7月19日 5
ドアの近くの壁に付いた小さなモニターに、客の姿が映っている。
「んんん?」
見えたものが信じられなくて壁に寄るヤマト。
(クラちゃんのお供っぽいあの人にそっくりじゃん! でも目と髪は黒いから別人? 親戚?)
再びのチャイム。
「ん……出てあげて。その光ってるボタンを押すと話せるから」
画面の下で青く点滅している箇所をかちりと押すと、外の風のものだろうか、硬い波音が部屋に流れ込んだ。
「はい」
「すいません、中津国都市伝説研究所ってここですか? 下の時計屋さんに聞こうと思ったら、なんか閉まっちゃってるみたいで」
画面の中で美丈夫が答える。
粒のそろった、低くて艶のあるお伺い。
(……声もかなり似てる)
所長と呼ぶべき銀髪の彼女がうなずいているので「そうです」としか答えようがない。
「お迎えしようか」
部屋の主が玄関へ向かう。
(なんか目がイッちゃってる美人もセットでいるんだけど……)
ココロとは系統の全く違う背の高そうな女が、美丈夫の後ろからモニター越しにこちらを見ていた。
玄関で蝶番が鳴る。
「お邪魔します……あれっ?」
「ん……いつもお世話になっております」
男とココロの短い会話だ。
「面識があるの?」
鋼の柔らかさを持った女の声が絡む。
「バイト先の常連さんなんだよ。びっくりしたぜ」
「あら、そうでしたの」
「下の店の者に頼まれて買い出しに行くと、よくレジを打ってくださって」
「すごい偶然ですよね」
「ええ。スリッパをどうぞ」
「すいませんどうも」
「ありがとうございます」
足音が始まる。
ヤマトはソファにかけた。着いて行こうと一歩踏み出し「ちょっと待ってて」で制されていたからだ。
(背中を曲げて膝に肘を置いて……これならちょっとそれっぽく見えるよね)
公園のベンチでうなだれる誰かにしか見えない。
(最初が肝心、最初が)
昨夜目を覚ましてから、緊張するのはこれで二回目。部屋のドアが開いた音は、どうやら耳たぶで跳ね返したようだ。
(ってなんだよ最初が肝心って。別に僕が何か競争するとか交渉するとかってわけじゃな)
一度うなずいて顔を上げると、思考の途中で美丈夫と目が合った。
(ファッ⁈ いつの間に⁈)
あちらは高いところからこちらを見降ろし、「うっす」と軽く頭を下げてみせる。
(あ、慌てちゃダメだ。別にマズいことなんて何もないんだから)
ならばこちらも、と立ち上がろうとして――足首が強張っていたのだろう。
「ほげっ」
前につんのめり、ヤマトはローテーブルの下へと器用に潜り込んでしまった。
一対二。向かい合っている。
誰と誰が?
一のヤマトと二の来客が。
三人が座っているのは、もちろん深緑色のソファ。
(気まずい。ココロ、早く戻ってきて)
美丈夫の隣に座っているのは、腰よりも長い位置まで黒い髪を伸ばした女。かなりの長身であろう同伴者よりも頭半個分ほど背が低いだけの大柄な人物で、小顔だからか肩幅の広さが目立つ。
(女子ってこんなにたくましかったっけ)
ヤマトは少々困惑していた。ココロやリオン――ここへ至るまでに間近で接した女性はこの二人しかいない――は背が低く華奢なのに対し、この女は異様にと飾れるほど麗しいが、その全てが力強く攻撃的に見えた。なお、クラとルリシロの性別は不明としておく。
(みっともない姿を見られた相手が、無言っていうのはマジでキツい)
真顔でのにらめっこが続いて早10分弱。「ん……お茶を淹れて来るね」とココロが外してから、動いているのは窓から射し込む陽ざしだけ。
「つかぬことをお伺いしますが、あなたは列島部からいらしたのですか?」
女が問いで色気を振りまく。彼女の上半身の装いは臙脂基調の落ち着いたものだが、肢体の線は暴れ回っていた。
(キツいついでに……言っちゃ悪いけど、ジャケットの裾に隠れちゃうようなミニスカを履く人は絶対マトモじゃないな)
生唾を飲むのに忙しく、ヤマトは首をかしげるので精一杯。黒いストッキングに覆われた長い脚が気になって仕方ないのだ。
(めちゃくちゃ美人だし口調も丁寧。でも目つきと格好が普通じゃない)
それに比べて、赤いパーカーに紺のジーンズという美丈夫――と表現するのも飽きたので単に男としよう――の服装には大いに安心できた。
(もしカノジョなんだったら、彼は今すぐ別れた方がいいかも)
僕もそう思わないでもない。
「あー、いや、すいませんどうも。この人、鼻が利くんですよ」
「そ、そうなんですか……はぁ……」
女から目を逸らせば、男からの助け舟は水浸し。
(口調は似ても似つかないから、別人だし親類でもないのかも)
双子だってまったく似てないことはあるよ。
「いきなりそんなこと聞くなっつうの」
小声。
「断りは入れたわよ。それより、わかっていないのかしら」
小声。
「こっちに来たてだってことだろ、たぶん」
小声。
(全部聞こえてるよ!)
これは心の叫び。
「列島部のことはその感じだと知ってんでしょ? じゃあ、こっちからあっちにだったら行こうと思えば行けるってのは?」
会話が繋ぎ直される。
「初めて聞きました」
そのようなファンタジーは列島部の常識の中に無い。
「そっか。行くこと自体はできるんですよ。まぁオレもこの人も……いわゆるフツーの人はそんな経験無いんですけどね。そんで、行けるってことは帰ってもこられるってことで」
「けれど、あちらの方がこちらに来ることは通常では不可能なのです」
荒唐無稽な話を代わるがわる聞かされて、栗毛の美少年は混乱中。
(確かこの二人、ココロに何か仕事を依頼しに来たんじゃなかったっけ……?)
目頭に力を入れて、送りつけられた情報を整理する。
「……つまり、僕は生き返った死人、ってことですか」
昨夜クラにほのめかされた事柄の答え合わせだった。
「列島部は確かに死者の国と言われていますが、こちらとは一切関係を持たずにあちらで生まれて命を終える方も多いと聞きます。ですから、あなたがこちらで亡くなってからあちらに行き、もう一度戻って来たのかどうかは誰にもわかりません。あちらで生まれ育ち、何かの拍子にこちらに来てしまったという線もありますし」
「確実に言えるのは、そういう人がかなり珍しいってことだけですね。オレは今まであんた……じゃねぇ、あなた以外に見たことないですもん」
「それが理由で、何か危ないことに巻き込まれる、なんてことは……」
昨夜の一件を念頭に置いた問いだが、あれはどちらかといえば巻き込んだ方だ。
「それはどうだろなぁ。少なくともオレは、そういう話って聞いたことないですね」
「私も聞いたことがありません。希少な存在なので、情報がないだけかもしれませんけれど」
女がほぅと息をつき、会話の場が扉を閉ざした。大事なことを教えてくれた二人に少しだけ感謝しつつ、それ以上に、先刻のファインプレイがいつ蒸し返されるのかヤマトは心配で仕方ない。
(何か話題を出さないと……そうだ)
「……僕みたいな人間は、列島部に帰れるんですか?」
「帰れないことはないと思うんですけど……」
「帰ったという話も、聞いたことがありませんわ」
互いの目を見つめ合う二人。顔を見合わせる、ではない。
(あちゃー……これは付き合ってるな、間違いない)
観客は一人だけ。
「あのぉ……心中お察しします。女の人が体一つでおかしなトコに投げ出されちゃ、不安になるなって方がおかしいってもんで」
「あぁ、いや、その」
ファミリーレストランの手洗いの鏡で見た光景がヤマトを納得させた。
(ホントに女の子と間違われてる)
相手が沈んでいるように見えたのか、男が声のトーンと眉を上げる。
「そんでもまぁ、その、なんだ、アレですよ、あの、こっちはそういう人にメチャ優しい感じの社会だと思うんでダイジョブダイジョブ、ははは」
元気づけようとしているらしい。
「
「はははははぇぇぇえええええ⁈」
ため息交じりな女は、あくびをかみ殺しているようだった。
クロガネと呼ばれた男の笑い声が急激にグラデーション。それに伴い彼がヌッと身を乗り出してきたものだから、ヤマトは驚いて腰を引いた。
「いや、この人はどう見ても女だぜ。間違いねぇ。ですよね?」
「あの視線の動き方は、男性のもの以外の何物でもないわ」
文字通り目をかっ
(お、お願いだから早く戻ってきて)
口の中で助けを呼べば、カタンと背後で気配が鳴って。
「ん……その人は私の夫です。お待たせ、あなた」
前触れなく赤面させられることと相成った。
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