02 金髪の美少女

 シアラとエレベーターに乗り、二十五階まで上った。通された部屋は、リビングの他にもう一つ部屋があるらしかった。暖色系のカーテンにカーペットの温かい内装。家具も明るい木目調。趣味は悪くない。


「ユーリ、コーヒー飲める?」

「ブラックなら」

「ソファで待ってて」


 オレンジ色のふかふかとしたソファに座った。ガラスのローテーブルが置いてあり、壁にはスクリーンがかかっていた。

 ほどなくして、豆のいい香りがしてきた。シアラは白いマグカップを二つ持ってローテーブルに置いた。


「ありがとう」


 コーヒーなんて久しぶりだった。酸味が少なく飲みやすかった。何か混ざっていないだろうか、という心配はあったが、黙って飲むより他はなかった。シアラが口を開いた。


「何から話そうか……戸籍見せるのが早いかな。わざわざ紙で取ったんだよ」


 シアラは一旦立ち上がり、紙の束を取り出してきた。一枚目にはシアラの名前が乗ったもの。父親欄にはマキシム・ウィスターの名前があった。


「えっ……」

「ここから遡っていくの。これが父さんの今の婚姻関係で……こっちが離婚歴。ほら、ユーリの名前が出てきた」


 紛れもない。俺とシアラは腹違いの兄妹の関係だというのだ。


「ははっ……嘘だろ?」

「あたしもさー、びっくりしたよ。自分のルーツを知りたくてね。父さんに内緒で調べてみたらこれ。写真もあるよ」


 シアラは端末を見せてきた。そこに写っていたのは、幼いシアラが男性に抱き上げられている様子。その男性は、記憶にある父親と寸分違わなかった。


「AI生成とかじゃ……ないよな」

「する意味がないじゃない。これであたしがユーリを買った理由、わかった?」

「ああ……」


 俺の父親……マキシム・ウィスターは、女を作って出ていった。母親は、父親と、憎い相手の血が流れる俺のことを憎み、酒に溺れた挙げ句に自殺した。

 それから、父親のことなどすがるつもりもなかった。もう俺は忘れられた子供だからと、存在すら思い出さないようにしていた。シアラは続けた。


「留学の名目でこっちに来てさ。ユーリが身体売ってるのを知って。じゃあ何とかしてあげようって思ってね。妹だもの」

「シアラは、学生なのか?」

「そうだよ。でもお金なら大丈夫。父さんね、今、星間飛行船の船長してるの。稼ぎはいいんだ。元手が父さんなら安心でしょ。ユーリも父さんの子供なんだから」


 しかし、俺にとって都合の良すぎる話だ。戸籍だっていくらでも偽装できるだろう。シアラには他に目的があるのでは、という考えは置いておこうと思った。


「ユーリ、お腹すいてる?」

「うん……」

「ハンバーグあるよ。食べる?」

「食べる」


 出されたハンバーグを俺はガツガツと食べた。まともな食事なんて久々だ。シアラは目を細めて俺の様子を見ていた。これが最後の晩餐になってもいい。それくらい旨かった。


「お風呂入ってきなよ、ユーリ。シェーバーも買ってあるんだ。スッキリしておいで」

「悪いな」


 バスルームも広く、清潔感があった。俺はきちんとヒゲを剃った。シャンプーで伸びっぱなしの髪をしっかりと洗った。出てくると、下着姿のシアラが待っていた。


「ちょっ……」

「ああ、そろそろかなぁって思って。次あたし入るよ。着替えなら準備してあるから。はいこれ」


 手渡されたのは、グレーのもこもこしたルームウェアだった。三十代の男が着るには可愛らしすぎるが仕方がない。

 それから、シアラは何のためらいもなく下着を脱いだ。スレンダーで美しい体型が嫌でも目に入った。


「おい、シアラ」

「家族なんだし恥ずかしがることないじゃない」


 そう言って、俺とすれ違いにバスルームに入っていった。家族、という一言が俺の胸を刺した。

 髪と身体を拭いて、もう一度戸籍を読んだ。シアラの言っていたことと、俺の記憶と、ここの記録は合っていた。父が新しくもうけた子供が彼女。

 それにしても似ていない兄妹だ。俺の母親は日本人で、その血が濃く出ていた。対するシアラは西洋的な雰囲気で、目鼻立ちもくっきりしていた。

 部屋をあさろうかと思ったが、カメラがついていないとも限らない。俺は大人しくソファに座っていた。シャワーの音が消え、ドライヤーをかけながら下着姿のシアラが出てきた。


「……だから服、着ろって」

「まだ暑いんだもん。ここはあたしの部屋だしどうしようと勝手じゃない」


 シアラの長い金髪は乾かすのも大変そうだ。彼女は冷蔵庫からボトルを取り出した。


「ワイン飲む?」

「おお……酒!」


 俺はシアラそっちのけで飛び付いた。彼女はワイングラスになみなみと白ワインを注いでくれた。それを一気にあおった。


「……旨い!」

「よかった」


 ドライヤーを終えたシアラは、俺が着ているのと形が同じ白いルームウェアを身につけた。それから俺の隣に座り、自分のワインを入れた。ボトルは瞬く間になくなってしまったのだが、シアラが追加を持ってきてくれた。


「はぁ……生き返った……」

「お酒、好きなんだね。たくさん買っておいてよかったよ」


 目覚めたら鎖で繋がれていた、なんていうオチでもいいや。とにかく今を楽しもう。俺は先のことは考えずにどんどん飲んだ。


「……お前、本当に美人だな」

「お前じゃなくてシアラ」


 気付けば俺はシアラの頬を触っていた。ふにふにとつついてみると、とても柔らかかった。彼女もまんざらでもなさそうで、されるがままになっていた。


「ユーリもカッコいいよ。最初に見たときは、あんまりみすぼらしいからどうしようかと思ったけど」

「若い時は美少年だ何だって褒められたもんだよ」


 初めて客を取った時のことを思い出した。優しい中年の男で、男を悦ばせる術を一から十まで教えてもらったものだ。シアラは俺の髪を触った。


「明日、美容院に連れていってあげる。整えてもらおうよ」

「ん……」

「ああもう、ここで寝ちゃダメ」


 俺はシアラに腕を掴まれ立たされた。そして、別の部屋へと押されていった。そこにはダブルベッドが置いてあった。品のいいアイボリーのシーツがひかれていた。


「ユーリ、一緒に寝よう」

「うん……」


 酔いで頭が回っていなかった。とにかく身体を休めたかった俺は、ベッドに飛び込んだ。シアラが隣に横たわってきた。


「ふふっ、ユーリ、可愛い」

「オッサン相手に可愛いとか言うなよ……」

「ねえ……兄さんって呼んでいい?」

「好きにしろ……」


 シアラは俺の頭を撫でてきた。懐かしい感触だな、と感じた。こうして誰かに優しく扱われたことなんていつ以来だろうか。それが、本当かどうかわからない妹だとしても、俺にはどうでもよかった。


「兄さん。あたしが一生一緒にいてあげる。大好きだよ」

「あっそう……」


 こんな美少女に歯の浮くようなことを言われたら、普通はぞわりとしてしまうだろう。男しか知らない身体でよかった。


「あの部屋も引き払ってさ、こっちにおいでよ。一緒に暮らそう。その前に服とか靴とかかな。明日は美容院と買い物だね」


 話が勝手に前に進んでいた。俺は相槌すら打たずにシアラの琥珀色の瞳を見つめていた。


「兄さん……ぎゅってして」

「ん……」


 俺はシアラのか細い身体を抱き締めた。熱を持った肉体の心地よさ。それは男でも女でも変わらないと思った。


「おやすみ、兄さん」

「おやすみ……」


 俺は目を閉じた。シアラの鼓動が伝わってきて、それが心を落ち着かせてくれた。泥に沈むかのように眠りに落ちた。もうこれで目覚めなくてもいいや、と思えるほど甘美なものだった。

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