第3話 夜の街を越えて
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その日の帰り道、僕は衝撃的な形で天野先輩に再開することになった。
夕方、今朝も通ったはずの潤美乃中央駅の広場で立ち尽くす僕がいた。
僕の正面、大体百メートルぐらい先にそびえたつビルの一番上。そこには広告看板が大きく設置されている。
いつもなら見向きもしない、見ても家に帰れば忘れているほどもものだが今日は違った。
僕はその広告看板を二度見、いや三度見してさらにそこから立ち止まってガン見する。
ビルの屋上に恐竜がいた方がまだ驚きは少なかっただろう。
そこには有名な炭酸飲料のペットボトルを手に持って、はじけるような笑顔を見せる天野先輩がいた
誤作動した方思うほど強烈に動く心臓を深呼吸で落ち着かせ状況を呑み込む。
それから脳をフル回転させてこれが天野先輩が夢で願った、願い叶え伝説に関係しているのだと結論付けた。
それもしても意味が分からない。天野先輩は何を願ったというのか。疑問が宙に舞う。
それに奇妙なのが潤美乃高校の生徒が誰一人その看板に反応していないことだ。誰一人気付いていないということもないだろう。
一先ずスマホを取り出してその看板を写真に収める。それを隼人に送った。
数分間その場に立ち尽くしてからやっと歩き方を思い出したかのように僕は一歩ずつ家を目指した。ここにいても何も解決しないと思ったからだ。
バスの中でさっき看板を出していた企業と天野先輩について調べた。
すると『天野紗季、〇〇食品の新商品CMが決定』という見出しの記事がトップに出てきた。
CMがでたのは一緒にバスに乗った日の前日だと書かれている。つまり神社で会ったあった日のことだ。
その下には『天野紗季ウィキペディア』『天野紗季出演情報』と続いた。
それによると天野先輩は一番昔の出演で小学生のころ朝ドラに出ていると書かれている。その他にもこれまで数多くの映画やドラマに出演していることになっている。僕が知らなかったでは済まないほどの数だ。
高校の校門をでてから今までに何があったのか。何に一つ理解できないまま気が付くとバスはくじら池のバス停まで来ていた。
ぎりぎりで気が付いて急いでバスを降りる。
日が暮れた住みなれた街で僕はさっき見た広告の女優天野紗季と実際にあった天野先輩の顔を交互に思い浮かべていた。
本能的に家に向かいつつ頭でこのめちゃくちゃな現実をどうにか処理しようとする。
この先信号を渡って右。それから少しまっすぐ行って今度は左。角を曲がって見えてきたマンションの出入り口を入ればエントランスのいつもと変わらない光が僕を迎える。
もう家についてしまった。。もう少し一人で状況を整理したいと思っていた。
マンションにたどり着くための最後の曲がり角を曲がってエントランスが見えたその時のことだった。
暗くなってきた空の下、徐々に家庭の光が灯され始めた住宅街。
少しお洒落に装飾された街灯の光によって生まれた陰からその静寂に溶け込むかの様な静かな足取りで彼女と僕は再会した。
神社でかぶっていた帽子と今日はマスクをしていて顔ははっきり見えないがそれは間違いなく天野先輩だった。
「やっと見つけた」
僕はそれまでの色々なことの衝撃で目の前のことが現実なのか幻なのか自分に自信が持てなくなっていた。
「こんにちは」
「どちらかと言えばこんばんはじゃない?」
「そうですね」
なぜかその声を聴いて崩れかけるような安心感が僕を包んだ。数回聞いただけの声のはずなのに不思議だ。
「ちょっと付き合ってよ」
勿論彼氏になれという意味ではない。万が一にかけて確認しておいた方がいいだろうか。
「何にですか?」
「買い物。スーパーまで」
残念ながら願い通りの意味ではなかったがそれでもいい。今は言いたいこと聞きたいことが山ほどあった。
「ご一緒させて頂きます」
僕は天野先輩と一緒に再びバス停の方まで歩いた。
「この間はすみません。無神経なこと言って」
「それね」
気まずそうに天野先輩は続ける。
「私もあの時は混乱していてつい怒りすぎた、ごめん」
「天野先輩は何も悪くないですって」
「喧嘩両成敗っていうでしょ」
このあいだの件はこれで許されたのだろうか。
悩んでいた時間のわりにやけにあっさりことがすんでしまったが結果オーライだ。
天野先輩はバス停へ行く道の信号を渡らずに右折した。
「バス乗らないんですか?」
僕が声をかける。
「色々話さないとね。とりあえずついてきて」
ついてこいというなら仰せのままに。言われるがまま僕はついていくことにした。
「天野先輩は長いし、君の先輩になった覚えはないから別の呼び方にして」
「じゃあ天野さんとか?」
「苗字じゃない方がいいかな」
となれば紗季しかない。
「紗季さんでいいですか?」
「そうね。なんか馴れ馴れしい気もするけどそれ以外ないわね」
苗字を封じられて下の名前すら封じられたらとうとう呼べる部分がなくなってしまうから勘弁してほしい。
「僕も聞きたいことがあるんです? 紗季さんって女優だったんですか?」
単刀直入に僕は訊いた。二人の間に一拍の間が空く。
「それは私の願ったこと。私は女優になりたいと願ったのよ。願い叶え伝説が本当だって証明されたわね」
言いきって紗季さんは大きく息を吐いた。実感がないのか、それとも言うにはばかられるのか言い淀んでいる
「なぜ女優なんですか?」
「それはまた今度ね。今はもっと話すべきことがあるでしょ」
自然とはぐらかされてしまった。
憧れるのがおかしい職業ではないが隠されると気になってしまう。だが確かに今は優先順位を考えよう。
「じゃあ次です。今日はなんであんな場所に?」
「橘君を探していたのよ。願い叶え伝説について話した橘君ならまだ私の願い叶え伝説の影響を受けていないかもって」
「なるほど」
そういう意味でなくても探していたなどと言われると甘い勘違いをしたくなってしまう。
僕は自分のスマホが小さく一度震えたのを感じた。
ちらっと見ると隼人からの返信だった。さっき送った紗季さんの広告看板についてだ。隼人によれば「何日か前からあった」そうだ。
「私が女優として認識される範囲は私より遠いところから少しずつ増えていく。今日起きてから会ったあった人で女優じゃない私を覚えていたのは橘君だけよ」
少なくとも今日の夕方、学校の体育館で秋葉は紗季さんを女優としては見ていなかった。遠いところからといっても物理的距離だけではないのかもしれない。
「それでどこに向っているんですか?」
「この先のスーパーよ。知らない?」
この方角にあるスーパーは近くても潤美乃海岸まで行かなくてはならない。
潤美乃海岸に行くには僕らが今いる潤美乃ヒルズと潤美乃海岸をつなぐつなぐ歩行者用トンネルの先を通ったさきまで行かないとない。五キロ以上離れているし三十分以上はかかる。
普通はバスに乗るか自転車で行く距離だ。バスの間隔はそこまで空いてはいない。
「潤美乃海岸のスーパーですよね。知っていますけどバスは使わないんですか?」
「嫌なの? 運動部なのに以外と体力ないのね」
運動部であることを紗季さんに言ったことはないが僕が背負っているラケットバッグを見れば一目瞭然だろう。
「体力は問題ないですし嫌じゃありません。むしろ嬉しいぐらいです。紗季さんと買い物なんて学校の奴ら知ったら羨ましがられますよ」
「光栄でしょ」
「はい」
こんな状況でも紗季さんは以外に落ち着いている。
「つまり僕は変装用のエキストラなわけですか?」
歩くこと二十分。潤美乃ヒルズの端まで来てやっと潤美乃海岸へつながるトンネルの入り口が見えてきた。
「私が一人で行くと周りの人に私が誰か気が付かれやすくなると思うのよ。偶然家に食材がないときでね、買いに行かないと食べるものがないの」
「紗季さんってどれぐらい有名なんですか?」
率直な疑問だ。駅前のビルにあれだけの広告を出しているとなれば想像はつくが一応聞いてみた。
紗季さんは女優のドラマや映画やCMなどの出演数をまとめたサイトを見せてくれた。きっと紗季さんもきになって調べたのだろう。
そのランキングでは日本で普通に生きていれば一度は見たことがありそうな有名女優に挟まれた紗季さんの顔があった。
ここに来るまでに願い叶え伝説によって変化が起きてからのことを詳しく聞いてきた。
それから歩きながら紗季さんにこれまでの話を聞いた。
紗季さんが変化に気付いたのは僕と一緒にバスに乗った日の夜。
カフェでのバイトを終えてスマホを見るとSNSに知らないアカウントがあったらしい。詳しく見てみると女優天野紗季としての公式アカウントだったということだ。
それから時間と共に僕もさっき見たサイトをはじめとした色々なサイトなどが現れたそうだ。
現実世界に変化があったのは今日の午前。今日の午前中は高校を休んで街中を探索していたらしい。そこでバスに乗っているときに自分のファンだという大学生に話しかけたのだと。
バスを使わない理由もやけに顔を隠した紗季さんの服装の意味も分かった。
「潤美乃高校の制服だと怪しまれるから着替えて」
「こんな道端で? もしかしてそういう趣味が」
「人を変態みたいに言わないで。上からなにか羽織るだけでいいわよ。ジャージとかないの?」
紗季さんが僕のラケットバッグを開けて中に手を入れる。
そこから部活の時に着ているウエアを取り出した。
「いいのがあるじゃない」
僕は受け取って制服のブレザーを脱いでシャツの上からそれを着る。ブレザーはラケットバッグにしまった。確かにこれならパッと見ただけではどこの高校かはわかりにくい。
「スーパーへの買い物ぐらい家族の誰かに頼めばよかったのに」
「私、母親と二人暮らしなの。今はスイスに出張に行っていて家には一人」
紗季さんが心なしか寂しそうな顔をしたのか気のせいだろうか。余計なことを聞いてしまった。
そういえばさっき起きてから女優じゃない紗季さんを覚えていたのが僕だけだと言っていた。近しい人から女優じゃない紗季さんを忘れていくというのが正しいなら普通は家族が覚えていそうなものだ。
水中をイメージしてつくられたトンネルの中へ入る。トンネル内は水色の背景にタコやクラゲなど海の生き物の絵が描かれている。
五十メートルほどのお洒落なトンネル内には僕らだけがいる。声が響くのでボリュームを抑える。
きっと僕はこのかなり不思議でかなり楽しいこの瞬間をずっと忘れないのだろう。
時刻は十九時。すっかり日が落ちた外とは違いスーパーの中はいつ来ても明るい。
仕事終わりの男性サラリーマンや子供を連れた母親もいる。この時間のスーパーは安くなったお惣菜を狙ってきた人や仕事帰りに夕飯に足りない食材を買いに来た人などで賑わっている。一日の中でも人が多い時間帯なのだろう。
人が多いと紗季さんに気付く人も増えそうだと思ったがスーパーに入ってから話しかけられる気配も気づかれた気配もない。
紗季さんの変装作戦が功を奏しているのかそれとも単に皆、自分の買い物に集中しているだけなのか。そこはどちらでもいい。
「紗季さんって料理できるの?」
紗季さんはと言えば先ほどから慎重に見比べては野菜を僕の押すカートのかごに入れていく。
これまで入れられたのはジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ。カレーだろうか。シチューかもしれない。
「一人の時は自分で三食作るから普通程度にはできるわよ。なんで?」
「どれにするか悩んでいるみたいだったので。こだわりがあるのかと思って」
勝手にだがなんでもそつなくこなすイメージを持っていたがその通りなのかもしれない。
「別にそこまで違いがあるとは思ってないけど習慣ね」
次はトマトだ。紗季さんがプチトマトとトマトそれぞれかごに入れる。
「そういえば何も聞かずについてきてもらっちゃったけど大丈夫だった?」
「問題ないですよ」
聞くとすれば大分手遅れな気もするが問題はない。ノープロブレムだ。スーパーに入る直前に家には連絡を入れた。流石にこの状況を細かく説明するのは面倒くさいし、上手く伝えられる気がしなかったから寄り道して帰るとだけ。
「君、一人っ子でしょ」
唐突に紗季さんが言う。
「そうですけどなんでそう思ったんですか?」
「なんとなくね。気を使わせたくないから話しておくけど、私の親は私が小学生の頃に離婚しているの。家族は両親と弟。弟は父親と住んでいて偶にしか会わないけどね。天野の名前で呼んで欲しくないのもいつかまた苗字が戻るときを願っての私の買ってな抵抗なの。多分無理だけどね」
聞いていいいのかわからないで悩んでいたことだった。
「弟さんはおいくつなんですか?」
「橘君と同じ高二よ」
なんとなくその姿をイメージする。紗季さんと似ているのかはわからないが爽やかなイケメンが浮かび上がった。
買い物は順調に進み、レジも無事通過できた。あとは買ったものをレジ袋につめるだけだ。
「ところで部活は何曜日が活動日なの?」
紗季さんが野菜や肉。僕がその他のものをそれぞれ袋に詰めていると紗季さんが訊いてきた。
「普段は月、火、木、土曜日ですよ。入部したいんですか?」
そんなわけないことはわかっている。ジョークというやつだ。
「今からはいってもすぐ引退でしょ。今度の日曜暇なのか訊きたかっただけよ」
「日曜なら暇ですよ。また買い物ならいつでも付き合います」
「買い物も行きたいけど一番はこのおかしな状況についてもっと知っておきたいの。だから手伝って」
てっきり紗季さんはこの状況をそのまま受け入れるつもりなのだと思っていたがこの現象がなんなのか知りたいとは思っているらしい。
僕も願い叶え伝説について知りたいという気持ちは変わらないので嬉しい提案だ。三人寄れば文殊の知恵というが二人だけでも文殊に少しは近づけるだろう。
「重要なことを訊いておきたいんですけど」
「なによ」
僕が急に改まったからか紗季さんは作業の手をいったん止めて身構える。
「紗季さんって彼氏とかいるんですか?」
「彼氏も彼女もいないわよ」
それを訊き僕はほっと息をする。逆に紗季さんはそんなことかといった態度だ。
「じゃあ、今度の日曜日はデートってことにしてください」
「出かけることに変わりはないのよね。それってそこまで重要?」
「僕の初デートを貰ってください」
重要も重要だ。清水の舞台から飛び降りるつもりで僕は訊いているのだ。
「若干、気持ち悪いけどそういうことにしてあげる」
紗季さんは少し悩んで僕の頼みを受け入れてくれた。気持ち悪いと言われたのは聞かなかったことにしよう。
続いて紗季さんはスマホを取り出してQRコードを差し出した。メッセージアプリの連絡先を交換するためのQRコードだ。
僕もすぐにスマホを取り出す。急がないとひっこめられてしまう気がした。それからすぐにアプリを立ち上げそのQRコードを読み取った。
ローマ字でSakiと書かれた名前とペンギンのアイコンが表示される。ペンギンが好きなのかもしれない。
「時間はまた後から連絡するわ」
「はい」
スーパーから出るともうすっかり夜だった。
僕の手には二つのレジ袋。紗季さんは最初、片方持つと言ったが僕が自分から両方の袋を引き受けた。
夜の潤美乃海岸の遊歩道には時期外れのイルミネーションが輝いていた。
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