第5話 仰せのままに、マイレディ。

 時は、今朝に遡ります。


 優たちの通う水分みくまり高校からほど近い、県立白住しらずみ学院に在籍している高校二年生の十六夜躑躅は。


「ふっ……くくくっ、あーはっはっはっは!!」


 女子トイレの洗面台で、鏡を目の前に高笑いをしていました。


「うわ、また十六夜さんが鏡見ながら一人で笑ってる……」

「もうほっとこ、あれ手遅れでしょ」


 躑躅はハンカチで手を拭きながら、眦に涙まで浮かべて笑いが収まるのを待ちました。


「くははっ……ふぅ……いけないわ、鏡に映った自分が綺麗すぎて思わず笑うしかなかったんだわ」


 トイレから出た躑躅は、自分の教室である2年A組……ではなく、その隣のB組に顔を出しました。


 すると、教室の隅で居心地悪そうにしていた男子が三人ほど、躑躅の方面へ視線を向けました。


「おおっ……十六夜さんがB組に来てくれたぞ……!」

「さっきのトンチキな笑い声はやはり十六夜さんだったのか!!」

「十六夜さんこんにちはっ!」


「こんにちわ、覚える必要もないモブ生徒の諸君、今日も元気に私の美しさを喧伝して回るのよ。それが地球の酸素泥棒である貴方たちに許された唯一の贖罪なんだから!」


「くっ……美人に蔑まれるのは最高に気持ちがいいぜ……!」

「決して手の届かない高嶺の花から直々に罵倒される快楽は何ものにも代えがたい……っ!」

「十六夜さんに告白して玉砕したら、もっと気持ちいいだろうな……」

 

 うんうん、と躑躅は男子たちの反応に満足気でした。 


 しかし、それは本来おかしなことでした。これだけかわいらしい躑躅の取り巻きが、たったの三人? 女はともかく、男はもっと群がってきてもよいはずです。

 この教室において、そうならないのには理由がありました。


 ……躑躅は飽きれた様子で、教室の中央に視線を飛ばします。


 そこには、異様な雰囲気が漂っていました。


 まず、教室の男子たちは先ほどの三人を除いて、教室の壁際で軍隊のように背筋を伸ばし、一列に整列しています。

 彼らは眉一つ動かさぬことを誓った鉄面皮を被り、教室の出入り口に厳しい視線を飛ばしています。怪しい者が顔を出さぬか否か、警備をしているようでした。


 そして、女子はというと。


野分のわき様、次の時間は古文です!」

「教科書ノート資料集単語帳、ここに用意しておきますね!」

「ありがとう。……ねえ、それなに食べてるの?」

「今朝駅前のコンビニで買ったグミだよ、ノワちゃんも食べる?」

「食べさせなさい」

「ぃやーもうマジでかわいい~、袋ごとあげるっ」

「あ、ちょっと頭動かさないでくださいっ、ブラッシングの途中ですっ!」


 とある一人の人物を中心に、円をつくっていたのです。

 一人は彼女の授業準備をしており、一人は彼女が興味を示したお菓子を渡し、一人は彼女の爪を切り、一人は彼女の髪を梳き。

 残りの女生徒たちは、それを温かい目で見守っています。


 その中心にいる人物は――


 机の上に腰掛け、スカートの中身が見えそうで見えないギリギリの角度で足を組み。

 完全なるイエスマンたちに、身の回りの世話をさせている女子生徒。


「ノワ、ちょっと来てー」


 まるで一国の女王のような待遇を受けているその生徒へ、躑躅は声をかけました。

 その声に反応した女王は、躑躅へゆっくりと視線を向けます。


「どうしたの、ツツジ」


 雪のように白く透き通る髪をツインテールにした彼女の名は、不知森しらずもり野分のわき。躑躅らの学年で称えられる、白住三美神しらずみさんびしんの一角でした。


「とりあえずそんなとこ座ってないで、こっち来て!」

「そんなとこって、ここは私の教室の私の席なんだけど」


 どうやら躑躅の話したいことというのは、教室ではできないことのようでした。



 そんな野分の呟きに反応したのは、教室の後方で待機していた常備軍――2年B組の男子生徒たちでした。 


「聞いたかお前らっ、不知森さんが面倒くさがっている!」

「不知森さんの面倒ごとを排除しろ!」


 彼らは機敏な動きで野分と躑躅の間に移動し、二人の対話を阻みます。


「我らが君主は、貴様との対話をお望みでない!」

「お引き取りいただこう、面倒ごと、十六夜躑躅」


「その気持ち悪い騎士団ごっこは後にして! 私は野分に話があるのよ!」


 この場で一番面倒くさそうなのは躑躅でした。


「お、おお、お前ら! 十六夜さんが嫌がってるだろ!」

「友達との話くらい自由にさせてやれよ!」

「お前らのそのノリ寒いんだよ! 15年前のラノベ!?」


 三人の男子が、騎士団に抗弁します。先ほど躑躅の罵倒に随喜していたあの三人です。


「黙れ痴れ者共がァ!!」

「B組の生徒でありながら、我らが主の意に沿わぬ反逆者どもめ!」

「そこの売女に篭絡され、不知森さんの寵愛を拒んだばかりか、我々に盾突くかっ!!」

「それはすなわち、大いなる世界の意志に逆らうと同義と心得よ!!」


 聞き捨てならないのは躑躅でした。


「んなっ、この美少女ツツジちゃんを売女呼ばわり……!? 万死に値するんだわ……!」


 彼女は大変プライドが高かったので、このように世界が自分の思い通りにならないのが我慢ならないのでした。

 

「お前らな、悪口は先生、感心しないぞー」

「ちょっと先生! こいつら私のこと売女って! あんな情けない水商売の女どもと同列視されました! 退学させてください!」

「ま、十六夜は普段の素行が素行だし、先生分からなくもないがなー」

「そんなぁー!!」

「それと、水商売をバカにするのはよせよー」


 躑躅にはかなり偏見があるようでした。


「も、もう見てらんねぇよ……」

「これ以上十六夜さんをバカにするなら……ひどいぞ!」


 ――場の空気が変わるのを、皆が感じました。

 お遊戯会は幕です。


「あ? ひどいってなんだよw」

「おめぇら三人で何ができんだよ」

「てめえらみたいなヒョロガリが十人いようが負ける気しねーわw」

「それな」


『う、うぅ……っ』


 騎士団に凄まれ、ツツジ派の三人はすっかり委縮してしまいました。


 それもしかたのないことです。B組にて野分の取り巻きをしているのは、主にサッカー部、バスケ部、アメフト部、野球部などで部長や副部長などを務める者たちを中心とした、カースト上位のグループ。おまけに素行は頗る悪く、地元ではちょっとした悩みの種でした。


 片やツツジ派の三人はというと、運動が苦手で、人と話すのも苦手で、メガネで、かといって勉強がとりたててできるわけでもなく、常にテストは平均点より少し上くらいを維持する半端モノの寄せ集め。女性が化粧をするのは低俗なことで、ファッションや美容に興味を持つことはカッコ悪いと考える三人組でした。一人は囲碁部、一人は帰宅部、一人は卓球部の幽霊部員。そんな彼らはどんな人間なのかというと、彼らは重度のオタク、というわけでもなく、アニメやラノベは有名なものを軽く見る程度で、普段はyoutubeで明日には忘れていそうな動画を視聴したり、Twitterでインフルエンサーのツイートに引用リツイートで的外れな意見をたれ流したりするなどして、日々の時間を浪費する無趣味な人たちなのでした。彼らは長期休みに会う祖母に「大きくなったねえイケメンになったねえ」と言われたことを本気で信じる、純粋な人たちでもありました。


 そんな三人が、不知森野分が有する騎士団の精鋭たちに敵うべくもありません。


「おい、来いよおい」

「やるんだろ?」

「バカにするとひどいんだろ? なァ」


「…………そ、そんな怒らないでよ……」

「……お、大きい声出して、ふへっ、威嚇のつもりっ?」


「!」


 ――ッド。


 騎士団の一人がとうとう手を出しました。


「…………ったぁっ……」


 顔面を殴られた囲碁部の男子は床に肩を強く打ち、その場に倒れ伏します。苦痛に歪んだ表情で鼻を抑えているのは、殴打によってキーゼルバッハ部位の毛細血管が刺激されたことを、喉を通る生温かい鉄の味で感じ取ったからでしょう。


「なんか今のキたわ。やっちった」

「いんじゃね、こんなの冗談だし」

「まぁそっか」


「……え、やりすぎだろ……」

「しょ、傷害罪だぞ! 冗談じゃ済まない……」


「ならサツにチクりゃいいじゃん?」


「いや、それは……」

「…………」


 帰宅部と卓球部の二人には、これを警察沙汰にするほどの勇気も、行動力も、わざわざ大事にするエネルギーもない――それを騎士団は知っていたのです。


「クラスメイト同士仲良くなー」


 担任は雲隠れです。こんなマヌケな争いで責任を負うのは御免だとばかりでした。


「なんかキモいよねあの二人、なにヘラヘラしてんだろ。やるならやれよ」

「しかもあれ十六夜さんのためって言うのが最高にダサいよね、点数稼ぎかって」

「分かる。てかまあ名乗り出た手前、引くに引けなくなっただけでしょ」

「でもちょっとかわいそうじゃない? 弱すぎて逆にさ」

「あー逆にね?」

「そうそう」

「ね」


 野分の取り巻きの女子たちは対岸の火事を眺める風で、雑談しながら野分の世話を続けます。女子が集まって仲良くおしゃべりしている図には、ほほえましいものがありました。


 ――さてこの騒動を鎮火してくれる火消はいつどこから現れるのかというと、それは外でもない、事態の発端となった、不知森野分なのでした。


「――みんなありがとう、もういいわ」

『イエス・マイ・ゴッデス!!!!』


 鶴の一声でした。


 次の瞬間には、騎士団は教室の壁際の定位置で整列していたのです。

 何事もなかったかのように、教室には女子たちの雑談が姦しい、ゆったりとした穏やかな雰囲気が戻ります。


「こっちのみんなもありがとうね。おかげでわたし、とても綺麗になったわ」

「そんな、ノワちゃんは最初から最高にかわいいよ!」

「かわいいもの見るとお世話したくなるのはもう女子の本能だから仕方ないよね~!」

「そう」


 野分が会話を終え、靴下と上履きを履いて机から降りると、モーセの海割のごとく、それまで野分を囲んでいた女子たちが道を開けます。その道を野分は、何でもない風に歩いていく。

 野分がいなくなった女子の集団は、三々五々、散っていきます。


 これが、偏差値42の自称学校、白住学院2年B組の日常の一幕でした。

 美しい乙女たる不知森野分を中心として、彼女を女神と崇めるその他の生徒と、やる気のない公立校の教師で構成される、取り立てて語るところのない、平々凡々なクラスでした。

 

「やっと来たわ。この私を6分間も待たせるなんて、ずいぶん偉くなったんだわ?」

「みんなの忠誠心を測るいい機会だったの」

「だとしても、絶対もっと早く止められたわ! おかげで10分休み、もうすぐ終わっちゃうんだわ?」

「だから止めたのよ。その前に」


 野分はしょんぼりと落ち込む躑躅を見て微笑を浮かべます。普段気だるげでやる気のなさそうな野分が見せる、数少ない笑顔でした。


「それで何の用、ツツジ?」

「ストーカーとっ捕まえるわ」

「また新しいの? いつもみたいにお巡りさんに警戒頼めばいいじゃない」

「それじゃ芸がなくてつまらないわ。ちょっと危ないけど、この手で現行犯逮捕してやるのよ!」

「そう。がんばって」

「あなたも協力するのよ、ノワ!」

「付き合う義理がない」

「親友のよしみで!」

「それはわたしから言うことよ。……今回だけね」

「いつもそう言ってくれるわ! ありがとうだわ、ノワ!」

「なにすればいいの?」

「ローソンの前にT字路あるわよね、ノワがあそこで待ち伏せするのよ。で、私はあの変態をギリギリまで引き付けてから、Uターン!」

「……それでわたしとツツジで挟み撃ち?」

「その通りだわ!」

「危ないでしょ。相手が凶器とか持ってたらどうするのよ」

「キャーこわーい傷つけないでーってお願いすれば、私の泣き落としに騙されて大人しく捕まってくれるわよ!」

「……ボロボロに犯されちゃえばいいのに」

「ノワ、なにか言った? 聞こえなかったわ」

「なんでもないわ。完璧な作戦ね」

「そうでしょ!」

「でも、そもそもわたしがツツジのストーカーを二重に尾行すれば、簡単に挟み撃ちにできるんじゃない?」

「相手はストーカーなのよ? きっと気配に敏感だわ。ノワの素人尾行なんてすぐ気づかれるわよ。こういうのは自然体が肝心なの。私は普段通りに下校する、だからこそストーカーも気づかない!」


 その普段通りというのが四つん這いになって猫と対話を試みることだとは、この時の野分にはまだ知る由はありませんでした。


「それはいいんだけど、そう理想通りに行くとも思えないわ。失敗したときのことは考えてあるの?」

「え? 相手は犯罪者なんだから、失敗したらきっと私たちの命はないわ? だから失敗したときのことなんて考えるだけ無駄だわ! でも大丈夫、この私の作戦が失敗するわけないんだわ!」

「……いざとなったらツツジを囮にすればいいかしら」


 それでも作戦には付き合ってくれるのだから、野分と躑躅は善き友人同士なのでしょう。素晴らしきかな友情。


「じゃあ放課後よ!」

「はいはい」

「はいが足りないわ!」

「多ければいいものじゃないの」


 じきにチャイムが鳴ります。時計を確認した野分はそのまま自席へ戻っていきました。


「お、おい大丈夫か……保健室、肩貸すぞ」

「いや大丈夫……一人で行ける……」

「事情説明したりすんのに、俺らもいた方がいいだろ……」


「およ?」


 用事も済み、教室を去ろうとした躑躅の目に留まったのは、先ほど騎士団に殴り飛ばされていた三人組でした。

 

「えへへ、あなたたち私のために災難だったわね、でもそれでこそ醜き民草だわ。幾千幾万の庶民の犠牲の上に、高貴な私の優雅なる生活は成り立っているのよ。これからもこの私、十六夜躑躅のために体を張って頑張るんだわ!」


「は、はい十六夜さん……!」

「十六夜さんにそう言ってもらえると、殴られた甲斐があったってものです!」

「結果的に俺たちのが得してんじゃねえか! ははははは、あはは、ははっ……は……」


 帰宅部男子の笑い声が最後掠れていたのは、既に教室を去った躑躅の耳には入りませんでした。


 彼ら三人が躑躅の罵倒に心を躍らせるのは、、という現実を認識しないための防衛機制なのでした。

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