第6話 まあ、こうなることは分かってたよ。


 前略、優のストーキングがバレました。大変です。


「そういうわけで、あなたはこの勝利の女神に愛された、いや私こそが勝利の女神かしら? とりあえずそんな崇高で美しい十六夜躑躅の策略にまんまと引っかかっちゃったんだわ。観念するのよ!」


 この頃にはもう優はある一つの覚悟を決めていました。だから先ほどまで体を支配していた驚きや焦りというものはリセットされていたのです。


「えいっ」

「くっ……」


 躑躅が、軽快な掛け声とともに優の腹を蹴りつけます。


 それは素人のなんの構えもなっていない蹴りでしたが、優は無防備だったので、その場に尻もちをついてしまいました。


「ストーカーは心だけじゃなくて体も弱いのね? あなたも私みたいに容姿に恵まれていれば、そんな人生歩む必要なかっただろうに、とってもかわいそうだわ」


 そうして今度は、スニーカーのカカトでグリグリと優の脚を踏みにじります。


 美少女JK躑躅に踏みつけられたまま、優はその澄んだ目に彼女を映しつづけます。


「汚いストーカー踏んだせいで、靴の裏汚れちゃったわ!」


 躑躅は嗜虐心を隠そうともしない愉快な笑みを浮かべて優をなじりました。


「靴の裏は元々汚いだろっていうツッコミ待ちかな」

「……へぇ。冷静な返しができるんだわ? もっとストーカーらしく慌てるかと思ったのに……」

「素人の尾行なんて、いつか気づかれるものだからね。覚悟はできてたよ」

「捕まっちゃっていいんだわ?」


 覚悟というからには、お縄につく覚悟のことだろうと躑躅は思ったのです。当然でしょう。


「そっちじゃないかな」

「……?」


 優の言ったことがよく分からなかった躑躅は「ふん」とつまらなそうに鼻を鳴らすと、制服のポケットから取り出したスマホで、パシャリ。

 仰向けで倒れる優を撮影すると、優の上から足をどかしました。


「逃げたりしても無駄だわ。この写真を警察に突き出せば、あなたは一発でアウト。証拠不十分だと思うかしら? でも被害者女性である私が泣きつけば、あなたはすぐに社会の敵になっちゃうのよ。ああ、本当にかわいそうだわ!!」

「助かるよ」


 躑躅は優を脅すつもりでそう言ったのですが、当の本人は拘束を解いてくれたことを感謝しました。いつ何時でも感謝を忘れない優は天使みたいないい子です。


「……なんだかこの人、不気味だわ……?」


 その様子に、躑躅は露骨に機嫌を悪くしました。


「ストーカーの癖に妙に肝が据わってるのが不快ね」


 野分も同様に優を悪く言います。

 

「私はもっと、泣き叫んで許しを請うか、逆上して暴力に訴える変態ストーカーの無様な姿が拝めると思ってたのに……期待外れなんだわ」


 どうやら彼女達は、優が思ったようなリアクションを取ってくれないことがお気に召さなかったようです。


「それは悪いね」


 そのスカしたような一言が決定的でした。


「……もういいわ。このまま弱みを握って玩具にでもしたら楽しいかと思ったけど、こんなつまんない奴じゃその価値もないわね。今ここで警察に突き出すわ」


 落胆したようにため息を一つ吐いて、躑躅はスマホを操作します。


「あなたも本望よね? お巡りさんに捕まる前に、ストーカーしちゃうほど大好きな十六夜躑躅このわたしとお話できたんだから。そう考えると、ファンの期待に応えられる私って聖母みたいに優しいわ! アイドルとか向いてるかもしれないわね!」

 

 緊急通報の画面まで来て、躑躅の指が『110』をタップします。


「じゃ、特に秀でたところもないばかりか犯罪に手を染めちゃうようなかわいそーなストーカーさんは、私みたいな住む世界の違う美少女に一目惚れしちゃったことを後悔しながら、塀の中での暮らしを存分に楽しむといいわ」


 プルルル、プルルル、コール音が鳴ります。その音は優の耳にまで確かに響いて彼の耳朶を震わせます。二人のかわいらしい少女たちは、優の人生の終わりを意味するこの電話が取られるその時を、ニヤニヤしながら今か今かと待ちわびていました。


「――――」


 優のストーカー行為は失敗しました。言い逃れを許してくれる相手ではありません。

 彼の人生の終わりはもうすぐそこにまで迫っています。手を伸ばしたら触れてしまうような距離にそれはありました。


 ――しかし優はなにひとつ焦ることはありませんでした。事ここに至り、それでも優は自身の勝利を信じて疑っていなかったのです。これから自分がするべきことは二つ。たったそれだけで自分はこの危機を免れるのだと彼は理解していました。先程言ったように、優はとうに『覚悟』ができていたのです。


(……十六夜躑躅。これは他でもない、君の定めたルールでの勝負だぞ。文句は言ってくれるなよ)


 ――ガチャ。


『こちら果野かや派出所。事件ですか、事故ですか』


 とうとうその時がやってきました。警察が110番に応答し、ストーカー行為の被害者たる躑躅に救いの手を差し伸べようとしているのです。


 国家の番犬からの問いに答えるべく、躑躅が口を開きます。


 ――ストーカー犯を捕まえました――


「ねえ」


 その台詞を躑躅が口にする直前、ありふれた一つの間投詞が彼の口からこぼれました。これが一つ目。


 一瞬――ほんの一瞬だけ、その場にいる二人の意識が優に向きました。それでよかったのです。それだけで、優の勝利は確定したのです。


 ――そうして笑いながら、優はそれまでつけていたマスクを取りました。これが二つ目で、これで終わりです。

 

 素顔を露わにした優は言います。


「今回だけ、見逃してくれないかな。お願いだ」


「………………!」

「……え…………」


 小細工などは必要ない。


 下手な話術も不要でした。


 そう、彼はただ願えばいい。


 ただ優が「お願い」さえすれば、それは叶うのですから。


「………………ウソ、だわ……?」「……ありえない……」


 驚愕、困惑、そして歓喜の三つ。

 優の素顔を目にした人が一般的にする反応でした。


『もしもし。聞こえますか。大丈夫ですか?』


「あ…………え、えと……」


 躑躅はスマホを持っていない方の手でスカートの裾を握ります。それは放した後に皺になるほど力強いものでしたが、今の躑躅にそんなことを気にしている余裕はないのでしょう。


「……勘違い、でした…………」

 

 プツリと通話を切って、先程まで優の命運を握っていた躑躅のスマホが、腕ごとだらんと垂れさがります。


「言う通りにしてくれて、ありがとう。嬉しいよ」


 にこりと、優が微笑みます。


『…………っ』 


 二人はもう何も言うことができなくなっていました。今の優の言葉はなによりも強制力を持ちます。前後の文脈、その場の雰囲気、彼のしでかした犯罪行為、そんなものを軽々と超越して彼の言葉は彼女たちの心を鷲掴みにしたのです。


 ドキドキとうるさい拍動に躑躅と野分の思考は支配されていることでしょう。だから何も言うことができない。


 そんな中でも強いのはやはり彼女でした。


「……あなた……マスクしてたのは、顔覚えられるのに怯えてたからじゃなくて……」


 これまでの美少女JKとしての人生経験により培われたプライドからでしょうか。躑躅は絞り出すのもやっとという様子で、しかし初対面の優とまともな対話をしています。これは素晴らしいことでした。これは珍しいことでした。もしかしたら初めての人間かもしれません。


「うん、これはどうしても目立っちゃってね。尾行には向いてない顔だよ」


「……ふ、ふん? ……なに調子に乗ってるのよ、その……ちょっとイケメンだからって、私の前で、その……調子に乗りすぎなんだわっ」


 同じ言葉を二度繰り返す躑躅に余裕はないようでした。しかしそれもやはり、仕方のないことでしょう。


 取るに足らないストーカー犯だと思っていた相手が――ちょっと度を超して顔の整った美男子だったのですから。


 優のしたことは、なんということはありません。ただ自分の素顔を晒して、「お願い」した。それだけです。それだけのことで、優は許されてしまったのです。


 つまるところ彼の「お願い」というのは、ただしイケメンに限る――その究極系なのでした。


 目には目を、歯には歯を――美少女には美男子を。


「変態ストーカーの……くせに……っ」


 それは自身の美を信じて生きてきた少女にとっての、数少ない天敵だったのでしょう。

 躑躅は優の顔を悔し気に睨めつけます。……そう、悔し気に。

 この世の中で唯一、躑躅は彼の容貌を悔しがることが許される域にあったのです。それは幸福なことなのでしょうか。どうでしょうか。

 

「じゃあ……そういうことで、明日からも尾行続けるけどよろしくね」


 とんでもないことを言ってのける優に……


「……っ」


 しかし躑躅は決して彼の言を否定してやることができませんでした。


 それは、「性差ゆえに比較がしづらい」……そんな言い訳も通用しないほどに、彼我の容姿レベルに圧倒的な開きがあることを、彼女自身がよく分かっていたからでしょう。


 優の容貌は本当に頭一つ抜けていました。人類の中で、という枠組みで語ったとしても、なんら大げさではないのです。


 異性ならば誰もが心奪われる、どんな堅物ですら瞬く間に陥落してしまう、女神すらも魅了する――

 その光り輝くあまりに美しい容姿から、彼は神の子と呼ばれ恐れられていたほどです。


 クラスが異なるという程度のことで野分に人気を奪われている躑躅などとは、生物としての格が違う。


 神に愛された美貌。人間のイデア。タイプや年齢などといった枠を超越した更科優という生物は、まさしく躑躅、否――心を持つ生命、すなわち人類にとっての天敵だったのです。


 ――かわいければなにをしても許される。ならば、自分よりも美しい者が現れた場合は……――


「……っ」


 優は再びマスクを付けると、背を向けて大通りを歩いていきます。

 その背を見つめる躑躅の眼差しは、ストーカー生活の中でも初めて見るものです。その時彼女の胸中を一体いかなる感情が支配していたのか、それは本人のみが知るところでした。

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