7月19日 3

 中央駅に対してヤマトが抱いたのは〝新宿駅みたい〟という印象。至るところに設置された案内板を見れば見るほど道に迷いそうだった。

「ん……あれがノイズ。簡単に説明すると、人間の欲とか欲とか……要するに執着だね」

「つまり、生霊みたいなものってわけか」

「そうそう、そんな感じ。後で生霊説をとなえてみようかな」

「生霊なら、出した本人はめちゃくちゃ疲れるよね」

「その通り。半日くらい体調不良になるって聞くよ」

 構内では黙っていたココロが喋り始めたのは、北東口なる改札を出て、人であふれた道幅の広いペデストリアンデッキを降りた後、壁の汚れた小さな飲食店が軒を連ねる薄暗い通りに入ってすぐのことだった。

「そのノイズってやつを退治するのが、ココロの主な仕事ってわけか」

 こう真顔で尋ねる彼には、C級映画を楽しむ才能があるはずだ。

「退治はしないよ、助けてあげるだけ。欲っていうのは満たすか殺すかのどっちかでしかなんとかしてあげられなくて……私たちがやるのは殺す方、って言うとちょっと物騒かな」

 たち。

「あんなものが年中出て、その度にココロたちは警報で呼び出されるの?」

「警報は、さっきのみたいな危ないノイズが近くにいるときしか鳴らないんだ。で、ああいうのは年中現れるわけじゃないの。ただ、ノイズ自体は無害なものも含めればその辺にいっぱいいてね……さっきの駅の中にも、けっこうな数がいたはず」

「様子が変な人は、そんなにいなかったと思うけどなぁ」

「明らかにヤバいヤツ以外は、普通の人間と変わらない見た目なんだよ」

 車道が無い。

 日が沈むと、この辺りは賑わうのだろう。今はゆるやかで生臭い風と、石畳調の歩道に置かれた幾つもの大きなゴミ袋が場を彩るのみ。ヤマトとココロ以外の誰かはおろか、猫の子一匹通りかからず、どの建物もカーテンを閉めて明かりと気配を消している。

「もしかしてカリスマっていうのは、ノイズを退治、じゃなかった、救うための力のことだったりする?」

「違う、っていうのが専門家の見解。でもカリスマを持つ者……姿すがたと書いて〝うつわ〟って読むんだけど、今のところそういう人間にしかノイズは救えないし、それ以前に見たり触れたりできないの」

 ちなみにその専門家とやらは、まだ世界のどこにも存在していない。

姿うつわって、なんだかうまい表現だね」

「私はイヤミな言い方だと思うなぁ」

 滑るように歩く彼女は先刻、世間に仇なすものが相手とはいえ、その胸だか腹だかを素手で貫いていた。

「あの夫婦は二人とも姿うつわだったんだろうね。だからノイズが見えたんだけど、力がないから何もできなかったんだ」

「力?」

「その辺はまた後でね」

 ココロは昨日『超能力みたいなもの』と簡単に言及している。

「まぁでも、見えるだけまだマシなんだよ。姿うつわじゃない人にとってのノイズ、特に危ないヤツは、それこそただの悪霊だもん」

「げえ……迷惑過ぎる」

「あのノイズは赤ちゃんを狙ってたから……他人の子どもを傷つけたかったのか、奪いたかったのか、はたまた自分が子どもを欲しかったのか……いずれにせよ、たぶんあれは生殖許可の下りてない女性のノイズじゃないかなぁ」

 不穏な単語が一つ。

「せいしょく……それはもしかして、子どもを持つ持たないっていうような意味の?」

「そう。子どもを作るためのライセンスのこと。個人じゃなくて夫婦に出されるもので……そっか、これを教えなくちゃいけなかったね。そっちでは馴染みのないものでしょ」

「聞いたことがあったとしても忘れてるかも」

 自虐をクッションにして衝撃に備える。

「こっちには、婚姻の自由はあっても繁殖の自由は無いの」

 ふわり。

 視界に入る高い空が歪んで、ヤマトは目をすがめた。

(ホントに、信じられない話がポコポコ出てくるよ)

 ノイズを救うのが姿うつわの役目ならば、自分はどこにも縋れないどころか縋られる立場になってしまった――そう思うと目まいがするのだろう。そして、情けないけれども、縋れそうなプラチナ色の滝を前に安堵するのだろう。

「ココロはさ、どう思ってるの? そのことについて」

 二人は〔カラオケ狛犬〕と書かれた大きな立て看板の横で立ち止まる。縁取りの電球が二つ割れた、錆びだらけの目印だった。右手側には、細い脇道が見える。

「ズルしないで生きてる人たちは、どうあっても救われるべきだと思う」

 甘く冷たい声から湿度が失せた。

 彼女は振り返らない。

「ん……あとちょっとで着くよ」

「事務所だっけ。そこには僕たち以外にもスタッフがいるの?」

「いないけど、代わりに……って言ったら変かなぁ? 下の階にちょっとしたお店があってね。そこに大家さんと、店員さんが一人いる」

 大家さん、という平穏は丁字路に置き去られた。

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