第2話 王宮のお茶会

 お茶室は、二〇人ほどが着座できる円卓が一つ入る程度の広さの部屋だ。 

 お茶会に参加した奥方たちは、ほとんど全員がリルルへ熱烈な視線を向ける。向けていないのは、アイリスとエリシアくらいのものだった。


 鮮やかな緑色でミディアムくらいの髪、綺麗な茶色の瞳。

 背が高く、リュカほどではないとはいえ整った美しい顔。

 奥方たちは、若くして宰相におさまったこの青年に首ったけなのだ。

 

 リルルには全く興味のないアイリス。

 いつものパターンならとりあえず公衆の面前であからさまに口説かれることはないだろうと踏み、目下お茶の味を楽しむことにした。

 問題は、終わった直後なのだ──


 ……と思っていたのだが。


 リルルと距離を取るために、あえて円卓の対極に座っていた──というか、アイリスとエリシア以外の全員がリルルの近くへ行こうとするので勝手にこうなっただけなのだが──のにもかかわらず、今日のリルルは、お構いなしにアイリスへと声をかける。


「ところで、アイリス。君はこの後、何か用はある?」


 奥方たちは、絡みつくような視線をアイリスへと向ける。

 突然言われ、アイリスは固まった。


「えっ? え、えっと。そうですね……。息子の勉強を、見なければなりませんので……」

 

 不覚にも目が泳ぐ。

 その上、うつむいて小声でゴニョゴニョ言ってしまった。

 リルルは頬杖をついて、微妙に眉毛を上げる。

 

「君は、そんなに僕が嫌いかい?」

「い、いえ、別にそんなことないですよ! 嫌いだなんて……」

「へぇ、好きの裏返しってことなのかな。じゃあ、このあと僕に付き合ってよ。街の花屋が、綺麗な花を持ってきたんだ。一番に君に見せたくてさ。プレゼントするから、ぜひ君の部屋に飾って欲しいなあ」


 奥方たちの瞳が、一斉に、凄まじい殺気を帯びる。

 アイリスは背筋が凍りついた。

 ほとんど「鬼」と化した奥方たちをキョロキョロと見回して小さくなる。隣にいるエリシアにアイコンタクトすると、彼女は眉毛を引き上げて、肩をすくめた。

 リルルのせいで、お茶会の間中ずっと、アイリスは鬼女たちからの視線にチクチク刺され続けた。



 お茶会が終わり、明らかに誘いを忘れていなさそうなリルルがこちらをじっと見つめていた。

 アイリスは、こっそりエリシアの服を掴んで引っ張り、小さな声で言う。


「ねえ! どうしたらいいと思う!?」

「……そうねえ。いっそのこと、やっちゃえば・・・・・・? 宰相だなんて、すごいじゃない」

「はあっ!? そんなの、したいとも思わないし! あたしはリュカが──」

「はいはい、わかったわかった、冗談ですよ。とりあえず、無下むげにするのは危険だから、話だけでも聞いてあげなさいよ。それで、『私は夫が大好きなので、無理です』ってはっきり言えばいいじゃない」

「……やっぱ、それしかないか」


 リルルと話しているところをリュカに目撃されたら……とつい想像する。

 アイリスがどんな目に遭うかではなく、リュカがリルルを殺してしまわないか真面目に心配だった。

 

 リルルは、鬼女たちのことなど無視して堂々とアイリスを連れていく。どさくさに紛れてアイリスの手を引こうとしたので、アイリスはサッと手を引いて防御した。


 ロイヤルフロアの中でも、ひときわ優美な装飾が施された廊下を進んで王国宰相の部屋のほうへと向かっていた。


 この国における大臣級の官職は、三つ存在する。


 政務、財務、法務などを執り行う「宰相」。

 魔術師を統率し、魔術に関する事務を担う「魔導大臣」。

 全ての兵と、その兵たちの上級部隊である聖騎士団を統率し、国の防衛を司どる「軍務大臣」。


 その中でも「宰相」は、国王の最側近として大臣級官職の中でもリーダー的な扱いを受けていた。そのため、ロイヤルフロアにある宰相の住居は、国王と並んで特別に豪華なものを与えられていた。


 ──もしかして、部屋の中へ入れられちゃうかも。

 やばいなあ……でも、あからさまに拒絶するなってエリシアも言ってたし。

 って言ってる場合じゃないか。さすがにそろそろ言わないと!


「え……っと。こちらは、お部屋の方ですよね。お部屋の中には、さすがに……」

「うん。わかってるよ。花があるのは、そこじゃないから」

「そうですか。じゃあ、どこに──」


 言いかけたアイリスの手首を掴んで、リルルは唐突にアイリスを抱き寄せた。


 びっくりして、声も出なかった。

 目を見開いて、リルルの顔を凝視する。

 ギュッと抱きしめられ、耳元で囁かれた。


「どうしても、僕じゃダメかい?」

「お離しください、あの……」

「君のことが好きなんだ。寝ても覚めても、君のことばかり考えてる」

「申し訳ありませんが──」


 言葉は遮られる。

 宰相の口で、アイリスの口が塞がれたからだった。


 何が起こったのか理解できない。

 頭の中は真っ白になって、考えがまとまらない。

 グッ、とリルルの顔を押し返し、喘ぎ喘ぎ言った。


「…………こ、困りますっ、」


 急激に暴れる鼓動。

 その鼓動音を引き裂く金属音が、キャイン、と鳴り響く。

 ハッとして、音のしたほうを見る。



 リュカが、立っていた。



 剣先を大理石の床にらして、もう一度音を鳴らす。 

 その音に、リュカの覚悟が込められていると思った。


 アイリスの体に、ゾワっ、と流れる鳥肌。

 リュカが宰相に剣を抜く、という悪夢が、今まさに現実のものとなった。

 

「リュカ! だめ──」

「離れろ、リルル」


 リュカは、アイリスの言葉を無視してリルルへ警告した。

 これでリルルが諦めてくれたら、と祈るアイリスの期待も虚しく──

 

「やあ。今の旦那様・・・・・のご登場だね」


 リルルは、怒気の塊となったリュカを前にしても、動じる素振りを見せないどころか、無邪気な顔をしてケンカを吹っ掛けてくる。


「……ふん。いつもいつもアイリスを過剰に束縛して、それで愛を表現しているつもりか? いつか僕が救ってやらないといけない、って思ってたんだ。僕なら、彼女のことをもっと幸せにできる」

「…………」

「今は君の妻だけどね。でも、今後誰の妻となるかは、彼女しだ──」


 口上を聞き終わる前に放たれた剣撃。

 聖騎士パラディンの使う「身体強化魔法ブースト」が実現する超高速の初太刀が、リュカの体をまるで一瞬消えたかのように錯覚させる。

 アイリスが次に視認した時には、リュカの剣は、リルルの手のひらで止まっていた。


「……ふむ。まあ、なかなかだ。剣聖よ」


 リルルの手のひらが、緑色に光り輝いている。

 彼の足元には、鮮緑にまばゆく光る、直径二メートルほどの魔法陣が現れていた。

 

 リルルが魔術を使っているところを、アイリスは初めて見た。

 てっきり、政治的な手腕を認められてやって来たのだとばかり思っていた。

 しかし、剣聖リュカの剣を素手で──しかも片手で止めたのだ。どうやら、魔術も一級品らしい。

 

 だが、アイリスはそれとは別のことで戦慄した。

 全く押されもせずにリュカの剣撃を止めたこともさることながら、彼は呪文の詠唱をしなかったのだ。


 無詠唱。


 アイリスは、無詠唱で魔法陣を出現させる魔術師を、今まで生きてきた中で一人も知らなかった。


 魔術の元となる「魔法力」は、母なる大地ガイアを流れる──すなわち竜脈として地中を大量に巡り続けている「魔素」と呼ばれるエネルギー体だ。


 例えるなら温泉のように常時湧き出るもので、基本的には源泉が枯れない限り──つまり母なる大地が滅びぬ限り、使い過ぎで使えなくなるということはない。


 しかし、湧き出る温泉水をひねり出すには、「蛇口」が必要だ。

 何もしなければ蛇口は閉じたまま。一滴たりとも手にすることはできない。


 その「蛇口」こそが呪文の詠唱えいしょうによって出現する魔法陣だ。

 魔法陣は、大きさが大きいほど、また、同時に出現する数が多いほど、「蛇口ゲート」としての性能は高い。


 ただ、魔術師が巨大な魔法陣を一人で出現させたり、二つ以上同時に出現させたという話をアイリスは聞いたことがなかったし、そもそも魔法陣を作り出すには、呪文の詠唱が必要不可欠なはずだった。


 それを……目の前にいるこの王国宰相・リルルは、詠唱なしで魔術を行使したのだ。

 

 憎しみを絞り出すかのようにリュカはうめく。


「貴様……」

「僕に刃を向けた罪で、今ここで処刑してやっても良いんだけどね。色々とうるさい奴らもいる。まあ……今の旦那様・・・・・とは、いずれの意味にしてもどうせすぐに決着をつけることになるだろう」


 王の治める王宮内で、本気で殺し合うわけにはいかない。

 それは、リュカも当然の如くわかっているはずのことだった。


 剣を収め、しかしどんどん強くなり収まりきらない殺気を宿した瞳でリルルを睨みつける。

 普通なら、周辺国にまで知れ渡る剣聖リュカの眼光で、小便をチビって逃げ出してもおかしくないのだ。


 剣聖の一刀を難なく止めた宰相は、当然のことながら臆することなく視線を返す。


「アイリスは必ずもらう。僕は、もう決めたんだ」


 アイリスを指さし、余裕の笑顔でリュカを挑発したリルルは、優雅に身をひるがえして自室へと戻っていった。


 どうしていいか全くわからない。

 アイリスは、無様にあたふたするしかなかった。


「リュカ……」


 リュカはアイリスへ駆け寄り、力一杯に抱きしめる。

 まるで、手のひらからこぼれ落ちそうな液体を、必死でこぼすまいとするかのようにだった。 


 大丈夫だと、言ってあげたかった。

 自分の気持ちが、リルルに向かうことはないと。


 だが、妙な胸騒ぎが言葉を止める。

 何がそうさせるのかはわからなかったが、何かが不安をき立てる。

 

「ねえ。一つだけ、教えて」

「ああ」

「さっきの剣、本気で振ったの?」

「……これから、一人で家を出るな。レオもだ」


 アイリスは、リュカの言葉の意味を、よく理解できなかった。

 漠然とした不安感だけが残る。


 アイリスはそれを解消するために自分からリュカへ抱きつく。

 リュカは、リルルにけがされたアイリスの体を浄化しようとするかのようにキスをした。


◾️ ◾️ ◾️


 アイリスは、いったん家に戻ることにした。

 リュカは仕事があるはずだが、アイリスのそばから離れようとしなかった。


 二人で自宅へと向かう廊下の途中、四十代半ばくらいの男が前から歩いて来る。

 真っ白な司祭服。首から掛けた真紅のストールと、黄金色の十字架がぶら下がったネックレス。

 まあ、別の服を着ていたとしても、ボサボサの黒髪を見れば一目瞭然ではあった。

 魔導大臣であるアイリスの父・ゴードンだ。


 ゴードンは、手を挙げながら、陽気な素振りでご機嫌な声を上げる。

 

「おーっ、稀代の剣聖とその妻。どうだね? 調子は」


 アイリスは、はあ、とため息を吐く。


「気楽でいいね、大臣なんて。万年大臣やってないで、そろそろ宰相に上がってよ。だからあんな奴が……ブツブツ」

「何をブツブツ言ってるんだ。アイリス、私だって神経をすり減らしてお国のために仕事をしているんだ、その言い草はさすがに失礼というものだろ」

「はいはい。わかってますよ。何度も聞きましたよ。……はあ」


 こんなふうに言ったものの、早くに母・マリアを亡くしたアイリスと一緒にいる時間を確保するため、必要以上に仕事が忙しくならないよう、ゴードンは慣れた今の仕事にとどまっているのだと思う。


 アイリスだって感謝している。イライラして、つい当たってしまっただけ。


「どうした。何かあったか?」

「あのさ。リル……今の宰相って、何者なの? どうしてアルテリアに来たの?」

「さあ……前職の話はとんと聞かんな。ただ、国王が直接連れてきたんだ。非常に優秀だと思うから、ってな」

「国王が、直接?」

「それがどうした? そういえばお前、宰相殿と仲良くやってるか?」

「……あたし、あの人、苦手」


 ゴードンは呆れながら、アイリスのおでこを人差し指でつついた。


「いて」

「あのな。どこで誰が聞いているかわからないんだ、言葉には気をつけろ。ここは寝室じゃないんだからな」

「……わかってますよぅ。てか、自分で聞いといてそれは無い」


 ぷくっと頬を膨らます。

 素直で正直な性格のアイリスは、思っていることがつい口から出てしまう。 

 ゴードンは眉間みけんを大きく引き上げて、わざとらしく大きな息を吐いた。


「おいおい……頼むぞ。宰相閣下はまだ就かれて間もないが、既に国王から無類の信頼を受けて──」 

「それもわかってますぅ!」

「……ならいい。それはそうと、しばらくはあまり不必要に家から出ないほうが良いかもしれん」

「え?」


 あまりにも違う内容に話が変わったので、アイリスは理解しそびれた。


「あまり外には出るなと言ったんだ」

「大臣。俺も、その意見には同意します」

「さすがは聖騎士団長だ、話が早い。でも、できたら仕事の時でも『お義父さん』って呼んで欲しいなあ、リュカちゃん」

「公私混同すんな!」


 アイリスは一喝してやった。

 娘婿むすめむこに甘い父は、リュカをとんでもなく可愛がっているのだ。

 コホン、と一つ咳をして、ゴードンは仕切り直す。


「……もしかすると、魔術師団長アレクシアにも話をして、「アンブラ」と「ルナ」に警戒させるほうが賢明かもしれん」


 ゴードンが言った「アンブラ」「ルナ」とは、アルテリア王国が誇る武力の中核をなす部隊だ。


 幾多の兵士たちから選ばれた聖騎士、その聖騎士の中でも精鋭を集めた特騎隊「アンブラ」は、常に王の影として国王に張り付き護衛する。


 王宮魔術師の中でもエリートだけで構成された「ルナ」は、全ての魔術師の統括指揮を執る魔術師団長アレクシア率いる特級魔術師団だ。


 アイリスは、ずっとルナの隊員になりたいと願ってきた。

 火炎系の魔術はルナの隊員でさえ舌を巻くほどだが、苦手魔術が多すぎて、まだルナには選抜されていなかった。


 アイリスは、ルナに選ばれることを目標としていた。

 美しく、そして強い魔術師アレクシアに憧れ、そして近づきたいと思っていたからだ。


「ってか、どうして二人とも同じこと言うの?」

「どうしてと聞かれると説明しずらいが……何か邪悪な気配が漂っている気がしてな。うちの家系は由緒ある呪術師シャーマンの家系だからな。お前、何か感じんか?」

「さあ。空気に気配が混ざってるかどうかなんて、そんなのわかるわけないよ」


 ゴードンもそうだが、アイリスの家系は呪術師シャーマンの素質があった。

 呪術師シャーマンは、儀式を通じて霊などの超自然現象と交信し、国の行先を占う重要官職だ。これは、魔導大臣が統括する国事だった。

 そのせいで、アイリスは子供の頃から魔術と呪術の英才教育を受けさせられたのだ。


 が、魔術は別として、アイリスには呪術師としての素質はなかった。

 幽霊など見えない。当然話もできない。


 シャーマンなど生臭坊主と同じ、霊などただの迷信だと口にした十歳のある日、父から両のほっぺをつねられて空中に浮かされた。


「ったく、何のために子供の頃から魔法や学問を習わせてきたんだか……呪術ってのはな、普通の魔術と違って、長い修行のなか常につつましく生活し、自分を律する制約があったほうが強力になるんだ。好き勝手、自由奔放に生きているからできないんだぞ。だからな、お前も、いつまでもフワフワした性格してないで、もっとキリッとしてくれ。レオの爪でも煎じて飲ませたいわ」


 リュカと違って、愛娘アイリスへは塩対応をとるゴードン。

 首を横に振りながら執務室の方へと歩いていった。


 レオが真っ当に育っているのはいいことだが、自分の子の爪を煎じて飲まされるなど生き恥もいいところ。

 アイリスだって、もっとキリッ! とした性格になりたかった。というか、自分では結構キリッとしているつもりなのだ。


 下唇を出してねていると、リュカがアイリスをスッと抱きしめる。


「気にするな。俺は、アイリスの性格が大好きだ。お前はそのままでいいし、そのままじゃなきゃ俺はイヤだ」


 顔が熱くなり、指の先まで温かくなる。

 飛び上がりそうなほどに嬉しかった。


 リュカだけは、いつも絶対にアイリスのことを認めてくれる。

 他の誰の真似をする必要もない。

 自分が、自分のままで居ていいと思わせてくれるのだ。


 アイリスは、リュカの首に両手を回してキスをした。

 リュカもそっとアイリスを抱く。


「ところで」

「ん?」

「どうして、リルルの部屋のほうへ行ったんだ?」

「ぎくっ」


 別に心にやましいところは無いが、それにしてもこれはやばい、とアイリスは冷や汗が出る。

 中途半端に誤魔化すと、取り返しのつかない事態を招く。

 ここは正直に話すべきだと思った。


「なんかね、綺麗な花が手に入ったから、あたしにプレゼントしたい、……って」

「それでホイホイついて行ったんだ?」

「ちっ、違うよっ!! 好きでついて行ったんじゃなくて! 相手はやっぱ宰相だし、無下むげに断り辛くて──」


 必死で弁解するアイリスの瞳の奥を、細めた目で覗き込むリュカ。

 一目でわかった。

 もう手遅れだ。

 美しい黄金色の瞳は、何かを決意したように光る。


「……そっか。やっぱり、今日は仕事に行くべきじゃなかったのかもしれないな」


 アイリスを抱くリュカの腕に、グッと力が入った。

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