第2話 花の庭

 降り立ったそこは、あまりにも美しい花が咲き乱れている庭だった。もしかしたら、探し求めたそれがあるかもしれない。


 一歩踏み出すと、草の音がする。同時に、夏の季節特有の、強い太陽の匂いがした。列車とは違い、ここには踏みしめられる大地が、季節がある。


 世の人は、花をいい香りだ、と表現する。しかし、いい香りだと、私は思ったことがない。そんなものだ。美しいものには棘がある、という言葉があるけれど、恐らく正しくは美しいものでも完璧ではない、だ。


 明るくて、その太陽から身を守る様に大きな帽子を被る。暑い。先ほどまではただ温かいだけだったはずなのに、いつの間にこんなに暖かくなったのか。


 このままでは焼き焦げてしまう。


「あら、あなたは…私のお庭に何かご用事?」


 ふと見上げると、それは水色と白でできた家だった。その2階のベランダから、話しかけられているのだ。


 まるで、星のような人だった。


「ここに、青い薔薇はありませんか?」


 殆ど無意識に、そう言った。すると、その人は考え込んでしまった。その隙に、家を見る。大きくて、綺麗な家だ。昔絵本で見た、ドールハウスが現実にあるとしたら、こういうものなんだろう。


「私は香りの強い花が苦手なの。自分のことをアピールする存在って迷惑じゃない?」


 と、笑顔で言われた。あぁ、覚えがあるような気がする。時折、その大きな花の香りをさせてやってくる人がいた。迷惑と感じたことはないが、その匂いだけは鮮明に覚えているのだ。


「だから薔薇は専門外。見た目も美しいけれど、棘があって危ないし」


「…そうですか」


 下を向く。そこで、気づく。草だと思っていたそれらは、枯れて地面に落ちてしまった花々だった。絨毯のようでふわふわしていたり、全てを威嚇するようにカサカサの物もあった。


 下を見なければ、結局自分がなんの上に立ってここにあれるのか、考えたこともなかった。花を踏もうが草を踏もうが、人を踏もうが結局変わりはないのだ。


「ねぇあなた、良かったらお茶をして行かない?そこは暑いでしょう?」


「は、はい」


 家に踏み入れると、猫がいた。この子がいるから薔薇を育てられないのかもしれない、と思いながらも部屋に入らせてもらった。


「紅茶よ。良かったらケーキもどうぞ」


 そう言って、目の前に可愛らしいティーカップとケーキを置かれた。ティーカップには、青い薔薇の模様が描かれていた。


「あなたを見た時、このティーカップのことを思い出したの。だってあなた、綺麗な青い瞳をしているじゃない?」


「青い、瞳」


 ハッとして、顔に触れる。長らく忘れていた。自分の瞳が何色だったかなんて、正直興味もなかった。そういえばそうだ、違う色をしている人だっていた。


「私は緑。花の色で緑って、あんまり知られてないでしょ?」


 初めて、その人をしっかりと見た。その男性は、綺麗な、まるで作り物のような緑色の瞳をしていた。


「あなたの瞳、私は大好き。青の花がたくさん咲いている、私の故郷を思い出すもの」


「それは、どこ?」


「ここからもっと東、そしてもっと北。谷の深くにまだきっと残ってる。青い薔薇があるかもね?」


 それを聞きながら、ケーキを食べる。目の前の男性には、ケーキがない。それどころか、空のティーカップがあるだけだ。


 私はお礼を言って、次の場所に行き始めた。誰もが行きたいそんな場所、そしてひっそりと、それでも圧倒的な存在感を持つ。


 明るい花園の深くに、その人はいたのだ。


 きっと、青い薔薇というのはそういう場所にあるはずだ。




「あぁ、でもそうね。虹色の薔薇が作れてしまうほどですもの。きっと…彼女が求めている青い薔薇は、見つからないんじゃないかしら。」


 その人は、猫にそう語りかけたらしいが、それが少女に届くことはない。暑く無くなった庭を、歩くだけだ。


 なぜ、そればかりを追い求めるのか。


 彼女自身、もうわからないのだ。

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