第4話 アンデッドの王

 ハッとし、寝込んでしまったことに気付く。

 寝てはいけないと思ったから、天井からぶら下がる豪華なシャンデリアの灯りに煌々こうこうと照らされながらソファーで横になったのに。


「……レオ?」


 アイリスは、家の中の部屋を全て見て回る。

 レオの部屋以外にも、トイレやお風呂も覗いたが、レオはどこにもいなかった。まだ蔵書室から帰ってきていないのだろうか。

 窓を見ると外は暗かったが、リュカもまだ帰ってきていない。


 コンコン、と玄関のほうで音がする。

 聞き耳を立てていると、また鳴った。どうやら玄関扉を叩く音のようだ。

 玄関扉を開けると、黒いローブを着た魔術師が立っていた。


「夜分遅くに申し訳ありません。魔術師団の者です。蔵書室長サリー・ベーカー様の命により参りました」

「サリーの? どうしたの?」

「はい。レオ様が、蔵書室でまだ勉強されておられるのですが、帰る素振りが全く見られませんので、できれば迎えに来て頂きたいとのことです」

「あっ! やばっ」


 リュカから「一人で行動するな、させるな」と言われていたのだ。

 すっかり寝入ってしまっていたアイリスは、慌てて外に出る用意をした。


 弱い光が灯る燭台が一定の間隔で並んだ薄暗い廊下を、魔術師と二人で歩く。

 城内の明かりは魔法力によって光っており、全て施設担当の王宮魔術師が管理している。明かりは夜になると照度を落とされ、一〇メートル先が視認しずらい程度に薄暗くなるのだ。

 だからといって、光の魔術を使わなければならないほどは暗くない。ちゃんと歩ける程度の照度は保たれていた。

 

 カツン、カツンと響く足音以外は無音に支配された夜のお城。

 その薄暗さと静けさに、背筋がゾワゾワするような恐怖を感じる。

 アイリスは、暗いところが苦手だった。

  

 しかし、アイリスを案内するこの魔術師、どうしてこんな黒ローブを纏っているのか、とアイリスはいぶかしんだ。黒すぎて、暗い夜の城の中では見にくかったのだ。

 それに、アルテリアの魔術師は、白ベースに赤のポイント柄が入った司祭服だと決まっている。


「ねえ、あなた、どこの部隊? あたし、あなたの顔、見たことないような気がするんだけど」

「ええ。新人ですので」


 魔術師は一言だけ言って蔵書室の扉を開ける。

 どうぞ、と中に入るようアイリスへ促した。


 広大な蔵書室はすべての明かりが落とされ、もう誰も残っていないのは明白だった。

 ステンドグラスは、その向こうにあるはずの月明かりに照らされて様々な色に光っていた。

 たくさんある窓からは月光が差し込んでいたので、蔵書室内は、真っ暗な部分と、月光のおかげで明かりがなくても歩ける部分とに分かれていた。


「……え? レオは?」

 

 バタン! 

 

 身体に響くような大きな音を立てて、アイリスの後ろで勢いよく扉が閉まる。

 飛び上がったアイリスが振り向くと、蔵書室の大きな入口扉に、白く光る魔法陣が浮き上がった。

 

「ま、魔術ロック!!」


 魔法力で扉を封鎖する、施錠魔法だ。

 アイリスは、扉を開けようと取っ手を掴んで揺さぶったが、びくともしなかった。


「ちょっと! あなた何を──」


 さっきの魔術師を怒ってやろうと視線を這わせたが、魔術師の姿は見当たらなかった。

 しかし人の気配がする。

 暗い空間の中、アイリスは精一杯に目を凝らした。


 月明かりが作った影の中に立つ、恐らく赤色であろうプレートアーマーに身を包んだ人物。

 その色には当然見覚えがある。

 全ての聖騎士が白銀のプレートアーマーを着装するなか、聖騎士団長ただ一人にしか許されていない、この王国に一人しかいない人物のものだからだ。


「リュカ! どうしたの、こんなところで──」

「アイリス!」


 リュカが、緊張感のある声で叫ぶ。

 事情を把握できずアイリスが呆然としていると、周りでガサガサと音が鳴る。 


 その正体に気づき、鳥肌が立った。

 ただ暗いだけだと思っていた蔵書室に、闇と同化するような黒ローブに身を包む集団がいたのだ。


 いったい何処に隠れていたのだろうか。気付いた時には、アイリスとリュカを取り囲むように何人も立っていた。


 詳しくは数えられないが、きっと四〇人はいる。

 いや、もっとかもしれない。この部屋の暗闇はまるでこいつらのローブで作られていたのではないかと思うほどに次々と湧き出てきた。


 恐怖と驚きで体が硬直する。


 きっと黒ローブたちは、アイリスが来る前からリュカを取り囲んでいたのだろう。

 不用意に蔵書室へ入ってしまったアイリスは、謎の黒ローブ集団の輪の中に自ら飛び込んでしまったのだ。


「なっ……なに? あなたたちは──」


 アイリスは、ならず者どもを注意するように声を張り上げる。


 と、誰かが後ろから、アイリスの首に腕を回した。キラリと光る短刀が、突如としてアイリスの首に当てられたのだ。

 その拍子に、アイリスの持っていた杖がカラン、と音を立てて床に転がった。


 黒ローブ集団の中、中心にいた一人がフードを外す。

 見覚えのある顔だった。

 薄暗い中、差し込む月光に照らされた鮮緑の髪が、フードからファサッと溢れる。


「……リルル」

「キキキ……」


 視界がかすみそうになるのを必死でこらえながら、爪を腕に食い込ませて、痛み刺激で正気を保った。


 声も出せずに震え、アイリスは固まっていた。

 逆に、リュカは動揺など微塵も感じさせない声でリルルと言葉を交わす。 


「お前は、誰だ? 正体を現せ」

「どういう意味だい?」

「黒ローブの奴らから僅かに死臭がする。全員アンデッドだろう」


 リルルは、ほう、と感心した声を漏らした。


「よくわかったな。臭いは僕の魔法力で抑えていたはずだが。その鼻は犬も顔負けだ、キキキ……剣聖は、剣だけじゃなく犬の真似事も練習しているのだな」


 リュカは、相変わらず一つの波も立っていない湖面のように落ち着いた様子だ。


「我が国はその昔、アンデッドに一度滅ぼされかけている。俺たちは、アンデッドにだけはやられない。奴らの存在は目をつぶっていてもわかるさ」 


 リュカに看破されたことにより、もう隠す必要も無くなったのか。

 床を揺るがすほど大きな足音が聞こえ始める。

 漆黒に染まる蔵書室の奥から、異常に背の高い二人の人物の人影が見え始めた。

 

「二人」という表現が適切だったのかはわからない。

「二匹」かもしれない。

 そう思うほどに二体の身長は高かった。


 おそらく三メートルは優に超えるだろう。下手すると四メートル以上あるかもしれなかった。

 輪郭を見るだけで、両者ともが異常なほどに盛り上がった筋肉に覆われているのがわかる。

 両者がそれぞれリルルの両側についた頃、アイリスには二匹・・の正体がわかるようになっていた。


 ──巨神族サイクロプス

 と、竜神族ドラゴニュート


 サイクロプスは鉄仮面をつけている。

 その奥から、おそらく単眼であろう緑色の光を一つだけ放ち、手には持ち主の体とどちらが大きいかと一瞬悩んでしまうほど巨大な金属製の斧を持っていた。

 上半身は裸で、下半身は魔王軍が装着する黒ベースに赤い装飾が施されたプレートアーマーを身に纏っていた。


 ドラゴニュートは、人型ではなくドラゴンベースのモンスターだったが、「ドラゴン」という名が相応しいとは思えないほどに、でっぷりと太ったトカゲのようなで立ちだ。

 はち切れんばかりの体躯は、サイクロプスと同じく魔王軍が装着する大きな鎧に覆われていた。

 水平に伸ばした手に、全長七、八メートルはありそうな、光り輝く長大な槍を具現化させる。

 その相貌そうぼうは凶悪そのもので、サイクロプスと同じく瞳は緑色に輝いていた。


 アイリスは恐怖で動けなかった。

 だが、リュカは、まるでそこら辺の道を歩いている村人でも見つめるかのような普通の表情・・・・・で、二匹の怪物を観察していた。


 その結果として、またしても二匹の正体を見抜く。

 大きくため息をついて、リュカはうんざりしたように言った。


「こいつらもアンデッドだろ? どいつもこいつもアンデッド。この国が何よりアンデッドを忌み嫌ってきたことを知っていて、当てつけているつもりかリルル」


 口が横に裂けたかと思うほどの笑みを浮かべるリルル。

 不快な笑みに、リュカの声が変わる。


「何度も言わせるな。正体を述べよと言っている」


 強大な魔物二匹を従えたリルルは、顔を歪ませて広大な空間に笑い声を響かせた。


「キキキ……その昔、この国を滅ぼそうとした・・・・・・・魔王死霊しりょう軍の筆頭死霊秘術師ネクロマンサーさ」


 滅ぼせなかった口惜しさをにじませたリルル。


 アイリスには状況が全く飲み込めない。

 まるで時が止まったかのように動けなかった。

 理解の追いつかないアイリスを放って、リルルは喋り続ける。


「目的はもちろんこの国を陥落させ魔王軍の拠点とすることだが……その前に、一つ用事ができた」


 リルルは、アイリスを指さす。

 

「アイリス。君をもらう」


 なぜ、と問い掛けたかった。

 なのに、恐怖で言葉が出なかった。

 体が痺れ、口がうまく動かない。

 肩でしていた呼吸はどんどん早くなり、アイリスはもう溺れてしまいそうだった。

 リルルは、ニッと笑う。


「美しい。アイリス……僕はね、君のことを初めて見た時から気に入っていた。それに、ずっと君のことだけを見続けていたからわかる。試さなくても、手に取るようにわかる。君は、僕と相性・・がいいはずだ。きっと最高の女のはず」


 聞く限り、その理由は至極人間的・・・なものだった。


 リュカは必死に冷静さを保っていたのだろうか。こんなリルルの態度を前にしても、普段とは打って変わって冷静さを失っていないように見えた。

 

「……なら、アイリスのことは人質にはなり得ないだろう。アイリスを離せ」

「アイリスの生死はどちらでもいい。これから僕が君に要求する通り、リュカ、君が素直に死んでくれないなら、アイリスは別に死んでもいいさ」

「……なんだと?」


 何を言っているのか、まるで意味がわからなかった。 

 混乱するアイリスの前で、リルルの様子が変化し始める。


 血色の良い肌が右半身だけそげ落ちていき、あっという間に、リルルの右半身は「骨だけ」になった。

 緑髪の奥で、ドクロの右目がボヤッと緑に灯る。


 アイリスたちがいつも見ていたリルルの姿は、変装魔法だったのだ。

 アイリスは気が動転していたが、リュカは事態を正確に把握していた。


「……生前のままの自我と魔法力を維持したアンデッド『知的既死生命体リッチ』か」

「そうだね。勇者たちには『リルル・リッチ』とか呼ばれてるらしいね」


 多くのアンデッドには自我も魔法力も無い。主人である死霊秘術師ネクロマンサーに操られるだけの、死人形なのだ。


 だが、この世には、自我や魔法力を維持したまま不死身の肉体を得た強力なアンデッドが存在する。リルルは、その「リッチ」だった。


「アイリス。君が死んだとしても、僕がアンデッドとして蘇らせてあげる。そうすれば、僕たちはアンデッド同士の夫婦になれる。二人で、魔王軍が誇る最大戦力『死霊軍』を率いて世界を滅ぼそう」


 骨だけとなった右半身を、リルルはスッと元に戻す。

 アンデッドの頂点に君臨する強大なボスモンスター「リルル・リッチ」は、アイリスに手を差し出して求愛した。


 とんでもない事態。直ちに、応援を呼ばなければならなかった。


 アルテリア王が統治する、鉄壁の守りのはずの城内に突然現れたこの敵は、魔王死霊軍の大将だった。

 全兵力を結集すべき──いや、それでもなお倒せる見通しはゼロに近いほどの難敵だ。勇者ですら、まだこの敵を討ってはいないのだ。


 少なくとも、この国が保有する最大戦力──聖騎士の精鋭だけで構成された特騎隊「アンブラ」と、魔術師のエリート集団である特級魔術師団「ルナ」、そして、その魔術師たちを統括する魔術師団長アレクシアに、今すぐ知らせる必要があった。


「さあ……剣聖リュカ。アイリスを殺されたくなければ、おとなしくここで死ね。君が約束を守るなら、僕も必ず守るよ」


 ──嘘だ!

 騙されちゃダメだ、リュカ──



「わかった」


  

 リュカは体の力が抜けたようになり、目線を床に落としていた。


 アイリスの切なる願いに反してリルルの要求を承諾したリュカを、目を見開いて見つめる。

 爆発しそうになった鼓動で、他の音は何も聞こえなくなった。

 

 体は勝手に動いていた。

 アイリスは、自分の首に当てられていた短刀の刃の部分を素手で握る。

 撒き散らされた血には見向きもせず、そのまま敵の手を振り解き、リュカの元へと走り出す。


「そっかぁ。アンデッドがお望みなんだね」

 

 リルルの合図で、短刀を持った黒ローブはアイリスの背中に短刀を突き立てようと動く。

 首だけ振り向くと、黒ローブは、アイリスに向けて短刀を振りかぶっていた。

 蔵書室に差し込む月光を反射して、刃の形も、柄の装飾も、動きまでもがよく見えた。


 ──殺すなら、早く殺せ!

 あたしが死ねば、リュカを縛るものは何も──

 

 歯を食いしばりながら見つめたリュカの瞳に、アイリスは鳥肌が立つ。

 アンデッドを退魔する白魔法の魔素オーラが、一メートル以上の厚みをもってリュカを覆い、ピリピリと空気をヒリつかせていた。


 時が止まったかのような刹那、アイリスは、昔のことを思い出す。

 かつてリュカが師事していた剣の師匠・前聖騎士団長カイルが生きていた頃、リュカが席を立った隙に二人だけで話をしたことがあるのだ。



 ──……



「あの、お尋ねしたいことがあるんです」

「なんだい?」

「『剣聖』って、どういう人のことを言うんですか?」

「どうして、そんなことを聞くんだい?」

「リュカが、それを目指してるんです。『絶対になる』って。それに、カイル団長が剣聖って呼ばれているから、って」

「そんな大それたものじゃないけどね」

「…………」

「そうだね……じゃあ、君が思っていることを言ってみなよ」


 剣のことなど全くわからない。

 腕を組んで、うーん、と首をかしげて漠然と思いついたことを口にする。


「すごく強い人。……ですか?」

「ああ、そうだよね。もちろんそうだよ」


「剣の達人」に抱く素人の先入観をサラッと裏切る、愛嬌のある師匠の顔。

 年齢的にはリュカと大して違わないように見える。


 柔らかなミディアムの金髪で、背はリュカよりかなり低く、それどころかアイリスよりも低い少年のような風貌。

 こんな童顔で幼く見える男性が、剣聖と呼ばれ、無敵の強さを誇るのだ。


 その顔と、よく晴れた草原の風景と、そこに吹くカラッとした風が印象的で、話す言葉をアイリスの脳裏へと焼き付けていた。


「僕が思うにね。剣聖とは、万の敵をぎ倒し、いかなる死地にあっても愛する者を護り抜く騎士のことを言うのさ。特に男の剣聖なんてものは……ふふ。男なんて、なんだかんだ言っても惚れた女の前で格好つけたい生き物だから。だからね……いいかい、もし、どうしようもない危機に見舞われたなら、胸に溜め込まずに、素直に助けを求めるんだ。きっとリュカは、君が何処にいても、あっという間に駆けつけてくれるよ」



 ──……



 思い出とともに、カイルの言葉がアイリスの胸に希望を灯す。

 リュカの横でレオの未来を見る自分の姿が脳裏に浮かんだ。


 やっぱり生きたい。

 もうこれしかアイリスにできることはなかった。前へと手を伸ばし、全精力を乗せて在らん限りの声で叫ぶ。

 



「リュカ────っっっ!!!」



 

 助けを求める願いと同時に、白い旋風が巻き起こる。

 状況を理解したとき、アイリスはすでにリュカの腕の中だった。


 聖騎士が使う魔法「身体強化ブースト」によって実現される桁違いの移動速度と剣速。


 アイリスへ短刀を向けていた黒ローブは両断され、剣がまとった白魔法の効力により切断面が溶けていた。その事実からして、アイリスを拘束していた黒ローブはやはり間違いなくアンデッドだったようだ。


 間髪入れずに、すぐさま後ろにいる黒ローブ集団に一閃いっせん、胴に光の傷跡をつけられたアンデッドどもはバタバタと倒れる。


 リュカはアイリスを片手で抱き、黒ローブどもをなぎ倒しながら蔵書室の入口へと飛ぶように駆け、魔術で封鎖された扉を、白魔法で覆われた剣で強引に破壊しようとした。


 キイン、と硬い金属音を響かせてリュカの剣は弾かれ、「脱出できるかも」という淡い期待はすぐさま潰される。

 リルルは、嬉しそうに顔のシワを増やした。


「キキキ……剣聖の君が、一体誰に助けを求めようとしているのかな。頭を失った『影』や『月』程度では、もはやその扉を開けることすら叶わないだろう」


 ──失った……?

 アレクシア様──


「彼女のことは、楽しみにしてたんだけどなぁ。君はどれくらい、僕を楽しませてくれるのかなぁ」


 リルルの足元に描かれる、緑の魔法陣。


 六芒星の淵から噴き上がる緑の魔素オーラと同時に空中に現れた幾つもの氷の刃がまるで生きているかのように宙に踊る。


 これで二度目だった。 

 魔術の無詠唱による行使を、アイリスとリュカは再び目の当たりにする。


 パキパキと音を立てて次々と生み出される氷刃ひょうじんの横で、サイクロプスが斧を構えて突進の体勢をとっていた。


 アイリスの腰のあたりを片手で抱くリュカは体を捻って跳躍し、飛んでくる氷刃を超人的な動きで旋回しながら回避する。


 正面にいた黒ローブを切り裂きながら、着地と同時にアイリスの体を華麗に操り、追撃する氷刃を剣で薙ぎ払った。


「ガ、ウウウウウアアアアア!!!!!」


 リュカの倍ほどもある巨大なサイクロプス・アンデッドが地も震わす咆哮をあげて振るう大斧。これほどの巨体から放たれる一撃は、到底人間などでは防ぎようもないように思われた。


 そういう常識的な思い込みを、白魔法と身体強化ブーストが乗ったリュカの剣は、敵の大斧と一緒に弾き飛ばした。


 弾かれた双方の武器は、一刻を置いて再度ぶつかり合う。


 サイクロプスと打ち合うリュカの後ろから、ドラゴニュートの槍が襲う。

 ドラゴニュートの槍を剣で弾いて軌道を変え、サイクロプスの斧を剣で受け流し、リュカはアイリスを抱きながら怪物二匹の猛攻を同時に対処する。


 それに加えて無数の黒ローブたちが放った火炎系・氷系魔法を回転斬撃で弾き返し、

 隙間を縫って飛んでくるリルルの氷刃を閃光のような太刀筋で迎撃し──


 アイリスを抱きながら流れるようにサイクロプスの側面へと回って、すでに生命活動を行なっていない筋肉の鎧で護られた腹部へと光の斬り込みを入れた。


「カカカ! さすがだな剣聖よ、この状況でそれだけの動きとは!」


 リュカの健闘を讃えたリルルのセリフを皮切りに、これまでとは少し違う現象が起こる。


 ずっとリルルの足元にだけ現れていた緑色の魔法陣が、リュカの頭上二、三メートル程度の空中に出現したのだ。

 魔法陣はリュカの動きに追随して水平移動し、動いて振り払おうとしても離れない。

 

 魔法陣にこういう使い方があるとは想像していなかった。

 というか、こんな使い方をする魔術師をアイリスは見たことがなかった。

 

 未知の動きをする魔法陣を危険だと判断したのだろう。

 リュカはアイリスを離した。


 魔法陣を注視しながら少しだけ移動し、魔法陣がリュカとアイリスのどちらを追従しているのか確認する。

 魔法陣は、リュカだけをロックオンしていた。


「キキキ……」


 宙に浮かぶ緑の魔法陣から、直下に向いた無数の氷刃が生み出される。パキパキと音を鳴らして発射の時を今か今かと待ち構えるかのようだ。

 リュカは、反射的にアイリスから飛んで離れた。


「ぐうううっ」


 雨のように降り注ぐ刃の群れを、リュカはまともに受ける。


 この隙を見逃すことなく、大きな翼を広げたドラゴニュートが低空飛行しながらアイリスへと突進していた。

 戦闘を開始して以降、圧倒的な力を見せていたリュカは、この瞬間、とうとう劣勢に転じた。


 床にへたり込んでいたアイリスは、首を回して必死で自分の杖を探す。

 大量にうごめく黒ローブたちで、杖の所在を確認することはできなかった。


 しかし迷っている暇はない。

 自分に襲いかかってくるドラゴニュートへと両手を伸ばし、すぐさま呪文を詠唱する。

 

「魔力により顕現せし燃えさかる炎よ、我がめいにより敵を焼き尽くせ──灼熱球イグニス!!」


 床に描かれ、暗闇のなかアイリスを下から照らすブルーの魔法陣。

 直後、直径一メートルはある、オレンジに眩く輝く火球がアイリスの手の先から放たれ、ドラゴニュートを直撃する。


 敵は宙に浮いたまま停止し、両腕を体の正面でクロスさせる。奴は、腕の隙間から光らせた緑の瞳をアイリスから逸らすことなく防御していた。


 蔵書室の床がまるで火の海のようになる。薄暗かった巨大空間がアイリスの放つ火球によって炙られ、数え切れないほどの本棚が赤一色に照らされた。


 ドラゴニュートの体は炎の威力で変装魔法が吹き飛ばされたのか、防御した半身は骨が見えていた。


 リュカは、ギッ、と歯を食いしばる。


 白魔法で覆った光の刃で何人かの黒ローブを切断しながら、ドラゴニュートからアイリスを護るべく、飛ぶように駆ける。


 風のようにアイリスの元へと馳せ参じ、片手で抱きかかえ、被弾の硬直から解き放たれたドラゴニュートの凶撃を、白い残像を残す剣撃で弾き返した。


 再度、リュカの頭上に緑の魔法陣が現れる。

 リュカを追従する魔法陣から、氷刃が直下へと発射される。


「がああああっ」

「リュカあああっ!!」


 すでに全身が血だらけのリュカは、アイリスを突き飛ばし、またもや自分だけが無数の刃を受けていた。

 リュカは弾かれたようにアイリスの元へと舞い戻り、片手で抱きかかえて再び臨戦態勢をとる。


 嵐のように襲い来る氷の斬撃は正確無比に飛来し、容赦なくリュカの肉をえぐっていた。

 抱かれながら移動する間、アイリスの顔へリュカの血飛沫ちしぶきが飛んでくる。


 ひどい出血だった。

 いくらリュカでも、もう何発も耐えられないとアイリスは思った。


 不意にリュカは、アイリスへ顔を向ける。


 敵の攻撃は、息つく暇もないほど波状となって押し寄せてくる。

 アイリスの顔を見ている時間など無いはずだった。なのに、リュカはアイリスを見て微笑む。


 どうしてなのか、この時、アイリスは直感的に理解した。

 リュカの師匠、今は亡きカイルの言葉が、その答えを教えたのだ。 



 剣聖とは──。



 いかなる死地に追い込まれようとも、愛する者を護り抜く騎士。


 もうダメかもしれない。

 その気持ちを自分の中から追い出し、最後の気力を振り絞るために、護り抜くべき対象を自分の目に焼き付けたのだろう。 


 目に溜まる涙で揺らいだ敵の姿。

 四〇体以上いた黒ローブのアンデッドは、もう残り五体。

 サイクロプスとドラゴニュートは、きっとリュカなら対応できる。

 最大の障壁は、リルルが繰り出す氷の刃。あの氷刃をなんとかしなければ、この局面を打開することは難しい。


 それに、仮にこいつらが全てアンデッドだとするなら。

 アンデッドは、自らを生み出したネクロマンサーが死ねば生きていられないはず──

 つまり、標的は一つだった。


「リルルぁ────っっっっっっ!!!」

「いい覇気だ! 剣聖、すぐに僕の配下に加えてやるぞ!!」


 リュカに攻撃を喰らわせようとした二匹の怪物が振るう斧と槍は、勢いよく空を切った。

 アイリスを抱きながら駆けるリュカは、うねるような軌道で間隙かんげきを縫い、白魔法が作り出す白い魔素を引きながら高速移動した。

 リュカは、とうとうサイクロプスとドラゴニュートが作った防御ラインを越える。

  

 あっという間に近づくリルルの姿。

 いつの間にか緑に光っていたリルルの邪悪な両眼が、はっきりと見えた。


 ──行っけぇ、リュカぁっっ!!


 アイリスが拳を握りしめたその時──

 リルルの近くにいた黒ローブが、リュカからリルルを護る盾となった。


 黒ローブは剣を持っていた。

 その剣は、剣聖リュカの一太刀を、押されることなく受け止める。


「────っっ!!」


 ローブが、スルリと床にズレ落ちる。


 黒いローブの下に着用していた戦闘服もまた、真っ黒だった。

 背中から、まるで蝙蝠こうもりのような悪魔の翼がバサっ、と広がる。

 銀髪の長い髪。頭からは、羊のようにうねった黒いツノが二本生えている。

 リュカの剣を受け止めたのは、悪魔族の女剣士だった。


 そして、他の奴らと同じくアンデッド。肌は濃い灰色であり、その瞳はリルルの魔法力と同じく鮮緑に光り輝いている。


「身の程を知れ……人間風情が。あたしがいる限り、閣下には指一本触れさせん!!」

「ふんっ!!」


 リュカは、片手剣のまま上から力任せに押していく。


 リュカを覆う魔素オーラの厚みが二メートルを越え、ほとんど光の塊となって両者を包んでいく。おそらく、白魔法の性質がアンデッドの力を減衰させているだろう。

 アイリスには、明るく温かい光の中で、ただ、リュカの横顔だけが見えていた。


 ギギギギ、と鍔迫つばぜり合いの音が響き、


「ぐっ……貴様っ、」


 呻くように言った悪魔剣士は片膝をついた。


 僅かなこう着状態を狙って、リュカの真後ろからサイクロプスが斧を振りかぶる。

 背が高いはずのリュカと倍以上も体格が違うサイクロプスの巨斧を剣で受け流して横方向へと回り込み、リュカを追う巨体の胸に大きな斜め十字傷を刻み込んだ。


 ズシン、と音を立てて両膝をつくサイクロプスの背後から跳躍し、上方からリュカを狙う悪魔剣士と、同時にリュカの真後ろから槍を振りかざして襲いかかるドラゴニュート。


 僅かに体をズラしたリュカは悪魔剣士の斬撃をかわしながらカウンターで斬り上げ、悪魔剣士の片腕を斬り落とす。


 そのまま、銀髪から生えたつのを、剣を持ったほうの手の指で引っ掛けて引き寄せ、ドラゴニュートが繰り出す槍への盾として使った。槍は悪魔剣士の胸を貫く。


 悪魔剣士のつのを離すや否や、槍にまとわりつくように素早く動いたリュカの剣は、ドラゴニュートの喉元を串刺した。


 剣を引き抜いたとき、リュカの瞳はもう敵の大将を捉えていた。

 リルルを護る強力なアンデッドは、全員膝をついている。

 

 ──届く。

 リルルに。魔王死霊軍・大将の首に!


 祈りながら汗で濡れる拳を握りしめてリュカを見つめるアイリスの頭上、知らないうちに緑の魔法陣が現れていた。


 リュカはまたもやアイリスを床へ置いて離れようとしたが、すぐさま気付く。

 今度の魔法陣は、リュカを追わないのだ。

 魔法陣は、アイリスを捉えていた。


 ヒュッ、と音を立ててアイリスを狙った氷の刃は、アイリスに覆い被さったリュカの背中が、全て防御した。

 

「ああ……リュカ。リュカっ……」


 ひざまずき、抱き合う二人へ追い討ちをかけるように敵の攻撃は続けられる。


 白い光がいくつも床を這い、あっという間に、白く光る巨大魔法陣が蔵書室の床に描かれていく。

 アイリスとリュカは、その魔法陣の領域内に囚われていた。


 この場にいる黒ローブは、全て「リッチ」のように魔法が使える特殊なアンデッドだったようだ。

 十字に位置取ってアイリスたちを囲んだ四匹の黒ローブは、すぐさま呪文の詠唱を開始する。

 空間すら歪めるかのような重低音を響かせ、魔法陣はその内部に強力な魔力を溜め始めた。


 体が動かない。

 きっとこれがこの魔法陣の効力なのだ。

 魔法陣の領域内に入っていたアイリスとリュカは、魔力によって金縛りのようにその場で動きを封じられた。


 立ち上がった二匹の怪物が、ドシン、ドシンと足音を響かせながらこちらへ近づいてくる。


 リュカは、アイリスのほうを向いたまま体の自由を奪われている。

 無防備な背中へと迫るサイクロプスに戦闘態勢を取ることもできないリュカは、ただじっと、アイリスの瞳を見つめていた。

 自分の意思で動かすこともできない器に囚われた心は、破裂しそうなほどに叫んでいた。


 ──死ねない。

 こんなところで。

 レオだけ残して、こんなところで……。


 祈るアイリスの視界の中、魔力によって一切の動きを封じられたリュカへ、サイクロプスが斧を振り下ろす。

 リュカの体から、勢いよく赤い噴水が上がった。


 指一本、動かせなかった。

 視線すら、外すことは許されなかった。

 できることは、ただ黙って目尻から涙を落とすことだけだ。


 それも、すぐにできなくなった。

 アイリスは、リュカの死の直後、ドラゴニュートの槍で正面から心臓を貫かれたからだ。

 白い魔法陣が消えて、拘束を解かれた二人は蔵書室の床にその死体を打ち付ける。

 

「キキキ……さあて。我が死霊軍への、仲間入りの時間だよ……」


 アイリスとリュカが横たわる床に、リルルの瞳と同じ緑色に光る魔法陣が描き出された。

 完成した魔法陣はゆっくりと回転し、ブウウン、と低い鳴動音を轟かせながら、リュカとアイリスを包んでいく。

 


 と、その時──



 床に張り付く緑の魔法陣とは別に、床から五、六メートルくらいの空中で、美しい赤い光がいくつも現れ、あらかじめ予定された図形を描くために踊り出した。

 

 そうして現れたのは、宙に浮かぶ紅蓮の魔法陣。

 その魔法陣は、緑の魔法陣と同じく息絶えたアイリスとリュカをその領域内に収めていた。


「なんだぁ……!?」

 

 上を向き、驚愕に満ちたうめきをあげるリルルの様子が、黒ローブたちに動揺のざわめきを広める。


 突如として現れた赤い魔法陣は、緑の魔法陣とは逆方向に回転し、バチバチと音を発生させた。


「僕の魔術を押し返そうとしているな……何者だ、姿を現せ!!」 


 研ぎ澄まされたリルルの嗅覚が、謎の術者の存在を暴こうと働く。

 殺意を宿した鋭い視線が、蔵書室の影へと向けられた。


 そこには、一人の子供が。


 レオだった。

 レオは、黒ローブたちが蔵書室へやって来たとき、蔵書室の奥に隠れて身を護っていたのだ。


「き……さま。確かこのクズどものガキだったな。ゴミの分際で、この僕を誰だと思っている!!」


 緑の魔法陣が徐々に大きくなり、凶音を増していく。

 赤い魔法陣は、下から突き上げてくる膨大な緑の魔法力でバリバリと音を立てた。


 まさにリルルの魔法力がレオを圧倒しようかと思われたその時、赤い魔法陣の上に、もう一つ、燃えるように真っ赤で巨大な魔法陣が、積み重なるように現れ────


「だ、無限の魔法陣ダブル・サークルだと…………ばかな。こんなクズのガキごときが、なぜ、」


 レオは、リルルの罵倒も、流れ落ちる涙も無視して、自分が作り出した魔法陣へ、引き寄せた膨大な魔法力の全てを必死に注ぎ込んだ。

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