夫婦、ゾンビになる

第5話 蘇生

 漆黒の空に浮かぶ満月が照らす、アルテリアの城下町。

 リュカを目前にして、アイリスは呆然と立ち尽くす。


 記憶の波が、感情の波も引き起こして津波のように押し寄せた。

 目の前にいるのは、間違いなくリュカだった。愛する人の顔を見間違うことなどあるはずがない。


 生きていたのだ。

 手から滑り落ちたはずの命。

 この手に……まだ、間に合う──


「うう……ゔゔゔゔゔゔゔ」


 今まで、神なんていないと思っていた。

 神も、霊も、いやしない。信じることなど愚か、だと……


 アイリスは、生まれて初めて神に感謝した。


 言葉にならない呻きしか出せない。

 地面に両手をついて、在らん限りの感情を吐き出した。 

 よくわからなかったが、なぜか涙は落ちなかった。

 アイリスの背中に、リュカが優しく手を添える。


「あ゛〜〜〜〜」


 リュカがしきりに漏らす、特徴的な低い声。

 それが、「ちょっと待てよ?」という思いをアイリスにもたらす。

 顔を上げたアイリスの目の前に立っているリュカは、濃い灰色の肌、魔力で紅蓮に輝く瞳、狂った呻き声。

 まさにゾンビとしか言いようのないたたずまいなのだ。


 ──あれ? 

 間違いなく、リュカだと思うんだけど。

 でも、この人がゾンビなのも間違いない。


 ゾンビって、死んでる人がなるよね……。

 じゃあ、リュカ、やっぱり死んだの? 

 大体、なんで突然ゾンビになるの?


 どういうこと?

 夢?


 でも、確かに、「リュカは殺された」って記憶がある。

 そんなこと言ったら、あたしだって殺された気が。


「アイリス」


 夫似のゾンビは、当然のようにアイリスの名前を知っていて、アイリスに声をかけてきた。

 何がどうなっているのかまるで理解できず、アイリスは混乱していた。


「リュカ。リュカなの?」 

「あ゛〜〜〜〜」

「……何トボけた声出してんの。リュカなんでしょ? どう見たって、あなたじゃない! なんとか言って!」

「そうだ。あ゛〜〜〜〜」

「……何よ、その『あ゛〜〜〜〜』ってのは! いい加減ふざけないで……ん?」


 リュカの後ろに、子供が一人いるのに気付く。

 その子供が誰かを理解し、アイリスは鼓動が飛び跳ねるかのような気持ちだった。

 

「レオっ!! 無事だったんだね!!」


 レオは、リュカと違ってゾンビっぽい特徴は見られなかった。

 だから、疑う余地なくレオは人間のはずだと思ってアイリスはホッとした。


 レオが蔵書室から帰ってこないので家を出て探しに行き、その先でとんでもない目に遭ったのだと思い出す。

 あの状況でレオが無事だったなんて、奇跡じゃなかろうか。

 アイリスの心は、幸せが充満して風船のように膨らんだ。


 アイリスは、レオを抱きしめてやろうとした。

 が、レオは、なぜかリュカの後ろに隠れてアイリスのことを用心深く見つめてきた。


 アイリスは妙に納得いかない気分になる。

 人間であるアイリスに恐れをなして、まるでゾンビみたいなリュカの後ろに隠れるなんて……と。

 

 やっぱり、いまいち状況が飲み込めなかった。

 リュカがゾンビっぽいことも、レオの態度もしっくりこない。

 

 と、遠くの方からガシャガシャという金属音が聞こえてきた。その音はいくつも重なり合って、こちらへ近づいてくる。

 

 鎧を着た騎士たちが石畳の大通りを走ってくる音だ──と気付いたのが早いか、リュカは、アイリスとレオを両手でそれぞれ抱き上げ、城下町の中央を貫く目抜通りのど真ん中から、建物と建物の間の暗い路地へと素早く身を隠す。

 

「ちょっ……」


 言いかけたアイリスの口に、リュカの手が当てられ、塞がれる。

 アイリスは、少しの間、モゴモゴ言って抵抗した。


 が、自分を見つめるリュカの謎に赤い瞳がいつものように優しかったので、仕方がないから黙ってリュカの意思に従った。


 五、六人の騎士たちは、アイリスたちに気付くことなく大通りをまっすぐに走って行き、騒がしい金属音は次第に小さくなっていく。

 リュカは、アイリスの口からそっと手を離した。


「……あの人たち、あたしたちを追ってるの? でも、どうして。こっちには、あの人たちを束ねる聖騎士団長──つまり、あなたがいるでしょう」

「……今は違う」

「違うって、どういうことよ」

「俺はもう、聖騎士団長じゃない」


 悲しそうに石畳の地面へと視線を落とすリュカは、そっと目を閉じた。


「俺たちは、殺されたんだ」

「………俺たち・・? どういうこと?」


 中ば逃避的に呆然とするアイリス。

 もういっぱいいっぱいだった。これ以上、訳のわからないことを言わないでほしかった。

 レオはようやく警戒心を解いたのか、リュカの後ろから出てきて、アイリスの手を指さす。


「お母さん、手、見てみて」

「……手ぇ? 手がどうしたっての」

 

 不機嫌そうに口走ったものの、素直に両の手のひらを見下ろしている自分がいた。

 見ると、アイリスの手は、リュカの肌の色と寸分違わぬほどに、すっかり濃いめの灰色だった。


「ん? 何、この色。泥で汚れてんの?」

「見てみろ」


 リュカは路地から出て、大通りに並ぶ店舗の中からパン屋さんの大きなガラス窓を指し示す。

 そこには、月光に照らされたリュカの真横に、一人の女性の姿が映っていた。


 セミロングの黒髪、自分でも我ながら美しいと自画自賛していた顔とプロポーション。

 そして、濃い灰色の肌と、紅蓮に輝く瞳……?


「はあ? ……はあああああああっっっ!!?」

「しぃ〜〜〜〜っっっ! 声が大きいよっ」


 たしなめるレオの声など耳に入っていなかった。


 ガラスに映った自分の姿を、しばし呆然と見つめる。

 ガラスに両手をついて、そこに映った間抜け以外の形容詞が見当たらない自分自身の表情を覗き込む。

 胸には、夢でドラゴニュートに突かれたはずの位置から、垂れ落ちたように大量の血痕がこびり着いていた。


「あ゛〜〜〜〜」


 特徴的な呻き声は、今度はリュカではなく、自分の口から勝手に出た。

 悲壮な顔を作るアイリスの視線を受け止めたリュカは、目を閉じて静かにうなずく。


「なに、これ……」

「アンデッドだ」

「……また意味不明なことを」

「ゾンビ、とも言う」

「……信じられないよ。こんな……」


 リュカは、腰に携えていた剣をスラッと抜いた。

 右手で握った剣で、リュカは自分の左手首を切り落とす。


 その動作にためらいというものが見られなかったので、アイリスは止める間もなく黙って見守ってしまった。


「なっ、何やってんの!!」


 錯乱していたのだろう、慌てて落ちた手首を拾う。

 息を荒げ、泣きそうになりながら、普通なら繋がることのない手首を夢中でリュカの前腕へと押し付けていた。


 喉まで上がってくる悲鳴を必死でこらえながら見上げると、慌てることなく落ち着いた顔をしたリュカが。


 間を置かずして、リュカの足元に赤い光が出現する。

 素早く飛び交ういくつかの赤光は、リュカを中心とする直径二メートルほどの魔法陣を描き出した。


 アイリスが驚いて手を離してしまったので、リュカの手首は重力によって一瞬落ちかけたが、すぐさまフワッと宙に浮かんで元の場所──すなわちリュカの前腕へと戻る。

 赤く輝く切断面が見えなくなった頃には、完全に接合され元通りになっていた。


 リュカは、手をグーパーしながら動きを確かめる。

 アイリスは、口を半開きにして呆気に取られていた。



 ──ふっ、復元魔法っ!?



 リュカに掛けられているこの魔法は、そう呼ばれているものだった。

 バラバラに割れたりして壊れた物体を、元に戻す魔法。

 人間の失われた機能を回復させることなど決してできないはずの、物体を修復する魔法だ。

 復元魔法を掛けられたリュカの手が、切断前と変わらず機能している。

 その事実は、リュカが人間ではない・・・・・・ことを証明していた。

 

 アイリスが驚いたのには、もう一つ理由があった。

 この魔術は、あくまで物体に掛けることを想定されたものなのだ。


「修復」とは、ただ単にパーツをくっつける現象を意味する。いわば接着剤と同じ感覚だ。

 切断されたゾンビのパーツを機械的に接合したからといって、元通りに動かせるなどと、一体誰が考えようか。


 いくら死体であるとはいえ、生物のように動き回るゾンビに対してこの魔術を使用するとは、アイリスの発想には無かったことだった。

 

「な?」

「なっ……」

「ごめん。驚かせて」


 リュカは、目を見開いて驚くアイリスの後頭部に手を添えて、自分の胸に抱き寄せる。

 それから、自分のおでこをアイリスのおでこにコツンと当てた。

 口元を僅かに上げたリュカは、いつもの柔らかくて温かい笑顔。いつもアイリスの心を上向かせてきた笑顔。


 これだけ色々見せつけられれば、嫌でも信じるしかなかった。

 アイリスは、ゾンビのくせにため息を吐く動作をした。

 死亡した体では肺の機能など働いていないのだ。なのに、声を使って、体が勝手にため息を再現する。

 どうやら、生前の癖は容易には抜けないようだ。


 ──はあ。やっぱり死んだんだ。

 しかも、ゾンビだなんて。アルテリアが心底憎んできた、あのおぞましく汚い魔物として生まれ変わるなんて。

 あたし、生前は結構キレイでモテたのになぁ……。

 なんせアンデッドの王にまで求愛されたんだから──てか、あたしに言い寄ってくる奴、なんだかちょっとおかしな人・・・・・が多い気がするのは気のせい?


 コホン。ま、とりあえずそれは置いといて。


 レオが生きていたのは嬉しいけど、あたしとリュカは死んじゃった。

 いったいこれから、どうなるんだろう。

 なんか気分が沈むなぁ……。

 ゾンビなのにこんなふうに落ち込むなんて。なんか、まだ自分が人間みたいに思っちゃう。


 でも、リュカはゾンビ化しても相変わらずかっこいいな……。

 

 下半身はプレートアーマーを装着してるけど、上半身は裸だ。

 しっかり筋肉のついた、あたし好みの肩と胸、割れた腹筋……。

 あっ。その上、やめてって言ったのに強引に入れちゃったタトゥーがしっかり肩にある!

 太陽のマークの中にあたしの顔が描かれたやつだ。「俺が生涯愛するのはお前だけだ」とか言って。でへへへ……。


「すまない」

「へっ?」

「俺はお前のことを護れず、無様ぶざまに……」

「あっ! ああ、うん……」


 まるで彫刻のように優美なリュカの上半身を見ながらデレデレしていたアイリスは、真面目に話すリュカにハッとさせられる。


 リュカは、敵との戦いを思い出して抑えきれないほどに怒りが湧いてきたらしい。

 表情をピクッと動かし、歯を食いしばり、両のこぶしを握りしめる。

 ギュッ、という音がアイリスにも聞こえてきそうなほどだった。


「でも、よくわかんない。どうしてこうなったの?」

「俺たちは、リルルに殺された。……だが、レオが、俺たちを蘇らせた」


 話の展開が突拍子もなさすぎて、早くもアイリスはついて行き損なっていた。

 レオが蘇らせた・・・・・・・とか口走られたせいだ。

 すると、続きはレオが説明した。


「僕はね、お母さん。『ネクロマンサー』の死霊秘術を使ったんだ」

「…………えーと」


 アイリスは、眉間の辺りを指でつまみながらうなる。


「大丈夫? ちゃんと聞いてる?」

「大丈夫。意味不明すぎてちょっと眩暈めまいがしただけ。死霊秘術って、魔王のアンデッド軍団を作り出す、あの死霊秘術?」

「死霊秘術自体は、別に魔王軍の専売特許って訳じゃない。呪術師のおじいちゃんの仕事でしょ! ほんと、興味のないことは一個も覚えてないね」


 アイリスはムッとする。

 相変わらず口の減らない奴だ、と。


 別に覚えていなかったわけではない。

 アンデッドを忌み嫌うアルテリアの魔導大臣のくせに、アンデッドを作り出せる呪術師なんて職に就く父・ゴードン。

 確かに、類稀なるその能力は、国にとって代え難い存在なのは認める。

 だが、生前・・、アイリスは、命をもてあそぶアンデッドを作ることにだけは納得がいっていなかった。


 ゴードンは「アンデッドなんて作ったりしない」と言っていたし、事実、作ったところを見たわけでもないから、アイリスは皮肉を言ってやるに留めていた。

 だから、レオにもこう言ってやっただけなのだ。


「まあそれは置いといて、だから僕にも使えたんだ。リルルはお母さんたちを自分のアンデッドにするために術をかけようとしてたんだけど、そこに僕が割り込んで阻止したんだ。僕の術が、リルルの術を弾いた。その結果、お母さんとお父さんはアンデッドとして蘇った。その……まあ、言ってしまえば、僕のモンスターとして・・・・・・・・・・


 ゲッ、という顔をするアイリス。

 どうやら、とうとう息子の使い魔になってしまったらしいことを知らされる。


「でも。『死霊秘術』ってのは、一般レベルの魔術師がおいそれとできるような生やさしいものじゃない。何人もの魔術師が束になって、やっと一人の人間を蘇生させるような、最高難度レベルの魔術でしょ。ほらね、これくらいあたしだって覚えてますぅ! 王宮魔術師、舐めんなよ。だいたいそんなの、文献で見たからって、すぐにできるものじゃ──」

「おじいちゃんに教えてもらったんだよ」


 ──あのクソ親父!

 なんかイソイソと孫に勉強を教えてるなとは思ったけど、娘に批判されるからって、孫にこっそり死霊秘術なんぞ教えるかぁ?


「ねっ? 僕が言ったとおり、『知識と知恵』こそが、生き残るのに一番大切なこと、でしょ?」


 人差し指を立てながら得意げに言うレオへ、アイリスは細めた目を向けた。


 ──この後に及んでマウントをとりにくる。

 きっと、生前に口喧嘩したことをまだ根に持ってんな……誰に似たんだこのしつこさは。

 

 ……でも、生意気なのは置いといて、認めざるを得ないのも事実。

 確かにレオは勉強好きだったけど、わずか十歳にして死霊秘術を使えるなんて、とんでもない知識と魔法力だ。

 そのおかげで、リルルの手先になってしまうのを、あたしたちは免れたってわけか……

 ……ん?

 あれ? そういや……。


「ねえ、リュカ……あたしの記憶が確かなら、リルルって、確か『魔王死霊軍の筆頭ネクロマンサー』って言ってなかった?」

「そうだ」

「えーと。『筆頭ネクロマンサー』ってことは、『魔王死霊軍の大将』ってことだよね?」

「そうだ」

「魔王軍の大将級って、魔王の次に強いんだよね?」

「そうだ」

「レオが、そのリルルの魔法力を弾き返したの?」

「そのようだ。でなければ、俺たちは今、ここにはいない」

「…………」

 

 ──ずっと魔法を勉強してきた。だから、当然の如く知ってる。


 魔王死霊軍の大将。


 それは、人間、亜人種、巨人族、竜人族、悪魔族、精霊エルフ知的既死生命体リッチ……ありとあらゆる種族を含めた全ての魔術師の頂点に君臨する、この世で最高の魔術師。

 正体が何者なのかは不明だったけど、その事実だけは人間にも言い伝えられてきた。

 今ならわかる。なぜリルルが無詠唱で魔術を行使できたのか。

 それを……


 アイリスは、見慣れたはずの我が子を見つめる。

 こうして見ると、やはりただの子供。

 愛らしい顔をした、たった十歳の息子。


「何はともあれ、その結果、お母さんたちに命を吹き込むことができた。それに、復元魔法も付加してある。さっきお父さんが見せたように、お母さんたちの体が傷つくと、僕の掛けた魔術が自動オートで発動して、傷つけられた部分を復元するんだ。不死な上に復元するから、そう簡単にはやられない。ただし。もちろん知ってるだろうけど弱点はある。一つは、アンデッドが苦手とする白魔法。そして、もう一つは──」


 レオはいったん言葉を止めた。

 流し目でリュカを見つめて、「しっかりしてよ!」と言わんばかりの調子で言った。


「術者である僕が死ねば、お母さんたちもアンデッドとしての命を失い、死ぬ。今度こそね。だから……次こそ、愛するお母さんを絶対に護ってよ。聖騎士団長さん?」


 レオの言葉に、しばし唖然としていたリュカ。

 フッと笑みを浮かべ、目を閉じる。 


「……勉強ばかりしていて剣術などろくに興味を示さなかった子が、剣聖と呼ばれて国を護り続けてきた王国聖騎士団長である父親の俺に向かって、『次は必ず護れ』か」


 リュカはアイリスを抱き寄せた。

 ゾンビとなっても何故か知覚があるらしく、体温を失った冷たい体がアイリスの肌に押し付けられる。


「ありがたい。望むところさ……絶対に死なせない。俺は、何があっても、次こそ必ずお前たちを護り抜く」

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