第8話 これが『私』だわ!

 その日の放課後も、優は元気にストーキングです。


「うわっ、ホントに今日もいる……あいつおかしいんだわ……」


 物陰からちらりと顔を出す優に気づいた躑躅がドン引きしていました。もうバレているので、そこまで慎重に姿を隠すこともやめていた優なのでした。


「あんな変態なんて、その気になったらいつでも通報できるんだから……!」


 どこか自分に言い聞かせるような独り言を吐いて、彼女は一人で通学路を歩いていました。 

 そう、今日は彼女一人なのでした。普段行動を共にしている野分の姿は見当たりませんが、さすがに二日連続でいかがわしい謀を企てているわけではないようでした。


「さて……」


 優は忘れずに恋の魔眼――《片恋目かたこいのめ》を使用します。魔力の込められた桃色の右目。視界に映った対象との縁を結ぶハート形の瞳。尤も、優はそんなものがなくとも既に女で困ることはない容姿をしているのですが。


「これ使ってる時の目、ごわごわするんだよな。慣れない感覚だ……」


 一般人の優は日本に伝わる魔術の事情について何も理解してはいなかったのですが、授かった右目はちゃんと使っています。優は無垢ないい子なのです。


「やっぱりまだ意味ないか。元に戻して……と」


 そして準備が整ったら、さあストーカーとしての力を見せつけましょう。平常心は基本の「き」です。優は何でもない風を装って躑躅の跡をつけていきます。


「…………ねえ」


 しかし、その平常、おだやかな日常を壊したのは躑躅でした。彼女は立ち止まり、優には背を向けたまま口を開きます。


「あなた、何がしたいの?」

「…………」


 辺りに人はいません。学校から駅までのこの通学路に、現在通行人は二人ばかりでした。人間の極致みたいな美貌の美少女と、人間を軽く超越した美男子の二人ばかり。


 優は答えません。答えられません。それも当然でしょう、ストーカー犯がその動機をやすやすと供述するはずもありません。


「昨日見せてもらった顔。……悔しいけど、悔しいけど!」


 よほどのことだったか、二回言います。


「私より綺麗だったわ! そんな人、生まれて初めて見たわ!」

「…………」

「そんな顔してるのに、なんでわざわざストーカーなんてしてたのよ?」

「…………」

「ストーカーなんてしてないで、普通に話して仲良くなった方が絶対手っ取り早いし、楽だわ。まさかその顔で女慣れしてないなんて言わないわよね?」

「…………」

「ねえ! なにか言ってくれないと、私が誰もいないのに一人で喋ってる、頭のおかしい美少女になっちゃうわ! これじゃ学がないことを“おバカタレント”って言って誤魔化してるアイドルみたいだわ! 私はあんなやつらよりかわいい!」

 

 言い回しのせいでたいへん分かりにくいのですが、躑躅は一応本気で怒っていました。


「というか、いるわよね!? ちゃんと私のことストーカーしてるわよね!? 今の全部ひとりごとだったら泣いちゃうんだわ!?」

「(そんなに不安なら振り向けばいいのに。まあ、僕の顔を見たくないってことなんだろうけど)」


 実のところ、優は迷っていました。ここで口を開いて、普通にコミュニケーションをとっていいものなのか。それはもはやストーカーとは呼ばないのではないか。それでいいのか。

 

 しかし。


「……ストーカーするのに理由がいるのか?」

「当たり前だわ!」

 

 優は一つ賭けてみることにしました。それは躑躅の傲慢さ、プライドの高さにです。それが吉と出るか凶とでるか、結果は未来にしかありません。どうか優の行く先が幸福なものでありますように。


「というか、違うわ。理由は分かるわよ。私が好きなんでしょ? だからストーカーして、私とお近づきになろうとしてるんだわ。でもそれってすごくバカらしいわ? 私と仲良くなりたいなら、さっきも言ったけど、その顔なら普通に声かけてくるなりしてたら、こっちだって普通に対応するわ。私のことをストーカーしてたなら知ってると思うけど、私は人のことを顔で判断するのよ。不細工に生きてる価値はないし、一生苦労しながら不幸に死んでいけばいい。それで私やあなたのような美形が、そのガラクタの死体の上を優雅に歩く。世界はそういう風にできているし、そうあるべきなんだわ。少なくとも、私はそう信じて生きてる」


 それは十六夜躑躅が飛びぬけた美少女として生まれたがゆえに形成された、歪み切った価値観でした。

 躑躅には『美』がすべてでした。性格の良し悪し、年収、社会的地位、犯罪歴、そんなものはまるきりどうでもいいのでした。 


「だから、私はあなたを無視しない。あなたがイケメンである限り、あなたが私の父母を殺そうとも、私はあなたを嫌いにならない。無視しない。なぜならイケメンだから!」


 優の美貌が失われない限りは、彼をなおざりに扱う理由が、躑躅には一つもないのでした。


「だから、出てきなさいよ。ストーキングなんて面倒な方法やめて、そっちから私の視界に現れるんだわ!!」

「…………」


 それでも優は無言を貫きました。この程度の説得でストーカー業にシャッターを降ろすつもりは、優には端からなかったのです。


「……はぁ。ま、いいわ」


 躑躅は大きなため息を吐いた後、再び歩き出しながら、続けます。


「あなた、更科優でしょ。知ってるわ。数年前ニュースになったもの」

 

 ああ、と優は思いました。彼の顔に陰が差しました。それは優が思い出したくない記憶の一つです。


「修学旅行で行った東京で、ちょっと歌舞伎町を歩いただけでその場にいる女性客をハーメルンの笛吹男のように掻っ攫っていって……そのせいでその日、歌舞伎町にあるホストクラブ全店舗の売り上げがゼロだったって」


 聴くもバカらしい躑躅の話が聞こえるように尾行を続けながら、優はかつての失敗を悔いるのです。

 

「――あなたでしょ、《歌舞伎町崩壊ホストアポカリプス》」


 優の数ある二つ名の一つでした。


「……だったらどうするんだよ」

「私、あなたが大嫌いだわ」

「さっき嫌いにならないとか言ってたけど」

「でも嫌い!」

「まあ、ストーカーだからね」

「違うわ。もっと、ずっと前から」

「昨日が初対面だろ?」

「そのニュースを見た日から、ずっと嫌いだわ」


 優は暫し考えました。


「素直に、負けたと思ったわ。同じことを私がしようとしたって、多分できない。ホストクラブの集客がゼロってなに? ふざけてるの? 笑わせないで、意味が分からない、理不尽だわ、って」

「……っ」


 優は、胸の内からどす黒い感情が沸き上がるのを感じました。このときばかりは優も冷静ではなかったのです。


 そんな優の心中などいざ知らず、躑躅は続けます。


「この世で私より美しいものがあるなんて、考えただけで死にたくなったわ。誰の許可を得て、私を差し置いたのかしら? だってありえないわ、私と私に関係するセカイが最も美しくて、それだけが本当の美、美そのものであって……その確信だけが、私に生を与えてくれる。この『美』だけが、私の拠り所。私自身。……それを更科優が、どこの馬の骨ともしらない男が、私の前に姿を見せることもなく、SNSのニュース越しに、ぶち壊した!」


 気づけば躑躅はまた立ち止まっていました。躑躅の後ろ姿しか見えない優には、彼女がどれほどの表情を浮かべているか知れません。ただ彼女の肩にかけた鞄の取っ手を握る白い手の、その震えだけが、優に与えられた手がかりなのでした。


「――更科優が、私を偽物にする。あなたがいる限り、私は永遠に贋作。それってとっても不愉快だわ? だから私、あなたが嫌い」

「そんなに本物であることが大切か。偽物の何が悪い」

「さっきも言ったわ。私が美であること、私が私であること、それ以上に真実らしいものなんてありはしないんだわ」

「……そうか」


 言葉にしたことで、気持ちが軽くなったのでしょうか。躑躅は前へ進みます。


 その先は駅の改札。二人はいつの間にか、学校の最寄り駅まで着いていたのです。


「更科優が私よりも上――それは昨日実際にあなたの顔をこの目で見て、再認識できたわ。だから――決めたのよ」


 スマートフォンに内蔵されたICカードをかざして、バタンと改札が開きます。


 そうして最後の瞬間、その一瞬だけ、躑躅は後ろを振り返り。


「十六夜躑躅はなんとしても、あなたを超える美を手に入れる。それで初めて、あなたを警察に突き出すんだわ。覚悟しておくんだわ――変態ストーカー」


 月のように美しい少女は、大胆不敵な、煌めく愛らしい笑みを浮かべて――雑踏の中に姿を消したのでした。


 最後の躑躅の笑顔は、さしもの優の中にも一片の感情の揺れを呼び起こしました。しばらく優はその場に佇んでいました。


「……僕を超える、ね」


 改札が閉じられ、躑躅の掛けた魔法は、泡沫の夢のようにぱっと消えます。


「バカだな。整形でもするつもりかよ」


 優にはそれなりに思うところのある宣言だったようですが、それでも躑躅が去った以上、この場に用はありません。優は自転車通学者でした。そのため本来この駅に来る必要はないのです。

 

 ストーキングを終えた美男子は、家に帰るために踵を返します。


「――――」


 しかし世界は彼をそうやすやすと放っておいてはくれません。

 次から次へと何かが舞い込んでくるその優の特質は、まさしく陽が譬えたように、誘蛾灯そのものなのでした。


「……ツツジ、ようやく帰ったの?」


 眠たげな、あるいは気だるげな、あるいは無気力な。むしろこれが素なのでしょう。


「くだらない矜持ぺらぺら口にして。ホントに恥ずかしい子ね」


 光の弱い目で改札の向こう側を見つめる彼女は、白銀のツインテールを愉快気に揺らしたもう一人の美少女。


「……それじゃあ、今度こそ」


 優の前に立っていたのは、十六夜躑躅の親友の一人。


「ちょっとわたしとお話しましょう、変態ストーカー野郎」


 昨日彼女と共に優を罠に嵌めた、不知森しらずもり野分のわきなのでした。

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