2月25日 2

【1】


 時刻は正午を少し過ぎたところ――灰色の空の下、寄川市中央商店街の一角で。

「なにあの無駄なイベント……僕の午前中を返してよ」

 ヤマトは不機嫌を装っていた。学ランの上へ重ねた赤いダウンジャケットのポケットに、両手を突っ込んでそっぽを向く。

「全校集会なんだから行かなきゃダメでしょ? 常識的に考えて」

 ヤマトの右隣でココロは呆れているように見えた。セーラ服の上に重ねた灰色のダッフルコートの、ボタンを全て開け放って。

「怖い事件が起きてるんだから、学校がピリピリするのは当たり前よ」

「先生が何か言ったところで何かが変わるわけでもないのにね」

 黒いスクールバッグを背負い直す方と、右肩に担ぎ直す方と。

「そういうガキっぽいトコ、直さないと結婚できないと思うんだけど」

「そっちこそガミガミうるさいトコ直さないと、結婚どころかカレシの一人もできないよ」

「カノジョより先にカレシができそうな顔してる誰かさんには言われたくない」

「……なんだよ」

「……なによ」

 実のところ、ヤマトは機嫌を損ねてなどいない。ココロにしても、彼女はうんざりすれば黙り込む。

「せっかく推薦で高校うかってるっていうのにさ、朝っぱらからガッコでさ」

「たったの一時間なのにウダウダ言うんじゃないの」

 あなたの常識だと、中学生は進学先が決まっても、卒業式までは登校することになっているかもしれない。

「午後は午後でダルいしさ」

「私の家でゴロゴロしてるだけのくせに」

「夜は外出禁止だしさ」

「そっち方面の文句は、事件起こしてる誰かにぶつけなさいよ」

「できるモンならとっくにしてるよ。そーゆーのは止めろこの野郎、ってね」

「野郎じゃなかったらどうするの?」

「通り魔なんて、どうせロクでもない男に決まってるじゃん」

 ため息に混ぜて吐き出したあと、「そうだ」とヤマトが立ち止まる。

「お腹空かない?」

「もうすぐお昼でしょ」

「ちょっとだけ」

「……ちょっとだけよ」

 二人の小さな背中を、いくつもの視線がなめ回していた、


「そういう衝動的なトコも、直した方がいいんじゃない?」

「ガキっぽいトコだのなんだのと、今日はやけにつっかかって来るね」

 商店街の東の隅にある立ち食い蕎麦屋の店先で、ヤマトはどんぶりを抱えている。彼の背後では、腕組みにしかめっ面のココロが仁王立ち。

「お腹が空いたからってのべつまくなし食べてたら、そのうちブタになるって言ってるの」

「育ち盛りなんだよ。一日三食じゃ、とてもじゃないけど男らしくはなれないね」

 身長160センチのヤマトは、身長147センチのココロを見下ろすと、どんぶりに箸を突っ込み、空いた右手の甲で頬に飛んだつゆをぬぐった。

「ごちそうさまでした」

「またおつゆまで飲んだわけ?」

 まだまだ冷たい風を押し退けるような小言。

「塩分は大事だよ」

「汚いおっさんになるんだから」

「そっちこそ、細かいこと気にしてたらシワだらけのおばさんになっちゃうよ」

「肥えてて臭いより、シワだらけの方がいくらかマシ」

「……下半身を冷やすと、将来シワどころの騒ぎじゃなくなると思う」

 白くて細いココロの両脚――その太股を隠すべき黒い車ひだのスカートは、膝上10センチ丈といったところか。

「オシャレよ、オシャレ」

「オシャレで身を滅ぼす女の子が多いって、この前テレビでやってたんだ」

「心配しすぎ。それに年中ミニスカってわけじゃないんだし」

「でもさ、せめてストッキングくらい履いたってさ」

「考えとく」

 人通りの少ない通学路が、確かに華やいでいた。


【2】


 午後2時ごろ。

 ワイドショーで寄川よりかわ市――ヤマトとココロの暮らす街だ――がこの日も紹介されていた。話題は、ひと月前から同市内で続いている夜間の通り魔事件。これを理由に、市は未成年者の午後7時以降の外出を禁じている。

「飽きないよなぁ、テレビも犯人も」

 中津国家の居間でこたつに入り、ココロの作ったネギ炒飯をレンゲですくいながらヤマトはぼやく。

「誰かが困れば誰かが儲かる。よくできた仕組みよね」

 白いカーテンを背負う大型テレビの電源をココロが落とした。彼女はすでに、自分の食器を流しに下げている。

「ねぇココロ、今朝言ってた小説のことだけどさ」

「あれね。読んでみたくなった?」

「なんか暇だから、今夜あたりにね。ちなみにどんな話なの?」

「うーん……前もって言っとくけど、アレ私が書いたんじゃないから」

「……どういうこと?」

「ヤマトと私が出てくるのよ」

 学校の誰かが書いたのかな、とココロが笑った。

(えぇ……⁈)

 ヤマトも笑った。

「そうだ、食べ終わってちょっとしたら買い物行くわよ」

 この日は地元の安売りスーパーの特売日だった。


【3】


 安売りで有名なスーパー、ベネットマート寄川店は、ココロの家から歩いて15分あまりの距離にある。ヤマトはカートを押しながら、BGMのフュージョンを聴いている。

 時刻は午後5時を少し回った辺り。

 任務は幼馴染の荷物持ち。コスチュームは、赤いダウンジェケットにくたびれた青いジーンズである。

(ホントはそばにいてやりたいけど、他の人の邪魔になっちゃうし)

 ココロは青果コーナーへ旅立ってしまった。

 いつものことだ。

 すぐに戦利品を抱えて戻ってくるのも、いつものことだ。

(とはいえ、今日は遅いなぁ)

 ヤマトがスナック菓子コーナーを避難場所にするのも、いつものことだ。

(お店の中だから、何かあったってことはないと思うけど……様子見に行ってみるか)

 ぐいとカートを一押しすると、店内を南に歩き出す。


 日配品売り場にココロがいた。前のめりで彼女と言葉を交わす男もいた。背が高く髪が短めで、肌の色が濃く、顔立ちは軟派。

(アイツ……)

 先月から隣のクラスにやってきた季節外れの転校生で、名を岡崎おかざき 新太郎しんたろう。ヤマトは彼が大嫌いなので、柄にもなく客の波を押し分けてでも、ココロのもとへ駆けつけねばならなかった。

「あ、ヤマト」

 いつものダッフルコートにくるまったココロが、ほっとしたように。

「どうしたの?」

 岡崎の方はつとめて見ずに、ヤマト。

「うん、ちょっとね」

 ほほ笑みつつ言葉を濁し、足早にヤマトのそばへ寄ってくる。彼女が、抱えていた卵のパックと野菜たちをカートの中のカゴに入れてから「……助かった」とつぶやいたのが聞こえたのか、否か。

「よぉ葦原アシハラ、デート中?」

 上下黒いジャージ姿の岡崎がニタつく。

(いつ見ても、いやらしい顔してる)

 誰かの歩みを妨げぬよう、通路の左に寄ったあと。

「そうだよ」

 静かに拡げた右腕で、ヤマトはココロの腰周りを隠した。


【4】


 陽の傾いた歩道。

 乾いて、冷たい。

「よかった、何もされてなくて」

「人前だもん。さすがに手は出されないわよ」

 車道側を行くヤマトの両手には、膨れたベージュのエコバッグが一つずつ。

「いやでもさ……ココロも知ってるだろ。アイツ、矢中やなかさんを……」

 ヤマトとココロのクラスメイトだ。バレーボールの得意な、元気と感じのよい女である。彼女が岡崎に弄ばれたという噂が、校内に広まってしばらく経っていた。

「ヤマト」

 はっきりとしゃべるのが常なココロがささやいた。

「ん?」

 右を向いたヤマトの返事も、ささやくように小さい。

「あのね」

 俯いた少女の声が、少年の耳に障りなく届く。

「片方、持ってあげようかなって」

「珍しいじゃん」

「たまにはね」

「それじゃ、はい」

 風が強めに吹いて、二人の髪がゆらり。

「……よかった。本当に、何もされてなくて」

「うん」

 ヤマトは右手でココロの小さな左手をつかむ。優しく、とはいかない。

「……ん」

 うねる前髪の向こうで、眉が寄った。

「ごめん」

 離れたがる右手と、逃がさない左手と。

「モテる男は、振り返らないの」

 ふふ、と高く奥ゆきのある笑い声が、紅い唇からこぼれ出る。

 車は通らない。

 人も見当たらない。

 アスファルトは硬く、雲のまばらな空は鈍い白。

「……ありがとう、助けてくれて」

 手首をからめて指を組み、生命線を合わせるように。

「当然だよ。いつだって、僕はココロの味方だもん」

 手を繋いで歩く二人は、何かを分け合うことに慣れていた。おやつのケーキが一つだったときも、縁日のかき氷をどちらかがひっくり返してしまったときも。重い荷物を持つときは、ごくまれに。

「ホントに?」

 二人は家族ではない。

 恋人どうしでもない。

 友人どうしでもない。

 幼馴染――その響きにつくろわれた、不出来あたたかまゆの中で。

「ホントに」

 ヤマトとココロは今までずっと、身を寄せ合って生きてきた。

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