第3話 「門松は冥土の旅の一里塚」狂気によって正気を得る

大松博文監督が率いたニチボー貝塚チームは、月曜から土曜、仕事が終わってから7~12時間の練習という「狂気」によって、どんな困難な状況であっても「正気」を保つことができる強い「我(われ)」を各人が確立した。

オリンピックや世界選手権大会で軒並み金メダルを取るという実績以上に、彼女たちが「不動の我」を持つことができたことにこそ、最大の意義があったといえるでしょう。なんとなれば、そのことによって、彼女たちは、迷うことなく「行くべき所」への道をしっかりと歩むことができるからです。


絶え間ない練習によって肉体的・技術的な自信が付いた、なんていうレベルではない。人間としての強い精神という、目に見えない根本のレベルで自己同一性の完成を成し遂げることができた人には、人と一体化し(尚且つ、分離できる)魂が存在するのです。

人生の一時期において彼女たちのような「狂人」になることができなかった人の中には、宗教という偶像によって仮象(カントでは、現象としての経験的実在性を持ちえない認識対象)の「我」を自覚しようとする人たちがいます。また、社会的地位や肩書き、カネや「名声」というものによって仮象の「我」を形成しようとする者もいるでしょう。しかし、「カゲロウ山」のように、最期の最後にその人を救うのは、端から見れば狂気としか思えない正気だけなのです。


「おいおい、お前の相棒は墜落した時に死んでるに決まってるよ。発信器だけが海の底で鳴っているだけさ。」

「お前の父親はカゲロウ山に登るほどの強い意志なんてなかったのさ。よしんば、山を見つけても、その困難な登頂の途中で迷いが生じ、転落して消えたのさ。」

そんな人たちの「ありきたりの常識という正気」に逆らい、コブラとインディアンは「真の正気」を貫き、スピリッツの存在を実証した。


  大徳寺の坊主一休(1394~1481)は、「門松は冥土の旅の一里塚」と狂人のように叫びながら、正月に浮かれる人々の中で踊ったとされています。

  彼もまた、その最期に足の骨を折りながら坐禅をして死に絶えた、大徳寺の開山大燈国師(宗峰妙超 (1282~1337))と同じく、狂気によって正気を見ることができた、数少ない坊主のひとりだったのです。

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