7月19日 4
「……いずも時計店?」
二階建ての、この辺りでヤマトが見てきた中ではひときわ幅の広い建物だ。真っ黒な壁の材質が木なのかコンクリートの類なのか、彼にはよくわからない。軒下に金文字の看板があり、一階部分にはスモークガラスの引き戸と窓があるばかりでショーウィンドウは見当たらず。
(八百屋さんの裏口みたい)
記憶はなくとも知識はある。
「大家さんのお店だよ」
答えの終わりへ被せるように、ぞりぞりと引き戸が開く。中から出て来たのは
(うわぁ、かわいい)
細身で、利発そうな目つきが特徴的な――彼の認識では――少女だった。
「おはよ、中津国さん」
肩を追い越す程度の長さの黒い髪が揺れた。
(スフィンクスみたいな髪型してる)
黄金のマスクの方がフォルムとしては近いと思うよ。
「おはよう。あぁ、この人は
「なんともビミョーな紹介ね」
華崎リオン――リオンとしよう――は朗らかに笑った。ざらついた、聞き心地の良い声だ。
「あなたが例の助手くん? カワイイわねぇ、よろしく」
「どうも……」
自分より少々背の低い相手に顔を覗き込まれて小さく頭を下げる。
(い、いきなり押してくる人だなぁ……僕のことはココロから聞いたのか。高校生くらいかな、って年齢はあんまり意味ないんだっけ。顔とシルエットを見た感じ、めちゃくちゃモテそう)
鼻の下が伸びかける。
(……ダメダメ。経緯はどうあれ、僕はココロと夫婦なんだから)
すんでのところで踏みとどまる。
「大家さんは?」
「ニュースが長引いて連ドラの始まりが遅れちゃったから、まだ奥で観てる。そろそろ出てくると思うんだけど」
こちらにも〝朝の連ドラ〟があるらしい。面白いのかとココロに尋ねると「イケメンはけっこう出て来るね」と答えられたので、彼は〝イケメン〟もこちらとあちらの共通語なのだと知った。
「イケメンと言っても私ほどじゃありませんがねぇ」
(この声……⁈)
クラのものにそっくりな、
「おはようございます」
ココロが軽くおじぎをした。
(クラちゃんの色違い、なのか?)
蒼い瞳を除く要素はクラと瓜二つ。いつの間にか左腕の隣にいて、こちらを見上げにっこりしている。
「初めまして、
「あ、えと、はい。突然ですがクラって人のこと知ってますか」
「くら。うーん、知りませんねぇ」
ルリシロと名乗った大家は、不躾ともとれる問いに正面から応じてみせた。
「すいません、いきなり。気になっちゃって」
「いえいえ。しかしあなた、話には聞いていましたけどずいぶん可愛らしいですねぇ」
「そ、そうですか」
話しぶりと落ち着き方は年上のそれとしか思えず、ヤマトは敬語を遣わざるを得ない。
「ん……大家さん、あまりからかわないであげてください。華崎さんにも同じことを言われて、ちょっと困ってたんですから」
「真心こめて褒めたんですがねぇ。ココロちゃん、あなたとヤマトくんはとても
長めのおかっぱをゆらゆらさせて、大家は二人を見比べる。リオンはもう店の中へ戻ったようだった。
(そんな、お似合いだなんて)
言われていない。
「それにしても綺麗な指輪ですねぇ。ココロちゃんのとそっくり」
大家がヤマトの指輪を撫でていた。するり、するり。
「ココロも、指輪を?」
「ええ。なかなか着けないのでもったいないなぁと常々思ってるんです」
ココロはそっぽを向いている。
「大事にしてくださいね。これはとても良いモノですから」
「ん……見た目はこんな感じだけど、その人の審美眼は確かだよ」
「言い方に棘がありますねぇ」
頬を膨らませた大家は愛らしい。
(この人の中身がもしおっさんだったら僕はどうすればいいんだろう……いや、でもまぁ、見た目がかわいいならそれで良いって話も)
ヤマトがいかがわしい世界を覗きかけた時、閉められたガラス戸の向こうから甲高い叫びが届いた。走り回るような音も聞こえてくる。ココロと大家が顔を見合わせた。
(まさか、ノイズ)
携帯端末は鳴いていない。
「ん……ゴキブリかネズミのどっちかですよきっと」
「リオンちゃんが泣き出す前に戻りますか。じゃあヤマトくん、これからどうぞよろしくね」
指輪から手を引き上げると、大家は店へ入っていった。
外階段を昇って磨りガラス張りの扉を開き、狭い玄関を抜けてもう一枚の扉を開くと、そこは確かに事務所然とした場所だった。
「けっこうキレイなとこなんだね」
「外観からじゃちょっと想像つかないでしょ?」
通りに面した大きな窓を背に、木でできているのだろう、茶色い幅広の机が置かれている。お供は手すり付きで背もたれの黒い椅子だ。部屋の中ほどにはガラスのローテーブルがあり、それを挟んで深緑色のソファが二脚。窓際の机から見て左側の壁の備え付けらしき本棚には、色とりどりの背表紙が並ぶ。
「アレ、漫画?」
「うん。少女漫画のちょっとしたコレクション」
「忘れてた」とココロがスリッパを持ってくる。
「いつも一人で仕事してるの?」
「……そうだよ」
数秒の間を置いての応え。
(あ、なんか意味ありげに窓の外を見たぞ……)
「まぁ、やることなんてほとんど無いんだけど」
「ええぇ……?」
身構えた手前、気が抜けるのも無理はない。
「ここは私が個人的にやってる探偵事務所みたいなもので、収入は多くて月に……幾らくらいなんだろう……先月は確か二千円だったかな」
「中学生のお小遣いじゃないんだから」
「そんなもんなんだよ。近所の子どもの宿題を見てあげたり、逃げたペットを探したり、そういう細々とした仕事ばっかりだからお金なんてロクに取れないっていうか」
「ちゅうがくせい」と語尾を上げてつぶやいた後の業務説明。
「……でもいくらなんでも月収二千円はヤバいんじゃないの? 昨日のファミレス代で下手したら飛んじゃうよ」
金銭の単位が円であることについては、波多野駅で3秒レクチャーが催されたばかりだ。
「大丈夫。お給料は機構からもらえるし、ノイズを処理してあげれば一体につき10万円のボーナスが付くからね」
つまりヤマトの見たものが全て正しければ、先ほどココロは臨時収入を得たわけである。
(職場に通わなくてもお給料ってもらえちゃうんだ……)
そういう仕事もある。ちなみに彼女の給与は月給ではなく年俸で支払われており、その額は手取りで一万円札六千枚分と少々だ。
「……じゃあ、どうしてわざわざここで仕事を?」
「時計店の警備員代わりっていうのが一つ、社会勉強の一環っていうのがもう一つ。前者の方が比重は大きいね。おかげで家賃をタダにしてもらってるし」
「太っ腹だなぁ大家さん」
「アパートの家賃もついでにね」
ココロは手持ち無沙汰なのか、部屋の中をとことこと歩き始めた。こげ茶の床にひきずりそうなほど長いスカートが、くるまひだを伴って静かに波打つ。銀と白と黒に、赤とほんの少しの碧――高くなってきた日の光を浴びて、彼女を作る全ての色が輝きを増していた。
「あっちの大家さんでもあったんだ? なんか不思議な人だよね」
「うん。変な人だけど、物知りだし意外と頼りになるよ。変な人だけど」
ふふ、と笑ったのが合図だったのだろうか。
「あれ、もしかしてチャイム鳴った? お客さんかな」
デジタルなすすり泣きが大気をもうひと揺すり。
「みたいだね。こんな朝から珍しい」
閉じかけのまぶたがぴくりと震えた。
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