第10話 ちなみに私はシャトルラン84回! 運動は好きだわ! 

 その時間、白住学院2年B組は体育でした。真っ先に教室に戻ってきたのは、例の無趣味な三人組です。

 今日は20mシャトルランの測定だったようで、彼らは体操着姿。蒸し風呂から上がった後のように全身から汗を流していました。


「ホントさ、20mシャトルランとか考えたやつ頭おかしいよな」

「なんかTwitterで見たけど、昭和にシャトルランなかったらしいよ」

「マジか、老害はこの苦痛知らないんだな」

「お前何回だった?」

「37回」

「雑魚すぎるw」

「俺はわざと途中でリタイアしたわ。あんなの全力でやるの意味ないからw」

「たしかにw」


 空虚な人生を送る空疎な三人が生産性のない話をしているうちに、野分の騎士団もといクラスの陽キャ軍団がぞろぞろと教室に戻ってきました。


「疲れたァーーーー!!」

「アアアア!」

「やべぇわマジで、これ次の授業絶対寝るわ」

「それな」

 

 すると、隣のクラスのC組から彼らの友人らしき男子生徒が数名やってきて、こう聞きました。


「お前ら何回いった?」

「106」

「110」

「あぁまあそんなもんか。お前は?」

「142」

「いやさすが陸上部、パないすわ」

「あぁべっ、汗拭きシート忘れた」

「はい、貸1な」

「どっかでジュース奢るわ」

「お前はいる?」

「いや俺これ制汗スプレーあるから」


 プシューーーーーーー。

 プシューーーーーーー。 

 

「臭いやばくね」

「これ怒られるぞ」

「謎校則でなw」

「えー……"まあね、いいけどね、臭いとか気になる人もいるからね、そういうのはお手洗いとかでやりなさいっ?"」

「いやお前そのモノマネはエグい、それは猛者」

「須賀さんじゃないすかw」

「ガチで言うよなそれ」

「最後語尾が上がるやつな」


 こうなってしまっては無キャ三人に居場所はありません。


「…………」

「暑いね」

「ね。……」

「…………」


 当然制汗剤など持っていない不潔な三人組は、せいぜい教室の隅っこで縮こまって、その汗でベタベタの肌をハンカチで拭くのが関の山。汗拭きタオルではなくあくまでハンカチなので、汗を吸いきれずにベショベショです。それは見ていてとても見苦しい光景でした。


 彼らは残り少ない青春の日々に陰を落としながら、静かに、ひっそりと呼吸をすることでなんとかかろうじて生きています。死んでいないだけ、ただ生きているだけ、そういった言葉が彼らの頭に浮かんだことの十や二十では足りない、それでも仕方ない仕様がない、いやさむしろこれぞ我が高潔なる生涯と言い聞かせながら歩いているうちに、いつしか彼らは痛みとか苦しみとかそういうものから解放された、透明な魂を手に入れたのでした。


「トイレ行く」

「あ」

「……じゃあ俺も」


 それは人々の営みから疎外され、いつの間にか忘れ去られた亡霊です。階級を超越しようという向上心も、それを成し遂げ得るような天禀も持たない、世界から見捨てられた名前のない怪物たち。それらは埃に塗れた重い瞼を閉じて、今日も人知れず、死へのカウントを刻み続けるのでした。……。

 

「――こんにちわ! 創作ダンスの練習後で適度に汗をかいたお色気むんむんアザレアちゃんだわ!」


 そんな三人を救ってくれるのはいつも、煌めく玉の汗が美しい十六夜躑躅なのでした。

 彼女も体操着姿です。体育はA組とB組の合同授業でした。


 先に反応したのは陽キャ集団でした。


「隣のクラスのビッチじゃん」

「不知森様はまだ帰ってきてねぇけど?」


 B組男子の躑躅評はこんなものでした。


「私をノワの取り巻きAみたいに扱わないで! それとビッチでもないんだわ! ……でも、あなたたちのノワへの盲目の呪いを解くのはまた今度ね。今はそれより――そこの人生落第生くんたち!」


 ビシィッと躑躅が指を差したのは、教室の端でスマホをいじっていた例の三人でした。


「え、俺たち?」

「どぅ、どうしたの十六夜さんっ?」


 白住学院の高嶺の花である十六夜躑躅に話しかけられて、挙動不審になりつつも応じる三人組。彼らの顔が赤いのはなにも運動後だからではありませんでした。

 躑躅は彼らに近寄るやいなや、近くにあった椅子を引いてはその上に片足を乗せ、天井を指差して言いました。


「第一回、更科優攻略会議ぃぃぃぃぃぃ!」

「……え?」

「は、なに……急に」


 躑躅の奇行には比較的慣れている三人ですが、今は運動後で体力がなく、ゆえに躑躅の行動に泰然と構えるだけの余裕もまたないのでした。


「あなたたち、更科優は知ってるわね?」

「え、うん……サラシナ神話ならよくネットで見るけど」

「Twitterナンパ界隈の裏ボスって言われてる……」

「日本人男性に彼女ができにくいのは彼が独り占めしてるからだって噂の」


 彼らは日夜ネットでまとめサイト等を漁っているので、その手の情報には敏感でした。


「そうよ。……その更科優を――隣の水分高校で確認したわ」

「……え」


 躑躅の言葉に、三人は顔を合わせました。それは、伝説の男が隣の学校にいることへの驚き故のものではなく……


「し、知ってるけど……」

「有名だし」

「え、今更?」


「…………ふぇ?」


 目をぱちくりさせる躑躅には、彼らが言っていることがよく分かりませんでした。

 世界で最も名の知れた人間である優に、プライベートなんて当然ありません。彼の住所はネット上に晒され、今日も全国から様々な贈り物が届いているのでした。


 ではなぜ躑躅と野分がそれを知らなかったのかというと、それはひとえに彼女らの特質ゆえ。自己愛が強く自分の世界に籠りがちな二人は、世界の情報にすこぶる疎かったのです。


「ま、まあいいわ。そういうこともあるわよ」


 しかし、そんなことを気にする躑躅ではありませんでした。


「ともかく先日、私は更科優とコンタクトを取り、その素顔を拝むことに成功したわ」


 躑躅は物事のディティールにとことん無頓着だったので、彼女を通すと正確な事実が伝わらないことが多々ありました。


「あいつは……あの変態ストーカーは、この私より美しかったわ!!」


 ダンッ、と足踏みをする躑躅。事実上の敗北宣言にも関わらず、躑躅は堂々としていました。そこはさすが十六夜躑躅と言うべきでしょう。


「そ……そう」

「まあ『スグルサラシナ』だしな」

「あれは人間じゃないでしょ」


 一方、無キャ三人のリアクションはイマイチでした。あらゆるステータスに恵まれない彼らからしたら、十六夜躑躅と更科優における美しさの差など、雲の上の話だったのです。


「私はそれがとてもとても悔しいわ! この世界に、私より美しいものが存在することが、許せないんだわ!!」


 グッ、と躑躅は握りこぶしを作ります。その小さく線の細い拳には、並々ならぬ決意が込められていました。


「ああ……そう」

「まあ、十六夜さんはそうかもね」

「ナルシストだもんね」


 一応彼女の人となりを理解はしている三人は、この発言には特に疑問を呈することはありませんでした。


「だから私は決めたの――あいつを、更科優を、私に惚れさせるのよ!」

「……?」

「なんでそうなんの?」


 しかし次の宣言には揃って首を傾げてしまいます。


「私以上の美を持つ存在が私の美に屈服したなら、それ即ち私の美が真の本物であったことの証明になるわ!」


「なる……のか?」

「よくわかんないけど」

「恋愛は惚れた方が負けとかそういう感じ?」


 躑躅は胸を張り、ドヤ顔で説明します。


「いい? 美っていうのは内から生じるものだけを指すんじゃないの。世界との、他者との絶え間ない関係の中で、糸を織るように他者を内在化させていく、その営為によって生産されるかけがえのない魅力――それもまた、私の美であるということよ!!」


 躑躅の美意識は少々独特だったので、美というものと縁遠く、美に真面目に向き合った経験のない彼らには容易に飲み込める言葉ではありませんでした。


「つまり――更科優を惚れさせることによって、あいつの纏う美を、私のものにするんだわ」


 それを語る躑躅の瞳は、いつになく輝いていました。それは夢を語る無邪気な子供同然の、つぶらな瞳でした。


「よ、よく分かんないけど……まあ、そうなんだね」


 主体性のない彼らといえど、さすがにいくつか疑問のようなものが浮かんでいたようですが、それらは口に出す前に泡のように消えてなくなってしまいました。最終的な彼らの態度は普段通り、相手への一方的な追従、ただそれだけなのでした。


「そうよ、他者性の織り込まれていない美なんていうのは、紛い物なのよ。完全に独立した美なんていうのはありえないんだわ。私はいつも言っているけど、例えばあなたたちのような無価値な人間が隣に立つことで、一層私の美は引き立てられる。私はそれに対して別に感謝なんてしないけれど、かと言ってまるっきり無視しているわけでもないわ。あらゆる他者との関係が、私の美に通じてるの。あるいは逆に、私とあなたたちという独立した存在が衝突したときに、美というものがその間を取り持って、私たちを関係させているんだわ。……要するに、あいつの美を、私の美にするのよ!!」


 少なくとも現時点においては、十六夜躑躅の見ている美意識の塔は決して揺らぐことのない堅固な土台の上に聳え立っていました。


「う、うん……あの、頑張ってください」

「応援してます」

「まあ十六夜さんなら、できるんじゃない?」


 美について語る躑躅の気迫に気圧された三人は、そんななおざりな返事をするばかりです。


「でも! でもなんだわ!」


 椅子から足を降ろし、バンバンと机を叩く躑躅に三人は後退ります。


「私はまともな恋愛なんてしたことない! だってそんなまどろっこしいことをしなくたって勝手にあっちが惚れてくれるから! でも今回はそうはいかない、相手は目の肥えたイケメン! そんな存在を惚れさせようというのに、私一人では圧倒的な経験値不足! じゃあノワとか、あるいはあそこの女遊びに慣れてそうなウェイウェイパリピのDQN集団に相談する?」


 無駄に溜めた後、躑躅は言います。


「それこそ恋愛素人の陥る罠だわ!」


 恋愛素人が饒舌に捲し立てます。


「更科優みたいな理外の存在を相手取るというのに、普通の恋愛論をあてがったって意味ないのよ。凡百の自称モテ女たちが、手練手管を駆使してそれでも落とせなかったのが更科優だわ! なら私はどうするか? ――アニメとかゲームの恋愛に詳しそうな、あなたたちみたいなオタクに聞くんだわ! 相手がぶっ飛んでるなら、こっちもなんかちょっと頭のおかしい策に出るしかないのよ!!」


 後半に向かうにつれて論理が怪しくなっていきましたが、要するに躑躅は理外の方法、恋愛ゲームやラブコメ漫画などの知識・手法を取り入れるつもりだったのです。それを聞くために、わざわざ彼ら三人に声を掛けたということでした。


 ……しかし。


「いや……俺ら、別にオタクっていうほどオタクじゃないし」

「アニメとかも、まあ流行ってるのは見るけど……」

「あんまそういうの詳しくないっていうか……ごめん分かんない」


「……そうなのね……」


 躑躅はまず、人選からして間違えていたのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る