03 兄と妹

 ゆっくりと目を開けると、シアラの輝く金髪が見えた。俺は彼女を腕の中に入れたまま眠っていたようだった。頭痛がした。昨夜は調子に乗って飲みすぎたか。


「シアラ……」


 形のいい額を撫でると、長いまつ毛がぴくりと動いた。


「兄さん……おはよ……」


 そして、俺は唇を奪われた。


「んっ……!」

「えへへ。朝の挨拶」


 いたずらっぽくシアラは笑い、むっくりと身体を起こした。


「はぁ、あたしお腹すいちゃった。トーストでも焼くよ。兄さんは?」

「俺は……頭痛い。薬あるか」

「あるよ。飲むにしても何か食べてからの方がいいよ」


 俺はダイニングテーブルの椅子に座って待った。シアラはトーストとリンゴのジャム、コーヒーを出してくれた。


「朝食なんて何年も食ってないよ……」

「これからは毎朝作ってあげる。兄さんの好きな食べ物も教えてね」


 食べ終えた後、薬を飲み、しばらくソファでぼおっとした。シアラは俺の目の前で緑色のワンピースに着替えた。


「兄さん、体調どう?」

「マシになってきた」

「美容院行こうか。髪、どれくらい切ろうか? 長いのもカッコいいけどね」

「シアラの好みに合わせるよ」

「じゃあ長さはそのままで、揃えてすいてもらうだけにしよう」


 美容院なんて行くのは初めてだ。ネオクーロンの怪しい床屋で適当に刈ってもらったことしかなかった。それでもそこそこ値段がするので、伸ばしっぱなしだったというわけだ。

 明るい店内に通され、髪を切られた。マッサージまでされた。頭痛もすっかり取れた。シアラはソファで雑誌を読んで待っていた。


「どうだ、シアラ」

「いいじゃない。次は服だね」


 着られればそれでよかったので、服にはこだわりがなかった。俺は着せ替え人形になり、シアラの持ってきた服を次々と試着した。兄さんは多少派手でも似合いそうだから、と柄の入ったシャツなんかも着せられた。


「ふぅ……靴も買えたし、このくらいかな。あとは兄さん、欲しいものある?」

「甘えていいのか?」

「もちろん」

「じゃあ……タバコ」


 シアラは目を丸くした。


「タバコって、あの? 煙出るやつ?」

「ああ。前時代的だろ? それが好きなんだよ」


 俺たちはネオクーロンの闇市へ行き、紙タバコとライターを買った。路上に出て、早速一服した。


「ああ……久しぶり……」

「煙たっ。あたしにも一口ちょうだい」

「多分キツいぞ?」


 俺は吸いかけのタバコをシアラにくわえさせた。


「けほっ……」

「ほらな?」

「兄さん、凄いね」


 シアラはタバコの箱を白い指で弄んだ。


「ピース?」

「うん。日本のタバコ」

「兄さん、日本の血入ってるもんね」


 もう昼食時だ。そこかしこから食べ物の匂いがしてきていた。


「シアラ、屋台行くか」

「あたしネオクーロンの屋台初めて」

「旨いぞ。馴染みの店あるからそこ行こう」


 俺はヌードルの店にシアラを連れていった。禿げ頭の店主が俺の顔を見るなり叫んだ。


「ユーリ! もう死んだかと思ってたぞ!」

「俺はしぶといんだよ。二つくれ」

「そっちのお嬢さんは?」

「詮索するな」


 俺が箸をシアラに渡すと、彼女はしげしげとそれを眺めた。


「あたし、これ使ったことない」

「ああ、まずはさ……」


 シアラはメチャクチャな持ち方でヌードルを食べた。すするのも上手くできていなかった。まるで口に詰め込むかのようにしていた。


「で、シアラ。この後どうするんだ」

「考えてなかった。とにかく兄さんの身なりを整えさせたかったからさ」

「一旦俺の部屋に戻らせてくれないか。大事なものがあるんだ」


 部屋に戻り、クローゼットからネックレスを取り出した。


「それが大事なもの?」

「うん。母さんの唯一の形見。父さんから貰ったって聞いてる」


 それは細いチェーンに一粒のパールがついているもので、とてもじゃないが俺はつけられなかった。ネオクーロンに落ち着くまで、俺は住むところを転々としたが、それでも失くさずずっと持っていたのだ。


「それにしても兄さんの部屋、物少ないね。引き上げるのが楽でよさそう」

「やれればそれでよかったからな」

「兄さん、セックスって気持ちいい?」

「相手と場合による」


 客が取りにくくなってからは、無茶な要求にも応えるようになった。痛みに耐えて時が過ぎるのを待つようなこともあった。心の底から安息を得られるような、そんな交わりなど、とうの昔のことだった。


「あたし、したことないんだよね」

「へえ?」

「教えてよ、兄さん」


 シアラが俺に寄ってきた。


「……おいおい。俺は男としかしないんだよ。それに俺たち兄妹だろ」

「そっちの趣味だったの計算外だったんだよねぇ。それと、あたしは気にしないよ。古代エジプトでは姉と弟が結婚した」

「それから何世紀経ってると思ってるんだよ」

「元々あたしは非倫理的な存在だから。今さらインモラルなことを重ねてもどうってことはないの」

「……どういうことだ?」


 シアラの琥珀色の瞳が妖しくきらめいた。


「あたし、デザイナーベイビーなの。親の思い通りに遺伝子を操作されて生まれてきた。もちろん違法だよ」

「ってことは、父さんが……?」

「完璧な子供が欲しかったんだって。でも、成功したのは見た目だけ。知能は平凡だった。だからよく殴られたよ。あんなにお金かけたのにって」


 淡々と語るシアラ。どこからどこまでが真実なのかわからなかった。しかし、その容姿が予め作られたものだとしたら納得がいくような気がした。


「だからさ、兄さん……」


 俺はシアラの肩を掴んで遠ざけた。


「俺は嫌だ」

「ケチ。まあ、無理やりしても気持ちよくなさそうだもんね。兄さんがその気になるまで待つよ」


 シアラは自分の髪を耳にかけ、ぺろりと舌を出した。俺は反射的に頭を小突いてしまった。


「兄さんいたーい」

「調子に乗るな。大体、俺はお前の話を全部信じてるわけじゃないんだからな」

「あたしは本当のことしか言ってない。兄さんには嘘つかない」


 まだ見極める必要がある。どのみち逃げるアテもないし、俺はシアラと行動を共にするしかない。

 シアラのマンションに戻り、買った服を寝室のクローゼットにかけていった。


「兄さん、夜はピザにしようよ。どれがいい?」

「俺、野菜と辛いものは苦手。それが乗ってなけりゃなんでもいい」

「むぅ……けっこう絞られるなぁ。ホワイトソースのやつとかは?」

「それでいいよ」


 届くまで、シアラに色々質問してみることにした。


「シアラはどこで育ったんだ?」

「惑星ルミス。父さんの仕事が仕事でしょ。待遇はよかったよ。勉強漬けだったけどね。テストで一位にならないと鞭が飛んできた」

「俺の記憶の中の父さんは……優しかったな」

「あたしにとっては恐怖でしかなかった。父さんの期待に応えるために毎日必死。まあ、指定通りのルミスの大学に行けなくて、ようやく見放してくれた感じかな」


 俺は期待されていなかった子供なのだろう。今ならよくわかる。俺で失敗した分、シアラに全てを託したのだと考えてもいい。

 ピザを食べて、シャワーを浴びて、ベッドに入った。シアラはまた、俺の肌を求めた。


「……キスしていい? 兄さん」

「まあ、キスくらいならな」


 俺たちは舌を絡めた。シアラの甘い吐息が漏れた。


「この先……したくなっちゃった」

「ダメだ」

「あたし、兄さんを堕としてみせるよ。とりあえずお金で縛れたでしょ。次は心を縛る」

「まったく……とんだ妹だよ」


 俺は腕の中にシアラを入れてやった。兄妹ごっこも悪くない。彼女を利用してやろうじゃないか。

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