06 移民船ナリシス
俺たちはスズキ夫妻として移民船ナリシスに乗り込んだ。船内の個室以外では、ノア、レイチェルと呼び合うことにして、先に乗船していた乗客から歓迎を受けた。
どうやら暇つぶしのパーティーは頻繁に行われているらしい。新婚夫婦の設定だったので、俺はずいぶんと酒を飲まされた。
そこで挨拶されたのが、アルバートというこの船の副船長だった。短い黒髪で背の高い男だった。年は俺と同じくらいだろうか。
「こんな立場ではありますが、オレも旅路を共にする仲間です。気軽にアルと呼んでください」
「よろしく、アル。俺のことはノアでいい」
「よろしく。それにしても若い奥さんだ」
「レイチェルは……ああみえてしっかりしていてね。夫婦共々、よろしく頼む」
アルと握手を交わした。このまま無事にソルダンにたどり着けるだろうか。偽造IDがバレないかどうか、それが気がかりだった。
シアラは疲れたのか、バーカウンターに座っていた。俺はその隣に腰掛け、追加の酒を注文した。
「さっき副船長のアルと話したよ」
「うん、見てた。船長さんは女性なんだって」
「らしいな。今回のパーティーには来ていないみたいだけど」
ここの乗員と乗客とはそれなりの付き合いになる。とはいえ、素性を怪しまれるとまずい。必要最低限の交流だけをして、あとはなるべくシアラとだけ話そうと思った。
俺とシアラの部屋には、ダブルベッドが置いてあり、広いクローゼットと二脚の椅子、テーブルがあった。もちろんシャワーもトイレもついていた。
シアラと一緒にシャワーを浴びて、じゃれ合った後、互いの髪を乾かした。
「新婚旅行だね、兄さん」
「まあ、そのようなもんだな」
「明日は船内一周しようよ」
「じゃあ早く寝ないとな」
「でも……することはするでしょう?」
「はぁ……まったく……」
シアラはより大胆になっていた。性に貪欲なのは兄妹似たらしい。シアラは高揚感からか、やけにしつこく俺を求めた。ぐったりして二人裸で眠ってしまい、アナウンスで起こされた。
「おはようございます。午前八時になりました。乗客の皆さまは、食堂に移動してください」
女性の声だった。俺とシアラはのろのろと服を身につけ、案内表示に従って食堂に行った。ここの乗客は百五十人ほどいるらしい。それがすっぽり収まるほど大きな食堂だった。
「ふぅん……色々選べるんだな、レイチェル」
「あたしパンにしようっと。お米もあるよ」
「俺そっちにする」
隅の方に隠れるようにして朝食を取った。その後は予定通り船内一周だ。施設はどれも有料なので、少し覗くくらいにした。
喫煙所があったので、シアラを外で待たせてそこに入った。そこには先客がいた。黒髪を高い位置で一つに束ねている女性だった。彼女が話しかけてきた。
「済まない……火がつかなくてね。ライターを貸してくれるかい」
「ああ、いいですよ」
その女性の声には聞き覚えがあった。
「あのう、もしかして、アナウンスの……」
「ああ、バレたか。私はクローディア。船長をしている。たまに視察がてら私服でこちらに来るんだよ」
クローディアは人懐っこそうな笑みを浮かべた。とてもこの船を取り仕切っているとは思えないほど柔らかな表情だった。
「俺はノア・スズキです。妻のレイチェルと乗船しています」
「確か昨日乗船したね?」
「はい、そうです」
「夫婦が何組か乗っているのは知っているよ。くれぐれも避妊だけはしてくれよ、医師はいるが産科は専門じゃないんだ」
「あははっ」
人当たりもよさそうだ。しかし、気を緩めてはならない。こちらは身分を詐称しているのだ。クローディアは続けた。
「私も恋人はいたんだがね……仕事を取ってしまった。一生独身だろうな。奥さんを大事にな、ノア」
「はい。ありがとうございます」
クローディアが先に喫煙所を出た。俺も吸い終えて出ると、シアラが言ってきた。
「さっきの、船長さんだって? 話しかけられたよ」
「ああ、そうみたいだ」
「優しそうな人だね、兄さん」
「こら、レイチェル」
「……いけない。ノア」
昼になったので、食堂に行った。量は少ないが、シアラは満足そうだった。
「ソルダンでは雪が降るんだってね、ノア。あたし、雪って見たことない」
「俺もだよ。かなり寒いらしいぞ」
ソルダンでは移民用の仮住居を押さえていた。職に就いて、お金が貯まったら、一軒家を買ってもいいと考えていた。シアラと二人なら何とかなるだろう。問題は、彼女が子供を望んでいるということ。
俺は父親になることがこわかった。妹との子なら尚更だ。自分の父親にいい印象はないし、その子に出生の真実を打ち明けるべきか、黙っておくべきかも迷う。障害が出ないかどうかも心配だ。シアラもそのことは考えてはいるのだとは思うが、いかんせん楽観的である。
「ノア、午後はボウリングしよう。やり方ならアンドロイドが教えてくれるって」
「ああ、いいよ」
この船には人間の他にアンドロイドが配備されていた。少しでも乗員を減らすための工夫なのだろう。俺たちは、アンドロイドにボールの選び方からルールまで、みっちりと教えてもらった。
「あははっ、下手くそだねぇ!」
ガーターを連発する俺にシアラはコロコロと笑った。初めてなんだから仕方ないじゃないか。しかし、シアラは何回かしてすぐにコツを掴み、ストライクを決めた。
「凄いな……」
「身体能力もいいんだよね。そういう風に作られた」
場内には俺たちしか人間がいなかったので、シアラはこんな話をした。
「あたし、母さんのお腹の中で育ったわけじゃないんだって。人工子宮。母体の影響を受けずに外側から管理された胎児だったんだよ」
「そんな技術、できてたんだな」
「技術自体はとっくの昔にね。あとは倫理上の問題。こっそり生まれてるデザイナーベイビーは他にもいると思うよ」
罪深い血族だ。俺も、シアラも、そして父も。俺は自分が子供を持つことなど、シアラと出会うまでは考えたことがなかったから、父の気持ちはわからなかった。しかし、シアラは望んでいる。ソルダンに着けば、俺も流されてしまうのだろうか。
それからの日々は、シアラと順々に施設を巡り、どこにでもいる普通の夫婦のように過ごした。喫煙所でクローディアと会うこともあった。彼女はナリシスのこぼれ話を色々と教えてくれた。
「私の叔父が初代の船長だったんだ。姪の私がこの立場に収まったのもコネというわけだな。結婚も、子供も……もう諦めた。私にとってはこの船が恋人だ」
「使命感が強いんですね。クローディアさんが船長さんでよかったですよ」
「君たちのことは無事に送り届ける。安心してくれ」
月日が経つにつれ、顔なじみもできた。あまり深入りするなよ、とはシアラに言いつけておいたものの、他の乗客の部屋に行ってお茶をご馳走になってくることもあった。そういう時は、俺は一人でベッドに横になり、今までのことを思い返していた。
思えば遠くまできてしまったものだ。男娼だった俺が、人並みの幸せを手に入れようとしているなんて。あの時シアラに買われなければ、ネオクーロンの片隅で孤独死していたに違いない。
俺は形見のネックレスを取り出した。母が今の俺を見たらどう思うだろう。妹と通じ、他人として生きることを決めた俺を。俺はソルダンに自分の骨を埋めるつもりだった。雪とはどんなものかわからなかったが、その下に眠るのは素敵なことかもしれない。
ナリシスでの生活は二ヶ月が過ぎ、すっかり油断していた、その時だった。
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