第2話 彼女の顔
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抱いた疑念を確かめるためにもう一度天野先輩に会いたいそう思っていた矢先のことだった。
帰り路、潤美乃中央駅のバス停に天野先輩の姿があった。
潤美乃高校の生徒が何人か並んでいたが天野先輩が誰かと一緒にバスを待っている様子はない。
制服ではスタイルがいい人も悪い人もそこまで差が出ないと思っていたがこうして見ると他の生徒とは明らかに違う。
姿勢がよかったり、細身だったり、脚が長い、顔が小さいなど様々な要素があるのだろう。
モデルが制服を着せられているようにも見えてむしろ少し浮いている感すらある。
着こなせているかという観点で見れば天野先輩の前にいる数人の女子の方がよっぽど着こなせている。
幸い天野先輩がいたのは列の最後尾だった。
「こんにちは」
突然話かけられて驚いたのかスマホの画面から目を離し、いぶかしげな顔でこちらに見る。
「君か」
どうやら昨日会ったことは覚えてくれていたらしい。表情から不信感が少し消える。
天野先輩はつけていた白色のワイヤレスイヤホンを外し、ケースにしまう
「何でこんな中途半端な時間にいるの?」
授業が終わってから普通に帰れば三十分は早くここに辿りつける。
「先輩こそ居残りでもさせられていたんですか?」
「私、素行はいい方よ。進路関係の説明会が少しあったの」
言われてみれば今バス停にいるのはなんとなく三年生だけな気がする。入学したての一年生のフレッシュさもなく、僕と同じ学年でもない。それになんとなく三年生の大人びた雰囲気がある。
「僕は友達に付き合わされてちょっと」
「そう」
二宮と別れた後、部活の顧問に呼び止められて立ち話をしたりもしたがわざわざ話すような面白い話はない。
面白そうな話をでっち上げた方がよかっただろうか。
「昨日のことなんですけど」
「来たわよ」
僕が本題に入ろうとすると丁度バスが来て会話が遮られた。
なんとも間の悪いバスだ。今日は早く来たバスを恨めしく思う。
バスに乗り込んで先輩が先に後ろから二列目の二人用の席の窓側に座った。
いいのかわからなかったが違う場所に座るのもおかしい気がしたので僕は開いている先輩の横に座る。
隣からふんわりと優しい香りが鼻をかすめた。
「どこまでなの?」
「くじら池までです」
降りる場所の話だ。
このまま美人な先輩と放課後の楽しい会話のひと時を過ごすのも魅力的ではあったが我慢する。今はしなくてはいけない話がある。
「あの、昨日の話なんですけど」
さっきは空気の読めないバスに遮られたが僕はめげずに再度聞き直した。
僕が聞いても天野先輩は無言を貫いていた。明確に無視されている。
「あの」
「君って空気読めない人? 私がその昨日の話はしたくないってわからないかな」
僕がもう一度訊こうとするとあからさまに不機嫌に天野先輩がこちらを見てきた。空気を読めていないのは僕の方だと天野先輩は表情で訴えてくる。
バスの中だから声は大きくないが整っていて大人っぽい顔立ちからの鋭い視線はなかなか迫力がある。
「僕も多分先輩が見た夢と同じ夢をみたんです」
これ以上は本気で無視するという構えだった天野先輩だが僕のその言葉に動揺が見て取れた。
バスが最初のバス停を通過する。乗り降りする人がいなかったようだ。ゲーム会社の本社前なこともあり平日の通退勤ラッシュ以外には停まらないことも多い。
「橘君だったわよね」
「はい」
名前は覚えてくれていたみたいだ。
「橘君はあの噂信じているの?」
潤美乃にはとある噂がある。
潤美乃神社には人の願いをかなえる神様が祭られていて潤美乃に住む人の夢に時々現れては質問をしていく。 その質問に強く念じながら答えるとその願いがかなうと言われているのだ。
誰が言い出したのかその現象は『願い叶え伝説』と呼ばれ有名なオカルト雑誌に取り上げられたこともある。
「信じています」
僕は普段だったら信じてもらえずに馬鹿にされるので適当に返すが今は真面目に答えた。それまでは何も話す気つもりはないという様子だった先輩が初めて噂に触れた。
「なんでそこまで」
「実際に願いが叶ったからです」
「本当なの?」
天野先輩は半信半疑といった様子だ。普通に聞けば完全にオカルトの類の話だ。それも当然なのだろう。僕は頷く。
「五月四日から五月五日の間にかけて夢を見たの。噂にあるように私は願いを聞かれた気がしたわ」
天野先輩は呟いた。
バスは信号に引っかかることなく次のバス停を目指す。潤美乃中央のビル街を抜けて、自然の青が見えてきた。潤美乃で唯一の海岸である潤美乃海岸が見えてきた。
僕の時もそうだった。この噂にはデマだと思われるものもあるが天野先輩の話は僕の体験とも一致している。そもそもこんな嘘をつく理由はない。
「それならすぐに最初聞いたとき言ってくれればよかったのに」
「いきなりこんなこと言っても信じてもらえないとおもったのよ。普通はそうでしょ」
天野先輩の意見はもっともだ。僕の時もそうだった。誰かに話しても殆どの人は信じようとしなかった。
「話しを戻すけど所詮は夢の話だし証明する方法もない。噂の話は私も聞いたことがあったし、偶然そういう夢を見たって可能性もある」
「だから潤美乃神社に何か情報がないか探しにきていたんですね」
天野先輩が軽く頷いて僕の確認が間違いでないことを肯定する。
「何もなかったけどね」
僕も潤美乃神社には何度か行って噂について何かわかることはないか調べた。潤美乃神社にはそれらしき情報はなかったはずだ。
その他にもインターネットで他の地域の似た現象などの情報にも一通り目を通したがそれらしい情報はなかった。
「先輩は夢を見てから何か変化がありましたか?」
「特に何も。でも願いが叶うんだし特に困ることはないわ。邪魔しないでね」
誰にも迷惑が掛からずに願いが叶うなら邪魔するつもりなど全くない。
「そういえばなんで私が噂の夢を見たってわかったの?」
「潤美乃神社にいたときもしやと思ったんです。一人だったし」
「橘君だって一人だったじゃない」
「まぁ、そうですけど。確信を得たのは僕が最初に願い叶え伝説について話したときです」
昨日の潤美乃神社でのことだ。
僕が願い叶え伝説と言ったとき天野先輩は「知らない」と言っていたが確かに何かを知っている反応だった。
「先輩って嘘つくのとかってあまり得意じゃないですよね。演技とかできないタイプですか?」
僕と天野先輩の間に沈黙が流れる。空気が固まる。
「ずけずけとうるさいわね」
調子に乗りすぎた。怒りをあらわにした天野先輩の表情に寒気が走る。地雷を踏んでしまったのかもしれない。先ほど少し見せた怒りとは比べ物にならない迫力がある。
「どいて」
天野先輩が荷物をもって立ち上がる。
「降りるの」
僕がフリーズしていると天野先輩は強い口調で加えた。
バスが徐行し始めようやく僕はこのバス停で天野先輩は降りるのだと理解した。僕は足をひっこめる。
潤美乃中央の北東、潤美乃海岸のバス停にバスが完全に停止して天野先輩は無言でバスから降りて行った。
僕はその背中をただ見送ることしかできなかった。僕は大きく後悔ののったため息をついた。
5
「片付け終わったら早く帰れよ」
部活の終了時刻になり、顧問がそう言い残して体育館から出て行った。
天野先輩と帰った日以来、僕は怒らせたことを謝ろうと天野先輩を探した。しかし結果から言えば不運にも天野先輩とは会えずに三日が経った。この三日間はずっともやもやした毎日だ。
「そんな顔してどうしたんですか?」
片付けの手が足りていたので僕が自分の荷物を整理していると後輩の女子の一人が目の前にやってきた。
名前は秋葉由奈。
今どきの女子といった風の容姿をしているが性格は意外にも真面目で先輩や顧問には礼儀正しい。その上に人懐っこい性格をしていて周りから好かれるタイプ。そんな後輩だ。
秋葉は結んでいた特徴的な赤みがかった髪をほどき、手で少し髪を整える。
「別にどうもしないよ」
「天野先輩のことですか?」
秋葉から急に天野先輩の名前がでてきて正直に驚いた。秋葉に天野先輩との接点はないはずだ。
「隼人か」
僕が最近、天野先輩に関して少しでも話した人間は隼人だけだ。
「隼人先輩がどうかしましたか?」
「どうもしないけど」
秋葉は隼人の名前を出したことにピンときていないようだ。愛嬌のある顔できょとんとしている。
だがそうなるとなぜ秋葉の口から天野先輩の名前がでたのか一向にわからない。謎が謎を呼ぶ。秋葉は超能力者なのだろうか。
「翔太先輩もあの天野先輩と二人で帰るなんてなかなか隅におけませんね」
悩んでいるのが愉快だったのか少しじらした後に観念した僕に秋葉が答え合わせをしてくれた。
「見ていたのか?」
「私じゃないですよ。一緒のバスに乗っていたっていう先輩がいて」
あの中に秋葉の知り合いがいたとは思わなかった。まだ高校に入ってから二カ月と経っていないのに秋葉のネットワークは侮れない。
「なんかただならない雰囲気だったみたいですけど何かあったんですか?」
秋葉は興味半分、心配半分といった感じだ。多分興味の方が大きい。
「単純に僕が怒らせただけだよ」
「怒らせた?」
「余計なことを言ったみたいなんだ」
「他の女子のこと可愛いとか言ったんですか? 女子って直接、ブスだって言われるより自分の前で他の女の子のこと可愛いって言う方が傷つくことだってあるんですよ」
「言ってないよ。大体、あの人より美人な人は中々いないだろ」
「攻めたこといいますね。私も女の子なんですけど」
「自分が天野先輩より美人だと?」
「流石にそんなに自信家じゃないです。でも言わなくてもいいことってあるんですよ」
僕が何を言ったかは聞いてこない。この辺のラインの見極めが秋葉は上手い。
「秋葉は天野先輩について何か知っていることはないのか?」
「ないこともないですよ。でも一応は個人情報なので」
秋葉ははっきりしない態度をとる。何か知っているなら勿体ぶらずに教えて欲しい。
「困っているんだ」
秋葉は悩んでいる素振りを見せる。
「貸し一ですよ」
秋葉は人差し指を立てて一の形を作る。
「サンキュー」
秋葉は困っている人がいると無視できないタイプであり同時に頼られると断れないタイプである。最近得た知見だ。
「天野先輩は潤美乃海岸近くのカフェのカフェ・オーシャンレでバイトをしているみたいです」
秋葉は罪悪感があるのか人に聞かれないように少し小声で言った。
潤美乃海岸と言えば昨日、天野先輩が降りた場所だ。カフェ・オーシャンレは中に入ったことはないが場所はわかる。海とお洒落をかけた独特なセンスの名前なこともあって潤美乃では結構有名だ。
昨日はバイトがあったのかもしれない。
怒って、一緒にいたくもなくなって降りたのではなく最初から潤美乃海岸で降りるつもりだったのだとしたら少しは救われる。
ふと天野先輩のカフェの制服姿を想像する。なんとも似合いそうだ。秋葉に怪訝な視線を向けられた。
「なんでそんなこと知っているんだ?」
頭を支配する制服姿の天野先輩を消す。
「一年生の中では天野先輩って人気あるんですよ。男子は勿論ですけど女子にも。それでよく噂がまわってくるという感じです」
入学したての一年生にとって三年生がかっこよく見えるのは理解できるが一年生の間ではそんなことになっているのは知らなかった。
「他には?」
本人のいないところで嗅ぎまわるような真似は褒められたものではないが僕は天野先輩について少しでも知りたかった。今は手段を選ばはない。
「他にですか」
秋葉は腕を組みながら考えている。
片付けをしていた人は徐々に出ていき体育館には数人しか残っていなかった。
「そういえば転々坂に劇団があるのは知っていますか?」
「知らないな」
転々坂とは潤美乃中央を挟んで潤美乃ヒルズのちょうど反対側。すなわち潤美乃に南に位置する街だ。名前の通り転びそうになるほど急な坂道がある街だ。
転々坂は偶に行くこともあるが劇団の話は残念ながら聞いたことがない。
「銭湯があるのはわかりますか?」
「わかるよ」
転々坂駅の近くには銭湯がある。随分前のことだが実際に入ったこともある。
「そこの遠りの坂を頂上まで登っていくと駄菓子屋がありますよね」
僕は言われた場所を思い浮かべる。確かに駄菓子屋があった。
「その向かい側にレンガ造りの建物があって、それが劇団です」
微かにだがそんな建物があったような気もする。最後にその辺に行ったのは中学校に入学した時期だったかもしれない。
「その劇団がどうしたんだ?」
「今はわからないですけど少なくとも何年か前まで天野先輩がいたらしいんです。そこに通っていた私の友達がいるんです」
「まじか」
「まじです」
昨日何が天野先輩を怒らせたのか予想が立ってしまってゾッとした。
天野先輩が劇団に所属していたというのが本当だとすると演技について勉強していたことになる。そんな人がいきなり知り合ったばかりの素人に「演技ができない」などと言われたら怒るのも当然だ。
「ありがとう。色々わかったよ」
僕は秋葉に何も悟られないようになるべく自然にそう言ったが表情は暗かっただろう。
早く会って謝らなければ、僕は秋葉と二人だけの体育館でそう思った。
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