7月18日 3

 陽気な電子音。

 強い明かり。

 客はいない。

 スタッフもいない。

「ココロは? ファミレスは?」

 一人で歩いて独り言。

(ここがゲーセンだってことは分かるんだな、僕)

 様々なゲーム機の間を縫いつつ思案中。

(いったい、何を覚えていて何を忘れてるんだろう? 覚えてると思ってるアレやコレやが妄想みたいなものだとして。自分が日本人だとか、中学を卒業したのはこの前だとか……あれ? 空っぽだと思いきや、僕の頭の中って意外と色んなことが詰まってるな。でも全部妄想だかゲームだかの中の話なんだっけ。変な気分だなぁ。こういう時って不安になるモンなんだろうに、なってないから余計に変な気分)

 目を覚ましてから初めての、自らと向き合う時間だった。

(ココロに話せば、まとめてなんだっけ……カリスマだ。めんどくさそうな顔してカリスマのせいにしそう)

 右手を、閉じて開いて、閉じて開いて。

(とにかくだ。そのカリスマってやつが、実在してもしなくても)

 するよ。

(どっち道、僕はちょっと変わってるってことなんだろう)

 懊悩ごっこを諦めた彼が見つけたのは、クレーンゲームの前で佇む人影。

(ちっちゃいなぁ。10歳くらい……あ、年齢は気にしても意味無いんだっけ)

 アイボリーの床に裾を拡げる黒服は煙と似ており、その上に小さな頭が乗っている。

(銀髪。ココロとおそろいだ。日本なら珍しいんだけど、ここじゃそうでもないのかも)

 その辺りは、大げさに言ってしまうと世界の根幹に関わるような話題なのでここではひとまず置いておく。

(もう外は暗いんだし、あんなちっちゃい子がこんなトコに一人でいたら危ないよね)

 彼は背後から近づき、右手側に回り込むと。

「ねぇ。君、今一人かい?」

 変質者になりかけた。


 振り向いたのは碧い瞳。

 あごの高さでそろえられた、白金のおかっぱが揺れる。

 唇は血の赤、肌は骨の白。

 幼い形の目鼻が、造りのよい人形を思わせた。

(なんとなくココロに似てる。もしかして妹だったり)

「一人だけど誰かの妹じゃないわよ」

 甘く冷たい声がした。出どころは、少し開いた血の赤だった。

「えっ」

 胸の内を覗かれれば誰でも驚く。

(声もココロに似てる。でもこっちはより子どもっぽくて喋り方はオトナ、っていうか心を読まれ……⁈)

「ビックリした?」

 目の前の〝少女〟がニタリ。

「あの」

「訊きたいことが急に山盛りになっちゃって上手く言葉が出ないでしょ。わかるわよ。アンタは何者なんだとか、自分は何者なんだとか、オマケにあの子も何者なんだとか。ビックリすると頭の中の本棚が倒れて大変なことになるわよねぇ」

 くらりとくらり。

(な、なんだ、急に)

 ふかい。

(底が、見えない)

 髪にも笑みにも瞳にも。

 そこで彼は初めて気づく。自身と〝少女〟と光を除く、全てが止まっていることに。

(いつから)

 わからなかった。

(どうして)

 わからなかった。

(でもなんだか)

 それはまるで。

(心臓が、お腹のところに来ているような)

 顔を知らない母親の、胸に抱かれてまどろむような。

(僕の中の何もかもが、吸い出されてしまうような)

「そんなことしないっての」

 右の眉を上げた〝少女〟に、深みから引っ張り出される。

「なによ人を食いしんぼうみたいに。ちなみに私の好みはもうちょっと熟したお肉だから」

「あ、あぁ、うん、はい」

(この子……より人、の方がいいか。この不気味な人、なんで突然現れたんだ? ん? でも突然現れたのはどっちかっていうと僕の方? ……いいや、今はやめとこう。そんなの気にしてたらこれから先やって行けない、たぶん)

「不気味だのチビだの白髪だのとずいぶん失礼ね」

「そ、そこまで酷いことは思ってないよ」

「私がそうだと言えばそうなの。例えば、あなたの中の常識はそれはそれで正しいものなのよ、って私が言えばその通りになるんだから」

「はい? えっと、ちょっと待って何言って」

「あなたはね、ちょっとした理由で死後の世界から戻って来ちゃったの」

「……私語の世界?」

「つまんないボケかませる根性に10点。で、だから、あなたが持ってるのは死後の世界の常識なのよ」

「おん」

 何を言われても戸惑わなくなってきている彼ではあるが、この時ばかりは流石に固まった。

「カピバラみたいな顔するのはやめなさい」

 カピバラはもっとのっすりしてる。

「あー、続けるわね。でも、あなたはもうこっちの住人。変なことを見聞きしても首を傾げちゃいけないわよ。例えばみんなが日本語……っていうんだっけ? そういうのを喋ってても、えぇと……なんていうんだったかしらあっちでは……スマホだわ。スマホが普及しててもツッコまないこと」

「知ってるよ、そういうのをご都合主義って言うんだ」

 掴める場所は掴むのが、彼の好みなのだろう。

「そんなとこだから、多少の違和感はほっといて早くこっちに慣れてちょうだい。『そんなの気にしてたらこれからやって行けない』っていうのを常に心がけること」

「……いきなりはちょっと難しいんじゃないかなぁ」

 お前は死んでいたのだ、と言われたも同然であるから、〝そんなの気にしてたら〟であってもさすがに眉を寄せる。

「モテる男はガタガタ言わないの。詳しい事情はそのうち嫌でも分かるでしょうし、分からなくたって別に困らないわ」

「なんかいい加減過ぎる!」

「大事な話じゃないってことよ」

 唖然とする彼に、笑みを深めて一歩踏み出す。

「くら」

 くら。

「こ、今度はなに」

 クら。

「私ね、くらっていうの」

 クラ

(いきなり名乗ってきた……⁈)

 脈絡のなさに混乱を極めながら、苦し紛れに辺りを見回す。光と己と〝少女〟――クラを除く、すべてはいまだに夢の中。

「クラ……さん、って呼べばいいですか」

「ちゃん、の方が嬉しいわね。敬語じゃなくても構わないし。ところで」

 またしても脈絡無く。

「綺麗」

 クラの右手の中指が撫でるのはヤマトの左手薬指のリング。

「どこで手に入れたのか全然覚えてないんだ」

(改めて見てみると、不思議な指輪だなぁ。指にピッタリってとこも含めて)

 撫でる指が離れた。

「コレが何なのか、まだ知らないみたいね」

「これ、何かなの?」

「ま、そんなに大したモンでもないから気にすることないわよ。で、カリスマについては……さすがにもう聞いてるか」

 クラの右手が衣の陰に隠れていた。

「私の知ってるお馬鹿さんはこころなんてスカした呼び方するんだけど、無駄にカッコいいから腹立つわ」

 にたにたにたっ。

 黒い衣の側面から、右手が後ろ向きに這い出して来る。

「ク、クラちゃん? ちょっと顔が怖いような」

「内なる声に従いなさい。本能あやまちでもなく衝動きまぐれでもない、それはあなたを素敵な所へ導くわ」

 右手の中身を下目遣いに見やるクラ。

「……どうしちゃったの、急に」

 なんてうつくしい。

論理ねごとこぼれ哲学たわごとは、ヒトが抱いたヒとへの反感あこがれ。それらがきたえる真理やいばは全て、この世の果てでは下卑おれ建前なまくら

 くらくら、くらくら。

「要するに、何でもかんでもに理由を求めなさんなってこと。ああだからこうだ、こうだからそうなるってな具合にね。思考と納得の繰り返しで物事をとらえるのは、愚かなヒトのやり方なのよ」

 絞れば何色の水が滴るかわからないせりふを歌い終えて、クラがヤマトの額を見た――右手の中の紙きれを、小指で器用に裏返しながら。

「まとめると、僕に関するアレコレに特別な理由は必要ない、みたいな?」

「おりこうさん」

 嬉しそうに持ち上がるなめらかな頬は、幼子のものだというのに。

 ちらりと見えた牙の列は、肉を裂くのが楽そうで。

(なんとなくわかる。人間じゃ、ない)

 大きならぎとおそろしさと。

(あぁ……細かいことはどうでもよくなってきちゃうな。なんでだろう)

 歪なくどさがヤマトの目玉を裏から撫でる。

「どう? 少しは状況が理解でき……ってなに気持ちよくなってるのよまったく」

 クラの唇の内側は、もうすっかり隠されていた。

「気持ちよくっていうか、安心したって感じかなぁ」

 ありのままを述べた彼の目尻が、きゅ、とつり上がる。

(足音?)

 それがにわかに聞こえだしたと感じているのは、お喋りに気を取られていたからだ。体ごと振り返って、驚きにまぶたをパカリ。ゲーム機の間を泳いできたのは、長身の男だった。

(ま、また銀髪碧眼黒ずくめだ)

「お待たせいたしました」

 こちらに歩みよりながら軽い挨拶。クラに向けられたものだろう、低めな響きには丸みがある。

「遅かったわねぇ」

「申し訳ありません、道が混んでいて」

 邪魔になるまいと、ヤマトは左に退いた。

「主がお世話になりました」

「いえ、僕の方こそ、なんか遊んでもらっちゃって」

 頭を下げ合う二人。

(様付けか……思った通り、ただの変なアレじゃないんだ)

 腰が低く、穏やかなこの男。

 クラと同じく、首から上と手首から先しか肌の露出のないこの男。

「変なアレって、ほんっとに失礼ねあなた」

「そんなこと思ってないよ」

「オマケにウソつきときた……なんにせよ、こなれてきたようで何よりよ。ねぇ」

「はい、クラ様」

「そういう意味深なやり取りのことも、気にしちゃいけないんだよね、きっと」

「そ。小一時間前のあなたにとっては造作もないことだったはずでしょ。でもこうしてうるさくなっちゃったあなたには、ちょっと難しいかしら」

 のどを反らせたクラを、丁寧なしぐさで抱き上げる男。「じゃあ」ときびすを返した彼の肩口から、碧の瞳がくらくらくら。

「ねぇ、葦原アシハラヤマト

(やっぱり、ココロのとは違う声だ)

 クラが両目が細め、持ち上げた右手の中を見ている。

 男の背中が遠ざからない。

「あなたがあちらを見つめれば、必ずあちらもあなたを見つめる。視線を蝶々結びにしたら、二度と解いてはいけないわ」

 唇が裂けて牙が顕わに――呪文はなむけだ。

むなしいのならいましめなさい。ぎたくなったらえぐりなさい」

 おぞましい響きの中身を、僕の姿うつわが悟るのはいつになるやら。

なぐさめ合うのは、そのあとからで十分なのよ」

 そろそろ戻ってあげて、とクラが告げ終える前に。


「あれっ?」

「ん……おかえり」

 ヤマトはココロの出迎えを受けた。

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