08 生と死

 父はもう六十歳くらいになるはずだ。それにしては若々しく、黒髪をきっちりとまとめていた。そして、鋭い目で俺を睨みつけた。


「ユーリ……まさか、こんな対面になるとはな」


 俺のことならとっくに調べはついていたのだろう。しかし、どこまで知っているのか。俺は父の質問に素早く答えていった。


「……シアラがお前を探し出したのか」

「そうだよ。俺だって、妹がいることなんて知らなかったさ」


 そして、俺は決定的な言葉を吐いた。


「シアラとは男女の仲だ。子供もできているかもしれない」

「お前……! シアラを汚したのか!」


 父に胸ぐらを掴まれ、顔面を殴られた。口の中が切れて鉄の味がした。


「誘ってきたのはシアラだ。俺は流されただけ」

「こいつ、こいつ!」


 馬乗りになられ、何発も暴行を受けた。これくらいのことは想定内だ。荒く息を吐いた父は、ガシガシと頭をかいた。


「あれにはいくらつぎ込んだと思ってるんだ……」

「デザイナーベイビーだってことも知ってる。バカなことしたね、父さん。子供は親の思い通りには育たないものだよ」


 とどめに一発蹴られて、俺は呻いた。そして、父は部屋を出て行った。痛んだ身体を休めるため、そのまま床でじっとしていた。そのうちに、うとうとしてきて、眠ってしまった。

 扉が破られた音で目が覚めた。飛び起きると、拳銃を片手に持ったシアラが入ってきて、俺の腕を掴んだ。


「早く! 兄さん、逃げるよ!」

「シアラ……?」


 尋ねている暇はなかった。俺はシアラに掴まれたまま、ひたすら足を動かした。俺の息は切れたというのに、シアラは平然としていて、気付けば市街地へ出ていた。路地裏に身を潜め、息を整えて、俺はシアラに聞いた。


「どうやって抜け出した……?」

「父さんを撃った」

「えっ……?」


 サイレンの音が鳴り響いていた。アンドロイドの足音も聞こえた。俺たちはさらに罪を重ねたのだ。


「なぜだ、シアラ。なぜ、そこまでして」

「生理……きてないんだ。あたしはね、この子を守りたい。そのためなら何だってする」


 俺は体力も気力も尽きていた。その場にへたりこみ、必死に頭を整理しようとした。


「お金、なんとかしなくちゃね。兄さんはここで待ってて。あたしが何とかする」


 シアラは駆けて行った。もうその後を追うつもりもなかった。しばらくして、シアラは布のカバンいっぱいに何かを詰めて戻ってきた。


「拳銃持っててよかった。脅してID手に入れたよ。モーテルがあるみたい。行こう」


 移動中に、ニュースの中継が見えた。父は……死んだようだ。俺とシアラの顔写真が大きく表示された。いくらか回り道をして、モーテルにたどり着いた。


「兄さん。あたしの髪、切って染めて」

「わかった……」


 俺はシアラの髪を束ね、ざっくりと切り落とした。わからないなりに多少整えてやり、バスルームで黒く染めた。

 俺の髪も切られた。シアラとは反対に、金髪に脱色された。でも、このくらいでごまかせるものだろうか。


「あたし、もう一度買い物行ってくる。このIDが止められる前に、できるだけ」

「ああ……わかった」


 ベッドに潜り、目を瞑った。シアラは殺人者になってしまった。そして俺は共に逃げる逃亡者。こんな生活はいつまでも続くはずはない。

 しかし、シアラは上手くやった。俺たちはモーテルを転々とした。路上で寝た夜もあった。貧乏暮らしなら慣れていたから、食事を切り詰めるのも平気だった。

 ヨーリスは狭い都市だ。密航して他の惑星に行くことも考えたが、シアラはここでの出産を選んだ。彼女の腹が膨らんでいき、俺は父親になる覚悟を固めた。


「シアラ。この子には罪はない。無事に出産したら、出頭しよう。今の俺たちじゃ育てられない」

「うん……そうだね」


 胎動が始まった。俺は目を閉じて腹に耳をつけた。ぴくん、と跳ねる音がして、俺は驚いた。シアラが笑った。


「あはっ、多分しゃっくりだね」

「生きてるんだな……」

「そうだよ。何年かかるかわからないけど、あたし、この子に母さんって呼んでほしい。罪はきちんと償うよ」


 息を殺しっぱなしの、緊張した日々だった。幸いシアラにつわりはなく、俺は少ない食料を彼女に分け与えた。

 俺はソルダンを思った。あの雪の惑星。あそこで暮らすことができたのなら、どれだけよかっただろう。

 俺たちは最初から間違えていた。兄と妹が幸せな夫婦になれるはずがなかったのだ。

 シアラを労り、俺が動いた。万引きも空き巣も引ったくりもやった。そのどこかで捕まれば、それで運命が尽きたのだと思うことにした。どのみちもう、子供は堕ろせないところまできていた。

 そして、ある夜、モーテルでシアラは出血したのだ。


「どうしよう……兄さん、兄さん!」


 血はダラダラと流れ落ち、止まりそうになかった。もう、なりふりかまっていられなかった。俺は救急車を呼んだ。


「妹を……子供を……助けてください!」


 救急車に乗せられた時には、シアラの意識は途切れ途切れになっていた。


「あたしはいいから……兄さん、子供を……」

「しっかりしろ、シアラ。お前も子供も生きるんだ」

「わかってる……多分、無理だよ。兄さん、愛してる。あたしを母親にしてくれて……ありがとう……」


 シアラは目を閉じた。俺は何かを叫んだ。救急隊員に取り押さえられた。病院に着き、すぐさまシアラは手術室へ搬送された。俺は長い間、ベンチに座って呆けていた。

 産声が聞こえた。

 俺は立ち上がって手術室が開くのを待った。出てきた医師が言った。


「母体は……助かりませんでした。子供は元気です。男の子ですよ」


 俺は我が子を抱くことを許された。黒髪で、琥珀色の瞳をしていた。小さくてふよふよしていて、頼りなかった。これが俺の子か。


「エル……」


 男でも女でも、その名前にしようと決めていた。じきに事情を聞かれ、俺はエルを残して連行された。

 取り調べは長期間に渡った。俺は同じ説明を繰り返した。そのままヨーリスで服役し、迎えに来てくれたのは、シアラの母親だった。エルの親権者となってくれていたらしい。

 俺はシアラの母親のはからいで、惑星ルミスに住むことになった。食品工場のアンドロイドの制御者として働き、少しずつだがお金も貯めた。

 エルとは月に一度の面会を許された。俺は彼に父さんと呼ばせることをしなかった。彼が十二歳になった時、事実を告げた。


「今まで隠してたけど……俺がエルの父親だ。母親は、俺の妹。兄妹の間の子供なんだ」


 エルは利発に育っていた。事情は飲み込めたのだろう。シアラに似た琥珀色の瞳を輝かせ、俺を真っ直ぐに見つめてきた。


「ユーリ。僕は……僕は生んでくれなんて頼んでない」

「そうだな。勝手に作り出したんだ。俺とシアラのエゴなんだ、全ては」

「許すには、時間がかかるよ。けれど、ユーリが僕のことを愛してくれているのはわかってるから」


 エルは細い腕で俺を抱き締めてくれた。俺は一筋の涙をこぼした。罪深い俺たちが作り出した、無垢の塊。それがエルだった。


「ユーリ。シアラとの話、もっと聞かせてよ」

「わかった。長い話になるぞ」


 俺は余すことなくエルに伝えた。それが俺の義務であり、エルの権利だから。俺はどんどん年老いていき、エルは立派な若者に成長した。そして、彼が十八歳になった時、こう提案してきたのだ。


「ソルダンに行こうよ。ユーリとシアラが行きたかった場所」

「いいのか……?」

「うん。僕も雪を見たい。きっとシアラの弔いになるよ」


 船は新しくなっていたが、名前は変わらずナリシスだった。俺はエルと共に移民船での日々を過ごした。

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