎のおっちゃん!」と岩の向こうで歩いている巨漢の男を呼び止めた。
その声に反応してか、こちらに気付いて瞬時に、挨拶もなしにその一〇〇キロ越えの巨漢を揺らしながら走ってきて「遊学様!帰って来られてこられていたんですか!てか、今日一体は何が起きているんですか⁉人っ子一人いませんよ!」と矢継ぎ早に自分が訊きたい要件を訊いてくる。
「知らねえよ。逆にその問いに答えてほしんだが。少なくともおっちゃんの上司から電話で直接『帰って来い!』と連絡があったから来たんだが……本当に何も知らないのか?」
「うーむ、何か言っていたかな?昨日、茂也にいわれたことといえば、『お前は歳も飯も食い過ぎだ』とツッコまれたくらいしか……」
「そんなことは聞いていない!」
「アハハ、そりゃ失敬。相変わらず、遊学様は事をハッキリ言うお方だ」と暢気に笑い出す。
はあ、と溜め息をつかせるほどに木偶の坊ムーブをかましてくること大食漢は名は『
『銀堂の宇崎』と聞いたら少しは認識度は上がるだろうか。何年か前の海外のバラエティー番組で『父親を捜している』という二人の女性と一人の男性から依頼を受け、彼だと紹介された人物だ。
その三人の子は皆母親が違い、子供たちも最初は飛んだ浮気野郎だと軽蔑していたが、本当は奴隷だった彼女たちの命を守るためわざと妊娠させ、銀堂家の名を用いながらも「やれば、戦争だ」と管理者を黙らせて開放。その後は、母国まで彼女たちを送り返し、会いたいのはやまやまだったが、立場や旅行費に使うくらいなら養育費に回したいという堅い意思があったため、その日まで会わなかったそう。
番組ではそうなっていたが、実際はあのバスジャック事件を起こした同じメンバーで海外訪問中に迷子になったらしく。その道中、誘拐されそうな女性を助けた。
――ここまでは問題ないがギャングに目を付けられ、果てには奴隷商人のもとにいて、その時に彼女たちに出逢い「子供が出来たら商品価値がなくなるから出られるかも」ということで、して。なんやかんやで脱出し、メンバーに合流したのちに親父が説得に入り、どうにかした結果、水戸黄門か暴れん坊将軍か知らないが大乱闘。その末にギャングおよび奴隷商人を黙らせ、上記のその後に通じることになったとか。
別に間抜けというわけでもなく、ちゃんとした漢で、荒れやすい定例会議でも諫め役として活躍し、現在では相談役として銀堂家の今を支えている。
そんな肝の据わった漢ですら、このように狼狽え、慌てて逆に訊きたいことを訊いてくるんだ。通常じゃあり得ないことが起きているのは間違いない。
気分としてはこの対応は助け舟だと思ったら、本当は泥船でしたと裏切られるくらいの失望感があった。だけど、そんな顔は出しては可哀想だなと何か別の表情をしようとしたのだが、やっぱりそれ以外の渋い顔が見つからず、後頭部を掻きながら表情をしかめた。
するとそのとき「トウゴなんでオマエさんがここにおる?」と、何百回も聞いたもっともギャングを狩った不機嫌そうな女性の声。そのツルの一声を聴いたデブウサギは飛び跳ねた小動物のように身体を翻し、その対象に立ち直る。
「これは……、さなかさん……お日柄がよろしいようで……アハハ」さっきとは打って変わって随分と乾いた笑い。
「なにがお日柄よ。当主から今日は来るなと通達があったはずなんだけど」
「いや~その~えっと~風呂を……飯を……」
駄目だこりゃ、と過去にやられた出来事を思い出してか、支離滅裂なことを言い始めてしまった。こうなってしまうと我が母は数十分に渡る説教を始めてしまうから、それを阻止すべく、自分は「おいクソババ!宇崎のおっちゃんと遊ぶ暇があるなら、この状況を説明しろ!いくら不遜な息子でも説明義務はあると思うんだが!」と、デカいウサギを押し退けて、わざと語気を強めに、事の真相を要求した。
その行動に母はさらに眉間のシワを深くしたが、すぐに浅くなり、何度か交互におっちゃんと自分の顔をみて「わかった……」と小さくて溜め息をするような息を吐き、またすぐに皺を濃くして、指差しで、
「宇崎!あんさんは今から風呂掃除!もちろん、両方ね!」とデブウサギに指示を出し、その命令におっちゃんは「了解しました!すぐに向かいます!」と脱兎の如くその現場に向かってしまった。
経験上、ひとりでやるなら風呂掃除は片方でも数時間かかる作業。内心、面倒な貧乏くじを引いたなと宇崎のおっちゃんを憐れみつつ、自分への指示を待った。
母は「付いて来な」と簡素な一言を添えるだけでスタスタとこの家の主がいるところであろう場所に歩き出した。事の真相を何も語らないことに腹を立てながらも、付いて行けばそれも明らかになると思い、そのクソババの背中を追った。
もしその内容がしょうもないものなら親父を一発ど突いてそのまま帰ろうと、この時までは思っていた。そう、当時の銀堂家当主であった親父から次の『運命の枷を知らされる』その時までは――。
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