第19話 さよなら

 レオは、紅蓮に光る魔法陣の守護領域に、アイリスとエリナを入れる。

 不安そうにするエリナの肩を抱き、レオは優しい微笑みを返した。


「レオ」

「大丈夫。お父さんは負けない」


 嵐のような「闇の風」は、疾風のようなリュカの剣線が一つ残らず掻き消していく。

 リュカの剣は、カーティスの猛攻を防ぎながらも周囲のアンデッドからの攻撃も防ぎ、なおかつ、アンデッドの数を着実に減らしていく。


 カーティスは叫んだ。


「死ねぇぇ!! 死ねぇぇぇぇぇぇぇっっ!!!」


 この場を囲んでいた死霊軍のアンデッドたちの動きが、徐々に変化していた。


 全ての敵が、リュカに向かって突っ込んでいくのだ。

 均等にアイリスたちを囲んでいた敵の包囲網がいびつな形へと変化していく。


 それによって、カーターとアレンへの負担が弱まった。

 アレンは、まるで海のようなアンデッドの群れに囲まれる自らのあるじを見て、雄叫びを上げた。

 

「団長────っっっ!!!」

「待て、アレン、団長の命令を忘れたか! 我らは森への退路を切り開くのみ!」

「……おおっ!!」


 カーターとアレンは相当に疲弊していただろう。

 だが、アンデッドの動きがリュカへと向かったことで、何とか戦い続けることができているようだった。


 敵の戦力がリュカに集中したこの状況は、間違いなくカーティスの恐怖を象徴しているとアイリスは思った。


 レオを護る必要がなくなった今、リュカは途轍もない攻撃力を発揮している。

 リュカに戦力を集中させなければ、リュカの刃がカーティスに届いてしまう。

 届いてしまえば、行動不能にさせられるかもしれない。そうなれば、白魔法により追撃され、滅殺の可能性が出てきてしまう。


 奴は、リュカを怖がっているのだ。

 それほどまでに、聖騎士団長──剣聖リュカの力は強大だった。

 エリナは、まるで舞うようなリュカの剣さばきに見惚みとれた。


「すごい」

「そうさ。お父さんは、この世で一番強い剣聖なんだ。誰もかないっこないさ」


 拳を握りしめて誇らしげに言うレオを見て、アイリスは嬉しくなった。

 

 ──そう、リュカに敵う奴などいない。

 人質さえいなければ、リュカが打開できない戦局などない!


 興奮気味にリュカの戦いを見守っていたアイリスは、しばらくしてアンデッドたちの動きに違和感を持つ。


 アンデッドの攻撃がリュカに集中し、かつ、レオのプロテクトに護られてゆっくりと敵を観察する余裕が生まれたから気付けたのだろう。


 ──あれ?

 リュカの攻撃を防御するだけのアンデッドが集中的に攻撃を受け、別のアンデッドが隙をうかがって攻撃に転じている。

 役割を分担して、動きに緩急をつけている……!

  

 アイリスの視界に映るリュカの体から、復元魔法の赤い光がチラチラと見え始めていた。

 アンデッドたちは、リュカに攻撃を当てるようになってきたのだ。


 アンデッド軍が、徐々にリュカを、切り立った峡谷の壁へと追い詰める。

 その上空には、紫の魔素オーラが大量に充満していた。

 たまらず上空に飛び上がったところを、「闇の風」で仕留めようとしているに違いない、とアイリスは思った。


「まずい。あれじゃ、リュカは──」


 このまま黙ってリュカがやられるとは思えなかったが、意に反して不安が心を包んでいく。

 アンドロイドは不死身だが、受けるダメージが大きすぎるとそれに応じて行動不能時間が長くなるのだ。

 レオは、唇に指を当てて考え込んだ。


「白魔法で倒すのは、この状況では無理だ。それ以外の方法で倒すしかない! 奴はリッチだから、倒すにはコアを破壊する必要があるんだけど……。それを探すのが、難しいんだよなぁ。ねえエリナ、あいつの根城に、何かあいつが大事にしていたものはなかった?」

「大事に?」

「そう。まるで自分の命よりも大事であるかのような、そんな印象をいだくものだよ」


 エリナは、うーん、と首を傾げる。


 レオはエリナの肩を抱いていたから、エリナに密着していた。

 そのまま視線を下におろした拍子に、胸の谷間がチラッと見えてしまったようだ。

 顔を赤くして、慌てて目をそらす。

 こういうのを見逃さないアイリスは、目を細めて指摘してやる。


「レオ。今、」

「うるさいな!! 不可抗力だよ! こんな時に、そんなことするわけ、」


 いきなりガヤガヤし始めたレオのことを不思議に思ったエリナが尋ねる。


「何が?」

「何でもないよっ!!」


 至近距離で直視してくるエリナの視線を避けるため、レオはまた目線を下に・・逃す。

 レオは二度見した。

 ハッとしたエリナは、胸元を恥ずかしそうに隠す。


「あっ! そういうこと? レオ、こんな時に……」

「違っ……だからそうじゃなくてっ! てか、エリナの体は変装魔法だし。つまり、全部僕が想像したもので──」

「えっ!?」


 エリナは、ぼんっ! と湯気が吹き出したかのように真っ赤になり、レオを凝視する。

 すぐに胸元のローブを指で引っ張って、自分の胸を覗いた。


「私のこと、どんなふうに想像してたのか気になるっ」

「ちょっ、それはまたあとで! それよりエリナ、それ!」

「え?」


 レオは、エリナが首にかけていたネックレスを指差す。

 エリナは、恐る恐るローブを開いた。

 そこには、黄金色の鎖に繋がれた、紫に光る綺麗な宝石があった。


「これ? これは、カーティスがプレゼントしてくれたの。婚約祝いに、って」

「それだ」


 レオは断言する。

 だが、アイリスは信じられなかった。


「宝石の色は、カーティスの魔法力と同じ色。可能性としてはあるかもしれないね……。でも、何よりも大事なコアを、エリナにプレゼントなんて、するかな……」

「わからない。だけど、もう、今とれる方法はこれしかないよ」

 

 エリナも気付く。


「……まさか。これが、カーティスの?」

「ああ。宝石だから、手で割るのは難しい。僕が魔法力でやるよ」

「もし、これだったら……」


 エリナは、ゆっくりと首からネックレスを外し、手に取った。

 宝石を持つ手が、細かく震えていた。

 アイリスは、それを無言で見守った。

 エリナは目を閉じ、下唇を噛み、やがて口を開く。


「……さよならだね、レオ。ありがとう。私の分も、幸せに生きてね!」


 エリナは微笑み、目に涙を浮かべた。

 レオの魔力で実現する、感情を「見える化」した涙。

 本物の涙と何一つ変わることのない、エリナの気持ちそのものだ。


 レオは、泣いたりしなかった。

 強い意志を秘めた、溢れんばかりの魔法力を宿した水色の瞳でエリナを見つめる。


「お父さんが言った。君のことを救いたい、って。僕も、そうだ」

「うん。君たちのおかげで、私は救われた。ラウルと一緒に、眠りにつくよ」


 エリナとレオは並んで立つ。

 エリナは、紫に輝く宝石を垂らすように黄金の鎖を持ち、手を前に出した。


「カーティス」


 リュカの討伐に夢中になっていたカーティスは、愛する人の呼びかけに振り向く。

 エリナを目に留め、綺麗に二度見した。


「エリナ」


 全てのアンデッドが動きを止める。

 満月に照らされたハーミットバレーは、まるで海のようになった紫の光の群れと、物音ひとつない静穏に支配された。

 

 カーティスがエリナへ近づこうとする。

 レオが手を前に出し、紫の宝石を握りしめた。

 底知れぬ力を秘めた水色の瞳に射抜かれ、カーティスは足を止める。

 

「どうして」

「ごめんね」

「愛してる。この世の誰よりも」

「私の愛する人は、ラウル一人なの」


 カーティスの顔が歪む。


 レオの体が、大量の赤い魔素に覆われた。

 体内に充満した膨大な魔法力は、直接コアへと注ぎ込まれた。

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