第11話 先輩たち、いつもお話してくれて感謝でいっぱいです!

 野分は優に共闘を申し出ましたが、そもそもあの話に優が乗る理由はないに等しかったのです。なぜって、優はその気になればいつだって躑躅を好きにできるだけの美を保有しているのですから。野分が優と対等な交渉の場につくには、優がわざわざ躑躅をストーカーしている理由を知る必要がありましたが、そんな理由、今の彼女がいくら考えても分かろうはずがないのでした。尤も、分かられても困るのですが……ともかく彼女に説明する義理はありません。


 よって優は今日も、趣味でストーカーをしている奇異な変態として日常を謳歌するのでした。


「聞いてくれスグル、衝撃の事実発覚だ」


 水分高校の昼下がり――芝蘭堂陽はいつものように親友の優へと話を持ちかけます。


「なんだ?」

「先日、お前のありがた~い深謀遠慮によってオレは水泳部に強制入部させられた」

「僕が仕向けたのは体験入部までだけどね」

 

 あの後、陽は正式に水泳部に入部したのでした。すべては源エーデルワイスを手にするために。思春期男子の涙ぐましい努力に、優もより一層協力してやろうという気を高めていました。優は本当に他人思いのいい子です。


「だが――オレは、ビート版だった」

「クラスで浮いてるもんな」

「何もしてないのに、沈むんだ。文系大学生の繊細な心のように、藻掻けども、足掻けども、沈むんだ」


「そういえば先輩、今週は炎帝が大暴れでしたね!」

「あ、ごめんねユカリ……私、単行本派だから……」

「ネタバレしますね! マリージョアで革命軍が――」

「私が唯一読んでる漫画のネタバレしないでぇ……!」

「今日も先輩のキュートな困り顔が見れて、ユカリはとってもハッピーです♪」

「うぅ……先輩の威厳……」


「カナヅチ、だったんだ」

「へぇ」

「それはもう、見事な。才能の欠片も感じられない、ものすごい密度の、カナヅチだったんだ」

「お前泳げなかったんだな。運動は得意なのに」

「故にオレは……水分高校水泳部初の、ビート版持ちとなった」

「あの市民プールに行ってたとかいうのも出まかせだったのか?」

「なあ、スグル……源さんは、ビート版を抱きしめた男がタイプだと思うか?」

「もしうんって言ったらお前は明日から服の下にビート版仕込んでくるのか?」


 かなり迷走気味な陽の元へやってきたのは、少年漫画の話を終えたエーデルワイスと縁でした。


「更科先輩っ! もしかして今、カナヅチ先輩の話してます?」

「おいヨウ、後輩に舐められてるぞ。いつもみたいに“わからせて”やれよ」

「オレはお前が本当に味方なのか甚だ疑問だぜ」

「25mも泳げないくそざこ先輩なんかには、ぜぇ~ったいに負けたりしませんよ~だ!」

「お前もお前で、なんで負ける準備万端なんだよ」

「実際ヨウはどのくらい泳げるんだ?」

「芝蘭堂陽の実力は? 偏差値は? 彼女はいる? レギュラー入りは絶望的? 調べてみました!」

「なんかユカリ、さっきからテンション高いね……」


 先輩たちに囲まれてニコニコ笑顔な縁を余所に、陽は沈痛といった面持ちでそれを告げます。


「けのびで、5m」

「けのびでごめーとるー!」

「ユカリ、あんまり煽ってるといつか本当にわからせられるよ?」

「ビート版抱けば25m行けるんだがな?」

「それがお前のなけなしのプライドか」

「だ、大丈夫だよ、芝蘭堂くん。うちの部活はそんなに“本気で全国!”みたいな感じじゃないし、これから頑張っていけば、ちゃんと上達すると思うよ……!」


 好きな女に優しくされた――陽はそれだけで感無量でした。


「スグル……オレは生まれてきてよかった……」

「なら今すぐ死んじゃえ~! ざこざこ先ぱ~い!」

「あ、ユカリが調子乗ってライン越えた」


 縁はしばしば言いすぎるところがありました。


「まあ泳ぎばっかりは自分で頑張るしかないだろ。がんばれ、ヨウ」

「……あー、よかったら先輩、ユカリがお教えしましょうか?」

「ちょっとひどいこと言った自覚あるから好感度稼ぎに来てる……」

「なあスグル、今週の土曜空いてるか? 市民プールに行っているという虚構を現実にしていこうぜ」

「あの、先輩?」

「ちょっとカッコイイ言い方するなよ。いいけど」

「頼んだぜ」

「先輩? 先輩せんぱいセンパイ? せーんーぱぁーい?」

「更科くん、泳げるの?」

「運動はできる方だからね」

「このチート野郎が……」

「あのですね? 無視はやめてください?」


 言葉を交わしながら、優はたしかな実感を得ていました。すなわち、陽とエーデルワイスの仲が着実に進展しているという感触。


(やっぱり、多少強引にも同じ部活に入れさせたのは正解だったな)


 高校生の交友関係などクラスと部活動がすべてと言っても過言ではありません。その両方を満たした上で、双方に話す意思があるならば、余程のことがない限りは友人程度にはなれるだろうという優の目論見は間違っていなかったのです。今では陽は見事、“同じ部活動に入っていて、最近よく話すクラスメイト”、という地位を獲得していたのでした。


「……ユカリのこと嫌いですか?」

「芝蘭堂くん、そろそろ反応してあげないとさすがにこの子泣いちゃうかも」

「源さんが言うならそうするか。おい後輩、お前はこんなにも素敵で慈悲深い先輩に可愛がられている事実をもっと噛みしめて生きろよ」

「別に気にしてないくせに大げさなんだよな、ヨウは」

「そんなこと言って先輩こそいいんですか! 賑やかし役のユカリがいなくなったら、まともな先輩たちによる円滑な会話劇が繰り広げられることになりますよ!」

「良いこと尽くめだな!」

「後輩に口答えですか? 生意気な先輩ですね、ぷんぷん!」

「偉そうな下から目線だな……」

「ヨウお前、水泳部に入って源さんより狭衣と話す機会の方が増えたんじゃないか?」

「言うなスグル、上げてもいない好感度が自然上昇している感覚は俺にもある」

「ユカリと先輩が実は子供のころに一度会っていた幼馴染で、結婚の約束までしたって作り話をしましょうか?」

「ふふっ、ユカリったら、すっかり芝蘭堂くんに懐いちゃったね」

「…………!」


 雷に打たれたような衝撃を受けた陽が、その場に崩れ落ちます。


「フラグ崩壊の瞬間、って感じだな」

「おかしい……水泳部に入部しただけで√固定かよ……? オレはたしかに源さんの好感度が上がりそうな選択肢を選んでいたはずだぜ……!」

「とまあ、こんな軽口も叩けるような仲になれましたね!」

「オレはまだお前になにもしてねぇ!」

「まだ!? ユカリはこれからなにをされてしまうんでしょうか!」

「…………」

「本編開始時から好感度MAXなのはキャラゲーあるあるだよな」

「私、ああいうタイプは苦手だな……主人公を好きになる過程はちゃんと書いてほしいかも」

「エル先輩? あの二人はともかく先輩まで急に何の話でしょうか?」

「……なるほど、源さんは過程を大事にするタイプか……」

「転んでもただでは起きない男だな、さすが恋愛の麒麟児」

「なんだそのこっぱずかしい表現は」

「ひっぱたいてやろうか」


 優からこれほど暴力的な発言を引き出せる友人は陽くらいなのでした。


「オレはお前とは違うんでね。地道な情報収集で一歩一歩行くしかねぇのさ」

「一足飛びで頂点にたどり着く虚しさに比べたら、よっぽど順風そうな日常だけどな」

「そこは隣の芝生ってやつだな。んな風にないものをねだっても仕方ねぇから、オレは今25mプールでビート版を抱えることになっているわけだ」

「……?? 先輩たち知ってますか、IQが20違うと人って話通じないんですよ」

「20低い側がそれ言い出すことあるんだ……」

「先輩たち相手に頭の出来で勝負するほど、ユカリも愚かではないのです!」

「アホアホ後輩ヒロインを地でいくヤツめ……」

「頑張れよ、根っからの主人公の親友キャラ!」

「やめろ、主人公適正が低いことだけがオレの悩みなんだ!」

「そ、そんなことで落ち込んじゃダメだよ、芝蘭堂くん! キミはキミの人生の主人公!」

「無理して励ましたせいでダサい歌の歌詞みたいになってるじゃないか」

「先輩が先輩や先輩に比べて華がないのは周知の事実ですから、わざわざ先輩が先輩を励ます必要なんてゼロですよ」

「なんて?」

「ユカリは早急に私たちの呼び方を変える必要があるよ」

「じゃあエル先輩は『先輩』のままで、更科先輩を『センパイ』と呼び分けます」

「……? 源さん、分かったか?」

「ううん、私も全く同じに聞こえた」


 縁の心の中を読み取ることまで二人に要求するのは酷というものでした。


「芝蘭堂くんはなんて呼ぶの?」

「アキラくん!」

「……(イラッ)」

「むっかぁ~~~~! 心外です! それがかわいい後輩に上目遣いで名前呼びされた男の態度ですか!!」

「お前、昼はいつもここに居座ってるが自分のクラスに友達いねぇのかよ?」

「あーあーいいですよ分かりました、そっちがそんなんなら先輩は一生『先輩』のままですからね! シラガミ様に祟られちゃえ! あばよぉ!」


 縁は泣きマネをしながら教室を去っていきました。


「そろそろチャイム鳴るからって体よく離脱したな……」

「あはは……」


 そういうわけで、週末は陽の水泳練習に付き合うことになった優なのでした。

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