第9話 大将軍が、来る!

 エリア810の地下室。今ここで、大勢の帝国兵士と王国魔女たちはまさに、運命の分かれ道とでも言うべき状況を抱えていた。


「アトン大将軍が……査察に、来る!!」

 そう切り出した帝国軍司令官、イオタ大佐の言葉に、長机に居並んで座る両陣営の部隊長に、びりっ! とした緊張が走る。


「アトン大将軍。二十年前のコラナンド砦攻防戦の英雄ですね」

 魔女側の上座に座る聖母マミー・ドゥルチの言葉に、居並ぶ魔女部隊のリーダーたちがざわめく。

「お母さんから聞いたわ、もしあの砦を奪還してたら、ここで戦わなくても戦争に勝ってたって」

「帝国内の辺境反乱を鎮圧しまくったっていう、あの?」

「北の大陸からの侵略を食い止めた総司令官だって有名よ」


 そう、大将軍アトン・シーグラムといえば、この魔法王国との戦争は勿論のこと、辺境各地の蛮族平定や別大陸からの侵略戦争で名を馳せた屈強の英雄の名で、その勇名は魔法王国の若い魔女たちにも轟いていた。


 それに対して、頭を抱えているのが機械帝国の隊長たちだ。実はこの大将軍、帝国内部では、有名なもう一つの顔があるのだ。


「えー、それでは、一番の新顔であるステア君に、近況のアトン大将軍の説明をして頂きます」

 そう言った第三小隊隊、ギアの言葉に応えてステアが起立する。本来なら隊長クラスしか出席できない会議ではあるが、つい最近まで帝国にいた彼は、大将軍の今の評判を語るために出席させられていた。


「では申し上げます。英雄アトン大将軍……近年では帝国の皆さんのご存知の通り、『つるし上げ大将軍』『左遷司令官』『正道の水銀流』の異名を取っております……ほんの二カ月前にも、国庫大臣のフォン・ラドン氏が横領の罪を暴かれ、西側の最前線へと左遷されて行きました」


 未だ健在か、と頭を抱える帝国兵。え、マジで?と仲間と顔を見合わせる魔女のリーダーたち。


 アトン大将軍、当年とって65。庶民の家に生まれた彼は若くして兵士に志願し、各所でその力量を発揮して次々と手柄を立てて、ついには将軍の地位まで登りつめた、まさに帝国随一の叩き上げ将軍だ。


 そんな彼のもう一つの顔。それは政治や軍事でのという点に尽きる。平民出の彼は貴族の不正や権力の独占に敢然と立ち向かい、その悪事を徹底的に暴いて帝国内の規律を正し範を示した。

 いわば機械帝国のお目付け役として、何人もの不正を働く輩を厳罰に処して来た、まさに規律と正義の塊のような人物なのだ。


 そんな人物が、810に、査察に来る……ヤバイと言う単語しか出て来ないんですけど。


「と、とにかくだ。今までにも査察に偉いさんが来ることは何度かあった。なので今回も同様に、うまく連携を取り合ってだな」

「今までって、貴族のオッサンとかボンボンばっかでしょ?」

魔法王国こっちからも、男目当てのオバサンばっかだったじゃない、今までは」

「『捕虜の兵士いない?』 なんてスケベ心丸出しで来たババーもいたわねー、よくあれで紫の魔法衣着れるもんよね」


 そう、この最前線への視察や査察は別に初めてじゃない。戦争が始まって数十年の間に、両国からここに数知れぬお偉いさんが来訪していた。

 だが、既に戦争をしていないなかよしこよしな両陣営は、その来る人の人柄をよく吟味して、早々にお帰り願うべく対応して来たのだ。


 物見遊山気分で来た輩には、到着と同時に大激戦(もちろん演技)の渦中に放り込んでやればとっとと逃げ帰ってくれたし、ボンボンやお嬢様が来た時には病気や呪いが蔓延してる風を装えば、お付きの執事やメイドが青い顔をして、慌てて本国に連れ帰ってくれた。


 ちなみに温厚なお年寄りが来た時には、その性格を吟味して、こっち側に引き込んだ事も何度かあった。実はその最たる人物が、魔女聖母のマミー・ドゥルチ様だったりする。


 だが……今回は流石に厄介だ。歴戦の勇者アトン大将軍なら激戦に放り込んでもビビるどころか燃え上がるだろうし、流行り病なんか装ったら本国に飛んで帰って大量の医薬品や医師、そして補充兵を連れて戻って来る可能性大だ。


 なにより嘘や隠し事、不正が大嫌いなアトンがここのを知ったら……少なくとも帝国兵士全員に厳罰が下るのは間違いないだろう。


 そして、その後でこの地は、再び地獄の激戦地としての本気マジな戦場になる。


 それだけは、それだけは、どうしても回避しなければ……さぁ、どうする?


      ◇           ◇           ◇    


 平原に引かれた一本の線のような道路を、機械帝国の旧式三輪装甲車が、ゴトゴトと音を立てて走り、地獄と言われた最前線に向かう。

「アトン大将軍、見えました。あのノシヨ川を渡れば、いよいよエリア810です!」

「うむ! 周囲の警戒を怠るなよ!」


 四人の随員兵士たちに声をかけつつ、ワシ、アトン・シーグラムは、いよいよきたか! と心に高揚を覚える。我が機械帝国最大の敵、魔法王国との最前線、地獄と呼ばれたエリア810に、ついにやって来たのだ。


 若い一兵卒の頃も、部隊長の地位を得ても、英雄と呼ばれるほどの指揮官となっても、そして将軍にまで登りつめても、皇帝陛下は私が望んだこの地への赴任を許可いただけなかった。

 おそらくは私の出世を妬んだ貴族のボンクラ共が、自分に最大限の手柄を立てさせることを恐れて陛下にいらぬ進言をしたのだろう。


 何と愚かな事か。兵士なら国家のためにこそ尽くすべきではないか。あの最前線にして魔女どもの力の源泉を押さえれば、大陸の全てが帝国の元に収まるというのに!

 そのためならこの命も惜しまんと思っていたのに、ようやく赴任の希望が叶ったのは、指揮権も無い『大将軍』というになった後だとは!


 だが、ワシは諦めぬ。帝国のそして大陸の平和のために、なんとしてもこの先で若者を鼓舞し、戦いを勝利に導き、を持たされて分不相応の立場にいる魔女どもの目を覚まさせなければならん。


 その為には、この身命を賭してでも、国家に尽くす覚悟だ!!


 三輪装甲車が船へと変形し、ノシヨ川を渡る。向こう岸にはうっそうとした森が地平線を覆っており、遥か向こうにはエリエット山脈の雪景色が見える。波に揺られながら、自分の死地となるであろう戦場に思いを馳せる。


「ここが、ワシの最後の戦場か」


     ◇           ◇           ◇    


「アトン大将軍、お待ちしておりました」

 船から降りた我々は、現在の司令官イオタ大佐の出迎えを受ける。

「大佐お一人だけとは……恐れ多くも英雄、アトン大将軍のお出ましなるぞ!」

 側近の一人、ガガラ中尉が食って掛かる。確かにここには総勢で百名ほどの兵士が詰めているはずだ。


「申し訳ありません。今は臨戦態勢中ゆえ、皆戦闘準備にかかりきりでございまして」

「それにしても! 大将軍様だぞ、貴様らなど影も踏めぬお方が査察に来られたと……」

「よさんかガガラ、貴様より階級が上なのだぞ、イオタ大佐は!」

 出迎えの人数が少ないからといって波風を立てるなど愚の骨頂だ、平和な所にいるガガラにはそれが分からんのだろうな。まぁ、私の為に怒っておるのだから無下にも出来んが。

 失礼しました、と敬礼するガガラに、イオタ大佐は疲れたように息を吐いて礼を返す。


「おい大将、いつまでも太鼓持ちの相手してないで、準備進めてくれや!」

 森の影にあるテントから顔を出した兵士がそう怒鳴る。呆れたイオタが「おい!」と発した後、やれやれと頭をかきつつ兵士に返す。

「本国の英雄、アトン大将軍様が査察に来られた。ギア、皆を集めてくれ」

「ンな事やってる場合かよ! 魔女どもをぶっ倒すのに将軍も三等兵も関係あるかよっ!」

 バシン! と銃尻を叩いて激高するその兵士。ううむ、戦意が高いのは良いが、こうまで余裕が無いものか? これではまるでチンピラではないか。


「若いの、所属と階級を申告せよ」

「エリア810派遣軍第三小隊長、ギア・ジンエ少尉!」

 こちらを睨み据えて敬礼を返す若造。小隊長と言うからには、もうずっとここで戦い続けているのだろう、その彼がこうまで切羽詰まっているのは、ここの状況にそうまで余裕が無いというのか。


「威勢が良くてよろしい。だがな、気が早っては勝てるものも勝てぬぞ。奴等魔女はこちらの攻勢を待ち構えて罠を張るのが常套手段だ、イノシシ兵は奴らの鍋の具になるだけだぞ」

「うるせぇ! 戦場見物に来てるジジイに最前線の気持ちが分かるか!? 先日も戦闘で俺の部下の一人が死んだ、木人形ゴレムに食われてな!」


「いい加減にしろ、ギア!」

 イオタがそのギアとやらを銃尻で殴り飛ばす。倒れたギアは鼻血を流しながら、ペッ! とツバを吐き、立ち上がって身なりを正すと「イエス・サー」と不機嫌に敬礼をして、大股で森の中に消えて行った。



「なんて規律の乱れだ! イオタ大佐、貴方の指揮権に問題があるとしか思えん!」

 ガガラがまたイオタに突っかかる。確かに平和な帝国の警備任務ならば重大な上官侮辱、不敬罪に当たるだろう。だが明日死ぬかも知れぬ戦場ならば、確かにこういう張り詰め方をするものだ、私自身にも経験があるし、そこに一線を退いた老将軍が顔を出しても鬱陶しいだけだであろうな。


 ほどなくしておよそ百人、一部の見張り以外の帝国兵士全員が集合した。

「こちらにおわす御方がアトン大将軍である、全員、敬礼ッ!!!」

 イオタ大佐の号令一下、全員がザッ! と右手で敬礼を示す。本国のように一糸乱れぬものではないが、全員が力強く、意志を持った敬礼をする。


 ここに来るまでワシは疑念があった。もうこの戦場で四十年以上も決着がつかないのは、兵士に厭戦気分えんせんきぶん(戦いに疲れて飽きた空気)が蔓延しておるのではないか、と。

 帝国兵も本気で敵を打ち破る気が無く、ただ日々を警備と警戒に費やしつつ、小なりの小競り合いだけで日々が過ぎておるのではないのか?


 しかも毎週のように少しづつ戦死者が報告されていた。それが意味するのは大規模な総力戦ではなく、小規模な戦いが散発的に行われていることを意味するものだ。

 兵士たちは自分が死なない事に集中しており、敵を打倒する意思にかけるのではないかと思っていた。だが、今ここの兵士たちの目はギラギラと生気に満ちており、とても『自分だけ生き残ればいい』などと考えている兵士の目では無かった。


 よし、ならばその期待を、確信に変えるとしようではないか。


「兵士の諸君、日々の死闘まことに大儀である。今日は皆の為に土産を持ってきておるでな、交代で心の洗濯をするがよい」

 そいう言って部下たちに持ち込んだ箱を彼らの前に下ろし、封を開けさせる。


「こ、これは……本っ! 写真集!?」

 若い兵士が一番に食い付いてきた。確か先日派遣されたばかりのステアとかいう一等兵の若僧だな。

「おお、み、みんな見ろ。帝国美女たちの写真だぞ、下着姿に水着姿、しかもハダカまで……お宝だ」

 そう言って皆を見回すイオタ大佐に応えて、周囲の面々がわれもわれもと本を手に取る。開いたページに数人が群がり、注視する。


 だが、それはあくまで気の入っていない、いかにも私に気を使って興味を持っているふりをしてるのが見え見えだ。それが証拠に誰も股間がいきり立っておらず、何人かは興味ないと言わんばかりに輪に加わらないでいた。


 隣でぎりっ! という歯ぎしりの音が聞こえた。ガガラが怒りをあらわにして震えている、おそらく私の心遣い、女日照りの兵士たちのねぎらいにと持ち込んだエロ本に反応が薄い事に、腹を立ててくれているのだろう。


「ふ、ガガラよ。彼らはあまり興味がなさそうだな」

「……許せません! 大将軍の気遣いを何だと思っているのですか!!」

 拳を震わせて怒りをあらわにする。その意気は嬉しいが、それでもこれこそが私が求めていた光景なのだよ。

「考えてもみろガガラよ。彼らは日々『魔女』と戦っておるのだぞ」


 え?という顔をする忠臣に、私は彼らの代弁をしてやる。

「女など見飽きておるのだよ、としてな」

「……あ!」


 そうだ理解したな。連日魔女と戦いを繰り広げる彼らにとって、女に欲情するなどありえぬことだ。そう、今までの戦場でも魔女との戦いでAD不能になった者など幾人も見て来た。悪魔のような所業の相手にどうして発情など出来ようものか。


 帝国兵士は女とのので会って、女へのものでは無いのだ。


「で、では……彼らは、あくまで将軍に気を使って、興味のあるフリを?」

「うむ、どうやら見込み違いであったな。彼等は厭戦気分などに浸ってはおらぬ。日々打倒魔女を志す立派な勇者たちだ!」


 エロ本を持ち込んだことでそれを試したが、その甲斐があったという物だ。これならいつか彼らが魔女を打倒し、この世界を平定してくれるだろう。私がここにいる数日の間に、この老骨の持てる全ての知識と経験を叩き込んでやろうではないか!


――――――――――――――――――――――――――――――――――


 アトン大将軍は知らない。


 帝国のエロ本に反応が薄かったのが、彼らが夜な夜な妖艶な魔女たちと地下でイチャイチャしているから、という驚愕の事実を……

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