第8話 白雲は百丈の大功を感じ、虎丘は白雲の遺訓を歎ず

「白雲は百丈の大功を感じ、虎丘は白雲の遺訓を歎ず。先規茲(せんきかく)の如し、誤って葉を摘み枝を尋ぬることなくんば善し。」関山慧玄


(日本の)先人の跡をたどり、後世に伝えよう。

「感じ」「歎ず」とは、即ち、先人の言葉を丸暗記するのではなく、その言葉の真意(真実の意義)を噛みしめ、深意(深い意味)を味わい、そこに存在する思想・思惟を自分のものにせよ。形而下(言葉・技術)から形而上(精神・道)と為せ、ということ。

「我等の言語(ことば)、我等の素晴らしいロシア語、われらの先人たちがわれらに残していってくれたこの宝、財産を大切にしなさい・・・この強力な道具を丁重に取り扱いなさい、・・・。」ツルゲーネフ Ivan S. Turgenev(1818~1883)

「ロシア語のすすめ」東郷正延 (ロシア・ソヴィエト人生語録から)講談社現代新書


① 「日本むかしばなし」に見る「先規茲(せんきかく)の如し」

  (福娘童話集から)

単なる子供向けのおとぎ話・作り話、と侮る勿れ。

虚心坦懐にこれを読めば、その心が伝わってくる。

ある作り話があって、そこに教えを読み取るという考え方もあります。

しかし、何百年、もしかすると何千年もの昔から、日本人の間で語り伝えられてきた実話や経験・教えが、人伝(ひとづて)にさまざまな物語・お話しとなって伝承されてきた、と考えれば、これほど貴重な(古典による)教えはないのです。

先規・先例・前例・過去の教え・遺産は斯くの如く教えたり。


◎ 欺されるな(機転と根気で勝つ)


○ 笑い地蔵  徳島県の民話

 むかしむかし、ある村に、おばあさんと息子が二人でくらしていました。 ある晩、おばあさんは急な用事が出来たので、となり村まで行かなくてはなりません。 それでおばあさんは、息子に言いました。「悪いたぬきがだましに来るかもしれねえから、戸閉まりをして寝るんじゃよ。わしは明日の昼には、もどって来るからな」「うん」

 息子はおばあさんを見送ると戸閉まりをして、寝ることにしました。 そのとき、 トントン、トントントン。と、戸をたたく音がします。「何か、ご用ですか?」 息子がたずねると、戸の向こうからおばあさんの声がします。「わしじゃよ。開けておくれ」(おかしいなあ。帰りは明日の昼と言っていたのに) 息子が首をかしげながらも戸を開けると、確かにおばあさんが立っていて、「ああ、疲れた」と、腰をたたきながら入って来ます。 それから、いろりの前に座ると、なべのふたを開けて残り物を食べ始めたのです。(こりゃ、ますますおかしいぞ。おばあさんはちゃんと夕飯を食ったし、こんな夜ふけに物を食ったりしないはず。・・・ははーん、さては)

 息子はある名案を思いつくと、おばあさんに言いました。「おや? おばあさん、今日はいつもとちがいますねえ。いつもなら帰ると、すぐその袋に入るのに」 息子が台所にある米袋を指さすと、なべをかかえて残り物を食べていたおばあさんは、「おおっ、そうじゃった、そうじゃった」と、あわててなべをおいて、米袋にもぐり込みました。(しめしめ、うまくいったぞ) 息子は笑い出したいのを、ぐっとがまんして言いました。「おや? 変ですねえ。いつもなら、『米袋の入り口をひもでむすんどくれ』と言うのに」 すると、米袋の中からおばあさんが言いました。「おおっ、そうじゃった、そうじゃった。ひもでむすんどくれ」 そこで息子は、おばあさんの入った米袋の入り口を、ひもでギュッギュッとむすびました。

 それから今度は、「おや? 今夜は、どうしたのかな? こいつもなら入り口をむすんだ後、『納屋に放り込んでおくれ』と言うのに」と、言うと、米袋の中からおばあさんが、「おおっ、そうじゃった、そうじゃった。どうか、納屋にほうり込んでおくれ」と、答えたので、息子は米袋をかついで力一杯、納屋に放り投げました。「いたたた。やい、なにすんだ!」 おばあさんは、米袋の中で思わずそう叫んで、「しまった。ばれてしもうた」と、あわてました。

 そして小さな虫に化け直すと、米袋の穴から出て納屋を抜け出しました。 その様子を見ていた息子は、急いで外へ飛び出して、月あかりの道を逃げていくたぬきを追いかけました。「やっぱりたぬきだったな! こらっ、まてー!」 しばらく走って大きなまがり角をまがると、たぬきの姿が見えなくなりました。「逃げられたかな?」 しかし、ふと見ると、道にお地蔵さまが二つ並んでいます。(おかしいぞ。お地蔵さまは一つだけなのに。・・・そうか) 息子はにやりと笑うと、お地蔵さまに手を合わせて言いました。「お地蔵さま、いつもおれが手を合わせると、にっこりしてくださってありがとうございます」 そのとたん、片方のお地蔵さまがにっこり笑いました。 息子もにっこりと笑い返して、「では、まいりましょう」と、そのお地蔵さまをひょいとかついで家に帰り、あっという間にたぬき汁にしてしまいました。

おしまい



○ おいつぼの滝 和歌山県の民話

 むかしむかし、上神野(かみこうの)の庄屋さんが病気になったので、庄屋の娘は谷村の観音さまに毎朝お参りをして、病気の全快をいのりました。

 ある晩、娘の夢の中に観音さまがあらわれて、

「山の大ザルがお前を嫁にしようとねらっているから、気をつけなさい。もし大ザルがやってきたら、水がめの中にかくれるのですよ」

と、言いました。

 それから二、三日後、娘が家でごはんの用意をしていると、大きな山ザルが戸を破って入ってきました。

 そこで娘はお告げの通り、そばにあった空の水がめの中にかくれました。

 ところが大ザルは、すぐに娘を見つけて、水がめになわをかけると、ひょいと肩にかついで外に出ていきました。

 娘は、恐ろしくてたまりません。

 ためしに水がめのふたを押し上げてみると、なわがゆるんで、ふたが開きました。

 外をのぞいてみると、サルは川のふちを歩いています。

 そこで娘は名案を思いつき、頭にさしてあるカンザシを抜くと川の中にほうり込んで、サルにむかって言いました。

「わたしの大事なカンザシが川に落ちてしまったわ。あのカンザシをひろってくれたら、何でも言うことを聞いてあげるよ」

 サルは大喜びで、水がめをかついだまま川の中へ飛び込もうとしたので、娘は、

「わたしをかついだままでは重すぎるわ。わたしはここで待っているから、早くひろってきて」

と、いって、水がめから飛び出しました。

 サルは空の水がめを背負ったまま川の中へ飛び込んだので、水がかめの中へ流れ込んで、そのまま滝つぼの底に消えてしまいました。

 娘は観音さまに感謝して、その後も毎朝、観音さまにお参りしました。

 すると数日後には、庄屋さんの病気はすっかりなおったのです。

 大ザルがおぼれ死んだあの滝は、その後『おいつぼの滝』と呼ばれているそうです。

おしまい


○ 言い負かされたタヌキ  長崎県の民話

 むかしむかし、あるところに、やそべえというおじいさんが住んでいました。 とてもゆかいなおじいさんで、「やそべえさん、こんにちは」と、声をかけたら、いつだって、「はい、はい、こんにちは」と、元気よく返事をします。 小さい子どもが、「やそべえさん、こんにちは」と、言っても、「はい、はい、ぽんぽここんにちは」と、おもしろい返事をしてくれます。 さて、やそべえさんの家の近くに、一匹のイタズラダヌキがすんでいました。「おもしろいじじいだ。一つからかってやろう」 そこである晩、タヌキはおじいさんの家に出かけていきました。 おじいさんが寝ていると、 トントントン。 だれか、表の戸をたたくものがあります。「はて、いまじぶんだれが来たのかな?」 不思議に思って起きていくと、だれやら戸をたたきながら言いました。「やそべえさん、こんばんは。ぽんぽこ、ぽんぽこ、こんばんは」(ははん。さてはタヌキのやつだな。よし、負けるものか。タヌキがだまるまで返事をしてやるぞ)「はい、はい、ぽんぽこ、ぽんぽこ、こんばんは」 タヌキも、それに負けじと、「やそべえさん、こんばんは。ぽんぽこ、ぽんぽこ、こんばんは」と、くりかえします。 そのたびに、やそべえも、「はい、はい、ぽんぽこ、ぽんぽこ、こんばんは」と、言いかえします。

 言い合いは何時間も続きましたが、でも、ここで負けたらおしまいです。 タヌキのよびかけに答えているうちに、だんだん夜が明けてきました。 ところがタヌキのほうも大よわり。やそべえがどこまでも返事をするのでクタクタになり、とうとうだまりこんでしまいました。「やれやれ、しずかになった」 やそべえさんがホッとして表の戸を開けたら、なんとイタズラダヌキが、口をおさえて死んでいたという事です。

おしまい



○ 長生きじいさん 宮城県の民話 (日本にもいたサンジェルマン伯爵)

 むかしむかし、ある村に、とても不思議なおじいさんがいました。

 このおじいさんは二メートルもある大男で、たいへんな物知りでした。

 何をたずねても、すぐに答えてくれるのです。


 おじいさんは自分の家は持たずに、村の大きな家に何日か世話になると、そこを出て、またほかの家に世話になるというくらしをしていました。

 近くの村でも、同じように世話になっていました。


 おじいさんの好きなことは、白い紙に字を書くことと、源義経(みなもとのよしつね)が活躍(かつやく)した、むかしの合戦(かっせん)の話しを話して聞かせることです。

 その話し方がまた上手で、まるでそこに自分がいて、見てきたように話すのです。

 自分では年を口にしたことはありませんが、このおじいさんは、だれに対しても自分の子どもを呼ぶように、「せがれ」というのです。

 お寺の和尚(おしょう)さんなどは、百七歳まで生きたのに、やはり「せがれ」といわれて、親しくつきあっていました。

 ある時、将棋(しょうぎ)をさしていて、おじいさんはふと、

「そうそう、そういえばあの時、正左衛門(しょうざえもん)がな・・・」

と、二百年も前の人の話しを始めたのです。


 不思議なおじいさんでしたが、ある年、ポックリと死んでしまいました。

 けれども、それから二十年ほどたったある時、村の人が仕事で京の都へ出かけると、そこにはあのおじいさんがいて、いろいろと話をしたというのです。

 それからも、あちこちでこのおじいさんを見たという人が現われました。

 このおじいさん、もしかすると、まだ生きているのかもしれませんね。


※ むかしから長生きをした人の話は多く、江戸時代の書物には、鳥取県の儀左衛門(ぎざえもん)は1841年(天保12)に二百九才の誕生日をむかえたと書かれていますし、愛知県の満平(まんぺい)は、1796年(寛政8)に百九十四才になったと書かれています。

おしまい


② 年寄りに渡る世間は罠ばかり (東京都 63 歳 男性)

  シルバー川柳の教え

○ 耳遠くオレオレ詐欺も困り果て (兵庫県 60 歳 男性)

○ さびしくて振り込め犯と長電話 (埼玉県 72 歳 男性)

○ 「ボケちゃった!」難を逃れる名セリフ(新潟県 64歳 女性)



2024年1月8日

V.3.1

平栗雅人

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「カゲロウ山に登る」 V.2.1 @MasatoHiraguri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る