第21話 初めての失恋

 空気中に舞い散った紫の破片が、スターダストのようにキラキラと光る。

 レオの作り出した紅蓮の魔法陣の上で、エリナは安らかな顔で息絶えていた。

 胸には、しっかりと抱きかかえられたラウルの頭部。

 二人は、永遠に結ばれたのだろうか。


「……エリナ」


 レオの魔法力が、アイリスの目から涙を落とす。

 魔力で作られた水分は、しょっぱさまで再現されていた。

 目頭が熱くなる感覚も、頬を伝う感触も、溢れた涙が徐々に冷たくなっていく温度感も。

 異常なほど忠実な再現力は、涙が作り物であることをアイリスに忘れさせていた。


 カーティスが指揮した全てのアンデッドはその場に倒れ、動く敵は一人もいなかった。

 カーターとアレン率いる聖騎士たちはその場に崩れ、満身創痍の様子でへたり込んでいた。


 リュカは剣を収め、アイリスを抱きしめる。

 でるようにおでこにキスをし、アイリスの目にそっと人差し指の甲を添え、優しく涙を拭き取った。


「リュカ。エリナが」

「…………」

「でも、これで良かったんだよね。エリナは、カーティスから解放された。これで、ラウルと結ばれたんだ」


 リュカはアイリスから離れ、アンデッドの海と化したハーミットバレーを、おもむろに歩き始める。


「リュカ……?」


 何処へ行くのだろうか。

 疑問に思ったが、ただ茫然と見つめていた。

 リュカは、ラウルの胴体のあるところへ辿り着く。

 軽々と担ぎ上げると、戻ってきて、紅蓮の魔法陣の上で横たわる、エリナに抱きしめられたラウルの頭部の近くへそっと置いた。


「……そうだね。いくらなんでも首だけじゃ、可哀想だもんね」


 この時、アイリスは不思議なことに気がついた。


 なぜ、レオの魔法陣は消えていないのだろう、と。

 この魔法陣は、聖なる盾クストディアを作り出すために呼び出したもののはず。

 しかし、聖なる盾はとっくに消えている。なのに、魔法陣は残り続けていた。

 

 レオは、魔法陣から出る。

 レオを中心として描かれていると思っていた魔法陣は、今、エリナとラウルをその領域内に収めている。


 レオは、詠唱を始めた。


 意味がわからず呆然とするアイリスの前で、エリナとラウルをその領域内に収めた紅蓮に輝く美しい魔法陣は、ブウウンと響く重低音を効かせてゆっくりと回転を始めた。


 ──あ……!!


 アイリスは、つま先から頭の先まで鳥肌が走る。

 

 厳しい戦いの中で、つい忘れていたのだ。

 レオは、死霊秘術師ネクロマンサー

 それも、カーティスなどとは比較にならないほどの──リルルですら凌ぐほどの。


 レオがエリナに施したのは、アンデッドの「術者変更の盟約」。

 変更は、術者同士が同意した上で盟約を交わすか、もしくは、現在の術者の死亡にあたり、全く術が途切れることなく次の術者が引き継ぐことで成立する。


 魔法陣から、ブワッと魔素が吹き上がり──。

 旋回し、輝きながら上空高くまで巻き上がる美しい紅の渦。

 まるで炎のようにき上がり、荘厳なハーミットバレーが赤く彩られた。

 


 キラキラと輝く気流の中で、エリナが上半身を起こす。



 ぼーっとした顔で、ゆっくりと周りを見回していた。

 ああ、きっと状況がわからないんだろうな、とすぐにわかる顔だ。

 

 ゆっくりと浮かび上がっていくキラキラした紅い光に包まれて。

 横には、首の下にしっかりと体がくっついている、ずっと見てきた、見慣れたいとしい恋人の姿があって。


 きっと、ここは天国なんだ、と思うに違いない。

 ラウルと二人で、あの世に行ったんだ、って。

 こんなふうに、現実離れした赤い綺麗な光の中にいるのがいい証拠だから……って。

 

 エリナは、眠っているように無邪気な顔をしているラウルを見ながら、フッと口元を緩める。


 ゆっくりと昇る赤い光の中で、ラウルもまた目を開け、上半身を起こす。

 エリナとラウルの視線が合う。

 ラウルはエリナに気付くと、エリナと同じように優しく微笑んだ。

 

「エリナ。おはよう」


 フワッとした声で言うラウルに、エリナは「もう」と怒ってみせる。

 そんなふうに言いながらも、顔中に幸せが溢れている。


 エリナは、感触を確かめるようにラウルの手を握っていた。

 きっと冷たいはずだ。

 生きている頃はもっと温かかったのになあ、とか思っていそうな顔。


 赤い光が消え、エリナはアイリスたちに気付く。


 ぽかんとした顔で、まるで幽霊でも見るようにしていた。

 無理もない。

 天国だと思っていたのに、死んだはずがない人たちがそこにいたのだから。


「リュカ。アイリス。……レオ」


 呆気に取られていたエリナは、慌てて周りを見回す。


 周りには、カーティスの兵隊だったアンデッドの死体が大量に転がっている。

 その上、ここはハーミットバレー。

 エリナは、間違いなくこれが現実だと理解しただろう。

 ならば。首を切られたはずのラウルがこうして生きているということは、ラウルもアンデッドになったに違いない……と、気づき始めたはず。

 それでも、まだ「信じられない」という顔をしてラウルを観察している。

 

 ──だよね。

 じゃあ、ちゃんと言ってあげないとね。


 アイリスたちは、家族を迎えるように言った。



「おかえり。現実の世界へ」


  

 ──私たちは、アンデッド。

 涙など流れはしない。

 ……はずだったのに。

 余計なことをしたのは、レオだよ?

  

 エリナとラウルは、涙を流しながら夢中で抱き合った。

 キスをし、髪を撫で、おでこを引っ付け、愛しい人の存在を精一杯確認する。

 もう誰も二人の邪魔をすることはなかった。


 レオは、嬉しそうに、でも、悲しそうに、抱き合う二人を見つめる。

 

 アリイスは、そういうのを見逃さない。

 レオの頭を優しく撫でる。

 レオは、手を振り払ったりしなかった。

  

 初めての失恋。

 レオはアイリスに抱きつくフリをして、誰にも顔を見られないようにした。

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