第13話 女殴ってそうな男が、本当に女を殴ったってだけの話よ。

「この空の青さを、縁は知っている!」


 天を指さしてユカリが叫びます。


「市民プールに来ました!」

「……なんの宣言??」


 既にテンションの高い縁、縁に突っ込むエーデルワイス、エーデルワイスの水着姿に見とれている陽、陽にいかに泳ぎを教えようかと思案する優。


 この土曜日、四人は市民プールに来ていました。


「ヨウの特訓という名目で遊びに来ただけだよな、これ」

「教わる側だからあんまり強く言えないが、ちゃんと教えてくれるんだろうな……?」


 そんなことをぼやく優と陽は、サングラスをつけていました。

 何を隠そう、二人は健全な男子高校生。クラスメイトの異性の水着をまじまじと見ているとは思われたくなかったのです。


「YO、YO」

「んで、このラッパーはなんだよ」

「お前のこと呼んでるんじゃないか?」

「まさか」

「ヨウ先輩! また無視ですか!?」

「まじかよ」

「というか芝蘭堂先輩、なんですかその似合わないサングラスは? そんなにユカリの水着姿に目を奪われるのが恥ずかしいですか?」

「芝蘭堂くんの呼び方、まだ決まってないんだ……」

「サングラスの意図バレバレじゃん」

「バカ言え、オレはここへ源さんの水着を見に来たんだ。後輩と戯れる予定は入ってねぇ」

「え、泳ぎの練習しに来たんだよね……?」


 なんとなく体を隠すようにするエーデルワイスでした。


「てかお前競技用水着じゃねーか。部活で見慣れてんだよ」

「逆にえっちじゃないですか?」

「逆じゃなくてもえっちなんだよ」

「なんだか思ってた反応と違います……」

「ユカリ、今のそれで流すの……?」

「いえ、その……どう返していいか分からなくて、無難な返しで逃げちゃいました!」


 縁は顔を真っ赤にしていました。


「はっ、所詮は“後輩”か……」

「無駄に一年多く生きてるだけの男が何言ってんだよ」

「お前やっぱオレの敵だろォ!」

「そんなこと言ったって、アキラ先輩が部活中のユカリを日頃からえっちな目で見ていた事実は揺るぎませんからね!」

「…………」

「あ、目が泳いだ! 意外とサングラスの上からでも分かるものなんですねえ!」

「クソが、こんなもん!!」

 

 自棄になった陽はサングラスを外してしまいました。


「ドンキで数千円したのにな……」

「あはは……」


 優も同じように素顔を晒したあたりで、痺れを切らしたように縁が言います。


「ではそろそろ、いつまでもプールサイドで喋ってないで遊びましょう! 不安だったら浮き輪持ってきてもいいですよ、アキラくん!」

「だから遊びにきたんじゃないっつーの!」

「えへへ~!」


 そう言って二人は入水していました。


「えっと……」


 エーデルワイスはそっと優へ話しかけました。


「狭衣の面倒を見なくていいのかい? あの二人だけだと何するか分からないぞ」

「……一緒に行かないの?」

「僕はまだ一人でいるよ。どうせもうじき誰かが僕に気づいて、騒ぎになる。その時、一人の方がいいだろ?」

「そっか。……そうだね、分かった。それじゃあ、先に行ってるね」


 エーデルワイスは優のクラスメイトですから、優が一般人に見つかった時、どのような事態になるかよく理解していたのです。頷いて、縁と陽の後を追っていきました。


 残されたのは優一人でした。


「……それで? 休日にまで何の用だよ」


 優が視線を向けたのは、プールサイドの庇で日陰になっている場所にしゃがみ込んでいる、三つ編みシニヨンの白髪少女。


「ご挨拶ね。わたしとあなたは、共闘関係にある同志だっていうのに」


 純白のフリルビキニがその美しさを一層引き立てている、装い新たな野分なのでした。


「ツツジがあんなザマなのに共闘もなにもないだろ、ノワキ」

「あなたがツツジを落としてくれないと困るのは変わらない」

「自分が注目されないと嫌だからって? そのノワキがツツジよりモテないって話、あんまり信じられないんだよね。あんなやかましい奴イヤだろ……」

「前にも言ったでしょ、わたしには華がない」

「それもピンと来ないんだよな。僕からしたら二人とも変わらない」

「わたしもそう思うわ。でも、わたしが思うだけじゃ意味ないのよね。何がどれくらい美しいかは大衆が決めることでしょ」

「大衆とかどうでもいいけど、僕は今のノワキの方がツツジより可愛いと思うよ」

「この露出度の高い服装を見てそう思ったなら、それは性欲に流されてるって言うのよ」

「じゃあ訂正する、普段からノワキが一番」

「口説くならせめてちゃんとやってくれる?」

「僕はいつもこんな感じなんだよ」


 言いながら、優は野分の隣に腰を下ろします。


「……今日は妙にわたしについて訊いてくるのね。初対面の時はあんなに興味なさそうだったのに」

「初対面の人間のモテ具合に興味持てって方が無理だろ。ノワキといいツツジといい、自分しか見えてないヤツは相手のことを考えないから苦手なんだよ」

「美人にまともなやつはいないのよ。多少横暴でも、周りが許しちゃうから。問題ね」

「全くだ」

 

 その点に関して二人の気持ちは完全に一致していました。


「あなた、ツツジが嫌い?」

「…………」


 唐突な質問に優は黙ってしまいました。


「ツツジが好きだからストーカーしてたってあれ、嘘よね。昨日とかはもう隠す気もなさそうだったけど」

「嫌いじゃないよ。興味がないだけだ」

「どうでもいい相手をストーカーだなんて、する方もされる方もたまったものじゃないわね」


 普通にされる方が何倍も嫌でしょう。


「それに関しては正直、相手があの性格で助かってるよ。普通の女性だったら精神的被害の方面を考えながらストーカーしなくちゃいけなかった」

「それでもストーカーはするのね……」

「何考えてるか分からないクズだと思われないように言っておくと、ツツジのことを好きになりたいってのは本心なんだぞ」

「歪だわ。お互いがお互いのことを好きでも何でもない、どうでもいいと思ってるのに、そんな相手に近づくために必死になってるの。バカみたいだわ」

「てことはやっぱりノワキから見ても、あいつは僕のことが好きでもなんでもなさそうか?」

「ええ。変なプライドが暴走してるだけね。惚れさせてやるとか息巻いてたけど」

「それならいいんだ。安心したよ」


 この返答にはさすがの野分も頭を抱えました。


「……本当に意味が分からない。いっそ、ミステリアス感の演出でわざと適当な言動してるように思えてきた」

「いやいや、さすがにそんな意味のないことはしないよ。ただ、種明かしにはあまり期待しないでほしいかな」

「密室殺人、実は壁抜けできる超能力者の犯行でした?」

「そんな感じそんな感じ」

「それは……ふふっ、かなりくだらないわね。分かった、あなたに直接聞くのはもうやめる」

「うん、ありがとう。助かるよ」


 それは野分にはつまらないごまかしに思えたでしょうが、あの冬、三手白の社にて説明された《恋目》にまつわる魔術の原理を口にできない優にとっての、精一杯の誠意でした。


「ああそうだ、意趣返しってほどじゃないけど僕からも言いたいことがあるぞ」

「なに? 今は少し気分がいいから、多少のことなら笑って許してあげるわ」

「ノワキ、他人がどうでもいいなんて嘘だろ。じゃなきゃ休日に市民プールまで来たりしない」


 そんな優の言葉にも、野分はやはり薄く笑みを浮かべて。


「わたし、親友想いなのよ」


 嘘とも真ともつかぬ徒言を紡ぐばかりなのでした。



   ☽



「……で、ノワキ。これからどうするんだよ。もう帰るのか?」

「なによ。今ので綺麗に話締められたじゃない。はやく場面転換しなさい」

「ノワキにそんな力があったら、次の瞬間には僕とツツジが恋人同士にされてそうで怖いよ」

「それいいわね。正直、付き合うまでの過程とか説得力とかめんどくさいし。お互い顔がタイプだったからなんとなく付き合いました。どう?」

「いや、僕は小さい積み重ねを大事にするタイプなんだけど……」

「その顔で?」

「この顔だから」

「…………」


 すると野分は「そう」と慳貪な返答と共に優を一顧、ひかえめに寄越されたその視線を優が気にした風でもなくいなしていると、野分は呼吸一つ、立ち上がり、つくなんでいて痺れ気味だった脚を動かし、日の当たるところまで移動します。


「せっかくここまで来たんだから、泳ぎましょう、変態ストーカー」


 そうして中天から差し込む陽の眩しさに目を細めながら、日陰の美少年へと手を差し伸べました。


 優は彼女に近づいて言います。


「僕が誰と来てたか忘れたのか?」

「わたしを優先してくれないの?」

「君たちは自分を過大評価しすぎるところがあるよな」

「君じゃなくてノワキ」

「……ありゃ、気を付けてたのにな」

「わたし、一々名前で呼ばないと機嫌悪くなるタイプのヒロインだものね?」


 笑顔の野分。彼女はわりと根に持つタイプのヒロインでもありました。 


「残念ながらこのギャルゲはロープラだから、ノワキは非攻略ヒロインなんだよね」

「今からツツジを殺してくれば、わたしを攻略してくれる?」

「直球で言えばいいのか? ノワキと二人では遊びたくない」

「更科優が女を連れていてなにかおかしい?」

「とっかえひっかえしてるみたいな僕の一般的なイメージ、あれ間違いだよ」

「その顔で?」

「この顔だから」

「もうその問答はいいから……ほらっ」

「えっ――うわっ!」

 

 いつまでも自分の手を取らない優にまたしてもしびれを切らした野分、優の腕を掴んで強引にプールへと引きずり込んだのです。水飛沫高く上がり、一瞬でずぶぬれになった髪をかき上げながら、文句の一つでも言おうとプールサイドを見遣る優の横に、さらに水飛沫。野分が飛び込んできたのでした。


「いや、普通に危ないぞ今の!」

「――ぷはっ」


 水中から浮き上がってきた野分は口を開けて息を吸います。解けた長い髪の白銀は光を反射する水面の中でいっそう透明感を増しており、してやったりと笑顔の野分は比喩ではなく煌めいていました。今度は冗談でなく今の野分が一番かわいいなと思った優です。


「あなた、そんな驚いた顔もするのね」

「二人に通報されかけた時もこんな顔だったろ」

「あれは焦り顔。あれもレアね。さっきからずっと涼しい顔でニコニコしてるだけだったから、たまに脇腹でもつついて崩してやらないと」

「表情豊かな方だよ、僕は。ノワキが知らないだけで」

「あなたの連れがこっちを見ているわ」

「それは大変だ」

「嘘つき」

「こっちの台詞だよ」

「あら。ならこれならどう?」


 言って野分、優に水をかけます。 


「まったく……無気力そうに見えて、意外とやんちゃするよな」

「その表現は嫌。お茶目って言って」

「僕が褒めてると思ったのか?」

「違うの? 幻滅した?」

「そもそもノワキに、幻滅するような理想を視たことはない――なっ!」

「きゃっ」


 優に水を掛け返され、驚いた野分は後方へ倒れるように沈んでいきました。


「それくらい素直な方がかわいいと思うよ」


 水中にいる野分には聞こえない優の本音でした。


 そして、その時ばかりは優も多少の油断をしていたのです。ゆえにふと余所へ視線を向けた時、


「おう、そこの水も滴るなんとやら! んなとこでなにしてやがる!」


 ちょうど運悪く、十数メートル先にいる陽たちと目が合ってしまったのでした。


「やば」

「ぷはぁっ――もう、いきなりなにす……べぼっ!?」


 今ノワキに浮上されるのはちょっと困るな――優は浮かび上がってきた野分の頭を抑えて、再び水中へ沈めました。


「センパイたいへんです! アキラくん見込みゼロです! 冗談抜きで能力者の可能性を考えてしまいます!!」

「助けて、更科くん……私たちにはもう無理かも……」


「え、そんなレベル? 流れるプールなんだから通常より泳ぎやすいはずだろ……?」

「(ごぼぼごぼぼぼぼごぼぼぼぼぼぼぼぼっ……!!)」


 ――な、なに!? あいつに頭押されて上がれな――あ、口開け――水飲んじゃっ――苦しい、苦しい苦しい! もう息が! このままじゃ死んじゃうっ! なんで急にこんな――お願いだから手をどけて!


「このオレに教えられるもんなら、教えてみやがれ!」

「あ、もうそういう態度で行くことにしたんだ。よほど手応えなかったんだね」

「(ごぼ……ごぼぼ……っ……)」


 ――これ洒落にならない! ほんとに苦しい苦しい苦しい死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ! ……え、スグル、本気でわたしのこと殺そうとしてるの? なんで、わたしそんなに疎まれてた? そんな嫌われるようなことした? 分かんない、分かんない……辛い……!  


 優はさてどう言い訳したものかと思案しました。そうしてとても賢い優はすぐに気が付いたのです。自然に陽たちの誘いを断ることのできる「理由」が眼下にいることに。


「そっちに行きたいのはやまやまなんだけど、今ちょっと溺れてる人を見つけて……ほらここに、よいしょっと」

「――はっ、はっ、はぁっ、こ、こほ、ごほっ……はぁーっ、お、ごほっ、こほっ、おぇ……はーっ、はぁーっ……」


 優は赤子にやるように野分の両腋を支えてサルベージします。


「――ならオレらと話してる場合じゃねえだろ! さっさと監視員に知らせて……」

「ユカリたちも協力しますよ!」

「いや、ちょっと水飲んじゃったぐらいみたいだし……まあ、とりあえずそういうことで、一旦プールサイドに上がるよ」

「……更科くん」


 虚空を見つめたまま酸素を取り込むのに精一杯な野分を背負って、優はプールサイドへ。

 陽たちが見たのは後ろ姿だったことに加え、水に濡れた前髪が顔を隠していたため、野分の素顔が彼らに見られることはありませんでした。


 日陰に戻り、弱り切ってぐったりしている野分を横に寝かせてから、言います。


「ごめんね。ノワキのことがバレるわけにはいかなかったんだ。生きてるよね?」

「……う……えぐ……うぐ……うああぁぁ……」

 

 困惑と恐怖と安堵とないまぜになった野分は泣いてしまいました。


「よっぽど苦しかったのか? 溺死については詳しくないけど、1分くらいなら平気だと思ったんだけどな」


 水中で器官に水が浸入した際の苦痛と、障害が残るほどではないものの、低酸素の状態がしばらく続いたことによる脳機能の一時的な低下。これら現在の野分に起こっている症状がいかほどのものか、優は知りません。尤も、知っていたところで優の行動は変わらなかったのですが。


「な、なんで……なんでなの……?」


 意識が朦朧としていて理性の働きが弱まっている野分の口調は、普段よりいくらか砕けていました。


「ごめんなさい。わたし、自分ばっかりだから、人の気持ちとか、分かんなくて……わたしがなんかした? スグルを怒らせちゃった? ごめんなさい、ごめんなさい……」

「落ち着けよノワキ。少し考えれば自分が悪くないことくらい分かるだろ」

「気を付けるから、許してください……息できないの辛いの、ずっとこのままかもしれないって怖いの、苦しいのは、い、イヤだから……ごめんなさい……」

「…………」


 ――これはノワキの精神が脆いのか? それか死の恐怖を前にすると人間みんなこうなるのか? ……まあいい、とりあえずこの女を正気に戻そう。このまま話が通じないようだと愈々猿と大差がない。


 上体を起こした野分を優はそっと抱き寄せて、背中をトントンと優しく叩きながら、噛んで含めるように言いました。


「ごめんな、ノワキ。辛かったよな。僕は少しやりすぎちゃうところがあるからさ。ごめんな。でも、気づいてくれて嬉しいよ。僕がなんであんなことしたか、分かってくれたんだろ?」

「うん、うんっ……わたしのせいで、わたしが自分ばっかりだから……」

「それが分かったなら、もう僕もあんなことしないよ」

「ほんとう?」

「ああ。だって僕は、ノワキにそれを自覚してほしくてああしたんだ。そして、ノワキはその期待に応えてくれた。なら、もうする必要がない。分かるよな?」

「うん、分かる……」

「よかったよ。ノワキは偉いな」

「うん……」


 ――野分は自分に非があると勘違いしている。ならそれを無理に否定するんじゃなく、あえて肯定した上で、こっちはもうそのことを気にしていないと告げてやる方がスムーズだ。

 ――思考力の低下している人間は指示語を多用されると、自分の中で納得のいく物事を勝手に当て嵌めてくれるから楽でいいな。


 優は誰よりも人間が嫌いでしたが、同時に誰よりも人間を分かっていたので、この手の対処はお手のものでした。


「正気に戻った時が怖いね。ビンタの一発や二発は覚悟しておかなきゃだ」


 そうボヤく優は体育座りのまま空を仰ぎます。春の昼空は嘘のように晴れていました。 

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