夏の声が聞こえた日
@ShikiKuroyama
第1話 天野紗季と出会う
1
耳をすませば夏の声が聞こえてきそうな日のことだった。
五月五日、ゴールデンウイーク最終日。いつから自分は子供ではなくなったのか僕は考えていた。
東京都潤美乃。ターミナル駅である潤美乃中央駅を中心に開かれた街。ひと昔前は人口減少が問題になったりもしたが再開発が成功し、最近では住みたい街ランキングの上位にも入り、注目されている。僕はそんな潤美乃の北に位置する住宅街、美乃ヒルズのマンションに住んでいる。
時刻は十二時前。住んでいるマンションを出て自転車で二十分。地域の小学生が通う公立小学校、潤美乃小学校の裏山にある潤美乃神社へ向かっていた。
買い物を頼まれたついでの寄り道だった。
小学校の裏山の中腹にある潤美乃神社は山のふもとから続く階段を上った先にある。
山のふもとにある駐輪場に自転車を止め、長い階段を上っていく。まだ蝉がなくような季節ではないが急な階段を上っていると汗をかくには十分な気温だ。
Tシャツ一枚で来ていなければ途中で後悔していただろう。朝着替えたときの自分に感謝する。
数えたことはない百段以上はある階段を上がり切り、ようやく神社の鳥居が見えてきた。
来る途中小学校ぐらいの子供とその両親だろう三人とすれ違った。でも祭りのとき以外は人で賑わうような場所でもない。
僕は誰もいないと思って境内を見渡した。僕の予想に反してそこには一人の先客がいた。
彼女がいたのは鳥居から真っすぐ進んだ本堂がある方ではなく脇にそれた神社についてかかれた看板の前だった。
今日の空のように澄んだ水色に白の縦ラインが入ったシャツと細身のジーンズ。
後ろ姿だがシンプルな恰好ゆえにそのスタイルの良さが際立っている。
頭には名前は忘れたがアメリカの野球球団のロゴが入った帽子をかぶっている。
そこから肩甲骨下まで綺麗な黒髪が伸びている。
身長は目測で百六十センチ代後半。
この階段を上ってきたはずだから当然だがヒールなどは履いていない。動きやすそうなスニーカーだ。
僕の足音に気が付いて彼女はこちらをちらりと見た。
僕は彼女の名前を知っていた。
天野紗季。
彼女は僕の通う潤美乃高校の一つ上の先輩だ。
「天野先輩ですよね」
一度は見ていた看板に視線を戻した天野先輩だったが、僕が名前を呼ぶと再びこちらに振り返った。
「あなたは?」
「橘翔太と言います。潤美乃高校の二年です」
天野先輩は僕のことを知らないようだった。
不思議なことではない。天野先輩は学年の違う二年生でも美人な先輩がいると有名になっている。
僕は噂になるようなことはしていないはずだ。
初めて聞く天野先輩の声は想像される通り綺麗な声だった。
「どうかしたの?」
「何されているのかなと」
「見ればわかると思うけどこれを読んでいたの」
天野先輩は看板を指さす。
「この神社の歴史とかですよね」
「そうね」
面白いことが書かれていなかったのか、それともこれが素なのか退屈そうな表情を浮かべている。それがまた少し大人っぽさを演出させている。
「あなたはお参り?」
「まぁ、そんな感じです」
「信心深いのね」
特に信心深い方でもないが否定する必要もないのでそのままにしておいた。
「願い叶え伝説って知っていますか」
看板の内容を読み終えて僕と入れ替わりで立ち去ろうと階段の方へ向かう背中に僕は声をかけた。
一瞬、天野先輩の背中が小さく揺れ、天野先輩はピタリと足を止めた。
「知らないわ」
天野先輩は振り返るとそう言った。
「あなた、信心深いだけじゃなくてそんなオカルトも信じているのね」
続けてそう言い残すと天野先輩は階段の方へ姿を消した。
僕はお参りを済ませ、天野先輩が読んでいた看板に一通り目を通してから潤美乃神社をあとにした。
2
潤美乃神社の境内で天野先輩と出会った翌日、ゴールデンウイークが終わり、再び学校生活が始まった。
午前七時過ぎ、僕は自宅マンションをエレベーターで一階まで降り、最寄りのバス停であるくじら池公園博物館前へ向かった。
くじら池公園はくじらの形をしている池がある公園だ。池の周りには簡単な屋外ステージや遊具がある。公園内の博物館では潤美乃の歴史や文化について知ることができる。
バス停には制服を着た学生が二人とスーツ姿の社会人が並んでいた。
この辺りの住人にとって通勤通学の足として使われているこのバスは潤美乃ヒルズを抜けた後、昨日行った潤美乃小学校がある潤美乃ニュータウンを通り最後に潤美乃中央駅へ戻る。
潤美乃高校は潤美乃中央のバス停からは徒歩十分ほどだ。
バス停についてすぐ緑色の見慣れたバスがやってきた。
このバス停は潤美乃中央駅のバス停を出てから二個しかバス停を経由していないので基本的に朝は空いている。雨の日以外は大体座ることもできる。
僕は待っていた人の後に続いて定期券をかざしてからバスへ乗り込んだ。バスの最奥にあるロングシートの扉側が開いていたのでそこへ座る。最後に乗った僕が座るとバスはゆっくりと動き始めた。
そこからはほとんど降りる人はおらずバス停のたびに徐々に人が増えていった。
窓からぼんやりと外を眺めていると潤美乃小学校前で見慣れた姿がいた。部活仲間の国分隼人だ。
隼人は中学まで野球をしていたらしく、背が高く筋肉質な身体をしている。
アイドルのような爽やかな顔をしており、後輩からも先輩からもモテる少し癪な奴だ。
だがそれ以上にいい奴でもある。
バスに乗ってきた隼人はすぐにこちらに気が付き、人の間をよけて僕のそばまで来た。
僕が端によって開けた場所に隼人は座った。
「よう」
「今日は彼女と一緒じゃないのな」
「部活の朝練だってさ」
一年の冬頃から同じ学年のバスケ部の女子と付き合い始めた隼人は一緒に通学してくることがある。
中学からの幼馴染で家が近いらしい。
バトミントン部とバスケ部が体育館を分けて練習しているときは偶に隅の方で話しているのを目撃する。
「なぁ、天野先輩って知っているよな」
「ああ」
隼人はメッセージを返す手を止めスマホをポケットにしまう。
「どういう人なのかと思って」
「どうした? 告白するなら別の人にしとけよ。倍率が高い」
「別にまだ何も言ってないだろ」
「どういう人かと言われれば少なくともうちの学校では一番美人だな。芸能人って会ったらあんな感じなんだろうな」
昨日の神社での景色を思い出す。
確かに天野先輩がいたあの境内は映画のワンシーンを切り取ったような雰囲気があった。
まるで画面の中の女優がそこにいるかのようだった。
「それいいのか?」
彼女がいる奴が他の人を学校で一番美人などというの褒められた行為ではない。お世辞でも彼女の方が美人だと言っておくべきではないのだろうか。
「佳那は可愛い系だからな」
潤美乃中央駅に近づくにつれ通勤ラッシュの車、バイク、それから自転車などが増え、バスの進みがゆっくりになる。
バスも座れる場所がなくなり立っている乗客が増え始めた。
隼人とたわいない話をしていると次のバス停が終点の潤美乃中央駅であることを知らせるアナウンスが流れた。
駅の東口に位置するロータリーにバスがゆっくりと停車し、前後の扉が両方開けられる。
出口に近い人からぞろぞろと降りていき僕らは最後にバスを降りた。ロータリーから特徴的な金色の卵のモニュメントがある駅前広場の方へ向かう。
ここら辺まで来ると一気に潤美乃高校の制服を着た生徒の数が増えてくる。
僕らはその生徒たちが作る波にのって高校の方へと向かった。
3
一日の学校生活の終わりを知らせるチャイムが鳴った。教室の生徒たちは各々放課後の活動へと向かう。
僕といえば何の予定もないので持ち帰る荷物を片付ける。
荷物を片付け終り、教室を後にしようとすると僕が出ようとした扉がふさがれた。
僕を通させまいと扉の前に立っているこの男は二宮利明。
特徴的な天然パーマを携えた丸いフォルムのこの男は人数不足により廃部寸前の科学部を率いる一応は部長だ。
普段の素行から敬遠されがちではあるものの周囲が思っているよりは悪いやつではない。
二宮とは中学からの付き合いで理系科目が得意なのでテスト前に度々お世話になっている。
「どうした?」
身長は僕より十センチメートルは小さいはずなのに前に立たれると二宮はかなり大きく感じる。
「どうしたもこうしたもないよ」
いつもと変わらぬ鬱陶しいテンションで二宮が言う。
「また何かつくったのか」
「よくぞ聞いてくれた。その通りだよ」
そう言って二宮は僕の腕をつかむと僕の意志とは無関係に僕を引っ張り、下駄箱を通りすぎて地下一階にある実験室へ連れ出した。
ここは名前の通り理科の授業で実験に使われる教室だが科学部の部室としても使われている。
理科の教員が校則に緩いのをいいことに二宮はよくここに見つかったら没収されそうなものを隠している。
実験室に着くと二宮はいつも物を隠している引き出しを開けた。
引き出しからとりだしたのは銀色のパソコンだった。二宮はパソコンの電源を入れる。
「今日は何の用事で連れてこられたんだ?」
「今日見せたいものはね、これだよ」
二宮がこちらに向けたパソコンの画面にはSNSワードキャッチャーと書かれていた。
「何か好きな単語言って」
「じゃあ、元町啓二」
意図はわからないが二宮に言われて今朝テレビで聞いた名前を適当に答える。
元町啓二はサッカー選手だ。昨日の他国との親善試合でハットトリックを決めたらしい。今朝はその名前と共に何度もゴールシーンがニュースで繰り返されていた。
「誰だそれ?」
「サッカー選手だよ」
二宮は自分の興味のない分野の事となると何も知らない。スポーツは二宮の不得意な分野の代表のようなものだ。
「まぁ、それを調べるのもこれの役目だ」
二宮はそう言って検索欄のようなところに元町啓二と入力し、実行と書かれたボタンをクリックした。
するといくつかの主要なSNSが自動で開かれ元町啓二に関する情報が表示された。
「昨日の試合で活躍した男のようだな。他にこの男に関して知りたいことはあるか?」
「知りたいこと?」
「なんでもいい」
「誕生日とか?」
「そんなこと橘の持っているスマホでも調べればすぐにわかることだろ」
二宮は早くこのシステムを試させろと目でうったえてくる。しかしそうはいってもすぐにはいいアイデアはでない。
「じゃあ、この男の現在地を聞いてみよう」
僕が悩んでいると二宮がさっき検索した元町啓二の後ろに現在地と付け加えて検索をかけた。
すると画面上のトップにお台場の辺りの地図が表示された。それに加え、東映テレビ局内の可能性が高いと書かれている。東映テレビはお台場に本社を置くテレビ局だ。
「東映テレビに元町啓二がいるのか?」
「そうだな。十分前にこの男がアナウンサーと撮った写真がSNSにアップされている。この投稿の他にも同時刻に数件この場所で投稿があるから間違いないだろう」
二宮が指す画面を見ると二宮の言う通り元町啓二が写っている投稿が数件表示されていた。どうやらこの後テレビの生放送があるらしい。
「他にもSNS上から推測できることは何でもわかる」
発明の性能を示せたからか二宮は実に上機嫌だ。
「でもこれって有名人じゃないと難しいよな」
「勿論有名人であればあるほど情報が多くなるから知れることは多くなるが一般人でも色々知れることはある」
「例えば?」
「さっきの現在地を例に出すと本人と思われるSNSのアカウントがわかればその顔と顔認証してすべてのユーザーの投稿からその顔がないか検索する」
二宮は自慢げに語っているがこれは何かの法律に引っかからないのだろうか。
「これを使って何をするつもりだ?」
恐る恐る僕は二宮に訊いた。
「愛しのサーヤちゃんの情報収集だよ」
サーヤちゃんとは二宮がこよなく愛するアイドルのことだ。それじゃまるっきりストーカーじゃないか。
僕はストーカーの共犯者になってしまう前に実験室から逃げ出した。後ろから二宮の高笑いの声が聞こえてきた。
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