7月18日 4
「っていうわけだったんだよ。ところでクラちゃんのことは」
「知らないなぁ」
畳――この国には畳がある――の上。
ちゃぶ台――この国にはちゃぶ台もある――を挟んで、生姜焼きをほおばるヤマトと眠たげなココロ。ここに至るまでに何が起きたのかと言えば。
(ゲーセンから突然戻って来たと思ったらちっちゃな居間っぽいところでちゃぶ台挟んでココロがいて『このリビングはあなたが目を覚ました部屋の隣だよ』って言われて『テイクアウトしてきたから』って生姜焼き定食を出されてとりあえずお腹空いてたから食べながら自分の身に起きたことを話してみたらなんか反応が薄い)
まとめてしまうとこういうことになる。
ココロの住まいであるアパートは、外観にこそ年季が入り過ぎているものの、ヤマトが見た限りでは内装に大きな傷みは見られない。
(絶対、なんか知ってるよなぁこれは……)
そりゃそうだろうね。
『パッと消えちゃったもんだから、とりあえずナマモノの方を私が食べることにして生姜焼きは持ち帰りにしたんだよ』
『パッと消えちゃった、って辺りを掘り下げてもらえると僕としては嬉しいなぁって』
『まぁまぁ。不思議なことは全部カリスマのせいにしとけばオッケーだから』
『……で、なんで一人で帰って来ちゃったの? 消えちゃった僕も僕だとは思うけどさぁ』
『私のカリスマは過去と未来を覗けるの。だからこうなることはもう分かってたってわけ』
『ヤバいよそれホントなら超能力じゃん』
『そういう表現のしかたもあるね』
『あのぉ……カリスマについては何も知らないって言ってたような……』
『何も知らないなんて言ってないよ。知らない、の前に〝よく〟って付け忘れただけで』
先刻こんな会話を交わしていた二人だが、険悪なムードはゼロを通り越してマイナスである。
「でもね、その人が言ってたことは嘘じゃないよ。少なくとも死後の世界……列島部って呼ばれてる場所から来た人のほとんどが、いわゆる日本人を自称するのは本当だから」
「れっとうぶ」
「島が連なってる場所って意味ね」
「列島部か」
天気が崩れたのだろう。調子の外れた水の声が、六畳間を蒸している。
「その言い方だと、こっちの人はアメリカとかインドとかのことは知らないか。列島部ってのは多分、日本列島のことなんだろ?」
栗毛の生え際に汗が滲みかけていた。
「列島部についてはその通り。でも、アメリカもインドも知ってるよ。そっちの地理も歴史も文化も技術も、こっちでは大体わかってる」
背筋を伸ばしたまま眠っているような彼女は、首元まで真っ黒な格好のまま、真っ白な頬に何も湛えていない。
「そんなもんなんだ」
「そんなもんなんだよ」
ファミリーレストランでの『実を言うとね』の続きが、ここで語られているのだろう。
(成人がどうこうって話の時には、僕をからかってたんだな。13歳でオトナってのはホントだろうけど)
ヤマトは楽しくなっている。
「……今さらながら、あなたにとってカリスマだの列島部だのっていうのは突拍子もない話でしょ。すぐには信じられなくない? 夢か何かじゃないかって、本当に思わない?」
「信じられるし、思わないよ。夢にしてはやけにリアルだし、嘘にしては手が込み過ぎてるから」
「見かけによらず大物」
ココロが立ち上がって窓を閉めた。
「まぁそうは言ったって、これでも一応ビックリはしてるんだ。頭の中なんてしっちゃかめっちゃかだしさ。でも、騒いだって何か良いことがあるわけでもないんだろうなって」
「あっちに帰りたいとは」
音を立てずに座り直して、探るような物言い。
「うーん、死後の世界だなんて言われちゃうとなぁ。もしそれが嘘だとしても、どうせ色んなことを忘れちゃってるんだから、このままおとなしくここで過ごした方が得るものがありそう」
「どうやって」
「ふぁ」
ぽかんとしたというのは、こういった目鼻の状態を表す言い回しなのだろう。
「どうやって過ごすの? 住む場所は? 食べるものは? 着る服は?」
畳みかけるというのは、こういった言葉のつなげ方を表す言い回しなのだろう。
「……全然考えてなかった」
「なんてね、預かった以上は面倒見るから大丈夫。一人暮らしだから部屋は余ってるし」
預けたのはどこの誰だとの問いが生まれる瞬間は永遠に来なそうだ。
「め、面倒見るって……」
もちろん、衣食住を提供するという意味だろう。列島部の常識に照らせば、非常に特殊なケースを除いて、15歳の少女が口にする類のフレーズではない。
(そんなことを僕と年の変わらない女の子が……の前に年齢なんか関係ないよ! 一人暮らしの女性が初対面っぽい男にそういうこと言っちゃうのはどうなの⁈)
記憶喪失の状態で押し付けられた信じがたい幾つもの話をここへ至るまでに割とすんなり受け入れてきちゃってるっていうのもどうなの。
「収入はあるからね」
「そういうことじゃなくて、ココロは女の子で僕は男でしょ」
「まさか、一緒に住むなんてことになるとでも思ってるの?」
すすす。座ったまま器用に後ずさるココロ。
「あ、え、お、だ、だって、面倒見るなんて言われたら普通はっ」
ヤマトの目は白黒白黒。
「というわけで、一緒に住もうね」
「は、はぁ。ちょっと、会話のペースを」
「この部屋で」
「待って待ってちょっと待ってこっちに合わせてマトモに喋ってよ! えっと? 収入があるから面倒を見てくれるんだっけ?」
「うん。私のお給料ってけっこうな額なんだよね。それで」
相手の思考のリズムや理解のテンポなど、ほぼお構いなしという風だ。
「待って!」
「そういう待っては一回まで。待ったって話すことは変わらないんだもん、話せることは今話しちゃう。後でいくらでも復習させてあげるから心配しないで。それでね、あなたみたいな住民台帳に名前の無い人を保護するのは私たちエージェントの役目なんだよ。エージェントの元にいれば個人番号の発行やら何やらがスムーズに行くの」
(クラちゃんにしろココロにしろ、銀髪で緑の目の人っていうのはマシンガントーカーなのか……⁈ あ、でもクラちゃんを迎えに来たあの人はそんなことなかったか)
「というわけで、私がむさ苦しいおっさんエージェントじゃなかったことをありがたく思ってください。以上、あなたが私と一緒に住むべき二つか三つの理由でした」
ココロが背中を反らす。胸を張っているのだ。結局のところ褒めて欲しいのだろう――そう思うことで急場しのぎの足場をこしらえ終えたヤマトはしかし、『仕事頑張ってるんだね』などと讃えるのは相手を小ばかにしているようでいけない、と踏みとどまった。まだ本調子でない彼だが、己を翻弄する目の前の少女に対しては間違いなく気を遣っている。
(ありがとうもお疲れ様も後にとっておいて。ここには銀髪碧眼の人がたくさんいるのかとか、僕みたいなヤツは正式には何て呼ばれるのかとか、そういうのも後でいっか)
「年齢の概念って言い方でいいのかな……そういうのが希薄なのにさ、おっさんっていう表現はあるわけ?」
顔つきや声に張りが出て来ていることを自覚しないまま、推定善良な少年は無難かつそこそこ有益な問いを投げる。
「あるよ。子どもとかおばあちゃんとか中年とかもバリバリ現役」
「それって、やっぱ見た目で判断してるんだろ?」
「そうだよ。見た目と生きてる年数はある程度比例するからね」
「だとすると、ココロって全然オトナじゃないんじゃないかなぁ」
ここでクラの容姿を持ち出すヤマトではない。
「見た目は確かに。だから、もしも私に何かあってニュースになった時は『銀髪碧眼の美少女がフィーバー中』って言われるよ」
「被害に遭った設定かと思ったらなんか違った……ごちそうさま」
「食べながらよく喋ってられたね。どうだった?」
「こっちにも割り箸があるんだなって、ちょっと感動した」
「そうじゃなくて、味のことね」
「あー、いわゆるファミレスの味。行ったことがあるんじゃないかな、こう感じるってことは」
後ろに両手をついて、ヤマトは天井を見上げる。楕円形のカバーが白い明かりを透かしていた。
(なんか、突然ソワソワしてきた。だってさ、ここで、ココロと暮らすんだぞ。おはようとおやすみの間にいただきますとごちそうさまを一緒にするんだぞ。オマケに『お風呂どっちが先に入る?』とか『そろそろ醤油が切れるから買い物に行こう』とか言って……まるで、そう、それってまるで……!)
どうにも落ち着かなくて、正面に視線を戻せば相変わらずな彼女がいる。
「ん……そんなに緊張しなくても大丈夫」
「き、緊張なんて」
〝ソワソワ〟の正体を見抜かれた気がして、首から上を熱くする。同年代の美しい異性と、今日から一つ屋根の下。わけのわからない世界にやって来て、いきなり始まる二人きりの生活。
(これで投げ捨てたい過去の一つや二つあれば僕は完璧だ。そういうアニメやゲームや小説が、あっちでは流行ってた気がする。なんとなく)
だんだん調子が上がって来たのだろう。期待や不安の感覚を取り戻し、無意味な思考で平常心を保とうとしている。
「図星かな?」
ココロがはっきりと笑った。
(な、なんて綺麗な)
笑顔にはいくつか種類があるが、この表情はその中でも――。
(明るくて、活発そうで)
唇が紅の逆アーチをかけ、細くて白い眉の下には碧い満月が二つ。
(あれ? もっと見ていたいのに、どうして、急に)
浮遊感に意識が喰われる。
背中が畳と抱き合いたがる。
(次に目を覚ます時、このココロの笑顔だけは忘れていませんように)
こう願う程度には、彼の
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