第9話


「なかなかこだわりが強いんですねえー」


巡回してきたキツネが僕を見て、そう零した。


「まだまだ見飽きていないだけだよ。もっと体験してみたいんだ」


僕もキツネの小さな皮肉をそう返すと、


「まあ、なんでもいいですけれど。私たちとしては、キチンと落ち着いてくれるのならば」


と言って手を差し出す。


「何?」


と聞くと、


「途中確認ですよ」


と切符の提示を求められた。

服の内側のポケットに丁寧に入れておいた葉っぱを取り出す。


「やっぱりまだ空白ですねえ」


と残念そうな声をあげて、キツネは葉っぱを返してくれた。


「そんなに空白であることは、不都合なの?」


と疑問に思っていたことを聞くと、


「オオミヤさんは気持ち悪くはないんですか?不安ではないんですか?

行き先が分からないことについて」


そう言うキツネの言い方は、まるで、自分が何者であるのかが分からなくて、不安にならないのか?と僕には聞こえた。


「キツネは……自分が何者であるのか分かっているの?」


と僕は少しの意地悪を込めて、聞き返した。

それに対してキツネは、少しだけ目を見開いて、


「……見れば分かるじゃないですか?オオミヤさんは分かりませんか?」


と両手を広げて、自分が着ている制服を目一杯に彼は広げた。


「電車の車掌……だよね?」


と僕が答えると、


「それ以外に何か?」


とキツネは少し小バカにした声で聞き返した。

だから僕も、


「じゃあ、キツネは僕が何に見える?」


と僕もキツネと同じように、両腕を広げて見せた。

それに対して彼は、


「不審者」


と即答した。

僕はその答えに、座席からズッコケそうになった。


「学生だって分からないの?!」


と聞くと、


「ガクセイってなんですか?」


と彼は聞き返してきた。

それを聞いて、僕は目を一杯に見開いた。

今聞いた単語が、聞き間違いじゃないかと思ったのだ。


「学生……って知らないの?!」


と聞くと、


「知りませんよ。その……ガクセイ?って。何をする人ですか?」


とキツネは怪訝な顔で尋ねてきた。

どうやって説明しようかと僕が悩んで、


「勉強をする人のことだよ」


と伝える。その答えにキツネはまだ分からないといった顔で、


「勉強をする人?一体全体、何がしたいんですか?」


と聞いてきた。

僕はどう言えば、彼が分かってくれるのかが分からなくて、頭を抱えた。

そんな僕の様子を見て、


「まあ、オオミヤさんはその……ガクセイという者なんですね。よく分かりませんが」


とキツネはそう言った。


「まあ、何はともあれ、早々にオオミヤさんが居着ける場所が見つかればいいですね」


と彼は言って、別の車両に移ろうとした。

その時、チリンチリンと甲高い鈴の音がまた鳴った。

僕は急いで、


「ねえ!この鈴の音色は何なの?」


と去りゆく彼の後姿に声をかけた。

キツネはゆっくりと僕の方を振り返って、


「鈴の音?……聞こえるんですか?」


と怪訝な顔のまま聞いてきた。

まるで、聞こえたらイケナイ音のような響きを持って問われたから、僕はやっぱり怯んだまま、


「え?……うん。聞こえるよ、鈴の音が」


としどろもどろしながらも、伝えた。


「そうですか。聞こえますか」


とキツネは片手を顎に添えて、考え込むポーズをしてから、


「そのうち分かりますよ」


と答えになっていない答えを吐いて、去って行った。


「だから何なんだよ……」


と僕はキツネに向かって、小さく零した。

彼が答えないと分かっていて。



それはいきなりだった。

ある日学校から帰ったら、家の中が妙に静かだったのを覚えている。

変に静かすぎて、不気味だった。

まるで、この家には初めから僕しか居なかったと言われても、納得できるような空気感。


「ただいま……」


そう言っていつも母さんが居る場所に向かう。

しかし、そこに母は居なかった。


「母さん?出かけているの?」


そう言いながら、壁の予定表を見に行く。

誰がいつどんな予定なのか、家族内で共有していた。

しかし、そこに母も父も何も予定が書かれていなかった。


「ちょっと買い物に行っているのかな?」


僕はあまり深刻に考えずに、母の帰りを待った。

夜の8時になっても二人とも帰ってこなかった。

それまでにも何十回も電話をかけた。

母や父の実家の方にも電話をかけた。

祖父母が出たが、何も知らなかった。

僕は焦った。二人がこんな遅くまで何も言わずに出かけることなんて無かったから。

電話をしてもメールをしても返事はなし。

真っ暗闇の外と比例して、僕の気持ちも沈んでいった。

このまま二人が帰って来なかったら……

そんな考えが頭をよぎった時、ドアが開く音がした。

急いで玄関に向かうと、そこには母だけが立っていた。


「母さん……」


そう不安な眼差しで母を見ると、母さんは憔悴した顔で、


「……          」



『次は~月の休憩場~月の休憩場~』


母さんが何と言っていたのか、車内アナウンスの声にかき消された。

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