第14話 この画像を彼氏に見られたくなかったら……分かってるよな?

 週明けの白住学院。

 週末ぐっすり眠って頭をスッキリさせた躑躅は、流石にあの優の言葉が嘘であったことに気づきました。


 ――よく考えたら、やっぱりスグルは私のことが好きじゃないと思うわ! なんか様子おかしかったし! 

 ――でもだとしたら、あれってどういうことだったのかしら!? すごく気になるわ! 


「あー、まず最初の文、『東路あづまぢの道の果てよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人……』についてだが、この“東路”ってのはお前ら日本史でやってるよな、七道の一つ“東海道”だ。じゃあそれの果てってどこだって言うと、今でいうところの……」


 ――ああもう、先生うるさいわ! 全然考えがまとまらない!

 

 躑躅の思考がとっ散らかっているのはなにも授業のせいではないのですが、躑躅はカンカンでした。


 ――いっそのこと、今聞きに行くわ? 水分高校まで、そんなに遠くないし……。


「いいか、この“あやし”の意味はバラバラに覚えるんじゃなくてだな……」


 ――うん、やっぱり今聞きに行くのがいいと思うわ! 普通の人は「思い立ったが吉日。今日中にやればいいや」とか言って先延ばしにしちゃうけど、美少女の私は即断即決なんだわ!


「先生!」

「どうした十六夜」

「授業サボります! 早退させてください!」

「別にいいが、三年じゃ卒業できないと思えよ」

「ありがとうございます!」


 それだけ言って、すたこらさっさ、躑躅は風のように下校していきました。


「十六夜は日本語が通じないからやりにくいなぁ」


「ツツジちゃんに言うこと聞かせたいなら殴って躾けるしかないと思いますよー」「あいつ美少女のフリした野生の獣ですし」「あととりあえず容姿褒めとけば大人しくなります」「躾けのために殴ったらわんわんうるさかったんでドッグフードあげたらおいしいおいしいって食べてました!」「あれかわいかったよねー」「ね、なんでもあげたくなっちゃう」


「うむ……村田先生が犬を飼ってると言っていたし、今度話聞いてみるかなあ」


 白住学院2年A組は大型犬を飼っていました。



   ☽



 それから数十分後の水分高校。


「教科書の十六夜日記ですが、あんなのを一々やっていたらいつまで経っても受験対策に入れないので飛ばすことにしました。それよりも入試で頻出の仏教説話を中心に取り扱っていきますのでそのつもりで」


『………………』


 毎年多くの難関国公立合格者を輩出している進学校のこちらは、いたって真面目。授業中の私語もなく、いきなり教師の話を妨げて早退するような不届き者も当然おりません。


「…………」


 優と陽も、黙々と単語帳と教科書を突き合わせて内容の読解に取り組んでいます。エーデルワイスもいつもどおり真面目です。


「…………」


 それは現代日本のいたるところで見ることのできる、平和な授業風景でした。


「――スグル! いるかしら!? ……ぜぇ、はぁ……あ、いたわ! やっと当たりの教室引いた!」


 躑躅が到着するまでは。


 彼女は大きな音を響かせて教室のドアを開け、威風堂々の笑顔を見せていました。


「ねえスグル、週末のあの言葉ってホントはどういう意味だったのかしら! 私、自分で考えたけどぜんぜんなんにも分からなくて、もう全身がむずむずしてしょうがなくて!!」


 躑躅は首に流れる汗もそのままに、勝手知ったる我が家とでもいう風でずんずんと教室の中を歩いていき、優の席の前まで来てしまいました。

 

「スグル!」

「…………」


 ――他人のふりをしよう。


 優は決意しました。


 自然、対応は教師へと回されます。


「誰ですか、あなたは。授業中ですよ」

「私のこと知らないの? 遅れてるわね! 美しい乙女に喩えられる花をその名に冠する超絶美少女JK、十六夜躑躅よ!!」

「その制服は白住学院のものですね? なぜ白住の生徒がここに?」

「とっても頑張って走ってきたんだわ!!」


 ――こっちをプールに沈めるべきだったな。


 強く後悔した優でした。


「ねえ、やってることヤバいけどあの子めちゃくちゃかわいくない?」「あれじゃない? 【夜のアザレア】とかって恥ずかしいあだ名でネットに晒されてた子」「あぁ、無銭飲食したのに美少女無罪で許されてた?」「ん? ああそれもあったっけ、ウチが言ったのは自転車当て逃げした方だけど」


「あいつが『財布を持たずに出かけても困らない方の性別』ってぶっ叩かれてた十六夜躑躅か」「奇跡の一枚とかじゃなくて実物もマジで美人じゃん」「前にも言ったけど、やっぱあいつ『天音のどか』に似てね? 目元とか」「このAV女優の追っかけキモすぎんだけど、誰か一緒に絞めね?笑」「お前の口調もキモいよ」

 

「でも、なんで急にここに……?」「なんか更科君のこと呼んでなかった?」「なに、まさか更科君の彼女? ショックなんだけど……」


「なるほど」


 生徒たちの会話に耳を傾けていた教師は、この場で誰に何を聞くべきか正しく理解しました。


「更科さん? この子は貴方に会いに来たと言っているようですが、まさかお知り合いですか?」

「スグル、なんかそれっぽい理由であの先生を説得して? それで落ち着いて私の話を聞くんだわ!!」


「いえ、知らない人です。怖いです」


「スグル!?」

「そうですか。では学年主任に引き渡しますが、よろしいですね?」

「なんで! ねえ、スグル言ってくれたわ!? 私のこと好きって言ったわ!? あの言葉の真意を聞くために私はここまで来たのに、嘘つくのはやめるのよ!!」


「え~、あんなに言うってことはやっぱり彼女なのかなぁ? おおやけになったらいくさが起こるから隠してるだけで」「更科君は彼女とか作らないって信じてたのに……」「まああれだけかわいかったら、うーん……」


「私のことかわいいって! 好きって言った!!」


「彼女はこう主張していますが?」

「あ、思い出しました。先週、その人が落としたハンカチを拾ったことがあって、それで多分…………」


「「「あーー…………」」」


 この一言で、クラスの全員が納得しました。


『道端で偶然出会った優に一目惚れして、妄想を拗らせた末に学校まで追いかけてきてしまった可哀想な少女』


 という見解で一致したのです。


「まあ更科君ならしょうがないよね」「ハンカチなんて拾ってもらったら『優しい……もしかして私のこと好きなのかな?』ってなっちゃうよ……」


「まーた更科優の“顔”にやられた被害者かよ。さすがに今回は憐れすぎて叩く気にもならんわ」「お前が叩いてたのかよ」「顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔、顔と顔の物語」「これ凸ってきたのが美少女じゃなくて中年ハゲおやじだったらこんな騒ぎにならなかったんだろ? しょーもな」「それは普通に事件なんだよね」


「島田さん、騒がしいですけどトラブルですか」

「江川先生、ちょうどよかったです。白住の子がいきなり――」

「なんで! なんでなのよぉ!! わんわんわんっ!」


 そうして無事に学年主任の先生に引き渡された躑躅でした。



   ☽



 約10分後、授業が終わると同時に優は教室を抜け出しました。「あんな弩級のストーカー女と関わる必要はねぇんじゃねえのか?」と陽に言われた優は、「僕にも惚れさせちゃった責任があるから」といつもの適当な調子で答え、生徒指導室へと向かいました。生徒指導室と言っても厳密にはそういった名前の教室があるわけではなく、空いている会議室を臨時で使うだけなのです。そのため本来なら場所を探すのに苦労するはずなのですが、


『わんわんわんわんわん!!』


 という犬の泣き声が屋上にまで響く勢いだったため居場所の特定は容易でした。


 優が到着したとき、教室内では学年主任と躑躅が言い合いをしていました。


「てことでまあ、この件はとりあえず白住の方にも伝えないと行けないから」

「嫌だわ! あの学校普通に教師が体罰するのよ! 私が美しいもの相手なら強く出られないの知って、わざわざ美人教師寄越して私をタコ殴りにするの!! あれちょー痛いから嫌だわ!!」

「んん~? そいつは道理が通らねえなあ。これだけの騒ぎを起こしといて御咎めなしってわけにもいかねえだろうが」

「ふん、どうしてあなたみたいなジャガイモ顔に道理を通す必要があるのよ? 私に上から物を言いたいなら更科優に生まれ変わってからにすることだわ」

「てめぇこの雌ガキが!! 白住に連絡されたくなかったら俺の言うこと聞けやァ!!」

「ひえ~! 不細工が怒った!」


「すみません江川先生」


「どぅわああああ更科!? いつからここに……」

「そいつを脅迫して言いなり●便器にするのは構わないんですけど、」

「構って!! もっと私のこと大事にして!!」

「先に話したいことがあるので、後にしてくれませんか?」

「なななな何のことだ? 先生はな、その、事態を穏便に済ませるための教育的指導がどうのこうので~……あ! そろそろ次の授業が! すまんな更科、その女生徒の対応はお前に任せた! 頼むぞ!」


 そう言いながら、学年主任はそそくさと立ち去ってしまいました。


「もっと早く来てほしいわ? 大人の男と二人きりで、ぐすん、怖かった……」

「(笑)」

「なんでだわ!? 私は年端もいかない幼い美少女!」

「その胸で幼いは無理でしょ」

「突然ド直球のセクハラだわ!? たしかにノワよりはずっと大人びてるけど!」


 エーデルワイスほどではないにせよ、躑躅もそこそこに大きかったのです。


「いきなり人の学校に乗り込んで授業ぶち壊したくせに、随分と偉そうだな? 江川に加勢しようか悩んだくらいだぞ」

「くぅ~ん」


 あんまりいじめると泣いちゃうぞ、の合図でした。

 優もこれ以上わんわん喚かれると流石に面倒だということで、いくぶんか態度を和らげることにしました。


「それで、どうしたんだい? 先週の言葉がどうとか」

「そうよ! その話をしに来たんだわ!」


 待ってましたとばかりに元気を取り戻す躑躅。人はパーソナルな話をする時ばかりは謎のエネルギーが漲って饒舌になるものです。躑躅にとっては『美』がそれでした。


『僕はツツジ、君のことがもっと知りたいんだ。ストーカーだってそのためにしてたんだよ』


『え? そうそう、好き。でもその前に、僕は君のことを何も知らないだろ。ストーカーで遠くから見てるだけじゃ人の本質的な部分は分からない。だから、君をもっと好きになるためにも、こうして実際にお話して仲を深めようかと思ってさ』


「あれ、嘘だわ!」

「嘘じゃないよ」

「なら、私のこと好きって言ったのは?」

「本当だよ。好きだよ」

「ノワとどっちが好き?」

「同じくらい好きだよ」

「…………」


 表情を変えずニコニコ笑顔の優を、躑躅はじっと見つめます。


「……どうして、本当のことを言ってくれないの?」

「急にどうしたんだよ」


 ここまでは優もおざなりでした。いつもの笑顔でした。


「私は、こんなに真剣なのに……スグルに比べると、私なんかずっと醜いから? だから適当なの?」

「……っ!」


 しかし優、思わぬ反撃を食らい、思わず目を見開き、思わず一歩後退していました。思考など立ち入らない反射の世界で、優は冷や汗をかいていたのです。


「それならそうって言ってほしいわ? 私はいつだって本音よ? 『美』に嘘はつけない。つきたくない。だって『美』それそのものが私を生かしてくれるから、私を私にしてくれるから。私より美しいものには敬意を払う。私より醜いものは見下す。私という存在を規定する定規はこれ一本、他者を測るにもこれ一本。正しいかは分からない、けれどこの先これだけはずっと変わらない、私だわ」

 

 躑躅ならでは、でした。一般人では、低すぎる。唯一同じ目線に立てる野分は他人に興味がなく、また優では、高すぎる。躑躅の世界の高度。ちょうどいいというにはあまりに外れ値。それこそ神の奇跡のような美貌、しかし“本物”ではない。そこまでは行き過ぎない。そんな微妙な、絶妙な位置に生きる者だけが持てる世界。十六夜躑躅という世界。


「私、スグルも私と同じ景色を見てると思ってたわ。私ほどこだわりが強くなくても、なんとなくぼんやりと、近いものを……」


 躑躅の声の裏の壮絶な悲哀に、優は気づきません。


「でも、スグルにとっては、遠かった? だからなの? 分からない……」


 躑躅の右手が、優の左頬に触れます。眉を下げた躑躅の顔が、しかし、優には見えません。


「分からないって、醜いわ。理解できないことは、私の外側ってことだから……」


 躑躅の左手が、優の右頬に触れます。躑躅の言葉の緊張が、しかし、優には感じられないのです。


「あなたは、更科優は、こんなにも綺麗なのに。世界でいちばん美しいのに――分からないあなたは、とっても醜く見える」


 優の顔を手前に引き寄せて、額同士をくっつけた躑躅は、その実、今にも泣きそうだったのです。落ち着き払った表情は、彼女の美に対する誠実さの裏打ちでしかなく、彼女自身の心の有様を映したものでは決してなかったのです。


 それこそ処女を捧げるような決死のナラティブ、だがそれすらも相手には響かない。躑躅は海よりも深い失意の中で、コンクリートのように動じない相手を、それでも信念をもって殴り続けます。

 その顔、かの美しきものは文字に偽りなく手元にあり、額と額はたしかにキスをしていて、宝石をはめ込んだような互いの瞳の距離は世界のなによりも密接だというのに。


「……そうなのね」


 それなのに。


 躑躅の瞳には優が映らない。目を開くと彼が逃げてしまうのです。

 優は瞳に躑躅を映さない。彼は目を開かないのです。


「スグルは、私を見てなかったのね。私どころか、誰も……スグルの世界には、自分しかいないんだわ」


 優はゾッと寒気がしました。それで初めて目の前の女の高潔なる気位、その覚悟に恐怖しました。人間の生の重みとはかくも容赦がない、ただそこにあるだけの薄皮一枚容易く蹴破ってみせる、かかる化け物世に二つとなしと断じたのです。それに限っては豪も迷いがありませんでした。


「どうしても、私の世界には、映ってくれない? その美しいお顔を、私に見せてくれない? スグルにとって私は、そんなに醜い?」


 震える声で、眦のかすかな煌めきも構わずに、寄り添うのは躑躅です。無情にも離れていくのは優です。まったく無垢で真摯な心根から、今にも眼前から消えゆく最上の美を懸命に抱きとめようとする少女の腕は、言葉は、しかし少年にはさながら仏が餓鬼を慈しむように、まったく余計なお世話、毒なのでした。


「………………お前は」


 一言もない。言葉を持たない猿のようだなと、優は自嘲気味に思いました。


「僕は。……僕はな。目的のために、お前を好きにならないといけなかったんだ。だから、僕は……」


 言葉は続きません。ですが蝶でもイカロスでもない優に、もがれる翅はありません。人間の優は何を言われようと素知らぬ顔で空を飛びます。飛べてしまいます。それでも上空から見下ろす地上の戦火に嫌気が差すのは変わらない。くだらない、ろくでもないと嘆き続ける日々は続きます。見ることはあります。ほんの気まぐれで地上の少女を見つけることはあります。しかし戦地のただ中で一人叫ぶ少女の元へ降り立つ術を、翅をもたない少年はやはり知らないのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る