寝惚け眼のビスクドール 1

7月18日 1

 *******


 それはひとヒトとを分けるもの。

 それは最果てからの贈り物。

 それにあらがえば何もかもが滞る。

 それにしたがえば何もかもがうまくゆく。

 本能あやまちではない。

 衝動きまぐれではない。

 偶然さだめでもなく欲望なさけでもない。

 それを私はこころと呼んだ――あなたがカリスマと呼ぶそれを。


 *******


「ん……ねえ、そろそろ起きないと」

 甘くて冷たい声。

 うねりの強い銀髪。

 閉じかけのまぶた。

 碧の瞳。

 全て、こちらを見下ろす少女のものだ。

「おはよう」

 唇は血の赤、肌は骨の白。

 挨拶を返すことなく、彼はぼんやり考えた。

(綺麗だなぁ)

 確かに。

(……何がなんだか)

 彼が目を覚ましたのは、物が少なく狭い部屋の、小さなベッドの上だった。なにもかけず枕も敷かず、クリーム色のシーツに乗って。半そでの無地のTシャツ、ジーンズ、靴下――黒一色の装いで。

(いい匂いがする)

 上半身を起こした彼にとって、この香りはくどくない。

「ほら、こっち」

 いざなうのはアイスクリームのささやき。小柄も小柄なそれの主が、ドアノブに右手をかけている。

 薄茶色の床をかすめる長さのスカート。

 首元から手首までを覆い隠すジャケット。

 黒ずくめの背中で羽ばたくプラチナに、流れ落ちる滝を彼は見た。


 蒸し暑い。

 少女に歩道側を譲り、大通りを左に見ながら歩く並木道。

 ヘッドライトが排気音よりも目立つ時間帯らしかった。

「僕は誰なんですか。あと、あなたも」

 目覚めてからの第一声。音に丸い角がある。『何がなんだか』にしては、彼は落ち着き過ぎていた。

『お腹空いたでしょ』

 こう告げられて、三階建てのいわゆるオンボロアパートから出た5分前。二階の東端の部屋が少女の住居らしかった。

「あなたの名前は葦原アシハラヤマト。植物の葦に原っぱでアシハラ。で、神と書いてヤマト」

 差し出すように。

「私は中津国ナカツクニココロ。川津の中の国でナカツクニ。で、魂と書いてココロ」

 見せびらかすように。

(どんな反応をするのが正解なんだろう?)

 すぐには結論が出ず、彼――ヤマトは次へ移る。

「じゃあ僕とあなたの関係は」

「部下と上司で、オトコとオンナ」

 ファミリーレストランの看板が見えてきた。

「……どういうこと?」

「詳しい話はお店でしよう」

 敬語じゃなくなったね、とまぶたを閉じかけたまま少女――ココロが笑う。

 白い頬。

 赤い唇。

 ほとんど隠れた碧い瞳。

 全てが、人工の光と自然の闇にいやらしく飾られていた。


 ファミリーレストランの駐車場にたどり着いても、問いかけは捨て置かれていた。互いの名前を気に入ったヤマトは、全く気にしていなかったが。

(どうせワケわかんない状況なんだから、いっそのこと何もかも楽しんじゃおう)

 この考えはまったく正しい。

(ココロ、かわいいし)

 キレイなだけでかわいくはないと思うよ。

「ん……ねぇ、見て」

 桃の枝が乗りそうな睫毛で示されたのは、駐車場の隅。若い見た目の男が四人、一人の、これも若い見た目の女を囲んでいる。

「絡まれてる、のかなぁ」

「ああいう現場を収めるのも私たちの仕事なの」

「も、っていうのは?」

「そ。本業は別にあるってことね」

 銀髪が控えめに舞った。


 暗がりなので誰の目にもつかないのだろう。

「ちょ、ちょっと、やめてください」

「何言ってんだお前、そっちから来といてよぉ」

「待ち合わせしてた人たちと間違えただけですっ」

 車道からの音に少々のことは塗りつぶされるのだろう。

「そんな薄着で出歩ってんだ、文句は言わせねえよ」

 もっとも、見つけたところで柄の悪い人間と進んで関わりたがるような者など――

「ん……」

 いた。

「女一人に男四人はズルいでしょ」

 ココロだ。

「なんだ、オマエ」

 女の左手首をつかんだ金髪の男が、振り返って目を見張る。他三人も、振り返って目を見張る。四人そろって体格が良く、威勢もまた良さそうだった。

「通りすがりの人食い鬼」

 至極真面目な答えである。

(ずいぶん怖いことするなぁ。大丈夫かなぁ)

 大股三歩分ほど後ろから眺めているヤマトの中に、男たちへの恐れはない。

「ふざけてんじゃねえぞチビ」

 金髪の威嚇。

 ひょいと踏み出すココロ。

 驚いたのか、三人が金髪を残して道を空けた。

 薄着に厚化粧の女は後ずさる。

「ん……まだ何もされてないみたいだね。気持ち悪かったでしょ? こんなケンカも頭も弱そうなお猿さんたちに囲まれて」

「て、んめぇ」

 挑発に蹴飛ばされた太い左腕が、小さな左手につかまれる。

「私はね」

 濃い体毛に食い込むのは、白くて細い五本の指。

(粘土握ってるみたいだ)

 いわく粘土の主の大きな顔が青くなるのを、少ない明かりでヤマトは見ている。

「話の邪魔をされるのが」

「あっ、え、え、い、痛い、いたっ、ちょ、ちょっと待って」 

 みち。

(ん? 今変な音したぞ)

 聞き取れる者は多くない。

「嫌いなの」

 みぢみぢみぢ。

「お、ごぉぉああああ、おおおッ」

 金髪が絞り出すようにうめき、その場に倒れ込んだ。

「おぉ、おぉあっ」

 左手首の辺りをおさえ、のたうち回る。

 女が走り去ったが、誰も気に留める様子はない。

「ヒビで済ませてる。まったく、騒ぎが大きいんだから」

 つまらなそうな犯人に、残された三人のうちの一人が殴りかかった。喚き散らしているので肝の据わりを褒めてやれない。

(フツーに避けちゃうんだろうな)

 悟るより早くヤマトが動くと、痛みに呻く金髪は右足首を掴まれてトンカチになった。ココロがのんびりと退き、連れがひと暴れするのを眺めていたのはまた別の話である。



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