二重螺旋のイノセンス

惣山沙樹

01 ネオクーロンの男娼

 

 狭いワンルームで、俺は男に貫かれて喘いでいた。


「あっ、はぁっ、はぁっ」


 本当は声を出すのは好きじゃない。多少演技しないと客が悦ばないからしていることだ。男は容赦なく俺の足を広げ、奥をこすりつけてきた。


「もっとください……」


 そうお願いしてみせると、男の動きは激しくなった。とっとと果ててほしい。


「ユーリ、出すぞ」

「はぁっ……」


 良かった。これで電気代が払える。もう少しで止まるところだった。男が引き抜いたので、俺はコンドームを外して男のものを綺麗に舐めた。


「送金はしておいたから」

「ありがとうございます」


 男は手早く服を着た。俺はしばらく動く気がしなくてそのままだった。男は俺を見下ろして言った。


「もう君とは最後だから」

「えっ……そんな」

「三十四歳だろう、ユーリ。今まで情で抱いてやっていたけど、身体売るにはとっくに限界過ぎてるんだよ」

「あのっ、俺」

「じゃあな」


 男は非情に出ていった。取り残された俺は、ベッドに仰向けになり、情事の残り香に包まれた。

 家賃をどうするかだ……。三ヶ月分滞納してしまっていた。食事もギリギリまで切り詰めているし、趣味である酒もタバコももちろん我慢していた。

 十五歳の時に母親に死なれてから、男に股を開くことで生きてきた。若い時は良かった。いくらでも需要があった。

 金持ちに囲われて、いい暮らしをさせてもらっていたこともあった。でも、次の子が見つかったからと着の身着のまま追い出された。そうしてたどり着いたのが、宇宙移民の吹きだまり、このネオクーロンだった。

 腹が減っていた。昨日から何も食べておらず、もう夕方だった。俺はデニムをはいて黒のシャツを着て、もうかかとが潰れてしまっているスニーカーをはき、外に出た。

 ネオクーロンの居住区の中には闇市が存在した。俺がいつも行くのは、賞味期限が過ぎた食料品を安価で売りさばいてくれる店だった。そこでチョコレートバーを買った。少しずつかじってゆっくり食べれば腹がもつ。

 新しい客を探さなければならない。俺はけばけばしいネオンの光る雨の路地裏をすり抜け、飲み屋の立ち並ぶ通りに出た。同業者だろう。声をかけている若い男の姿もあった。

 俺はチョコレートバーを一口かじり、残りをデニムのポケットに突っ込んだ。そして、猫なで声で男に話しかけた。


「一晩、どうですか。安くしておきますよ」


 結果は散々だった。黒髪は肩まで伸び、ヒゲも剃っておらず、歳もかさんだズタボロの男を誰が買うものか。ついには突き飛ばされて、地べたに尻をついた。


「はぁ……帰るか……」


 若い男はどうやら成功したらしく、スーツ姿の男の手を握りどこかへ消えて行った。雨に濡れた髪をかきあげ、俺は重い足取りで自分の部屋の電子錠をカードで開けようとしたのだが……開いていた。

 かけ忘れたということはない。出る時に施錠音を確かに耳にした。俺は震える手で扉を開けた。「彼女」がベッドに座っていた。


「お帰り、ユーリ」


 まばゆいストレートの金髪は腰まで伸びていた。肌の色は白く、なめらかそうで、陶器のようだった。琥珀色の瞳は、ぱっちりとした二重のラインの中に収められ、それが真っ直ぐに俺の目を見つめていた。


「……誰だよ」


 彼女は立ち上がった。背は低い。淡い水色のワンピースは膝下の丈で、裾がふんわりと揺れた。


「あたしはシアラ。あなたを買いにきたの」


 シアラと名乗るこの少女の顔も名前も覚えがなかった。買いにきた? 俺を? 何を言っているのかわからない。


「どうやって入った……」

「ああ、ここの仕組みって何世代も前だから。ジャンク屋で買った解錠システムで普通に開いたよ」


 シアラが近付いてきた。そして、俺の頬を小さな手でつうっとなぞった。


「ずっと会いたかった……」


 そして、俺の胸に飛び込んできたのだ。うっすらといい香りがした。俺はシアラを引き剥がした。


「何なんだよ、いきなり。この不法侵入者」

「あはっ、ごめんね。つい」


 年の頃はわからない。まだ少女のように見えた。だから俺は言った。


「お嬢ちゃん、悪ふざけはやめてさっさとおうちに帰りな。ここには金目のものは何もないぞ」

「お嬢ちゃんはよしてよ、ユーリ。あたしこれでも十八歳なんだよ」


 俺はシアラが言っていたことを思い出した。


「買う、って……何言ってんのかわかってんのか」

「だってユーリ、男娼でしょ?」

「男専門だ」

「それも知ってる。その上で買うって言ってるの。家賃も滞納してるしろくなものも食べてないでしょう? あたしが面倒見てあげるから、あたしのものになりなよ」


 どこまでシアラは俺の事情を知っているんだ。とにかく問い詰めるしかないと思った。


「なんで俺なんだ。俺の名前も家もどこで知った。お前は何者なんだ」

「あーもう、一気に質問しないでよ。あたしの部屋に来てくれたら、ゆっくり答えてあげるから」


 シアラは俺の鼻を人差し指でつんとつつき、子供っぽくはにかんだ。可憐な動作だったが、状況が状況だ。不気味にしか思えなかった。彼女は言った。


「とりあえず、家賃払ってあげる。送金先、教えて?」

「……本当に払ってくれるんだろうな」


 俺はテーブルの上に置いていた督促状を引っ張りだしてシアラに突きつけた。彼女はいとも簡単に全額払ってみせた。


「はい、じゃあ今夜はあたしの部屋に来てもらうね」

「……わかった」


 本当に払うなんて。シアラは口だけではないようだ。その言葉の真意も確かめたかったので、俺は従った。

 シアラはタクシーを呼んだ。運転手はアンドロイドだった。識別番号を示すバーコードが頬にプリントされていた。


「イーストゲートまで」

「かしこまりました」


 後部座席に二人で乗り込んだ。イーストゲートというと……比較的治安がいい場所だ。シアラの身なりも綺麗だし、三ヶ月分の家賃を払ってしまうことからすると、それなりに金持ちらしい。

 どうせこのままだと、のたれ死んでしまう身だ。どれだけ酷い目に遭っても構わないし、シアラの言うことにも賭けてみようかという気になったので、俺は黙って窓の外を眺めた。

 車は薄汚いネオクーロンを抜け、一旦大通りに入った。道は混んでいて、のろのろと進んだ。シアラが俺の手をさすってきた。


「ユーリの手、大きいね。身長も高いもんね」

「やめろよ……」

「このくらいはいいじゃない」


 シアラの爪は短く切り揃えてあった。俺も行為の時に客を傷付けるとまずいので、深爪にしていた。シアラの手は俺の手の甲を覆い、組み合わせてきた。俺はもう好きにさせることにした。


「ユーリはさ……父親のこと、覚えてる?」


 そんなことを聞いてきた。今までの感じだと、シアラは俺の家庭事情も知っていると思った方がよさそうだ。


「覚えてるよ。どうしてそんなことを聞く」

「まあ、それは後でね。覚えてたか、よかったぁ」


 渋滞を抜けたようだ。車はスピードを上げた。ひっそりとした住宅街に入り、シアラはさらに細かく位置を指定した。小綺麗なタワーマンションの前まで着いた。


「ありがとうございます」


 アンドロイドにそんなことを言うなんて、シアラも変わっているなと思った。


「さっ、行こうかユーリ」


 ここまで来てしまったんだ。引き返すことはできない。何が待ち受けているかはわからないが、あのワンルームで飢え死にするよりマシだと思い、俺はシアラに着いて行った。

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