第15話 ハーミットバレー

「まずいな……すぐに引き返すぞ!」


 リュカが号令をかける。

 確か、エリナの話では、森を抜けて峡谷が見えたところでカーティスと出会った、と言っていたのだ。

 すなわち、ここはもう奴の縄張りであることを意味する。

 

「いた!」


 Uターンしようとしたところで、森のほうから声がした。

 アイリスたちは、とうとう追跡者に捕まった。

 その者たちが向けてくる明かりが、アイリスたちを乱暴に照らす。


 片手で明かりを遮って、追跡者の様子を確認する。

 人間たちだ。

 聖騎士五人と、魔術師一人。


 リュカの話からすると、アステカに駐屯する聖騎士の見回りは一組五名。

 そこへ、アイリスたちを追跡するために魔術師を加えて編成したのだろう。


「お前たち。先ほどミルズ家に忍び込んだ魔物だな」


 追跡団の先頭にいた聖騎士は、剣をリュカへと向ける。

 が、すぐに目を見開き、慌てて剣をおろした。


「リュ、リュカ様!! リュカ・アルフォード様ではございませんか! どうして、こんなところに」


 アルテリア王国領であるアステカに駐屯するのは、当然のことながらアルテリア聖騎士団だ。

 その聖騎士団長であるリュカの顔を知らない者などいない。


「申し訳ございません、とんだご無礼を……しかし、こんな時間にこんな場所で、いったい何をなされているのです? しかも、奥方のアイリス様とご子息のレオ様までいらっしゃる」

「ああ。ハーミットバレーに用があってな」


 リュカは、何でもないかのように振る舞った。

 確かに、騙せるなら騙してしのいだほうがいい。

 争いは極力避けたほうがいいだろう。


 でも、こちらに何か話を振られたりしたら、アイリスはうまく芝居をする自信がなかった。

 アイリスは嘘が下手なのだ。

 きっとガチガチになってしまうだろう。レオはなんだかうまくやれそうな気がしたが……。

 

「しかし、この辺りは強力な魔物もうろついています。取り急ぎ、森を出ましょう」

「待て、アレン」


 最初にリュカへ話しかけたアレンへ、一つ後ろに控えていた聖騎士が話しかける。


「なんだカーター。あまりここには長居しないほうがいい」

「アレン、忘れるな。俺たちは、ミルズ家に忍び込んだ魔物・・・・・・・・・・・・を追ってここへ来たはずだ。その結果出会ったのが聖騎士団長だったからと言って、安心するのは理屈に合わぬというものだろう」

「何を言っている? 我らが聖騎士団長を、お前は……」


 カーターと呼ばれた男は、権威というものに臆するタイプではないのだろう。

 リュカを見つめるその瞳には、尊敬や仲間を見る色は微塵も見られなかった。

 カーターの瞳を凝視していたアレンという男は、ハッとしたような顔をする。

 リュカを見つめるアレンの眼差まなざしに、疑いの色が混ざった。


「まさか……魔物の変化へんげ!?」

「この場合、そう考えるべきだろう。第一、お前が言ったように、こんな時間にこんな場所で、陛下を護るべき聖騎士団長がうろついているなどあり得ない」

「……そうだな。すまん、俺は気が動転していたようだ」


 アレンとカーターは、残りの聖騎士三人と魔術師を率いるこのパーティーのリーダーのようだった。二人の意志が固まった途端、人間たちは全員がアイリスたちへ戦闘態勢をとったのだ。

 しかし、リュカは戦闘態勢をとらない。手のひらを開いて前へ突き出し、聖騎士たちを牽制する。


「カーター、俺はお前のそういう冷静で合理的なところを認めてアステカ駐屯聖騎士班の長に任命した。だが、今は俺の言うことを聞いてほしい。訳あって秘密裏に行動しているだけだ。俺は、お前たちとは戦いたくない。カーターとアレンだけじゃない、もちろん残りの三人のことも知っている。スコット、ウォーレス、メイソンだ。俺は偽物ではない。剣をおろせ」


 聖騎士たちに動揺が広がった。


 単なる魔物が、自分たちの素性など知っているはずがないと思ったのか。

 先ほど威勢よくタンカを切ったカーターですらが動揺しているように見えた。

 注意深くアイリスたちに目線を這わせながら、カーターとアレンは互いに顔を見合わせる。


「カーター。やはり本物ではないか? さすがにこの立ち振る舞い、どう見ても聖騎士団長そのものだ。魔物では無理だぞ」

「……確かにそうだが。しかしどう考えてもおかしい。一家でこんな時間にこんなところにいるなど、まるで亡命でもするかのようではないか」

「それは…………」


 二人は、こちらを牽制しながら、また考え込み始めた。

 が、思慮深いカーターとは違い、アレンという男は痺れを切らしたようだ。 


「ウダウダ考えていてもらちがあかぬ。事情が複雑であれば、それは我々には計り知れぬこともある。だが、目の前の人物の喋る言葉と振る舞いは、魔物では到底成し得ぬことではないか? なら、信じることのほうがよほど合理的というものだ」

「……しかし、我々はラウル・ミルズ殿を連れてきているのだ。危険を犯すわけには……」

「連れてきてる!?」


 エリナは、ラウルの名前に反応した。

 大声を張り上げ、アイリスたちの前へ出る。


「ラウル! 私、エリナだよ!!!」

「エリナ!!!」


 聖騎士たちが前面に立っていたのでわからなかった。

 その奥に、一人の少年がいたのだ。

 金髪ボブの少年・ラウルは、エリナの顔が見えた途端に目を見開き、聖騎士たちをかき分けて前へ出た。


「ラウル殿。まだ味方と決まったわけではありません、後ろへ」

「僕は、エリナに会うためにここまで来たんだ! ここで引き下がるくらいなら、最初からこんな森の奥深くまで来たりしない!」


 ラウルの姿を認めたエリナは、安心と不安が混ざったような声で言う。


「ラウル! こんなところまで来て! 体にさわるよ、寝ていないと──」

「それどころじゃない! 君がいなければ、僕はもう、生きていても仕方がないんだ。絶対に、君のことを連れて帰る。そのために、ここへ来たんだ!」


 ラウルは、エリナと同じように、熱烈にエリナを求めていた。

 エリナの頬を涙が伝う。

 もう、二人はこれ以上じっとしていられなかった。


 聖騎士カーターを振り払ってラウルが走り出す。

 夢中に、エリナの名を叫んで。


 アイリスも、リュカも、レオも。

 二人を止めるつもりはなかった。

 ここで止めるなど、野暮というものだ。

 二人の気持ちが痛いほどにわかるからこそ、止めなかった。


 その気持ちを、すぐに後悔する。

 ここは、ハーミットバレー。

 誰の縄張りか、忘れてしまっていたのだ。



 ひゅう、と風の音が鳴る。



 ラウルの首は、す、とズレた。

 そのままボト、っと地面に落ちる。

 走っていた体は首が落ちてもそのままいくらか走り、切断面から血を噴き上げながら、やがて突然動きを止めて膝から崩れた。


 誰もが、目を見開いてラウルを見ていた。

 時が止まるとはこのことだった。


 誰も注目していなかった峡谷の奥、暗い峠道のほうから、一人の人物が歩いてくる。

 

 最初に見えたのは、バイオレットに輝く二つの光。

 続いて見えたのは、紫色の髪、狐のような目。

 その男の体から湧き出た紫色の魔素オーラが、いつの間にかハーミットバレーを覆っていた。


 貴族のような服装をした背の低い男は、エリナがアイリスたちへ話して聞かせたように、今もまた、優しい声で語りかけてきた。

 

「僕のエリナと、何を勝手に抱き合おうとしているのかな。くっくっく……もちろん、極刑に値する。罰を与えてあげないとね……」

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