第5話 「飛ぶ矢は止まっている」ゼノンのパラドックス(逆説)

ゼノンのパラドックス(逆説)で有名なのは;

第2 「アキレスは亀に追いつけない」

第4 「飛ぶ矢は止まっている」

(エレアのゼノン。古代ギリシアのエレア学派の哲学者。(前490頃~前430頃)広辞苑)


「飛ぶ矢は止まっている」 阿刀田高「詭弁の話術」より

○ 何物もそれが自分自身と等しい場所を占めている時は常に静止している。

○ ところが、運動体は常に今という瞬間に於いて存在している。

○ 従って、飛ぶ矢は不動である。

<引用開始>

このパラドックスについては、古来さまざまな説明がほどこされているが、一番わかりやすい解釈は、この文章から「飛んでいる矢の運動を細かく区切って考えれば、矢は静止したものとなり、静止の状態をいくら集めても運動にはならない。だから、飛んでいる矢は止まっている」という意をくみ取ろうというものである。」

<引用終わり>

阿刀田氏は「パラドックスというのは、運動の定義や時間と空間の理論を求めるためのアンチテーゼ(否定的命題)であり、このパラドックスを乗り越えることで、ひとつのジンテーゼ(統合・合意)を得ようとした。」と、著書「詭弁の話術」で述べられています。

つまり、「パラドックス」というのは、常識を大きく外れた「狂気」であり、一旦その狂気に塗れることで本来の目的である正気(真理)を見い出そうとする、ひとつのアプローチの仕方といえるでしょう。

さすれば、

「ニトログリセリンという超危険な薬品は、その強烈な爆発力によって油田の大火災を一瞬にして消火する。」のと同じ効果であり、

大学日本拳法も「その強烈な闘争パワー(狂気)によって、人の隠れた正気を引出してくれる。」効果がある。

と言えるのではないか。

「飛ぶ矢は止まっている」という逆説(狂気)を哲学する(あれこれ考える)ことで、大学日本拳法による「コギト・エルゴ・スム 我思う故に我あり」の確立という道を、明らかにすることができるかもしれません。

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