第5話 若人の思い出


「ここが翔太が通っていた小学校なんだ」

 潤美乃海岸にあるハンバーガー屋をでて近くのバス停からバスに乗り僕らは潤美乃小学校のバス停まで来た。

 いつもなら元気な小学生の下校が始まる時間だが今日は日曜日なのでその姿はない。

「図書館はあれです」

 僕は小学校の校舎とは反対側にある図書館の建物を指さす。

 閑静な住宅地には少し不釣り合いな現代風なビルがそこにはあった。ビルの中には戸籍などが受け取れる出張所や郵便局も一緒に入っている。

 

 図書館はバス停から目と鼻の先にある。僕らは五分もかからずに図書館のあるビルに着いた。

 エスカレーターにのって僕らはビルの三階まで上がった。図書館は三階にあるのだ。図書館につくと潤美乃の公認キャラクターのパネルが置かれていた。

 僕らは中に入るとすぐに目的の潤美乃に関する情報がまとめられているエリアを探した。

 本の置いてあるコーナーからCDコーナーを通り、図書館の一番端っこに「潤美乃について知ろう」という立て看板が置かれていた。その横にはずらりと潤美乃に関する資料があった。

「結構いっぱいありますね」

 これに全部目を通すとなるとそれなりに時間がかかりそうだと僕は覚悟を決める。

 ただ紗季さんは違うようだった。導かれるかのように一点を見つめている。

 僕は紗季さんの視線を辿って紗季さんが見ているものを探した。

 紗季さんが二、三歩進んで屈んで棚の一番下の段にあるDVDのケースを手に取った。

「翔太、これ」

 紗季さんが手に取ったDVDを僕に手渡す。

 少し不気味な黒を基調としたDVDのケース。そのタイトルを見て僕は驚いた。

 そのDVDのタイトルは『私の願い』。

 ケースを裏に返すとあらすじと思われる文章が書かれていた。どうやら中身は映画のようなものらしい。

「私は不思議な夢をみた。その夢で美咲は何者かに願いを聞かれ、それに答えると翌朝、世界は一変していた」

 僕は書かれていたあらすじを読み上げる。願い叶え伝説に無関係とは思えない内容だった。

「何か関係あると考えて間違いないわよね」

「ええ。それにここ見てください」

 僕はあらすじの下に描かれている製作者の欄を指さす。潤美乃高校映画研究部と書かれている。

「うちの高校に映画研究部ってあった?」

「ないですよね」

 少なくとも今の潤美乃高校には映画研究部がないので僕らが入学するよりも前の作品ということになる。

「取り敢えず見たいわね」

「ならこの図書館に視聴覚室があったはずなので聞いてみましょう」

 僕はDVDをもって受け付けカウンターに向った。


 DVDが再生用のデッキに吸い込まれていく。

 無事に視聴覚室が借りられたので僕らはすぐに件の映画を見てみることにした。

 視聴覚室はCDを再生して音楽を聴くことができるブースタイプの場所とプロジェクターや本格的なスピーカーが置かれていて防音になっている防音の映画鑑賞用の場所に分かれている。僕らは偶然開いていたので映画鑑賞用の部屋を借りることができた。

 映画鑑賞用の部屋には気の利いたクッションなどが置かれていた。革張りのソファーもなかなか座り心地がいい。

 ここならリラックスして映画を見ることができると思ったが個室のスペースは限られていて紗季さんとの距離がかなり近い。

 紗季さんのいい香りが漂ってくる。香水の香りだろうか。何にせよ邪な気分になってしまいそうだ。ブーツを脱いで靴下は履いているが引き締まったふくらはぎがさらされる。これはもう完全にアウトだ。

「始まるわよ」

 僕が悶々とした気持ちを抑えようとしていると紗季さんが言った。

 映画は一人の女子高校生の後ろ姿から始まった。高校生とわかったのは潤美乃高校の制服を着ていたから。

 その少女が走り始めるとカメラが引かれあたりの景色が映し出され始めた。

 どうやら線路沿いを走っているようだ。少女の後ろには線路が見えている。映ってはいないが踏切と電車の走行音が聞こえてくる。

 数秒たってカメラは少女の視線に切り替わる。

 少女の目の前に真っ赤な朝日が昇ってくる。

 夜明けの街路樹の露がその光を反射して煌めく。

 電車の音が遠くに消え去り、少女の呼吸が聞こえてきた。

 白い息がまるで目の前に少女がいるかのように錯覚させる。

 過ぎ去る景色に街の風景が溶けていく。

 再び景色は少女を背中から映し出すカットに変わり少女が日差しの方へ消えていくまでそれは続いた。


 映画は三十分ほどの短いものだった。

 短い映画の間、僕らは一度も話すことなく、一度も画面から目をそらすことなく、ただ一人の少女の映画を見ていた。

 映画のストーリーはあらすじからも想像した通り、最初、線路沿いを走っていた女子高校生が願い叶え伝説を体験したという映画。

 主人公の彼女は事故で亡くなった恋人を生き返らせて欲しいと願った。

 願いが叶い、次の日学校へ行くと死んだはずの恋人がいて再開した恋人と幸せな日々を過ごす。

 しかし生き返った彼氏と過ごす中で少女は自分の願いは正しかったのかと葛藤し始め、最後には彼氏に「一度は死んだこと」「願い叶え伝説で生き返ったこと」全てを打ち明ける。

 そして彼女は彼と話をし、別れを告げる。

 ラストは彼の死んだ世界に戻った少女の悲しげがならも明日へ進む決意をした顔のアップで終わる。

 そんな映画だ、

 

 プロジェクターの電源をそっと消す。部屋の照明はまだつけずにいた。そうすればもう少し映画の余韻に浸っていられると思ったからだ。

「きっとこれはドキュメンタリー映画ね」

 ぽつりと紗季さんが言った。

 僕も同じことを思っていた。演技のことは詳しくないが主役の女子高校生の演技は演技的としてリアルというよりも体験したことを再現しているという感じだった。

「この映画を作った人に会いますか?」

 僕は一応訊いた。

「もし本当に困ったことが起きたらかな」

 僕も紗季さんも同じ気持ちになったと思う。

 きっと映画に出た彼女にとってこの記憶は思い出したくない記憶なわけではないが、自分の中で大切にしておきたい記憶のはずだ。

 だから部外者の僕らが関わるのはやめておこうという話だ。

 紗季さんがほーっと長い息をする。黒闇で視覚が遮断されているからか紗季さんの呼吸や微かに動く音がよく聞こえる。

 耳をすませば心臓の拍動もお互いに聞こえそうなほどに部屋の空気はしんとしていた。

 ふと紗季さんの方を見ると紗季さんと目が合った。

 長いまつ毛の一本一本を数えられそうなほど距離が近い。

 紗季さんがふっと微笑んだ。


    9

 

 楽しいデートに油断していると再び願い叶え伝説の影が姿を現した。

 映画の余韻に浸ってから僕はDVDの返却を紗季さんに任せてトイレに行った。青木まり子現象のせいかもしれない。

 僕はさっとトイレを済ませて手を洗い図書館の方へ戻る。まだ少し映画の世界に浸かっていた。

 図書館の入り口を入ってすぐのカウンターに三人の若い女性たちと話す紗季さんがいた。

 最初は知り合いかと思ったがどうやらそうではないらしい。紗季さんの顔には困惑が浮かんでいる。

 僕はまさかと思い、紗季さんの方にわざと少し大き目な足音を立てて近づいた。

 三人の女性と紗季さんの視線が僕に集まる。

 僕と紗季さんが少なくとも知り合いであることがわかったのか三人の女性は恐らく気を利かせてそそくさと去って行った。

「紗季さん、もしかして」

 僕が言うと紗季さんが無言で頷いて僕の想像が正しいことを肯定した。

 紗季さんが女優となった世界に僕らは移動している。僕はそう悟った。

「……翔太が行っている間に」

 紗季さんの口調や表情から急なことで驚いたのか動揺しているのが伝わってきた。

「はい」

 だからこそ僕の方が冷静でないといけないと思った。できる限り落ち着いて返事をする。

「急に話かけられて」

「一旦、落ち着きましょう。大丈夫ですよ」


 僕らはすぐに図書館から出て、人目のない非常階段の方へ一先ず避難した。

 分厚い扉を開けた先の非常階段。金属の床にコンクリートの打ちっ放しの壁。音がかなり反響するが誰かがいる様子はない。

「ここなら大丈夫そうね」

 紗季さんは持っていたトートバッグから帽子、眼鏡、マスクを取り出し、身に着ける。この間もつけていた紗季さんの変装道具だ。

 バックに何かが入っているとは思っていたが紗季さんもこの事態を想定していたのだろう。

 顔が見えなくなってしまって少し残念だがそんなことを言っている場合ではない。

「これからどうします?」

「こうなった以上帰るしかないわね。目立たないようにあるいて帰りましょう」

 紗季さんが有名人なってしまった以上街で出歩くのは心配事が多い。こうなったらおとなしく帰る。僕もそう考えていたし当然のことだった。

「そうですね」

「そんな悲しそうな顔しないの。私も残念なんだから」

「えっ」 

 落ち込んでいたのが顔に出ていたようだ。恥ずかしい。

 顔を上げて紗季さんの方を向くと目元しか見えないがそこからは優しい顔をしていることがわかった。

 紗季さんが帰らなければいけなくなったことを残念がってくれている。今日はそれで合格にしておこう。


 今僕らがいる図書館から潤美乃ヒルズまでは基本的に住宅街であるため人が多いということはない。

 でもここから僕らの家がある潤美乃ヒルズまで少し距離がある。

 階段でそのままぼくらはビルの一階まで下りた。

 少し空がオレンジになりかけていることを考えると家に着くころには暗くなり始めているだろう。

 僕の手に何かが触れた。

 僕はちらりとそちらを見る。

 すると紗季さんの細い指が僕の手を優しく握るのが見えた。

「今日はデートなんでしょ。こらこういうのもアリよね」

「ええ」

 オレンジになりかけた日差しのせいではない。紗季さんの頬がほんの少しだけ染赤くまったのが見えた。

 その表情が、思ったよりも小さく、男子のごつごつとしたものとは違い柔らかい紗季さんの手が、触れ合いそうな肩の距離が僕をドキドキさせた。

 きっと紗季さんに見られたら笑われるぐらい僕も顔が赤くなっているだろう。

 帰るまでが何とかとはよく言ったものだ。

 帰らなくなってしまったならそれでもいい。最後までこのデートを楽しむとしよう。

 

   10


 夜は僕らがデートを楽しい思い出で終わらせることを許してはくれなかった。

 

「寒くなってきましたね。紗季さん寒くないですか?」

 図書館を出たときにつながれていた手は目立つからという理由で随分前に離されていた。

 午前中はかなり温かかったが午後になってから少しずつ肌寒くなってきた。

今の紗季さんの服装では少し寒そうだ。

 願い叶え伝説のせいでデートにしては健全すぎる時間に帰ることになったが正解だったかもしれない。

「うん、平気」

「寒くなったら僕のでよければ貸しますよ」

 僕はTシャツの上にラフなジャケットを着ている。

「それじゃあ翔太が風邪ひくじゃない」

「何とかは風邪ひかないって言うらしいので大丈夫です」

「翔太は馬鹿じゃないわよ。意外と気が利くし、頼りになると思ってる」

「意外とはいらないと思うな」

 照れ隠しをしてみたが自然と顔が緩んでしまう。

 さっきから完全に会話の主導権を握られてしまっている。転がらされる会話はそれはそれで楽しい。

「今日はありががとね。結構楽しいデートだったわ」

 紗季さんのマンションのエントランスまで来て、最後に紗季さんはマスクも眼鏡も帽子もとって顔を見せてくれた。

「こちらこそありがとうございます。またどこか行きましょう」

「ええ、そうね。じゃあまた」

「はい」

 僕はこれ以上話しているとずっと話していたくなりそうなので今日はここでやめておくことにした。

 マンションのエントランスから出る。紗季さんが見送ってくれているのがわかった。

 エントランスのオートロックの自動ドアが開き、冷たい風が吹き込む。少し前より随分冷たく感じた。

 銀色の月が空には浮かんでいる。

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